レザーブレスレット
「どれが良いだろう………」
柔らかなダウンライトが灯るセレクトショップの店内。私はかれこれ三十分以上、同じガラス什器の前で立ち尽くしていた。
土曜日の昼下がり、店内には私以外にも数組の客がいたけれど、私の耳には店内に流れる控えめなジャズピアノの旋律しか届いていなかった。そのメロディが、私の心の中の焦りと迷いを、優しく、けれど確実に煽ってくるようだった。
ガラスケース越しに見つめるのは、色も形も異なる三つのレザーブレスレットだ。どれもこれも、私が出帆に持っていてほしいと思えるような、上質な雰囲気を持っている。
一つは、パッと目を引く明るいキャメル色のもの。発色が良く、見ているだけで元気が出るような色だ。
「こっちのキャメルは、明るくて可愛いけど、出帆の雰囲気には少しカジュアルすぎるかな……?」
最近の彼は、大人っぽい落ち着いた色合いの服を選ぶことが増えた。その事を考えると何か違う気がする。
もう一つは、一切の妥協を許さないような、深淵な漆黒のブラック。
「黒は文句なしにかっこいい。それに、最近のモノトーンコーデには完璧にマッチするはず……」。
そう思いつつも、どこか引っかかるものがあった。
「でも、黒はかっこいいけど、出帆には少し大人っぽすぎる気もするし……」
大人びた無機質な格好よりも、どこかに温かみのある服を着ている時の方が、彼らしい柔らかな空気を纏っている気がするのだ。
私は、店員さんに声をかけて、商品のサンプルを一つ一つ手首に当ててみる許可をもらった。
まずはキャメル。自分の手首で見ても、正直バランスがよくわからない。次にブラック。やはりシャープでかっこいい。
何度も何度も鏡の前で腕をひねっては、手首の角度を変えてみたり、「うーん」と小さく首を傾げた。その動作をもう何度繰り返しただろう。
(出帆、最近はモノトーンの服が多いから黒がいいかな。でも、肌の色とか、たまに見せる無防備な笑顔を考えると、このくらいの焦げ茶が一番似合う気がするんだよな……)
手に取っては棚に戻し、数歩離れて全体のバランスを眺め、また戻って細部を確認する。その繰り返しで、気づけば額にうっすらと汗が滲んでいた。
ふと視線を感じて顔を上げると、少し離れた場所に立つ女性店員さんと目が合った。彼女は急かす風でもなく、困ったような、けれどどこか微笑ましいものを見るような、そんな優しい目でこちらを見ている。
「……すみません、優柔不断で」
心の中でそう謝りながら、私はいたたまれなくなってスマホを取り出した。
カメラロールを遡り、二人で撮った写真を探す。先月、近くの公園のベンチでアイスを食べている時に撮った、不意打ちの一枚。
その他にも色々な写真がある。
画面の中の出帆は、いつも通りの、私の大好きな出帆だ。
その写真の隣に、実物のブレスレットをそっと並べてみる。スマホの画面から漏れる光と、ショップの照明が混ざり合う。
その僅かな境界線の中で、彼の日常にその革が溶け込む瞬間を想像する。
朝、出帆が家を出る前にこのブレスレットを巻く姿。
私と話すとき、料理をするときにこのブレスレットが手首に巻かれている姿。
(……よし、やっぱりこっち)
長かった迷いの霧が、すーっと晴れた瞬間だった。
最後に私が手に取ったのは、深みのあるダークブラウンの編み込みタイプ。チョコレートのように濃厚で、それでいて光の加減でわずかに赤みを帯びる、絶妙な色合いのものだった。
「それは、イタリア製のベジタブルタンニン鞣しの革を使っているんですよ」
私の決心した顔を見て、気配を察して近づいてきた店員さんが、静かに教えてくれた。
「使い込むほどに色が深く濃くなり、独特の艶が出てきます。持ち主の方と一緒に、時間をかけて育っていく素材なんです」
その言葉が、最後の、そして最大の決め手になった。
「時間が経つほど、いい色になるんだ……」
毎日が楽しくて、あっという間に時間が過ぎていくけれど、たまに小さなことでぶつかり合うこともある。
いつも心配させてしまうし上手くいかないことの方が多い。それでも、出帆の隣を歩きたい。
「これ、ペアで二つお願いします」
はっきりと告げると、店員さんは
「素敵な贈り物になりますね」
と微笑んで、丁寧に包装を始めてくれた。
迷いに迷って選び抜いた三十分間は、そのまま彼への想いの重さだ。
小さなギフトボックスの中に、その全ての葛藤と、彼を想う何百通りのシミュレーションが、ぎゅっと詰め込まれる。
受け取った包みは、想像していたよりもずっと温かく、重みがあった。
それはまるで、これから二人で積み重ねていく時間そのもののようで。
私はショップの扉を押し、夕暮れの街へと踏み出した。早く彼に会いたい。
記憶を取り戻したら絶対言うよ。
大好きだよって!!
***
窓の外には紺碧の夜空が広がり、白銀の月が誇るように浮かんでいる。
部屋の中いのりは毒を研究していた。
「幾瀬さん、こちらはどうでしょう?」
「いいですね。魔物は酒が苦手なんでしょうか?」
「はい。酒に植物を漬けて蒸留する、という製法が良いかもしれません。」
「なるほど。ありがとうございます。」
目の前にいる男の名前は幾瀬粋蘭。水無月結人、という人に紹介され二人で研究を進めている。
「それにしてもこれは凄いですね。」
「はい。まだ未完成なのですけれど」
目の前の試験管には毒とは別の少量の液体が入っていた。
「いやいや。これは誰も思いつきませんし思いついても作ることができませんよ。」
「あはは。ありがとうございます。今回いのりさんの血を見させて貰って随分やることが明確になってきました。」
「いつか………できるといいですね。」
「はい。頑張りましょう、いのりさん。」




