終わりのない夜
「ごめん。急に呼び出して。」
僕はまずそう言った。
「全然良いよ。どうかしたの?」
陽翠は薄手のパジャマだけでこっちに来てくれた。髪の毛は前にあげた簪でまとめられていて桜色に上気した肌は月明かりに照らされて光っている。
「えっと、、、」
今更になって話すことを何も決めていなかったことに気づいた。何を話そう。
「任務はどう?うまくやれてる?」
「うん。まあまあだね。そっちは?」
「僕も、、、かな。おまじないのことは聞いた?」
「聞いたよ。多分だけどその『天使』が四眷属なんじゃないかな」
陽翠の読みは多分当たっている。潜入を開始して一月、かなりの量の情報が入ってきた。
「出帆はさ、楽しい?」
「どういうこと?」
「ほら、今私達学園生活やってるじゃん。こういうの普通って言うのかなって」
楽しいかと聞かれるととても楽しいと答える。勇悟に絢人に雫。この状態になって初めて出会った本当の友達達にみんなで過ごす寮生活。
「楽しいよ」
「そっか。」
感情の読めない顔の黒曜石の瞳は僅かに揺れていた。
「陽翠は?何か嫌なことでもあったの?」
「別に。私も楽しいんだけどさ、、、だけどっ、、、」
そこで言葉に詰まって黙ってしまった。白い手はもう片方の手を握りしめている。
「だけど、何?」
薄桃色の爪はだんだんと白い肌に食い込んでいく。はっとして手を伸ばして腕を掴んだ。ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
何で何も言わないの。そのくせ自分を傷つけるの。ほら、赤くなっちゃってるじゃん。爪の跡。こんなんないよ。せっかく綺麗な手なのにさ。
「言いたいことあるんだったらはっきり言えば良いじゃん!!!!!」
怒りのままに声を荒げた。苛立った。はっきりと言わずにいつも濁す陽翠に。掴んだ腕は細くて白くて、片手でも折れてしまいそうで。
「っ!!!離せ!!」
陽翠の今までにない口調。強い力で掴んだ腕を放させられ、肩を突き飛ばされた。陽翠のあっ、というような表情に怒りと焦りが混じっていた。
彼女の頬を月光藍の涙が伝った。月明かりを反射して燦めき、そして落ちた。美しい表情が揺らぎ、壊れ、怒りを叫ぶ。
「はっきり言えないことだってあるに決まってる!!間違ってることかもしれない、正しくないかもしれないことをはっきり言えなんてそんなん当事者じゃないから言えるんだよ!そういうことなんて言うか知ってる!?」
「無責任って言うんだよ!!!!!」
無責任。ある意味僕はそうだ。無責任だ。安全圏から見て口を出して。じゃあ言いたくないことって何?間違ってることなの?正しくないことなの?そんなことは僕には言ってはいけないの?
「別に良いじゃんか!正しくなくたって、間違ってたって!誰かに責められるわけでもないし怒られるわけでもない!せめてっ、、、せめてさっ、、、!!!」
僕には吐き出してよっ、、、
僕の頬にも涙が伝って夜の空にこだました。彼女の傷ついた手を、残る傷跡を。壊れたままの心を怖がる感情も。
まとめて分け合わせてよ。
「いなくなってからじゃ遅いんだ!死んでからじゃ終わりなんだよ!!僕たちには今しかない!!過去も未来も全部全部不確かな物なんだから!!」
「そんなこと言ったってっ、、、!!「はーいそこまでだ。」
落ち着いた声がして振り返ると神楽さんと四ツ木先生。
「なんだあ、痴話ゲンカかぁ?若いもんは元気で良いけどここじゃなぁ。」
「2人とも、何してんだ?こんなとこで。とっくに消灯時間すぎてんぞぉ」
いささか冷静になって呼吸を整えながら陽翠の方を見た。手からは血が滲んでいて目は潤んでるのに薄い唇は怒りに歪んでいる。
「ついてこい。部屋の一個くらい俺ぁ貸してやるさ。」
四ツ木先生によって僕たちは部屋に連れて行かれた。大きめなソファとテーブル、ブランケットなどがある部屋だ。
「ここでゆっくり話しとけ。」
と紅茶を置いて四ツ木先生はでていった。
「あんま桜月に心配かけんなよ」
神楽さんはそれだけ言うと救急箱を置いて四ツ木先生と共にでていった。
僕たちの間に気まずい沈黙が流れる。ていうか話しだす前に、、、
「手、見せて。」
血の滲んだ手を取り濡らしたガーゼで血を拭き取った。
「いっ、、、」
「我慢して。痛かったら僕の腕でも掴んでて。」
四つのひっかき傷のようになった手に軟膏を塗ってネットと包帯で保護する。その手を何度か撫でると陽翠はびくっと跳ねた。
「ごめんね。あんなこと言っちゃって。」
陽翠の手に視線を移したまま言った。白い肌は包帯に溶けて境目がわからなくなりそうで薄い爪は小さな手にもちゃんと十枚くっついている。陽翠の細い肩に僕のパーカーをかけた。
「人のことが考えられない。人の気持ちが理解できない。過去も未来も何も見えなくてわからなくて真っ暗な現実だけに取り残されたんだ。」
すっと息を吸った。こんなことを言うのはダサいしかっこ悪いのに。言わなくちゃいけない。言いたくなってしまう。
「、、、怖いんだ。」
怖い。怖い。人から嫌われるのが怖い。覚えのないことに対して怒鳴られるのが怖い。何も覚えていないのが怖い。どれだけページをめくっても真っ白なページしか続いていないのが、、、どうしようもなく、怖い。
「陽翠を頼りたい。頼って、頼りすぎてるって自覚もあるんだ。陽翠自身限界なのにさらに僕みたいな重石を乗せて、、、ごめんね。」
ぽたぽた膝に涙が落ちた。泣いたのは多分記憶を無くしてから初めてかも。覚えてない。
「私も、、、ごめん。」
「何でも言って良いよ。間違ってることでも正しくないことでも。僕なら、、、すぐに忘れるからさ。」
僕は忘れる。数分前のことも大切なことも。ならいいじゃんか。それでもいい。悪くない。何でも言ってよ。僕が受け止めるから。
「本当はこういう普通の生活がしたかった。みんなで笑って話して好きに恋して勉強して。命を懸けて戦って毎日毎日ぎりぎりで、、、こんなのおかしいって、、、思っちゃって、、、」
勇悟も雫も絢人も結城さんも天幢寺さんも都萌さんも伊集院さんも。
桜月さんも水滝原さんも雀宮さんも本願寺さんも榊さんも。
明日にはいないかもしれない。それは普通だけどその明日があまりにも現実味を帯びすぎている環境はおかしい。
「麗奈がねっ、、、普通の女子高生になりたかったって、生きてたらっ、、、一緒に来れたのにっ、、、」
そうだ。天音麗奈。忘れてた。陽翠の友達で冬に死んだんだ。爆発で腕が飛んで血が流れて墜ちていった。
「怖いよ、、、怖いの。明日が怖い。朝が怖い。いつ四眷属が現れるかって。いつこの日々が壊れるかなって。みんなみんないるのに生きてるのに、、、死んじゃうかもしれないんだよ。」
震えた手と瞳。指先は氷みたいに冷たく冷えてて儚い。
「ごめん、怒鳴ったりして。突き飛ばして。腕掴まれたときに、、、思い出して、、、」
「思い出す?」
「───。」
陽翠は黙って袖をまくった。
「は、、、?」
大きな火傷。左腕の肘を中心に大きな痕が残っている。そこだけ肌色が濃くて白肌にはなおさら目立っていた。
「昔、お湯かけられたの。沸いてる、熱い、、、お湯。他の傷はほとんど消えたけどここだけ消えてっ、、、!!」
陽翠を抱きしめた。細い身体を。小さな顔を。傷ついた心も。
「ごめん。ごめん。ごめん。何も考えてなかった。何もわかってなかった。ごめん。ごめん。ごめん。本当に、ごめん。」
ごめん。ごめん。ごめんね。僕何してるんだろう。これ以上何を言うべきかわからなかった。
これ以上の言葉が見つからなかった。思い出せなかった。
小さく震えて泣いていた陽翠の呼吸は次第にゆっくりとした寝息に変わっていった。
(泣き疲れて寝ちゃったのかな、、、)
こてんとしたあまりにも軽い身体をソファに横たえた。小さく丸まって寝ていて目の周りは赤くてじんわりと熱を持っている。神楽さんか四ツ木先生を呼ぼうとしたときにぎゅっと指を掴まれた。
「、、、っ!!」
陽翠は僕の指を柔く掴んだまま時々ぐすっとすすり上げて寝ている。
「僕が守るよ。」
包帯の巻かれていない方の白くて柔らかい肌にそっと唇を落とした。
陽翠を神楽さんに託して僕は部屋に戻った。
(僕何してるのっ、!!)
唇に触れた柔らかい肌。僕の指を放さない小さな手。触れた手のひらから伝わる温度。
しばらくは頭の中を離れそうになかった。




