ため息
この世は優しくない。
青春真っ盛りであるはずの少女は笑顔で取り繕い、片割れを失った少年はどこまでも冷酷に魔物を祓う。
そして部下を失った私は─────。
「はぁ………」
今日何回目のため息だろう。ため息で幸運は逃げるというからため息をついた瞬間に吸い込むようにしている。
「桜月、なんなんだその奇妙な呼吸音」
「幸運吸いもどしてる」
「無理があるだろう」
目の前に座る碧も同じような顔をしているのに。人のこと言えないぞ、お前。
「眞雲がやられた。三課のトップが死んだ。」
「眞雲がやられるのは相当だな。あいつ錬成武器を使っていただろう。」
「ああ。髪の毛を操っててな。強い奴だったんだ。」
眞雲みらん。長い金髪は腰を超えて太もも程まであった。金髪金眼の特徴的な容姿を持っていて雰囲気は外国人のようだったのを覚えている。
「こんな見た目だけど横浜と東京のハーフの日本生まれ日本育ちの日系日本人なんだよ」
意地でも神奈川とは言わない性格だった。何があっても出身は横浜と言い張っていた。
そんなアホなことを思ったり思わなかったり。
「娘がいたそうだ」
「あいつ結婚してたのか」
「一昨年の六月にな。結婚式呼ばれなかったのか」
「呼ばれなかったな」
つくづく嫌われてんな。碧。
「未来ちゃんって子だよ。今2才かな。」
遺体は残っていなかった。天音弟もだ。残されていたのは天音弟のものと思われるスニーカーの片方と────。
「これをどう思う」
碧の指さす写真の中には大量の花だった。
「桜、桃、梅、菖蒲に菊。椿にこれは………橘か?あとはネモフィラ……?」
「わからんな。桜しかわからない。」
これらの花に共通することはあるのか?季節はばらばら。日本の植物かと思うけれどネモフィラは違う。和名は瑠璃唐草と書くんだったっけ。
「左近の桜に右近の橘。紅白の梅に桃の花、か。」
「なんだそれ」
「雛祭りって知ってるか?その時に雛壇に向かって右側に置かれるのが桜。魔除けや邪気払いの意味がある。
橘は雛壇に向かって左側に置かれるな。
橘は冬でも葉を落とさない常緑樹であることから不老長寿の象徴とされ、聖なる力を持つと考えられているんだ。」
「紅白の梅は桜と橘の代わりに、おめでたい紅白を象徴する梅の花が飾られることもあるし桃の花は「桃の節句」の象徴で、古来より邪気を祓う霊力が強いと信じられてきた。」
共通点は………人形の花?
人形の花だからなにがある。
「ところで話が360度変わるんだが」
「一回転してるぞ」
戻ってる戻ってる。元に戻ってきてる。
「白銀は………大丈夫なのか」
「そんなん私が一番気にしている」
「一番じゃないだろう。流凪がいる」
「ギャグだよ」
どうするべきか。なんか、ないか。
「───あ。」
***
ご飯が食べられない。
「………」
「──食べれそう?何か他の作ろうか?」
「───大丈夫」
わかってるよ。わかってる。でも、食べられない。
目の前のご飯が美味しそうに見えない。なんとか口に入れても味がしない。砂を食べているような気持ちの悪い感覚。
1度無理矢理食べたことがあったけどその後に吐いてしまった。そのくらい、何も食べられない。
「ごめん」
「陽翠が謝ることじゃないよ。」
ソファに倒れ込むように座ってスマホを手に取る。暗い画面に映る顔。目の前の目には生気がない。乾燥した肌と唇。どこからどう見ても綺麗とは言えない身体だった。
出帆は隣に座ってじっと黙っている。
出帆がそっと手を伸ばし、陽翠の細くなった指先に自分の手を重ねた。体温の差が、今の陽翠の空っぽさを際立たせるようでわずかに肩を震わせる。
「……陽翠、水だけでも飲める?」
出帆の声は、責めるような響きが一切ない、どこまでも穏やかな凪の海のようだった。
それが今の私には、切なくて、申し訳なくて、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「ごめんね、出帆。せっかく作ってくれたのに。私、本当に……」
「いいんだよ。謝らなくていいって、さっきも言ったでしょ」
出帆はそう言うと、陽翠の背中に回した手で、まるでおもちゃの壊れ物を扱うように優しく、ゆっくりとその背中をさすった。
陽翠の頭の中には、あの日からずっと、亡くなった玲くんの笑い声と、知らせを聞いたあの瞬間の静寂が交互に再生されている。
食べ物を口にすることは、その友人がもう二度と味わえない「生」を、自分だけが享受しているような、そんな得体の知れない罪悪感に繋がっていた。
「……出帆は、お腹空かないの?」
「空いてるよ。でも、一人で食べてもあまり美味しくないからさ。今はこうして、陽翠の隣にいる方がいい」
嘘だ。彼は陽翠を安心させるために、自分の空腹さえ後回しにしている。
陽翠はスマホの画面を消し、暗闇の中に消えた自分の無惨な顔から目を逸らした。
そして、おずおずと、出帆の肩に頭を預ける。
「……いつか、また食べられるようになるかな」
「なるよ。少しずつでいい。今日が無理なら、明日。明日が無理なら、明後日。俺はずっと、陽翠が『お腹空いた』って言うのを待ってるから」
出帆の胸の鼓動が、規則正しく陽翠の耳に届く。その温もりと音だけが、砂を噛むような灰色の世界の中で、唯一の確かな「生」の感触だった。
「……明日、ゼリーなら、試せるかもしれない」
「うん。じゃあ、明日一緒に買いに行こう。一番美味しそうなやつ、選ぼう」
出帆は陽翠の髪にそっと触れ、祈るように目を閉じた。二人の間には、言葉にできない想いが重く、けれど優しく漂っている。
ピリリリ!ピリリリ!
「ん?」
「はい。流凪です。はい。はい。………はい?」
「えっと……?はい。あ、わかりました。」
ぱちっと電話を切った出帆はこちらに向き直って言った。
「明明後日から幻蝶谷っていうところに行くよ。温泉があって、蝶がたくさんいるところ。ゆっくりしにいこう」
私の肩をゆっくりと抱き寄せる。流れる沈黙。その沈黙もあなたとなら心地よい。
今はまだ「好き」だなんて言える状況じゃない。けれど、この沈黙こそが、今の二人にとっての精一杯の愛の形だった。




