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平安の月夜

夢の中でいつも見る。

濡れ羽色の髪を。黒曜石の目を。


頭の中でいつも思い出す。

純白の絹糸を。虹を宿した瞳を。


「ひのり姉さん……みのり姉さん……」


***

御簾みすの隙間から差し込む月明かりが、板敷きの部屋に三つの影を落としていた。


上座に座る長姉・陽乃欐ひのりの背後には、夜そのものを紡いだような漆黒の髪が波打っている。


その瞳もまた、底知れぬ深い闇を湛えていた。平安の世が愛でる「美」をそのまま形にしたような姉の姿は、この邸の動かぬ柱のようだった。


その傍らで、次姉の実乃欐みのりがふわりと微笑む。彼女は雪が降り積もったかのように真っ白な髪をなびかせ、その瞳もまた、磨き上げられた白真珠のように淡く光を跳ね返している。


この世のものとは思えぬその白さは、見る者に極楽浄土の天女を想起させた。


二人を見つめる末子の伊乃欐いのりは、膝の上で自分の白い指先を握りしめた。


いのりの髪もまた、みのりと同じく雪のように白い。けれど、その双眸だけは、ひのりと同じ漆黒を宿していた。


白と黒。光と影。


二人の姉が持つ色を半分ずつ分け合った己の姿を、いのりは時折、どっちつかずの異端のように感じてしまう。白すぎる髪は闇に浮き、黒すぎる瞳は光を吸い込む。


「いのり、こちらへ。そんな端にいては、冷えますよ」


ひのりが、夜の帳を揺らすような声で呼ぶ。


いのりは重い単の裾を引き、姉たちの元へと歩み寄った。白と黒が混じり合うこの奥御殿こそが、私にとっての世界のすべてだった。


「いのり、その淡紅うすくれないの袖をもう少し引きなさいな。あなたの白い髪には、桜の蕾のような色がよく映えるわ」


長姉のひのりが、艶やかな黒髪をさらりと流しながら、妹の装束を整える。


ひのり自身は、深い紫の匂の衣を幾重にも重ね、その漆黒の瞳は凛とした輝きを放っていた。落ち着いた濃淡の紫が、彼女の持つ正統な美をいっそう際立たせている。


「本当。いのりちゃんは、まるで雪の中に咲く一輪の紅梅のようね」


次姉のみのりが、鈴を転がすような声で笑う。


彼女の髪は真昼の光を吸い込んで白銀に輝き、その白い瞳は神秘的な光を宿していた。みのりが纏うのは、萌黄から薄黄へと移ろう柳のかさね。真っ白な姿に若草の色が重なり、春の妖精が迷い込んだかのようだ。


二人の姉に囲まれた私は、少し気恥ずかしくて袖を見つめた。


いのりの装いは、表が白で裏が紅の梅かさね。白髪に合わせた白い上着から、時折のぞく紅色の裏地が黒い瞳の強さを引き立てている。


「お姉様方こそ。ひのり姉様は夜の月のように美しく、みのり姉様は朝霧の精霊のようです。……私だけ、半分ずつを盗んでしまったみたいで」


「あら、贅沢なことを。私たちの良いところを全部持っていったのは、いのり、あなたの方じゃない?」


みのりがいたずらっぽく、いのりの白い頬を指先でつついた。


ひのりも柔らかく目を細め、漆黒の瞳を和ませる。


「ええ、その通り。黒と白が混じり合うあなたの姿こそ、この邸で一番の宝物ですよ」


三人の袖が触れ合うたび、焚き染められた薫物の香りがふわりと舞う。


黒い髪、白い髪。黒い瞳、白い瞳。


色彩の異なる三つの個性が、色とりどりの絹の重なりの中で、ひとつの美しい絵巻物のように溶け合っていた。


その時間が、いつまでも続いていたら。


その夜、邸を包んでいたのは、不気味なほどに凪いだ空気だった。


突如、御簾を激しく引き裂く音が響き、獣の咆哮とも、地鳴りともつかぬ異形の気配が奥御殿へとなだれ込んできた。


「いのり、お逃げなさい!」


ひのりの叫びが夜気を震わせる。彼女は自らの漆黒の髪を盾にするかのように、いのりの前に立ちはだかった。


だが、闇から伸びた鉤爪が、ひのりの紫の匂の衣を一瞬で引き裂く。鮮烈な朱が、夜よりも深い黒髪を濡らし、畳へと滴り落ちた。


「お姉様!」


助けようと駆け寄るいのりの腕をみのりが強く引く。


「だめよ、あなたは生きて!」


みのりの白い髪が、返り血を浴びて惨酷なまでに赤く染まっていく。彼女の白真珠のような瞳は、最期まで妹を見守るように見開かれ

――


そのまま、動かなくなった。


二人の姉が、自らの命を楔として作り出した数秒の隙。いのりは裸足のまま、夜の闇へと飛び出した。


背後で邸が崩れ、姉たちの亡骸が闇に消えていく。


喉が焼けるほどに冷たい空気を吸い込み、梅かさねの裾を泥に汚しながら、いのりは朱雀大路の脇へと続く暗い路地へ逃げ込んだ。


だが、運命は非情だった。


路地の突き当たり、冷え切った土壁の影から、ぬらりと巨大な影が立ち上がる。


「……美しいな。白と黒を半分ずつ分かち持った、稀なる器よ」


美しい、魔物だった。


長い黒髪は銀が毛先に入り着ている着物はどこから見ても上等な物。甘い声と鋭くも燦めく瞳が月に照らされた。


逃げ場はない。魔物の、甘ったるい香りが鼻を突く。


私の首筋に、冷酷な指が触れた。逃れようともがく視界の中で、自慢だった白い髪が、魔物の放つどす黒い瘴気に侵食され、じわじわと変色していく。


「仲間を増やそうと思ってな。お前のような劣等感は格好の的だ」


身体から暗い靄が溢れる。痛みと共に漆黒の瞳から光が消え、底なしの魔の色へと塗りつぶされていく。


二人の姉の温もりも、美しかった装束の色彩も、すべては遠い過去の幻影へと堕ちていった。


***

「っはあっ!!はっ………」


頬を伝う涙。懐かしく温かく優しい思い出を置き現実へと帰る。


無機質な部屋。あの頃とは何もかもが違う。


「いのりさん?どうかしましたか?」


幾世さんはこちらの顔を覗き込んでくる。


「………いいえ。なんでも、ありません」


待っててね。姉さん。絶対絶対、私が終わらせるから。


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