商人との邂逅
青く澄んだ空に柔らかな日差しが降り注いでいるものの、いまだ春寒さが残っていた。
急遽、領内の最北端にあるジュエラ鉱山へ視察に行くことになった僕は、発起人である件の補佐官フィラナ嬢と共に馬車に揺られていた。クラムが手綱を握る馬車が、ゆっくりと街道を進むのを感じる。
そんな僕の頬を、春先の冷たい風が窓の隙間から入り込み、かすめていく。先ほど叱咤されたばかりのうえ、女性と二人で馬車に乗ったことがなかった僕は、屋敷を出てから今に至るまで気まずさと緊張とで、胸の奥から何かがまろび出てきそうな気がしている。
そんな僕とは裏腹に、フィラナ嬢はというと、何事もなかったかのように凛とした雰囲気を纏いつつ、静かに座っている。そもそも、婚約していない男女が同じ馬車に乗ること自体、あまり勧められたことではないのだ。
僕も最初はフィラナ嬢を馬車に乗せ、自分は馬に乗っていくつもりだった。
しかし当の本人は、
「私は、一令嬢としてではなく、補佐官として視察に赴くのです。他領に伺うわけでもないのですから、気負うことなど何もございませんわ」
と言って、僕の背中を押しつつ、一緒に馬車に乗り込んだのだ。
押しに押され、流され続ける自分に情け無さを感じながら、どうにか気を紛らわせないものかと窓の外を眺める。
外はまだ街並みの中を通っていた。
荷車を押している商人たち。笑いながらその横を駆けて行く子どもたち。談笑している主婦たち。かつてほどの活気はないとはいえ、それなりに人の往来が見て取れる。たとえ領主が凡才だったとしても、領民は逞しく暮らしていけるようだ。
「……いかが、なさいましたか?」
「え?」
そんな領民の様子を見ていた僕に対し、不意にフィラナ嬢が声をかけてくる。
「いえ、ため息を漏らしておられたので、何か思うことがおありなのかと」
どうやら知らないうちにため息が溢れていたらしい。相変わらず澄ました顔のまま、まっすぐこちらを見つめる彼女の言葉には、若干の棘が混じっているように感じられた。
状況的に、もしかしたら僕が半ば強引に視察に連れて行かれるからうんざりしている、とでも思われたのかもしれない。
「別に視察に行くのが嫌ってわけじゃないんだ。その……街の様子を見ていたら、僕の存在って必要だったのかなぁ、とか思ってしまっただけなんだ。まともな領地運営も出来ていなかったのに、こうして徐々にでも以前の活気を取り戻してきているみたいだからさ」
これ以上関係が悪化しないように、正直な思いを伝える。多少自嘲が過ぎるかもしれないが、事実仕事は山積みのままだし、こうして補佐官の力を借りないと何も出来ていないのだから擁護のしようがない。
「……領民が逞しくあるのは確かですわ。ですが、旦那様の存在が必要か否かをお考えになるには、いささか早計に過ぎますわね。まだ公爵家は終わってはいないのです。今後旦那様がどのような選択をなさるのか、それによって自ずと答えが見えてくるのではないかと私は思います」
呆れられると思ったが、彼女の返事は意外なものであった。まっすぐこちらを見る眼は変わらない。しかし、その言葉には先ほどまで感じられた棘は無く、むしろ優しさを包んでいるかのようであった。
「そ、そうか……。まだ、挽回の余地はあるのか……」
「えぇ、そのために私が来たのですから。旦那様にはより一層励んでいただきますわよ?」
「そうか……、うん、そうだね……」
優しく微笑む彼女の言葉を受け、思わず俯いてしまう。
その後、馬車の中をまた静寂が流れていく。
しかし今度は、不思議なことにどこかすっきりとした気分になったように感じられた。
屋敷を出発してからおよそ2時間。
街並みをすっかり通り過ぎ、ゆっくりと流れていく領内の景色を眺めていると、次第に草木が生い茂る道を抜け、ようやく遠目にジュエラ鉱山が見えてくる。鉱山の付近までやってくると、山肌には黒々とした坑道の口がぽっかりと開き、その周囲では荷車に鉱石を積み込む人々の姿がちらほらと見えた。
どこか懐かしさのある湿った土と鉄の匂いが風に乗って漂ってくる。無事に鉱山に辿り着き、馬車から降りると、近くにあった作業小屋から一人の中年男がこちらに走ってくる姿が見えた。
「おぉ、旦那様!お久しぶりでございます!急にお越しになられるとは、いかがなさいましたかな?」
その男は、先代の頃から取り引きを続けているお抱え商人だった。丸々とした体を揺らしながら、にこやかに頭を下げる。
「やぁダルトン、久しいね。なに、しばらく様子を見に来られなかっただろう?だから、少々領主らしく視察でもせねばと思った次第さ。先触れも無く急に押しかけて悪かったね」
「とんでもございません。旦那様ならいついかなる時でも来ていただいて構いませんよ。鉱山の現状をご覧いただけるのは、この上ない光栄にございますので」
慇懃な言葉を並べながら、お辞儀をするダルトン。
「ところで、ダルトンはなぜ鉱山に?」
そう、あらかじめ鉱山に行くことを伝えていなかったにも関わらず、こうして会ったことに驚いたので、ダルトンに聞いてみる。
「それがしは定期的に採掘状況の確認に来ておりますので、今日は運良く領主様にお会いできたわけですな」
声高に笑いながら答える。
なるほど、採掘場の管理を任せているのだから当然といえば当然だ。
そんなやり取りを交わしていたら、フィラナ嬢が一歩進み出る。
「では早速ですが……採掘量が落ち込んでいる理由について、ご説明願えますか?」
すると彼女をジロリと一瞥したダルトンは、
「……失礼ですが、こちらのご令嬢はどなたなのでしょうか?」
と、訝しむような声音で僕に聞いてきた。
「あぁ、彼女はフィラナ=ブライヤー。この度、僕の補佐官となった女性だよ」
「なるほど、補佐官の方でしたか!いやはや、このような場所にご令嬢が来られることはないので、ついご無礼をいたしました。どうか平にご容赦を」
すぐに先ほどまでの笑みに戻ったダルトンは、深く頭を下げた。
「いえ、こちらこそ自己紹介を失念しており、申し訳ございませんわ。改めて、フィラナ=ブライヤーと申します。以後、お見知りおきを」
相変わらず美しいカーテシーを披露するフィラナ嬢。
「おぉ、これはご丁寧に。それがしは、ネイブ商会を預かっております、ダルトンでございます。しがない商人ではございますが、こちらこそお見知りおきくだされ」
「それで、どうして採掘量が減っているんだい?」
挨拶も済んだところで、先ほどのフィラナ嬢の問いかけについて聞いてみる。
「それがですな、いやぁどうにも困ったことに鉱石の質が落ちてきておりましてな。掘っても不要な岩石ばかりが増え、精錬に回せる分が少なくなってしまうのです。さらに地層が硬くなり、労働の効率も以前ほどは上がらず……」
「なるほど……」
僕は曖昧に相槌を打つ。言われてみればもっともらしいような気がする。
一方でフィラナ嬢は、商人の説明を最後まで黙って聞いたのち、涼やかな声でこう告げた。
「承知いたしました。ですが、机上のご説明だけでなく、実際に働いている方々のご意見も伺いたいと存じます。商人様、炭鉱夫の皆さまにお声をかけていただけますか?」
「……は、はぁ。しかし、あまり口の上手い者たちではございませんので、お力になれるかどうか……」
「構いませんわ。たとえ拙かったとしても、聞くことに価値があると思っておりますので」
「しょ、承知いたしました。では、何人か呼んでまいりましょう」
毅然とした態度のフィラナ嬢に、どうやらダルトンも押し負けたようだ。渋々といった様子で鉱山の方へと走って行くダルトンを見て、若干の同情を感じる僕であった。
しばらくすると、ダルトンは4名ほど炭鉱夫を連れて戻ってくる。
「お待たせいたしました。現場を監督している者と、たまたま手の空いていた者を数名、連れてまいりました」
ダルトンは額の汗を拭いながら、後ろに控えた炭鉱夫たちを促す。彼らは粗末な作業着に身を包み、土埃にまみれた顔をしていたが、僕とは正反対の健康そうな身体つきをしていた。
「ところでダンナ、俺たちゃいったい何で呼ばれたんですかい?」
一番年配そうな無精髭の男がダルトンへ問いかける。恐らくこの男が現場を監督しているのだろう。
「あぁロージス、領主様がお前たちに鉱山について聞きたいことがあるらしいから答えてやってくれないか」
「はぁ、領主さまですかい……。……で、俺たちにいったい何を聞きたいんです?」
ロージスと呼ばれた男は、訝しげにこちらを見ながら、少しばかり険のある声音で聞いてくる。
まぁ僕とは初対面だし、仕事中に急に呼び出されたのだから仕方がないのかもしれない。
調子を整えるため、ひとつ咳払いをしてからロージスに問いかける。
「近年、鉄鉱石の採掘量が減っているみたいだが、考えられる原因は何かあるか?」
「原因、といってもねぇ……。単純に今掘っている場所の限界がきてるってことだと思いますぜ。もう10年以上も掘ってるんでね。以前のような量を求めるんなら、別の堀り場を探す必要があるでしょうな」
ロージスはぶっきらぼうに答える。
「……他の方々も同様の見解でございましょうか?」
フィラナ嬢が他の作業員に問いかける。
「え、えぇ!あっしらもロージスさんが言っているとおりだと思います……!他の奴らとも、ちょうどそういう話をしていたところで……、こう、どうしていこうか、と……」
緊張しているせいか、言葉がやけに早口で、最後はしどろもどろに濁っている。
「お、おう。俺も最近、石が硬くて削るのに手間がかかるなぁと思ってまして……!やっぱ、もう限界が近いのかなと……」
「んだんだ……!10年以上も掘ってたら、そうなってもしょうがないべさ……!」
順に口を開いた炭鉱夫たちは、皆口の端だけがひきつったような笑みを浮かべながら、似たような答えばかりを繰り返した。突然領主に呼び出されたうえ、いきなりご令嬢に話しかけられたのだ。誰だってこうなる。むしろ僕なら、一切喋られない自信がある。
そう考えると、彼らはよく頑張っていると思う。
「……左様でございますか」
フィラナ嬢はそう答えると、何かを考えるように静かになってしまった。彼女がなぜ黙り込んでしまったのか、その時の僕には分かりようがなかったが、確かに彼女の瞳にどこか冷たく光るものを見たのだった。
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、下部の☆マークにて評価をお願いいたします!




