君に夢中
ドームに広がる人工の宇宙が、隣にいる陽翠の存在を際立たせるための巨大な額縁のように見える。
見上げる美しい横顔を縁取るのは、銀河のきらめきから零れ落ちた微細な光。
その透き通るような肌は、投影技術が放つ光を吸い込み、まるでおぼろ月夜に舞う花びらのような、淡く、確かな輪郭を持って闇の中に浮き立っている
瞬きをするたび、長い睫毛が落とす影が、まるで夜の帳が降りる瞬間の静寂を体現しているように見えた。
その瞳に映る無数の星々は、単なる光の投影ではなく、深い知性と優しさに触れて、本物の宇宙よりも鮮やかに、そして情熱的に瞬いていて。
このまま時間が止まっちゃえばいいのに。
***
「陽翠」
まだ日は傾きだしたばかり。たくさんの人の熱気と話し声の中でも透明な共鳴は聞きやすい。
「離れないでね。人多いから迷子になるよ」
「そこまで小さくないんだけど」
河川敷までの道のりはたくさんの屋台で敷き詰められていて独特の香りは心を浮き足立たせた。
「花火、楽しみ?」
そう問いかける出帆は暑かったのか髪の毛を一つのポニーテールにまとめていてお揃いの髪型。
回りに溢れかえる人の中でも一際格好よくて綺麗。青みがかった瞳は夕日が溶け込んでいつもより明るく見えた。
「うん。楽しみ。」
何か買おう、と屋台を見て回る。焼きそば、卵せんべい、ベビーカステラ、ポテト………
「あ、あれ食べたい。りんご飴」
指差した先には、夕焼けを反射して宝石のように艶めく赤い飴が並んでいた。
「いいよ、並ぼうか」
人混みをかき分けるように一歩前へ出る。
不意に、大きな手が陽翠の指先に触れた。
「……はぐれないように、って言ったでしょ」
少し強引に、でも壊れ物を扱うような優しさで、出帆が私の手を握る。繋がれた手のひらから伝わる体温が、夏の熱気よりもずっと熱く感じられて思わず俯いた。
ポニーテールが揺れるたび、出帆のうなじが見える。いつもより近くにあるその背中と、鼻をくすぐる屋台のソースの香りに、心臓の鼓動が早まっていく。
「何個買う? 半分こにする?」
振り返った瞳は、沈みかけた太陽の光を吸い込んで、まるで溶け出した琥珀のように輝いていた。そのあまりの綺麗さに、陽翠は返事をするのも忘れて、ただ繋がれた手の力を少しだけ強めた。
「あ、あっちにチョコバナナもある! ジャンケンで勝ったらもう一本もらえるやつ」
出帆が声を弾ませた。
「ん、美味しいね!」
一口分けて貰うと甘い幸せが口の中に広がった。
「甘……。次はしょっぱいもの。あ、たません食べたい」
「あ、いいな。天かすいっぱいのやつね」
私達は賑やかな人混みを縫うように歩き、ソースとマヨネーズが焼ける香ばしい匂いに吸い寄せられていく。
「陽翠、見て。あっちの射的、景品に大きいぬいぐるみあるよ」
そう言って指さした先には可愛い猫のぬいぐるみ。白くて背中が杏色だからまるで杏ジャムを塗った食パンみたい。
「出帆、ああいうの燃えるタイプでしょ」
「失礼な。……まあ、陽翠が欲しいなら取ってあげなくもないけど?」
冗談めかして言いつつも、出帆はすでに財布を取り出し、真剣な目つきでコルク銃を構えている。
周りからは「頑張れー!」と見知らぬ子供たちの声援まで飛び始め、二人の周りだけが、お祭りの熱気をさらに凝縮したような騒がしさと楽しさに包まれていく。
「やった! 落ちた!」
「すごい、本当にとっちゃうなんて……」
抱えきれないほどの戦利品と、少しだけ食べすぎたお腹。
腕が触れ合うたびに笑みがこぼれる。
ぎゅとぬいぐるみを抱きしめて私達は河川敷へと歩みを進める。
「……もう、そんなに笑わなくてもいいじゃん」
子供のようにぬいぐるみを抱えているのがおかしかったのか出帆が笑い出した。
「あはは。大丈夫?邪魔なら持とうか?」
「私が持っとくのー」
腕の中の大きなぬいぐるみを抱え直し少しだけ唇を尖らせた。
でも、隣を歩く出帆の横顔を盗み見ると、胸の奥がキュッと締め付けられる。
(本当は、ぬいぐるみなんてどうでもよかった)
ただ、彼が自分のために真剣になってくれる姿が見たかっただけ。
狙いを定める鋭い視線や、景品が落ちた瞬間に少年みたいに破顔する表情を、独り占めしたかっただけなのだ。
繋いだ手は、いつの間にかどちらからともなく指を絡める「恋人繋ぎ」に変わっている。
その指先の感触が、どんなに騒がしい人混みの音よりも雄弁に、今の二人の距離を物語っていた。
(出帆は、どんな気持ちで私の手を握ってるんだろう)
気心の知れた安心感。昔と同じように。
これは友情?
それとも信頼関係?
恋?それとも愛?
この夕闇が連れてきた、いつもとは違う特別な感情。
ポニーテールにまとめた髪の先が、歩くたびに跳ねる。
お揃いの髪型。そんな些細なことすら、今の陽翠にとっては心臓を跳ねさせる十分な理由になる。
いつもは「格好いい」と思う彼の瞳。けれど今、夕陽を溶かし込んだその青い瞳に映っているのが自分だけなのだと自覚するたび、熱気に当てられたような眩暈がした。
「……ねえ、出帆」
名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど小さく震えた。
聞こえなかったかな、と思い直した瞬間、繋いだ手にぐっと力がこもる。
「ん? なに、陽翠」
聞き返す声はどこまでも優しくて、少しだけずるい。
彼は気づいているのだろうか。この短い沈黙の間にどれほど多くの言葉を飲み込んで、どれほど強く「この時間が終わらなければいい」と願っているのかを。
(花火が上がったら、もっと暗くなる。そうしたら……)
暗闇に紛れて、言えるかもしれない。
聞こえないくらいの声でなら。
迷惑にならないように「ん?」で終わるくらいの声ならね。
喉の奥まで出かかった言葉を一旦飲み込んで、代わりに隣の肩にそっと自分の肩を寄せた。




