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もどかしすぎる距離

(……本当に、陽翠はどう思っているんだろう)


僕は繋いだ陽翠の手の感触を確かめるように、そっと指先を動かした。


「迷子になるよ」


なんて、柄にもないことを言ってみたけれど、単にこのまま離したくないという気持ちの方が強かった。


ポニーテールにまとめた髪が風に揺れる。


陽翠も同じように髪をまとめていて、少し嬉しかった。屋台の賑やかな声も、二人の間だけは少し遠いように感じる。


(今日の陽翠は、なんだか違う)


Tシャツの柄も、ふとした表情も、いつも見慣れているはずなのに、どこか新鮮に見える。


焼きそばやチョコバナナを選んでいる時の真剣な横顔は幼く見える。やっぱり陽翠、どこかで………


思い出せないことが腹立たしい。霞がかった記憶がうざったるい。このことさえ無かったら全部伝えたいのに。


「……暑い?」


気づけば、そんな言葉が口から出ていた。陽翠が顔を赤くしているのを見て、なぜか自分まで胸が高鳴るのを感じた。


「なっ…なんでもない」


引っ張られる手に伝わる体温は、確かに陽翠のもので、それを感じているだけで安心する。もし、この熱気が自分だけのせいじゃないとしたら、一体どうなってしまうんだろうと考えてしまう。


(花火よりも、今は)


「……陽翠、待って」


少し早足になった彼女を呼び止め、もう一度その手を握り直す。


かなり下の方にある目線。大きな吊り目とぬいぐるみを抱きしめる包帯の巻かれた細い腕。


いつも少し悲しそうな瞳。君にはこの景色がどう見えてるの。


「こっちの方が見やすいって水滝原さんが教えてくれて……穴場行かない?」


***

二人の間に流れる濃密な沈黙を切り裂くように、対岸から鋭い笛のような音が空へ駆け上がった。


「……あ」


声を漏らした瞬間、夜の天頂で重厚な破裂音が轟く。


視界いっぱいに広がったのは、目の醒めるような大輪の黄金。火花は生き物のように枝分かれし、夜空を力強く、それでいて繊細に塗り替えていく。


「綺麗……」


見上げた出帆の瞳の中で、黄金の光が宝石のように明滅した。


それまで支配していた夜の闇は一瞬で消し飛び、隣に立つ出帆の横顔が、鮮やかな光と影のコントラストで照らし出される。


「陽翠、見て。……すごいよ」


横で呟く出帆の声が、花火の余韻にかき消されそうになる。


けれど気づいてしまった。花火を見上げているはずの彼の視線が、ふとした瞬間に自分へと向けられたことを。


一発目が消えゆく刹那、空には細かな光の粉が雪のように降り注ぎ、暗闇が戻るまでの数秒間、世界は魔法にかけられたように煌めいた。


その残光の中で、出帆が繋いでいた手を、指を絡めるようにぎゅっと強く握り直した。


「……ねえ、陽翠───」


二発目、三発目と、立て続けに打ち上がる極彩色の花火。


その光が明滅するたびに、出帆の真剣な眼差しが心臓を射抜く。火花の音に紛れて、自分の鼓動が耳元でうるさく鳴り響いていた。


花火は勢いを増し、空を埋め尽くすほどの光の雨が降り注ぐ。どんどん激しさを増していく連続の打ち上げ音が、土手を激しく震わせた。


「出帆、あの───」


言わなくちゃ。これが最後のチャンスなんだ。


でも言えない。言葉が出ない。


顔すら見れない。ああまじやばい。


出帆が意を決したように、繋いだ手にぐっと力を込める。彼の唇が、私の耳元で何かを形作ろうとしたその瞬間。


「え、白銀じゃね?なっつー!!」


真後ろから、空気を読まない爆音の叫び声が響いた。


この声、まさか────。振り返ると、そこにはいつの間にかすぐ近くまでそいつは迫っていた


「白河………」


「覚えててくれたのかー?いやー懐かしいなぁ。中二以来だろ?」


嫌な汗が止まらない。さっきまでの美しく澄み切った空気は消えて過去の鎖に自由になった心を逃がすまいと絡みつかれる。


「いやーまじ大変だったんだぜ?お前と周防が大事にしたせいでさ。まじ、どうしてくれんの?」


空き教室で近づいてくるにやにやした顔と腕………白河亞樹斗しらかわあきと


「まぁいいよ。全部許してやるからさ。お友達もかわいい顔してんじゃん。ちょうどここ人目につかないし、さ………。」


「さっきから何言ってるの?陽翠は別に君の所有物じゃないよね?怖がってるから近づかないでくれる?」


「ああ?お前っ「陽翠。」



「逃げるよ」



そして私達は走り出した。出帆は横を通り際に1発蹴りを入れるのを忘れずに。悶絶している白河をさらに踏みつけてからさらに走る。


「本当は殴り倒したいけど……一般人に暴力振るっちゃ駄目だからね」


振るってたじゃん………結構思いっきり。


「嫌なことからは逃げて良いんだよ。嫌って言って良いし誰かに相談して良い。大人に助けを求めたって良いしろくでもない奴等しかいないなら全部蹴り壊したら良い。」


足を止めた。忌々しい奴はもういない。花火が上がる。フィナーレを迎えて金色の糸で夜空に星座を描き、音と光と川の流れが私達を包み込んでいた。


背の高い出帆と背の低い私。もどかしすぎる距離。


背伸びしてみた。


温かい手を握り直して。目を見つめて。




「好きだよ」




一際大きな最後の花火に紛れたほんの小さな声は飴のように空気に甘くこだました。満月が輝く紺碧の夜空の下、私の想いは散り際を知らずに咲き続ける。


「、どうしたの?」


声は届かなかった。それでもいいから。


今はただ君と二人で。


***

駅へと続く帰り道。街灯の間隔が広くなり、再び二人の影が静かに伸びる。


さっきまで繋いでいた手は、今はもう離れていて。指先には、まだ陽翠の体温の残滓がこびりついているようだった。


「そういえばさっきの、何言おうとしたの?」


陽翠から尋ねられた。さっきのって………


『ねえ、陽翠──』



「あー……いや。その。……今日の花火、来年も、再来年も……その、この場所から上がればいいなって。




それを……また陽翠と見たい。」



この先を君と生きていたい。来年も再来年も十年後も百年後も同じ景色を見ていたい。

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