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犯罪にあっています、助けてください。

作者: 小梅

 犯罪者に微弱な通信を伝って、脅し続けられています。


私は今、新しく中古パソコンを買って、店員さんに通信機能を全部抜いてもらって、やっと、この文章を書いています。


犯罪者の自分の犯罪を隠すための犯罪がずっと繰り返し続いています。


助けてください!


……まさか自分がこんな幼い「ウソ」で人生のすべてを無くすなどとは思っていませんでした。


ほとんど会ったこともない人、顔も知らない人から発せられた「ウソ」で他の人から殴りかかられる。


罵詈雑言をあびせられる……、


仕事も友人も失う……、


そんな驚きの人生です。


……。


SNSが流行して、いいことも多いかも知れませんが、今は子供から大人までSNSのひどい誤解で人生を無くす人も多いはずです。


私もそのひとりです。


ー私は20年以上犯罪に苦しんでいます。


犯罪の名前は「サイバー攻撃」といいます。


1本でもメールを盗めばそれは犯罪です。


それなのに何十本も消されました。


パソコン、携帯電話、スマホ、家の電話にも、「いつどこにいても」嫌がらせが、やってきます。


私はパソコン類が苦手で、数年、自分が悪いのだと自分を責めていました。


しかし年々ひどくなっていき、さらには堂々と脅してきたのです。


最近はすべてをあきらめ、パソコンを使わなくなりましたが、それでも、このネット社会……、どうしても使わなくてはなりません。


……すると、やって来るのです(警察にも10年以上、報告してあります)。


メールは切られてしまう。


電話や携帯まで切られてしまう。


どこからも連絡不能となり……、友人にも会えなくなり仕事も失いました。


20年以上は長すぎます……。


私は犯罪のために、逆に犯罪者のようになって、陰口をたたかれ、だれからも見放されて孤立無援のひとりぼっちとなってしまったのです。


ー今なら、分かります。


「サイバー攻撃」のひとつはテレワークですね。


パソコン同士インターネットを繋げれば相手の状態がわかったり、壊せたりする方法です。


「いつでもどこでも」は、スマホでもすぐ自分の位置情報がGPSで分かるように、私が携帯を持っていれば、どこでも分かって脅すことが出来たってことですね。


今は学生でもGPSで近くにいる友人を捜して、出会ったりするのだとか……、きっとパソコンのメールは他人からも見ようとすれば見え、消そうとしたら消せるのではないでしょうか……。


犯罪者はずっと私のパソコンを見ていて、脅してきます。


ずっと見ていたから、警察に被害を訴えていたのも分かっていて、脅していたのではないでしょうか……。


 そんなことが、20年以上前から技術的にはできていたってこと恐ろしいです。


それよりも、20年以上、毎日、毎日、その技術を使って私を脅し続けてる人が恐ろしいです。


どんな訳があったのでしょうか、……私には心当たりがあります。


私はしがないイラストレーターです。


シングルマザーで1人娘を育てていました。


デザイン学校を出て、デザイナーとして就職をして、自立をしてイラストレーターになりました。


仕事をしつつ、いつかは自分の仕事で名乗れる作家になりたいと思って、自分の作品にも日々努力していました。


私は絵はたいしたことないけれど、(お陰様で)仕事はひっきりなしに来ていました。


「その人(犯罪者)」に会うまでは……!


 犯罪者に会う数年前1997(平成9)年の頃からお話しします。


その1997(平成9)年がどんな年だったか覚えていらっしゃいますか?


その年は日本の不況の始まり……と、言われた年です。


野村証券や北海道拓殖銀行が倒産したりしました(私、そのどちらからもお金を預けていて、全部おろしたので、すごい私……!難破船から逃げたネズミみたい~って思ったものでした)。


 その年は私にとっても、ジェットコースターのような年で良いことと悪いことが、がらっと入れ替わった年でした。


その年、作り溜めていた絵の初個展をしました。


それよりまず、私の離婚が成立したこと。


別居から離婚まで5年もかかったのです。


娘が小学1年生の時から別居していた夫と家庭裁判所の調停と裁判をへてその時娘は小学5年生。


調停の時、これでは家庭生活はできないだろう……と、言われていた家庭、でも、暴力とか浮気とか法の決める離婚原因にはあてはまらなく、夫はのらりくらりと嘘を繰り返し、埒が明かず、しょうがないので、あの日はこう言ったのに、次ではこう言ったと嘘をあばきだし、離婚を認めてもらったのです。


裁判は他人を介していても喧嘩と同じこと。


……私は精神的に強くなく、体の中に子宮筋腫が発生していて生理の時の出血が半端ではなく、ひどい貧血でした。


信頼できる医者に見せた時、これ昭和天皇のご臨終前の数値より低い!どうしてこうなるまでほっておいたのと怒られるぐらいボロボロでした。


しかしその年、あまりに過酷なスケジュールで、ポロっと落ちてきたのです。


娘の方も大変でクラスで大暴動が発生!


担任の先生でもどうにもならないほどのイジメが蔓延していたのです。


今の小学生の学級崩壊……と、新聞にまで載っていました。


不況、リストラ、倒産……と、大人の社会が荒れる中、子供の世界にも影響していたのかも知れません。


私も前から心配していたのですが、うちの地区は(どこでもそうかも知れませんが)一戸建て、マンション、賃貸アパートと格差があって、私ひとりなら分相応に、ボロアパートでかまわないのですが、子供の社会は熾烈です。


娘のクラスメイトたちから、


「な~に、こんなアパートに住んでるの?」


と言われてるのを聞いてしまって、中古マンションを購入したのもその年でした。


不況の波は、しっかり私にも来ていて、私の3分の1位の収入源だった広告エージェンシーも倒産。


……80万円ほど未収金がでました。


その頃も、SNSの前身のような、パソコン通信が流行っていて、そのグループの中のイラストレーターの人が製作費不払いの裁判を起こしていたので、他人事とは思えず、傍聴に行ったりしました。


カメラマンやイラストレーター、クリエーターたちが集まって勝利しました。


マスコミでも報道されたくらいです。


その時に入れてもらったのが、日本最古の出版に関わる美術家の連盟という「日本S連盟」です。


今まで、他のイラストレーターと会ったこともなく、色んな業種のイラストレーターとの出会いは新鮮でした。


中にはイラストレーション誌で見ていて憧れていた人もいたり、イラストレーション誌以前の戦後の伝説の画家もいました。


漫画家さんも一世を風靡した人もたくさんいました。


その人たちと、一緒に画集をつくったり、展示会をするのだから有頂天です。


ただ困ったことに50代、60代、70代~の人は、昔、電車の中で人々が新聞を広げて読んでいる光景を覚えていると思いますが、その中でスポーツ新聞のエッチな絵があって、私も思わず、子供の視線の前にくるときは、さけたものですが、そういう官能系の絵を描かれる方が多くいて、展示会でも堂々と、女の人の裸の絵が1m以上のカンバスで出されるもので、仕事先の人とか友人とか展示会に招待すると、おとなしい私の絵など覚えてもなく、すごい絵があった……と、そればかりが印象に残るようでした。


展示会に行って、その人の画集を買って来たら、小学生の娘にまで、こんな絵を買ってきて……と、叱られるしまつでした。


しかし大変だったけど、その年の私は幸せでした。


苦痛だった10年もの結婚生活から解放されたり、やりたかった絵でこれからやっていける……。


なにかから解放された人ってこんなに感性が豊かになるものかと、あの日の自分を思い出します。


絵を見ても、文章を見ても、向こうから飛び込んで来るようで、たとえば写楽の原画展を見に行ったら、その絵の劇場の汗とか熱情が伝わってくるのです。


宮沢賢治の「春と修羅」を読んだら、その吹き渡る風まで感じ、流行作家の文章は、もうもう立体的にこちらにやってきて……、花をみても風景を見ても感動するのです。


私って、こんなに貧乏でも、名もなくても……、なんて幸せなやつだろう……っ

って思っていました。


……そうそう、個展をさせてもらったイラストレーターエージェンシィーのイラストレーターの飲み会も始まって、月一回、新宿の飲み屋で集まるのが楽しみでした。


そちらは、広告関係のイラストレーターが多くて、名前を知ってる人は少なかったけれど、新聞広告でよく見る絵の人やおなじみのパッケージの絵の人とかがいました。


うちらの業界的に有名な人ですかね。


やっぱり、皆、絵がうまくてすごい!と、思うばかり……。 

 

それでも、その頃、絵で生きていくのは大変になってきていて、だんだん読み物が紙文化からインターネットに変わっていった時代です。


広告の方もパンフレットなどが少なくなってきたのです。


そうすると版元も仕事を出さなくなってきます。


イラストなんて、インターネットで簡単に手に入ると思ってる人も多くなりました。


現にタダでイラストをアップしている人も増えてきて……、そうすると製作者側も安く絵をかかせようと、だましのような仕事も多くなりました。


イラストエージェンシーの仲間から、インターネットに対抗しようと、イラスト集をネットにアップしてくれたりした人が出てきました。


イラストレーターのSさん、私らの絵をまとめて整理して、あいうえお順にならべてインターネットに目立つようにアップしてくれたりイラストレーション誌に広告を出してくれたりしたのです。


感謝するばかり…。


ところが、そんな若い人が先頭だって指揮することに反発する人もいたのか、彼は、「ぷつり」と、やめてしまいました。


身近な関係者から聞くところによると、誰からの電話にも出ることもなかったそうです。


その頃は、不思議でしょうがありませんでした。


しかしその後、私も思い知らされる出来事に出会うことになりました。


私にもだましのような仕事がきました。


ー1998(平成10)年、私はマンションの階下の娘の友人の父親のTVプロジューサーから、


「君の絵を世間に発表したいから、ついてはこのソフトを覚えなさい」


……と「フラッシュ」というアニメソフトを指定されました。


彼は、あっちの週刊誌でも、こっちのメディアでも発表するからと豪語しました。


その頃、TVではお笑いが流行り始めていて、そんなTVを作っているプロジューサーだとか……。

私は人が良くて、だまされやすい。


ともかく善良な一般市民イラストレーターです。


自分の絵で発表されるとしたら、頑張らざるを得ません。


その時の気分はすべてが良い方向に向かっていると信じ切っていました。


 その後、「フラッシュ」というソフトでろくな目にあったことがないのですが、これが全ての前兆でした。


とりあえず、ひとつのソフトを覚えるのには、かなりの努力が必要です。


当時は何冊も何千円とする教本を買わなければならなくて、覚えるのに数か月かかったのです。


それより、私のパソコンのスペックがそのソフトに対応していなかったのです。


友人から、「イラストレーター」というソフトがそのソフトと連動しているらしいと教わって、「イラストレーター」も必死で覚えました。


ところが、プロジューサーは、絵を出しても反応なし、その関係者から、


「君の絵は悪くない、ついては私の絵を描いてくれ」


と、タダの絵の依頼が何軒もきました。 


その人達の言うことには、


……ソニーのプレーステーションの会議室に自分はいた……とか、


ソニーはプレーステーションで都心に8軒のビルを建てたんだ……とか、

……、


そんな自慢話、私にタダで絵をかかせる理由にもならないのに……。


しかし、なんとか仕事にならないかと、交通費と労力を使ってタダの絵を届けてるばかりの私でした。

 

広告業界の人も出版業界の人も、そんなことはありえない、(プロジューサーの)奥さんを通して裁判にして訴えろよと、怒ってくれました。


ところがその後、大きな政府関係の仕事をした時に、


「TV業界の人は金まわりがよく、お金になるかも知れないと誰でもタダで動くんだと思ってたんだと思うよ」


と聞かされ……、


私はシングルマザー子供をそだてるのもカツカツな状態なこと分かっていて、そんなイラストレーターまで騙して来る(利用する)なんて……と、悔しくて、情けなくて、自分に何度も怒ったものです。


ーそんなことは序章にすぎなかった。


インターネットに押し出されて、紙の業界の仕事は広告も出版もどんどん安く少なくなってきていました。


そんな中、イラストレーター飲み会から発生した(イラストレーター)KさんのBBS(会議室)でイラストレーターたちと多いに盛り上がりました。


Kさんは名前は知らなかったけれど、新聞広告などで、絵のうまい人だなぁ……と憧れて、よく広告などにある絵を切抜きしていた人です。


私はKさんの絵が好きでした……。


初期に会ったばかりの時にKさんにも聞いたことがあるのです。


仕事は全然なくて、絵を盗まれた裁判で300万円ほど収入があるって、それって原稿料ではないですよね。


私も色々な人から聞かされる途中で、ある京都のイラストエージェンシーがあまりにイラストが盗まれるので全国にパートさんを雇って、うちのイラストレーターの著作権を守っている、それには広告費の何十倍もの違約金を払わせるそうで、裁判でいいお金になってる……とのことでした。


そのころはそんな良心的なイラストエージェンシーもあったのです。


しかしインターネットの勢いは際限もなかったのです。


2000(平成12)年、Kさんはイラストレーターグループ「イラスト〇ペース」を作ったのです。


そこに私も入れてもらいました。


それは嬉しくてありがたいことでした。


Kさんも「フラッシュ」アニメをやっていて、今流行りだから覚えて良かったって言ってくれて、BBSで意気投合したりしました。


イラストエージェンシーから洗剤メーカーのライオンのアニメを作るWEBの仕事をふたりもらったのも懐かしい思い出です。


それとは別に私は2000(平成12)年、夏にニューヨークに行きました。


現実にニューヨークでは、前に行った大きな本屋さんが閑散としていたり、その頃日本ではまだあったCDショップに客がひとりもいないなんて事があって、こりゃヤバいよ!うちらの商売なんとかしなくちゃ……、こんな風にインターネットにやられてしまうんだって直観した出来事でした。


私には幽霊が見える程ではないけれど微妙な霊感がありまして、ニューヨークから帰って来てから悪夢が何日も続きました。


昼間も結構苦しんでいるのに、寝てからも悪夢が毎日です。


その中でよく見た夢にJFケネディ空港に向うタクシー乗って向こうのタクシーは運転が荒く怖いな怖いなと思いながら乗っていると突然崖っぷち、そこは事故のような残骸絶壁でぎりぎりに止まっていて、作業員が黙々と残骸を運んでるというような夢……。


数年あとに起こったグランドゼロの修復現場だったのでは……と、思われます。あと娘がユニクロで買ったいつも着ていたTシャツを来て炎の中で泣いていて、それこそ生身みたいにおんおん泣き叫んでるのに助けたいのにどうしても助けられないという夢も見ました。


ものすごく後で、そのTシャツがでてきてロゴを見たら「NEW YORK」と書いてありました。


ニューヨークテロの予知夢を見てしまっていたみたいです。


私のいとこの幸ちゃんは神戸阪神淡路大震災の時、一週間前から地震が起きた時間に目がさめてしょうがなかったとか……、そんな予感です。


私はその夢のせいで怖くて、奥歯を噛みしめすぎてしまい、40℃の熱を一週間出し、いつもの歯医者さんに行ったら、二つ向こうの駅の大きな病院の口腔外科を薦められ半年通いました。


そこに行くのも大きな産業道路トラックがぶんぶん走っている隣を自転車で行くのも恐怖でした。


私はすぐになんとかイラストレーターがインターネットで生き残る方法はないかと考えました。


これだけ絵がかける人がいるのだし、絵を送るグリーティングサービスにして展示会をする人や本を出す人の発表にしてあげるのはどうだろう……、と思いつきました。


当時は今のラインのスタンプのように、絵に文章をつけて送るのが流行っていたのです。


私はシステムを作ってくれる人を捜しだして、すぐにKさんに「イラスト〇ペース」でやってみないかと相談しました。


「そんなことは考えていない!」


と、すぐに否定されました。


……あきらめざるを得なかったのですが、私は「イラスト〇ペース」というサイトの中の企画でありたい……と、思っていました。


システムさんにもお願いしたし、発表してあげたい展示会の人もいたし自分ひとりでやるしかありません。


「イラスト〇ペース」には後ろ髪を引かれつつ……。


 2001(平成13)年1月「WAKUWAKUカードランド」をオープンさせたのでした。


NYテロの夢を見たばかりだったので主旨は”平和”です。


私のアニメとイラストレーターの絵にメールをつけて送れるサービスです。


最初から大受けでした。


騙されて覚えた「フラッシュ」というインターネットで人気のソフトで作ったのです。


絵も音楽も入って、インターネットで発表できるソフトです。


SNSではなくメルマガで発表していました。


2001(平成13)年1月に始めて、2月には目玉がありまして、日本S連盟の官能画家のHさん、Sさん、Iさんが展示会をされるので、彼らの許可を得てバレンタインカードとして発表させてもらったのです。


音もつけて、セリフは私の好きな与謝野晶子の和歌にしました。


これが、そんな上手い絵のカードなど何処にもなくて結構大人気でした。


他にもいい絵を描いているイラストレーターいっぱいいたし、音楽と合わせると素敵なグリーティングカードになりました。


イラストレーターのカードは、著作権のことを考えて、一ヶ月限定とし、グリーティングカードでは一番人気のバースディカードにしました。


毎月変わるバースディカードは大評判となり、メルマガは読者数がアップしました。


「あなたにバースディカードをつくって貰ったお陰で、私の絵がいい宣伝になりましたよ、本当にありがとう」


メルマガを出して宣伝してあげたら、


「すごい数のアクセスがうちのブログに来た」


と何人かのイラストレーター、画家さんたちから声をかけられたのは本当にうれしかったです。


絵があって、音楽、文字、……プログラミングも自分ひとりで制作していました。


当時は(今もそうかも知れませんが)音楽とか、音楽ソフトとかもイラストと同じでネット上にたくさん落ちていて、使い放題だったのです。


私は仕事になった時の著作権を考えて、音楽は一人の方のを使っていました。


著作権フリーの音楽レーベルがあると聞いて買いにいったりもしました。


ともかく人の絵を使ってるのだし、責任があるので命がけでした。


お陰でメルマガの読者はうなぎのぼり、200人程度の読者数だったのが1500人~とどんどん増えていきました。


ネット上の色んな人も助けてくれました。


アクセス数で一番お世話になったのは、大阪の素材集のイラストをやっていたH&Sさんのサイトです。


お正月の年賀状にプロのイラストレーターの絵を集めて発表していたのです。


私は今一番の敵のように思えたインターネットの素材集のサイトでしたが、誠実な人柄に推されて、干支の絵を提供しました。


本当にアクセス数がのびました。


あとあの頃は、一般的にも暑中見舞いっていうのも、はがきで出していて、暑中見舞いグリーティングカードってのも、ありとあらゆるイラストレーターの絵を借りて、グリーティングカード30人分30枚ほどを作りました。


人の絵の魅力がみえてきました。


どんな絵にどんな音が合うのか、だんだん分かってきていました。


私の感覚もとぎすまされていて、おばかなアニメも好評でした。


そんなこんなの労が報いて、2001(平成13)年の秋ごろには、グリーティングカード(季節のカード、年賀カードなど……)で、Googleで検索すると、常に上位に表示されていました。


とにかく早くスポンサーを見つけなければ……。


 2001(平成13)年9月10日、仕事先の人と「日本S連盟」の理事さんが紹介してくれた会社と同日に仕事先の人が紹介してくれた大きな会社とアポが取れて、千葉のシステム会社さんの事務所と都心の会社2軒を渡り歩きました。


私は種類の違うイラストレーターの絵を企業に提供するのは、バースディカードが一番人気だし、バースディカードなら、毎日ちがう種類の絵が提供できて、違和感がないと思っていたのです。


そうして365日、毎日、絵をインターネットで発表するうちに、それぞれの絵の方向が決まってくるのではないかと思っていました。


「イラスト〇ペース」の「WAKUWAKUカード」への反応は最初は面白がってくれたのにGoogleの検索ワードで私のサイトが上位に表示されるようになってから、仲間であった?「イラスト〇ペース」の人たちが、だんだん冷ややかになってきました。


前に皆の作品をまとめてくれたSさんと同じですね。


嫌がらせ電話もくるようになりました。


「WAKUWAKUカード」がどれだけくだらないか、見下しはじめたのです。


私の絵も一緒にばかにされはじめました。


そして皆で私の悪口が書かれた「イラスト〇ペース」のBBSを見るように、Kさんに言われました。


馬鹿正直に見続けてしまいました……。


私は苦痛でいやいや見ていたのですが、そのうちにすぐ精神的なことが体にくる私のこと、やがて胸に激痛が走り、胸に1.5㎝くらいの腫瘍ができていました。2月の誕生日検診ではなかったものですが、4月にはできていたのです。


すぐに大学病院に紹介状を書いてもらって、精密検査をしてもらいました。


悪質なものではなかったのですが、


「そんな自分の悪口を見せつけるなんてキ〇ガイだよ、すぐにやめなさい」


と医者には言われました。


とにかく少しだけ「イラスト〇ペース」とは距離をとるようにせざるを得ませんでした。


それでも喜んでくれた仲間たちとグリーティングカードを仕事にして、この御恩をお返しするのが一番だと何軒も大手の会社から、中小の会社まで営業して歩きました。


小さい所は私のアニメを気に入ってくれたし、それこそすごい大手の会社がビップ席で私の仕事を検討してくれました。


電通も博報堂も行きました。


実際、「WAKUWAKUカード」の人気はすごかったのです。


あちこちの海外のサイトで紹介されていたし、海外からもたくさんメールが来ました。


中国からのアクセスが多いよとシステムさんが言うので、中国語のアニメを作ったら好評でした。

アメリカからもフランスからもファンメールがきました。


海外サイトで各国の代表的なグリーティングサイトで日本の10サイトの中に選ばれていたりしました。

そこでは官能作家のIさんの日本髪の少女の絵がアイコンになっていました。


「凄いですよ、貴方が作ってくれた私の絵のグリーティングカードを見て、海外から私のサイトにファンメールが来たんですよ、凄い、凄い……」


海外からファンメールをもらった人や、私が紹介したイラストレーターの絵が海外デビューをしていたのです。


私が特集してあげた人はどちらも、テレビ局の取材をうけています。


ひとりはNHKから……、


ひとりは地方局から……。


感謝されて、とても嬉しかったです。


微力ながら、私のグリーティングカードが役に立ってよかったです。


普通の日本の人たちも喜んでグリーティングカードを送ってくれていて、友人の友人も知ってくれていたり……、なんと! 私の近所のお医者さんの所の看護婦さんもファンでいてくれたりしました。


卒業したデザイン学校の連絡もしていなかった友人からもファンメールがきました。


大きな会社に行っても、小さな会社でも、今、一番欲しい仕事だねぇとほめられたりしました。


それより、私の願いは、ともかく「WAKUWAKUカードランド」にスポンサーをつけることでした。


仕事にすれば、「イラスト〇ペース」と仲直りできるし、なにより私の仕事にもなる……と、思っていました。


それにこれならば首都圏で仕事をしなくても、どこでも仕事ができるとも思っていました。


それが逆にどこにいても(パソコン内が)襲われる羽目になったのですが……。


 そんな頃2002(平成14)年、私は、小さなコンピューター会社に売り込みに行きました。


無償でやっていた「WAKUWAKUカード」での、私の「フラッシュ」動画の技術が仕事に通用するかどうかを知りたかったのです。


社長のN氏はすぐに仕事をくれました。


……ここからが地獄の始まりです!


そこで「フラッシュ」動画の有名人であるという「その人」を紹介されました。


「その人」

……。


私は知らなかったけれど、「イラスト〇ペース」のKさんは知っていて、すぐに「イラスト〇ペース」に入ってきました。


有名な大手のグリーティングサイトのスタッフの人……と、いうことでした。


プライドの高い「その人」はすぐに私の「WAKUWAKUカード」、そして私も馬鹿にしはじめました。


「イラスト〇ペース」のメンバーもすぐに、「その人」の言葉を信じ始めました。


私には全く身に覚えがないのですが、彼女「有名な私」のことを嫉妬して、私が彼女イジメているということです。


イジメ……、なんのことか、なんのことか……、


それは100%ウソです。


私は「その人」にちゃんと会ったことが一度もないのです。


展示会ですれちがった程度でしょう。


真実は真逆でした。


罵詈雑言ってのを「その人」から始めて浴びせられ続けました。


それでも逆に「「有名な私」のことを嫉妬して私がイジメている」ということは次から次へ伝えられました。


私の方がイジメられていました。


私は「その人」とKさんの怒りが怖くて「イラスト〇ペース」には行けなくなっていました。


BBSに書き込むたび酷い罵声をあびせられるので、苦痛すぎたのです。


あまりの罵詈雑言の凄さに私は「その人」が誤解してるなら、誤解を解くため会いに行くからとBBSで書いたのですけど、


「私はこの世に残る有名なイラストレーターなので、あなたのような下らない人に会っている暇はない」


と言うようなことを書かれてしまって、私は私がイラスト〇ペースに仲介しながら、その人に一度も会ったことがありません。


展示会ですれ違った位はあるかも知れませんが、会ったこともない私が「その人」をイジメたというのは、すべてその人の「ウソ」です。


会ったこともない「その人」を私がイジメたと言い、何年も何十年も続くなら、どれだけのウソを「その人」はついていたのでしょう。


他にも「その人」が嫌で「イラスト〇ペース」をやめた人が沢山いたことを聞いています。


そして「その人」には「いつも見張られてるようだ」と言ってた人もいます。


真相は分かりません。


会ったことも話したこともないのですから……。


ただただ一方的に、「イラスト〇ペース」のSNSに行くと罵声を浴びせられる。


苦痛しかない出会いでした。


そんな頃も私は「WAKUWAKUカード」を仕事にしようと奮闘していました。


ともかくイラストレーターの絵をインターネットにして仕事という形にしてお返ししなければ……、現に仕事にしてくれようという会社が次々あったのですから、私が皆の絵を使って、利用している……と、いう雑音に耳を貸して仕事にすることをおろそかにしてはならない。


どれくらい先方の会社に要求すればいいのでしょうか? 


私は最初にだまされたTV局のプロジューサーに聞いてみました。


「1000万円」は要求しなさいとのことでした。


私は、まさかとは思ったけれど、数百万でも、お金が入ったなら、イラストレーターの収入になるし、経営とかは、先方に任せちゃえばいいし、他のイラストレーターのデザインもデザイナーさんに任せちゃおう、私は自分のアニメをやればいいだけになる、それはありがたいっと思ったのです。


「イラスト〇ペース」にも「日本S連盟」にも協力してもらおう。


今は皆にバカにされているけれど、Google上位表示というのと、今まで営業してきた大中小の会社がビップ席で、私の企画を熱心に聞いてくれた会社がいくつもあったのが、励みでした。


 2002(平成14)年暮れ、仕事をもらっていた編集プロダクションの社長が、編集社に打診してみてあげようかというので、私はイラストレーターの絵のカードを編集し直しました。


365日のバースディカードでは取りとめないので、私の好きな自然の絵、花の絵のカードにしました。花なら365日に花言葉があるし、一年を通して一週間に一枚なら作家さんも描けるのでは……と、思ったのです。


早速、花の絵の作家さんに会い、展示会を巡り連絡を取りカードを作って編集しましたが、社長はとりやめてしまったのです。


そこから色んな会社に持ち込みましたが、……形になりませんでした。


ーところが2003(平成15年)4月、私を「イジメ」ていた大手のグリーティングカード屋さんの「その人」から「365日の花のバースディカード」が出されました。


イラストではなく写真のカードです。


私が企画していたものと瓜二つです。


何の知らせもなければ、私も疑いもしなかったのですが、わざわざとりもしない大手のグリーティングカード屋さんから脈略なくメルマガが送られてきたので分かったのです。


今から思えば、パソコンの中から盗まれたのだなぁ……って、思います。


ーだってパソコンの中が見えてたのですから!


 数千万か、数百万かは、分かりませんが、私がイラストレーターの皆のためにやっていた企画は確実に「その人」のものになって「その人」のお金になって行ったのでしょう。


「ウソつき」は泥棒のはじまりというけど「泥棒」が「ウソつき」の始まりですね。


どれだけ「その人」は「ウソ」に「ウソ」を重ねたのでしょう。


そしてサイバー攻撃という犯罪を続けたのでしょう。


ご主人がシステムエンジニアってことなので操作も簡単だったことでしょう。


皆さんは、バブルのあとに、もうひとつバブルがあったって覚えていますか?


それはITバブルです。


六本木ヒルズを中心とする、ITへの期待です。


私にはヒルズ族の友人がいました。


高校の同窓生です。


私はなんとか「WAKUWAKUカード」を仕事にしたかったので参考までにと会いに行ったのです。


成功にいるさなかで、どんな夢みたいな話が聞けるかと思ったら、

彼の一声は……、


「ヒルズは邪気に満ちている、俺は邪気のお陰でタバコも吸えなくなったあいつら、人間の皮を被ったケダモノだよ」


って、言葉でした。


私も犯罪者の「その人」のことをそんな風に思います。


「ケダモノ」です。


その後、2004(平成16)年ホリエモンショックで、ヒルズ族は解体されました。


その頃、私は彼と一緒に同窓会の相談で六本木にいて、大きな会社が壊れていく、とんでもなく大変な話を聞いていました。


その頃よく私は着物を着ていて、その頃流行っていた「人の前世がどうだったか」というのがあって、ああ~私、前世で城が落城していく様子……、こんな体験が前にあった気がする~とか思っていました。


私の日々も大変でした私を罵倒していた「その人」に会った頃から、私のパソコンの異常が始まりました。


……だから「その人」に会った頃からもう犯罪は始まっていたのでしょう。


私、何年もパソコンの異常がなんのことか分からなかった。


グリーティングカードを作っていたソフト「フラッシュ」が、使うたびフリーズし始めました。


「フラッシュ」を使うたび、アドビ「イラストレーター」「フォトショップ」までもがフリーズしてしまいます。


だんだんグリーテングカードが作れなくなりました。


嫌がらせメールも異常なほどきました。


パソコンにも携帯にもです。


嫌がらせ電話もひっきりなしです。


パソコンも異常がきて、「イラスト〇ペース」のページとか、有名な「その人」のページも見られなくなりました。


そのページを見ているとブラウザがクラシュするのです。


だから私、嫉妬してると言われても「その人」の作品すら知らないのです。


毎日、毎日が苦痛な日が続きました。


外からやられてるなんて、まったく思ってもいませんでした。


私はパソコンが苦手で、きっと自分が操作を間違えているのだろう……と、思っていたのです。


「フラッシュ」はともかく、仕事のソフトは壊れてないだろう……と、信じていました。


でないと私イラストレーターを辞めねばなりません。


ところがやっぱり「イラストレーター」のCGが壊れ始めていました。


私はある広告代理店から「ニコン」の仕事をもらっていました。


小さな仕事がおもでしたが、その時は「ニコン」WEBの表紙の仕事をデザイナーさんの奥さんがやっていたのですが、妊娠されたので、急遽私に回ってきたのでした。


その人のタッチを真似て描くのは大丈夫でしたが、どうしても……、線がばらけてしまうのです。


表面上は分かりません。


でも「イラストレーター」とは思えない壊れ方をしました。


責任ある仕事なんとかやり遂げましたが……、ともかく怖いですよ。


インターネットを見てるとクラッシュする……、パソコンはフリーズする……、電話は切れてしまう……、大量の嫌がらせ電話はくる……、何のことやらさっぱり分かりません。


私はあちこちのサポートセンターに電話をかけ回りました。


パソコンのサポ-トセンター印刷機のサポートセンターサーバーのサポートセンター、電話をかけまくっても、つながらない、一日があっという間にすぎてしまいます。


すぐに精神的なことが体に来る私、夜は眠れなくなり、6キロほど離れた精神科まで自転車で行って睡眠薬をもらっていました。


あまりにも不可解なことが多くて、パソコンを見ていると吐き気がしてきて吐いてしまいます。


激しい下痢にもなりました。


私は精神科で睡眠薬をもらうのと下痢は20年以上たった今も続いています。


ある日は夜、眠れなくて彷徨い歩いていたらしく、倒れていて、救急車で運ばれて頭を怪我して何針か縫ったこともあります。


それでも私が仕事をする以外収入源はないのですから必死でした。


 仕事も「WAKUWAKUカード」も皆の著作権を使った責任があるので、どこかで形にしなくては……と、思っていました。


ところが、グリーティングカードを作ろうとすると「フラッシュ」が壊れてどうにもならなくなります。


企画をたてるといい企画があるとすぐに「その人」の会社に取られてしまいます。ともかく「フラッシュ」で制作するのが恐怖でした。


「フラッシュ」の仕事が来て、私「フラッシュ」の仕事をすると壊れますので、と断ったんだけど、どうしてもと言うので受けたらやっぱり壊れてしまって、友人に直してもらいました。


毎日生きているのが恐怖の連続でした。


いやがらせ電話にいやがらせメール、非通知電話もたえまなくきました。


ある時「その人」の苗字が斉藤さん(仮名)というのを思い出して、ディスクトップに「斉藤さん」へという書類を作っておくと、私の名前「あゆちゃんへ(仮名)」というスパムメールが来ます。


まるで、ディスクトップとスパムメールで会話しているようです。

 


ー「フラッシュ」アニメの仕事が、又きました。


なにせ当時の流行りでしたから、G研の教育アニメのCD-ROMの仕事です。


キャラクターから何から何まで「100万円」で任せるから……と、いうので快諾しました。


ところが、ふたを開けてみると、とても一人ではできない量の仕事です。


10人位で手分けしないと難しそうな仕事の量でした。


仕事内容をよく聞けば……、では「200万円」でと!


いきなり2倍になるのは、どういう資産管理なのか、でも私には、当時高校前の

娘がいて、お金がなかった。


そんな仕事も受けざるをえなかったのです。


毎日ほぼ寝ないで仕事をして、朝昼晩が逆転しました。


「WAKUWAKUカード」のアップも頑張っていました。


ところが、「WAKUWAKUカード」をアップすると締め切りが半月ほど早くなって、そのたびクライアント、紹介者、私に長々とクレームメールが来ました。


その200万円の中で考えられない仕事の量が来てあまりにひどいので、その仕事はやめざるをえませんでした。


少しづつ入っていた原稿料も入ってこず、たまたま、行ったG研でその話をしたら、いきなり、残りの原稿料が入ってきたりしました。


騙しのような仕事が多くなっていたのです。


……精神的に参ってしまいました。


この件で喜んだのは「イラスト〇ペース」の人たちです。


私は安い仕事を請け負っている、我々アーティストとは違う。


私が、我々アーティストを利用している……、「安い仕事の人」とあざけられました。


一度「イラスト〇ペース」の会合に行ったら「何をしにやって来たんだ!」と怒鳴られたことがあります。


ーしかし、


Google上位表示だったからこそ、大手の会社も中小の会社も、私の「WAKUWAKUカードランド」の企画案に耳を傾けてくれたのです。


とにかく上位表示の間に、仕事にしなくては……と、私も必死でした。


でも絶え間ない嫌がらせ電話に嫌がらせメール、パソコンはインターネットを見ていると「イラスト〇ペース」の画面や私のHPすらみてるとクラッシュします。


仕事依頼のメールも盗まれました。


「その人」は必ず犯罪を私に分かるようにします。


遅れてもう間に合わない日になって仕事依頼のメールが届くのです。


「イラスト〇ペース」の人からの別の展示会お誘いメールも期限が切れた頃、ゴミ箱から出てきました。


いっそのこと、全部消せば良かったのに何故でしょう。


「WAKUWAKUカードランド」を維持していくのも絶望的でした。


しかしまだ、Google上位表示だったし、頼まれた仲間たちのイラストを使わせてもらっていたので、責任があることなので、この変な現象が終われば、すぐにでも仕事にしなければと思っていました。


いやがらせ電話が来ること、又は電話が繋がらないこと、メールが切られてしまう事、なによりパソコン内のCGが壊れてしまうこと何のことかさっぱり分からなかったのです。


いやがらせメールはAロッキーステルスというソフトで判別しましたら、

170件位が一か所からきていて、他からのスパムは3、4件だけでした。


CGは壊れる、嫌がらせは電話もメールもやまない……、もう心も体もついていってなかったのです。


「WAKUWAKUカード」はメルマガで発表していたので、止まらないようにメルマガが切れる半年おきに発表していました。


この変な現象が終わったらすぐにでも仕事にしなくちゃと思っていたのです。


ところが、普通の仕事の電話もすべて切られました。


待ち合わせの時間も携帯が切られて遅らされる。


電話の電源が切られると、私は頭の中が真っ白になってしまって、電車を乗り間違えたり、いつも通る道を間違えたり、社会的に無能な人になってしまいました。


電話、パソコンメール、携帯すべて、「その人」の思いのままに操られていました。


とてつもない嫌がらせの中、ひとりで仕事をしているのがたえられなく私は

2006(平成18)年 都心の飯田橋の友人の会社に机を借りて、仕事の現場を移したのです。


毎朝下痢で三回くらい電車をおりてトイレに行っての出勤です。


友人の仕事を手伝いながら自分の仕事もやらせてもらう。


やっと仕事のできる環境に移ったのです。


それでもパソコンの嫌がらせはやみませんでしたが……、あまりに変な事があるので事務所の皆でパソコンの初期化をしたりしました。


 飯田橋は皇居に近く、よく靖国神社で飼っている白い鳩が飛んできて、その白い美しい羽根を落として行きました。


「おぉ~、白鳩の羽根~」とか崇めていると、「白〇」という、ある宗教のイラストの仕事が入ってきたりしました。


ともかく仕事をしないと生きていけませんから……。


仕事をしながらも、健康づくり……と、皇居の方までウォーキングしました。


2006(平成18)年、春に行ったのに心はボロボロで、皇居の美しい桜すら、心に移ってなかったのです。


やっと、心が戻ってきたのは、2007(平成19)年秋ごろ、皇居の秋の紅葉があまりにも美しくて、びっくりしました。


皇居周りは、東京都の木のイチョウが植えられていて、象徴的な建物の前に壮大なイチョウが並んでいます。


東京駅前のイチョウ並木。


国会議事堂前のイチョウ並木。


靖国神社前のイチョウ並木。


それが秋の青空と対照色に栄えわたって美しい。


何度も、その光景に胸うたれたものです。


ーある日靖国神社の帰り道、イチョウ並木を下っていたら下校中の小学生たちのランドセルも黄色で一面の黄色の中、向かい風が吹いてきました。


黄色の葉っぱがきらきら光って舞い踊ります。


なんて美しい……、何故こんな美しい景色を神様は私に見せるのだろうって、思いました。


他にも、あっちでもこっちでも、そういう光景に出会いました。


その頃はブログとTwitter(X)をやっていて後日、靖国神社に行ったら、カップルが私の見た光景と同じ事を話していて、


彼氏が……、

「どうだ綺麗だろう」

って自慢して、

彼女が……、

「本当にすごい」

って答え、

彼氏が……、

「でもな、向かい風が吹いてきたら、もっとすごいんだぜ」

……という会話を耳にして……


ーあれっ!私の言葉(ブログに書いた)じゃん……、

って、(もしもと思って)Googleで皇居を検索して見たら、上位表示に私のブログがアップされていました。


皇居と皇居の自然って、当時はめずらしかったみたいで、ブログはよく、アップされていました。


「WAKUWAKUカード」の企画を優先しなければならないのですが、「WAKUWAKUカード」のことをやろうとすると、火がついたようにパソコンへの嫌がらせがやってくるのです。


それで、ひとまず皇居の本の企画をやろうと思ったのです。


皇居の本の企画は歩き始めた日から思いついたことです。


皇居=元江戸城、中世のお城は敵から守るため、外堀と内堀で囲まれています。


その内堀通りと靖国通りが内堀にあたる所で、駅にして9つもある、こ~んな広い場所が江戸城だったんだ~ここをぐる~っと、描いて歴史を拾っていくのはどうだろう……、本の形状は蛇腹式、広げて回すと丸く収まる形式です。


そうすると何処の駅からでも始められるし、どこからも帰ることができる……。


首都東京の真ん中の地のことは、何十年も仕事に足しげく通っていたのに、初めて知ることばかりで大変勉強になりました。


事務所近くに曲亭馬琴の住居あとがあって、

葛飾北斎も下宿していたらしい……とか、


日比谷公園はもともとが海で海外からの侵入を恐れて、駿河台の山を削って埋め立てられたらしい……とか、


大手町も元々海で、まだ豊臣政権下の頃、家康の家来だけで日本橋まで掘削して、当時軍事的に重要だった塩を千葉の行徳までとりに行く運河が作られたらしい……とか、


ともかく江戸の流通は河川が主流です。


月の満ち欠けで水流が動くのを利用して物流が動いていたらしいのです。


その河川も道になっていて、ここが始まりの道が多く日本橋が始まりとなっていますが、新宿通りなどは、なにかあった時に、将軍を一直線で新宿へ甲賀(甲府)まで逃がす一本の道だったとか……、


他の道もここが出発点になっていて、面白いことだらけです。


ちょうど街歩きも、江戸城も、皇居ランナーも流行っていた年のことでした。


グーグルストリュートビューも始まっていました。


私が考えたのは、グーグルストリュートビュー方式に皇居周辺の建物を内堀通り周りを蛇腹式に全部描いてみせるという本で、そこには日本の重要な建物がぎっしり詰まっています。


国会議事堂、東京駅、最高裁判所、気象庁、警視庁、靖国神社、そして皇居、江戸城跡……、蛇腹式にすると画期的で見やすく丸く収まります。


このアイデアのもと、ネタを捜しに千代田区役所、図書館に通いつめました。


その千代田区役所も大隈重信が住んでいた所らしいですよ。


400年前の日本の真ん中から考えると色んなことが見えてきて楽しい取材でした。

 

その間 サイバー攻撃は来なかったかって……、もちろん毎日のように来ていましたよ。


嫌がらせメール。


嫌がらせ電話。


携帯電話が切られる。


パソコン内も、文字、アイコン……などを変えられる。


仕事は来ても、仕上げを求められているのに、初期のラフスケッチが送られてしまう……。


印刷も止められてできない。


困り果てて、大手家電量販店に電話をかけているのに、昼間のウィークディにどこも何一つ繋がらない。


繋がったと思ったら切られてしまう。


何故こんなにも嫌がらせが続くのか……、訳が分かりませんでした。

  

それでも仕事をしなくては生きていけない私は、あちこち電話して持ち込みをはじめました。


嫌がらせのほうは途切れることなく続いていて、嫌がらせメール、嫌がらせ電話がひっきりない。


そして皇居の本の企画を営業を始めた頃……!


絵から地図から、事柄から、全て入れていた外付けハードディスクが壊されました。


今までやって来た事がすべてダメになってしまった。


どうしよう……、


……。


本になる可能性も見えないのに……、


本当にどうしよう……です。


しかしハードディスクは復旧がきくらしい……、今までやったのだから……、とにかく続けようと思うしかなかったのです。

 

ハードディスクが壊された頃、すぐに大手グリーティングサイトの「その人」から名前つきで「その人」のメルマガが届けられだしました。


恐ろしかった~


震撼するというのはこの事です。


「その人」は犯罪を犯すたび、どうしても自分がやったと名乗らないと気がすまないらしいのです。


苦痛なので、私はメルマガを解除しましたが、それでもすぐやってくる。


3週続けてやって来ました。


また解除したら、こんどは同系列の楽天メルマガがやってくる、楽天ブックスのメルマガがやってくる。


解除してもしても止まらない。


その頃から私はサイバー攻撃をやってるのはやはり「その人」では……と、思い始めました。


楽天メルマガは、ずっと届き続けました。


苦痛しかなかった。


他の嫌がらせメールも終わらなかった。


嫌がらせ電話も……。


とにかく本の出版の営業は進めよう、と大きい会社から営業を始めました。


始めはM新聞。


皇居の内堀通り内にあるので、いいかと思ったのです。


ところが蛇腹式の書物が、営業から企画は面白いけどお金がかかりすぎるのでと断られてしまいました。


次に地図の出版社で日本第2位のS文社。


1目で気に入られて、大船に乗ったつもりでいてくださいと、営業の方から言われました。


その時が2008(平成20)年秋のことでした。


しかし皆さんはその年がどういう年だか、覚えていらっしゃいますか?


そうです、リーマンショックの年です。


私はそんなことも考えず、大船に乗って、本の中身を充実させることばかり考えていました。


年が明けて2009(平成21)年の正月S文社が社員280人から80人削減ったっいうネットニュースを見ました。


これはヤバいかも……。


ーと、思ったら3月、断られてしまいました。


もうお先真っ暗って感じです。


娘が大学卒業の時期だったので娘に取材させ卒論で本を書かせても思ってたのですが……、1年留年させた費用もパァ~になりました。


そんな折々、私が皇居取材をやってると、ばったり、「イラスト〇ペース」の皇居マラソンをしてる人に出会いました。


Mさん、スーパーリアルなイラストを描いていて建築のパース絵なんかも描かれている超絵の上手い人です。


「WAKUWAKUカード」にもさせてもらいました。


皇居ランをしていて、事情を知らないので、「皆そこにいるからおいでよ」と言って下さいました。


私は用事があったので行けなかったのですが、「イラスト〇ペース」にも私のことを怒りなく接してくれる人がまだいるんだ……と、嬉しかったです。


後日、建築のイラストのことやら、色々聞きたいし、メールしましたら……、楽天メルマガがぴたっと3週間やみました。


本当に嫌がらせメールがこないのはこんなに楽なことか……、犯罪者の「その人」はよっぽど私が「イラスト〇ペース」の人に会うのが怖いんだなぁ……と、思いました。


「イラスト〇ペース」は、その年位まで8年いたけれど、私がKさんの気に入らないことをしたので連絡はとれていません。


毎年、展示会とかしてるのに連絡もない。


手伝いがいるのなら、私もやったのに、その連絡もない。


もしかしたらメールが盗まれていたのかも知れませんが……。


私、毎年数千円、お金を払っていたのですよ。


それなのに、皇居ランナーにあこがれて運動部を作ったとか、結婚した人がいて、そのお祝いに何万円払ったとか……、

そんな話ばかりが聞こえてきます。


私の方は、毎日のサイバー攻撃と娘の大学費用でカツカツで、娘の大学費用にお金をかき集めて、3,40万払って、そこに何の意味もない数千円とられる……、何の連絡もない……、それって何の会ですか?、気にいらないイラストレーターからお金を摂取して、仲のいい人だけ楽しむ会ですか?


……。


ー私は「イラスト〇ペース」をやめました。


なんの見返りもない、私を貶める会にお金を払う意味が分からなかったのです。


そうしたら、大手グリーティングサイトの「その人」から、何の脈絡もなく、展示会のお知らせだの「イラスト〇ペース」の展示会だの、暑中見舞いだのハガキが届きはじめました。


何通も一週間ごと届いたのです。


ハガキなど「イラスト〇ペース」のだれからも届いたことがないのに……、知り合いでもないのに……、皆さんは知合いでもない人から、ひどいイジメに会った人から、突然ハガキが届くの怖くないですか?


……私は恐怖の絶頂でした。


私が「イラスト〇ペース」をやめたことへの勝利宣言だったのかもです。


郵便局に相談すると、嫌な手紙はポストに投函すると届かなくなる……というので投函しました。


やっぱり、嫌がらせや一連のパソコン障害は「その人」の仕業に間違いない……と思った出来事でした。


その頃、私の友人の某県の、まさにそういう犯罪を扱ってる刑事さんに相談させてもらいました。


パソコンの中も調べてもらって、嫌がらせの量は、


「うちの若手の警察官と変わりありませんなぁ」


「パソコンを見られてるというのもトロイの木馬にやられた訳でもないし異常はないですよ」


と言われたものの、でもうちのパソコンは違います。


そのパソコンがWi-Fiが使えるって売りに出された機種ですから……と、言うと話を変えられてしまったので、これはやっぱりインターネットが使えると、中も見えるし、なんでもし放題なのだ……と、やっと分かったことです。


分かるまで6年もかかったのです。


バカでしょ……、


そして百何件毎日来る嫌がらせメールですが、うちのは私のパソコンのディスクトップと連動しています。


たとえば山崎真一(仮名)さんと仕事をしていると山崎真美(仮名)さんという人からスパムがやってくる……、


ーディスクトップに娘に伝えることを「由佳(仮名)へ」とメモしておくと、


「由佳ちゃんを犯しました」


「由佳ちゃんの寝込みを襲いました」


「由佳の裸です」


……などのスパムが入って来る。


数日離れて暮らしていたので恐怖以外の何物でもありません。


完璧にパソコン内は見て脅しているんだ……と、思いました。


本当に毎日毎日なのですから……、


それでも私の思い違い……?

 

 私は真剣で体を壊すまで悩んでいたのですが……、刑事さんは、私の事を言うと「ぷっ」と噴出されました。


「イラスト〇ペース」のことを、


「なんとも江戸時代のような古い人々ですなぁ」


と、つぶやきました。


パソコン内が見られる事は警察では周知の事実だったのかも……、


そして私が犯人をイジメたことになっていることを、


「なんとも幼い……、イジメが小中学生のような人々ですなぁ」


とも言われました。


本当にイラストレーターって、世間知らずで幼いと思います。


もう何百万かお金を取られているのに、「私イジメられてるの」とちょっとかわいい人から言われるとすんなり信じて一緒に私を事を憎んであげている。


それが続いてやまないのですから……、最近のSNSの炎上とそっくりです。


しかも4、5、60歳代……、皆の利益になる事を私は必死でやっていたのに、仲間に入れたその人の「ウソ」の「イジメられた」……という言葉に、4、50、60歳の人たちが、正義感に燃えて祭りあげます。


そんなに自分が正義のヒーローになることが嬉しいのでしょうか!


それより、まず仕事をしなければ……、私の「皇居の本」は1から出直しです。


あちこち電話をかけて、何社も持ち込みました。


ーあちこちで、「これ去年だったらよかったですね」


と言われました。


去年書籍化されるはずだったのですよ~。


ともかく、その時は仕事をしなくては!


犯罪者によって電話も切られ、


メールも切られてりして……、


やっと、やっと友人関係の出版社さんから気に入ってもらえて書籍化されることになりました‼


蛇腹式は叶わなかったけれど、あとから聞いたら、出版元は良い本を出してきた出版社さんで、知人の新聞社関係者から驚かれました。


ー嬉しかった~っ! 


……そういえば、別のアイデア泥棒もやって来ました。


デザイン学校で一緒だった友達です。


原稿を送れと言われて送ったら、彼の行きつけの出版社に持込みするようでした。


パソコンの修復費用も必要なのに、何故アイデアを見ただけの人がお金をとって出版するの……?


……昔、某出版業界の編集長から、


「出版業界は生き馬の目を抜く業界だから、安易に人を信用してはいけないよ」


と、言われたことが,脳裡にふと、浮かびました。


ーあと本が出版されて半年後にK川出版から、まったく同じアイデアの写真の本も出されました。


出版業界ってそうなのですって……。


それなら私に犯罪してる「その人」のように、あちこちのパソコンから盗み見して、いろんな企画を売ればいい……、ですね。


億万長者になれるでしょう。


実際そのような事もあるのかもしれません。


私のようなことがあるのですから……。


ともかく、その時は出版のOKが出た皇居本の制作をしなくては!


2009(平成21年)秋から始まって、春2010(平成22年)には、出版せねばならない、絵も全部かけてなくて、……必死でした。


やっぱり人と仕事をするのは甘くなくて、私は実は皇居は秋が美しい、秋がいいですよ。とか言ったのですが……、編集長は、いやいや一般的に皇居と言ったら春のサクラでしょう、春のサクラが咲く前に出版するのが一番です。

ーということになってしまいました。


それは正解だったと思います。


表紙にサクラいっぱいと東京駅の絵を描いていたら、編集長に皇居一周を描くのに東京駅を出発点にするのはおかしい……と、いわれだして、力をかけていたのに、何をどう描いていいのかわからず、友達に任せた表紙の絵が通りました。


私は春の出版は、あたっていたけれど、東京駅は出版の1、2年後に東京駅が再開発される時だったので、表紙絵の東京駅はいけてたと思うのですが……。


ちょうどその頃、皇居前の建物が宮城を見下ろす100mを越えてはいけないという規制が解かれたようで、まだ100m以下の歴史的建物がいっぱい残っていて、もう無くなる寸前でした。


皇居大手門前(ここが江戸城、皇居の始まりの地らしいです)その前に立つパレスホテル。今は超高層のリッチなホテルになってますが、その前は古びたホテルでした。


編集者の人が、「ここは、東京に来た時に親父と泊まったホテルなんですよ」……そういうのが残せたらと言ってくださって、色んな東京の古い建物をしっかりと描いてあげて、その出口から散歩が始められるようにしたり、トイレやレストランの位置までわかるようにしました。


皇居、もと江戸城にあった天守閣は明暦の大火のあと、経済的に江戸庶民の生活の復興をめざして、建てられなかったとか、今の国際フォーラムの所に、高知藩があって、その近くに北辰一刀流の小千葉道場があって、坂本龍馬が18歳のころ剣術修行の修行にやってきたのだとか……、

ーともかく歴史の教科書みたいな出来事でいっぱいです。


自然も昭和天皇が植物学者で吹上御所にあったテニスコートも取ってしまって、原生林に戻したのだとか、それが東京湾から関東平野に入ってくる風を冷やして、関東平野に入れる入口になってるんだとか……、北の丸公園は武蔵野の土から入れ替えて、鳥や虫の来るように実のなる木々が植えられたのだとか……、皇居の自然が美しいわけです。


そんなことを何とか分かりやすく伝えねば……。


それはともかく……、嫌がらせは最高潮でした。


パソコンから家電話からひっきりなし、携帯メールまで毎日、極限までの嫌がらせメールが届きました。


〇〇100% OFFとかいった迷惑メールが携帯に限界ギリギリまで送信されてきました。


犯罪者の「その人」は、こういうことをすると私が本の出版をあきらめると思っていたのでしょうか……。


失敗すると思って送りつづけてたのでしょうか……。


本の制作もまたメディアが壊されてはいけないので、あちこち移し、自分でもどこに入れたのか分からなくなり、何度も同じページを書いたりして、実際、四苦八苦の本創りでした。


サイバー攻撃という砲弾の中、無我夢中でやり遂げたって感じです。


ー書籍は2010(平成22)年3月無事出版されました。


絵と原稿の入った壊されたハードディスクを修復するのに25万円かかりまして、皇居ちかくに来てから2年半の収益にはまったくなりませんでしたが、サクラの季節には間に合いました。


私の筆が遅くてぎりぎりになってしまったため、初稿で校正ができなくて誤字もちらほら、あったりしましたが、私の初版本です。


東京駅丸の内の書店でも平積みで置いて頂きました。

ありがとうございました。


Twitter(X)とブログで思いっきり宣伝しました。


嫌がらせは4月中旬まで続き、私の容姿と着物を着てたことを誹謗中傷した

メールで収束しました。


ともかく犯罪者は、私が着物を着ていたことを知ってる人物にはまちがいないらしい……。

 

こんなことを続けていては仕事にも何にもならない。


私は本格的に犯罪に対処しなければと、あちこち相談して歩きました。


警察に相談しましたが、パソコン内の書類が消える、電話が切られるとか言っても相手にもしてもらえません。


あちらはヤ〇ザや殺人者まで相手にしている方々……、優しい相談員のお姉さんが急に声を荒げて、叱りつづけられたのは恐怖でした。


刑事さんからは警察は受け付けてくれないだろうから裁判にするといい……って言われたので、法テラスという弁護士さんに、一案件につき3回相談できるのです。


まだ都心にいる時に四谷まで相談に行きました。


そしたら、その弁護士さんは5分5分ですが闘ってあげてもいいですよ……、と言われました。


私はすぐにでも頼みたかったのですが、家族も、交番のおまわりさんも猛反対……。


だって現職の刑事さんが裁判にした方がいいって言ってるのに……、かれこれ20年以上続く苦痛な嫌がらせを考えると痛恨の極みです。


嫌がらせはやむことはなく、毎日が苦痛でした。


仕事と人間関係(特にイラストレーター……)を絶ちたいみたいでした。


イラストレーターの展示会に行けば、携帯の警報装置が急に鳴り始める。


私は携帯の警報装置の鳴らし方を知りません。


パソコンで誰かの展示会の案内を見てるとブラウザがクラッシュする。


誰かの展示会に行けば、その人のパソコンがひどいウィルスにやられている。


展示会に行くのも恐怖でした。


だんだん友人たちも、私の嫌がらせされてる発言に嫌悪し始めました。

それは3年に1度くらい会う同窓会のメンバーですら、「またその話かよ」って

言われるくらいですから、しょうがないと思います。


でも私と会ってくれてるイラストレーターのRちゃんだけは、サイバー攻撃をされまくっていました。


だから伝えない訳にいかなかったのです。


まず、会う約束をして、何時になりそうだから……と、連絡を入れようとしたら、携帯の電源が落ちてしまって、連絡がつかない。


連絡先をとる手段がなく、私は頭が真っ白になって、来てすぐの電車に乗ったら、違う方向の電車で2時間も遅刻してしまったりしました。


携帯の電源が落ちた……とは、あまりにびっくりしてしまって言えませんでした。

     

その次、原宿で会った時は彼女、私の「嫌がらせをされてる」という話にかなり頭にきていたみたいで……、その時、彼女のMac、携帯、タブレットも壊れていて、これから原宿のMacショップに相談して帰ると言っていました。


ーそれって、多分私の犯罪者の「その人」のせいだと思うのだけれど……、


「こういうことは皆あるんだから貴方だけじゃないからね」


と、喧嘩別れのようになってしまいました。


もう会えないと思ったのです。

ところが実はそうではなかったのです。


彼女はすぐ優しいメールをくれていたのですが、それが3ヶ月ほど私の所に届かなかったのです!

(3ヶ月後、私のメールボックスを開くと、彼女のメールが送信されてきたのです。……メールの送信の日付は3ヶ月前のものでした)


その頃、ちゃんとしたシステムエンジニアのメールを使っていたので、考えられないことでした。


でも結局、別の理由で彼女とは会えなくなってしまいましたが……。


携帯は散々、遠隔操作されていました。


すぐにスマホにすれば良かったのかもですが、スマホが基地ステーションになるというので、怖くて変えられなかったのです。


携帯の電源が落ちるのはしょっちゅうでした。


私は恐怖に慣れないもので、携帯の電源が落ちると、恐ろしくて、電車を乗り間違えたり、忘れ物をしたりして仕事でも実生活でも、失敗ばかりしてしまいました。


携帯の電源を落とされるのは普通になって来ました。


何度やられても恐ろしいですよ。


ある日、友人と図書館で車で待ち合わせということになりました。


時間がよめないので電話すると言われていたのですが、携帯の電話の電源が落ちてしまいました。


幸い彼女のアドレスは手帳にあり、公衆電話で電話をかけ事なきを得ました。


ー本当に怖くて、手帳を公衆電話の上に忘れてしまいました。


おりしも図書館はその次の日から二週間も改修工事だったようで、手帳の行方は二週間も分かりませんでした。


恐ろしいと、くだらない失敗してしまうのですよ。


 

 ある日、ママ友の同窓会をしようということになり、5人で都心で待ち合わせをしました。


私は同じ路線の友達を電車の一番後ろで拾って行くことになりました。


ところが、一本間に合いそうにない。


あわてて電話したら、ア〇アという会社の営業さんの電話番号でした。


いけない、そんな人に電話したら、でも何度電話しても、その人に繋がります。


幸い家の電話が分かって娘さんがいて一本遅れることを伝えてくれました。


その後、解析してくれたシステムエンジニアさんによると、アドレス帳はあいうえお順になっているからア〇アが先に出たんだろうとの事。


確かに彼女の名前は矢野(仮名)さんですから「や」で最後の方です。


彼女によると10年以上は同じ番号だとのこと。


犯罪者の「その人」がわざわざ変えるようにアドレス帳を操作してきたのでしょう。


この件は警察も相談に乗ってくれだした一件です。


携帯のアドレス帳はしょっちゅう入れ換えられました。


ある日、警察に電話しようとすると、携帯のアドレス帳に記入してあった警察の番号がどこにもない。


しょうがないので、メモしてあった紙の手帳を見る。


ところが、しばらくして、アドレス帳に警察の番号が戻ってきていたのです。


……。


もともとは「い」の場所に、入れてあったのに「ち」のなかに入れ換えてあったりしました(しかも突然現れたのです)。


仕事になりそうな人の番号はすべて消されました。


デザイン学校で一緒だったTVプロジューサーの番号とか、よく仕事をしている連絡先も消えていて公衆電話から電話しました。


犯罪者の「その人」を紹介された会社の番号も消されていました。


私の携帯でかけると、迷惑がかかるかも知れないので公衆電話でかけるのですが、いまどき公衆電話で電話したりして、皆なんのことかと思いますよね。


仕事のメールだけでなく、友人のメールもよく盗まれました。


高校時代の友人が東北に行くので、ついでに東京にも寄りたいというのです。


彼女の息子もやってきて、今度できたスカイツリーに行って、吉祥寺にも行きたいというので、東京の東の端から西の端に行って、夕方の新幹線に間に合うかなぁ……と思い、ジョルダンで調べて大丈夫そうなことを確かめてメールしましたが、彼女はそのメールを見てなかったみたいです。


息子が全部調べて、しっかりしてきて嬉しいと言ってました。


携帯はかまわれっぱなしです。


ある日、仕事先に電話したら繋がらない、どこにいっても繋がらない、しょうがないので交番の前でかけました。


そしたら繋がって、何度もかかっていたようで、ひどいお叱りの言葉をもらいました。


これでは、私が嫌がらせ電話をしているようですよね……。


……。


携帯ガラケーは簡単にいじれるみたいでした。


秋葉原に行っただけで、いつのまにか、万歩計が入っていました。


私は万歩計の入れ方を知りません。


とにかく、携帯を持つのすら怖かったのです。


ある取引先と、また電話しても、携帯電話しても、連絡がつかなくなりました。


事務所は都心でしたが、その方のご自宅が我が家と近いということが分かり、自宅周辺で打ち合わせしようと、いう事になりました。


彼女、その最中でiPhoneだったのを、androidに変えられました。


質実そうな方だったのに、何か又変な事があったのでは……と思ってしまいます。


犯罪者の「その人」は私だけじゃなく、周囲の人にまで、迷惑をかけて来るので困るのです。



 パソコンも家の電話もさんざんでした。


周囲の人にまで……。


あまりの嫌がらせに神経がまいっていました。


でも都心に通う交通費もなにもかも、なくなって、経済的に無理があり、2012(平成24)年、都心の飯田橋の事務所から自宅に帰ってきました。


すぐに確かめるような嫌がらせがきました。


毎日のように交番に訴えていたので、やっと警察も動いてくれはじめました。


しかし6㎞もある警察署に自転車でいくので、へとへとでした。


あまりにも私の話がくだらないみたいで、居眠りする警察官もいました!


どうも私の係になる人は役にたたない新人が回されていたようです。


ある新人の人が書面をみて、


「あれ、これ、証拠全部ありますねぇ」


と言ってくれましたが、すぐに上の人に説得されて撤回する始末。


捜査する気はなかったのでしょう。


やっぱり裁判すればよかったのです。


それでも毎日異変があるたび、警察に通いました。


真夏に一週間毎日通った事もあります。


何人かの警察官がちゃんと向き合ってくれて、嫌がらせ電話は、調べられるというので、その画像を写真に取って警察に提出していました。


そしたら犯罪者の「その人」はうちの家の電話の設定時間を勝手に変えてきました。


40分きっかり早い時間になっています。


デジカメも画像が何度も壊れました。


パソコンも同じです。


時間や文字指定が勝手に変えられました。


今ではパソコン内の文字設定を変えることが、犯罪者の来た事のあかしとなっています。


会わせたくない人のHPやSNSをブラウザごとクラッシュさせるのも、作業していて、文字が大きくなったり小さくなったり、別のパソコン画面に切り替えられるのも同じです。


時にはポインターがくっついて離れなくなり、書類をずるずるひきずったりしました。


電話は仕事の電話も他の電話も来ることはありませんでした。


嫌がらせ電話だけです。


携帯の嫌がらせメールの他に「ヤフーお楽しみメール」という宣伝メールがきました。


警察が「これもスパムの一種ですよ」というので、気をつけていたら、知人が亡くなった……と、いうお知らせに「ヤフーお楽しみメール」がやってきます。


我が家の猫が亡くなって、お寺に頼んだら「ちょっと遠くで遺体を焼いてきます。待っていて下さい」と、言うので待っていたら、その間に「ヤフーお楽しみメール」がやってきます。


ー怒り以外のなんでもありません。


人の苦しみにわざわざ、ちゃちゃを入れて来る、……本当に「ケダモノ」だと思いました。


ー仕事はほぼなくなっていました。


仕事で反応してくれる人の電話番号は切られてばかりいました。


それでも仕事をしないと生きていけないので、新しい企画を考えては、持込みしました。


私の携帯や電話で連絡すると、切られてしまいます。


私は4キロ離れた街まで自転車で行って、公衆電話をしてアポを取っていました。


その時は出版社に企画書を送っておいて、その返事を待ってる時期でした。


ある時、携帯が一回なって切れてしまいました。


なんだったんだろう。


又、恐怖です。


それでもそろそろ返事をくれる時期……と思い、うちから100mほどの所の公衆電話から出版社に電話してみました。


そしたら編集者から、


「あぁ~、連絡がついて良かった、携帯もしたんだけど鳴らなくて、メールも一週間くらいして戻って来てしまったんですよ。」


とのことでした。


私は恐怖におののきながら、その場で警察に電話をしました。

そしたら、その電話も切れてしまいました。


私はメールも携帯も切られたことを告げ、公衆電話をあとにしましたが、警察の人は警察の電話が切れたことを、


「防犯カメラで映ってでもいれば良かったですね」


って、言われました。


しかし電話が切れた事を伝える方法は簡単でした、……もう一度かけて聞けば良かったのです。


警察の人も「今切れましたね」って言ってくれてたのですが、ともかく恐ろしくて恐ろしくて、その場にいられなかったのです。


恐怖がなければ私も冷静に対処できたのですが……、恐怖で失敗ばかりしていました。



 「その人」はいろんな物を壊してきました。


プリンターも年賀状を書くのに、家族は使えるのに私が印刷をしようとすると使えなくなる。


何度もやり直しするうちにプリンターが壊れてしまう。


それでプリンター会社に電話をしまくる。


何日もかかる。


初期の頃は秋葉原に持込んで直してもらったりしました。


毎年、年賀状の時期はそんなことをやっていました。


その数年後はプリンターを買った家電量販店に電話すると、どこにも電話がかからなくて(平日休んでる大手家電量販店などあるのでしょうか)、やっと電話が通じた千葉の店まで持って行ったことがあります。


そのプリンターもおかしいのです……、指定していないものを印刷しようとします。


それは犯罪者が入ったことの証拠の書類だったのです。


気が付くと何百枚も印刷するように設定されているのです。


……そんなに印刷できません。


そんなこんなで、その千葉の店には4回通いました。


自宅は駅から遠いので自転車でプリンターを乗せ、電車で持って行き、千葉駅から数100m持って行くのです。


昔のプリンターは重かったんですよ……。


ともかく何故、嫌がらせがやまないのか、まるでうすい壁の隣の部屋にいてこっちの状態が分かっていて壊して来るようでした。


 

「その人」はパソコン機器のものならなんでも壊します。


外付けHDも3台壊してきましたし、USBメモリーもSDカードも何個壊れたか知れません。


私の365日の花の企画が私のパソコンから盗まれたのがくやしくて、また「皇居の花」でやり直そうと、何百枚もこつこつ皇居の花を描きためていたのです。


花のめしべやおしべも一本づつから描いた絵も多くありました。


でも容赦なくメディアが壊されてしまいます。


犯罪の証拠を入れてると壊してくるので、何個も証拠を入れては、パソコンに入れないで置いておきました。


外付けHDはUSBと違ってめったに開きませんが……。


ある時、外付けHDの中に犯罪の資料を格納していたホルダーの脇にちらちら変な影が映っていました。


何だろう?この影は……、外付けHDはUSBと違ってめったに開きませんが、開くたびに、ちらちら影が映るのです。


これは何かのウィルスに違いない……、


(その時誰かに見せれば良かったのですが)怖くてしょうがないのでゴミ箱に入れて消去しましたら……、


「17・10・09警察00氏に相談」


「18・4・16 00氏の電話が切れる」


という項目が幾つも見えて消えていきます。


そう警察に提出していた何ファイルもの書類が数秒のうちに消されてしまったのです。


犯罪者は外付けHDの中に犯罪記録を見つけて壊してきたのでしょう……007じゃあるまいし、こ~んな普通の私に、こ~んな事が起こるなんて、びっくりの世の中です。


でもパソコンから壊しても無駄ですよ。


その事実は警察に伝えるための書類はすべて、警察に提出してありましたから……。


 他にも外から、パソコンの書類はぱかぱか壊してきました。


とくに「WAKUWAKUカード」関係の物は何もかもです。


「WAKUWAKUカード」は作ってる最中に壊れてしまって、怖くてなかなかつくれませんでしたが、音楽やら「フラッシュ」のボタンやら散々に壊されました。


仕事で作ったキャラクターやら、そのキャラクターの残りもどこかに格納していたはずなのにどのMOを見てもなくなっていました。


「WAKUWAKUカード」に使えそうなものは全部消されるのです。


怖いですよ~、自分のパソコンの中がぐしゃぐしゃになるのは!


それでも私は人の絵を(許可を得て)使った責任があるので、何処かで何かの形にしなくてはならないって思っていました。

 

 私はある日「フラッシュ」じゃなくてGifアニメなら壊されないかと思い、数名の絵を借りて川柳の企画書を作って、新聞社などに企画書を書いたことがあります。


数社、営業に回りました。


いやぁ~、……壊される壊される。


USBが7,8本、外付けHDが一個壊され、閲覧用に作っていたHPの形が変形しました。


元のアニメは無くなってしまって、再生できなくなりました。


それでも古いパソコンの中に展示用に入れていたのが残っていて、再生できそうでした。


しかし「WAKUWAKUカード」のように、Google上位表示とか取れた物でないと取引先の相手の反応が全然違ってて、……ダメですね。


仕事にはなりません。


壊されて困るものは、なんと言っても連絡先です。


アカウントは絶えず壊され続けました。


一週間に一個とか、……気がついて数えたら、GmailからYahooメールまで一年で20個以上変えられた年もあって、警察にも何度も訴えました。


私、失礼なこととか、責任の取れなくなる事が心底苦手で、毎日が痛恨の極みでした。


絵も違ったものが相手に届けられるし、責任の取りようもないです。


私のパソコンだけじゃなく、取引先のメールやら、携帯やらにも悪さをしてくるので始末が悪いです。


ある時、Yahooのメールを使っていましたら、メールの相手がもう使っていない昔のアドレスばかりに返事をくれます……。


おかしいと思ってYahooのメールを詳しく調べたら、返信先が昔の使ってないアドレスに切り替わっていました。


……。


 2014(平成26)年3月か4月頃、皇居一週の本を思いついてから始めたブログが消されました。


皇居ランナーさんにも人気でGoogleでもしょっちゅう取り上げてもらったブログでした。


Twitter(X)とも連動していて皇居本の宣伝もやっていたブログです。


私は匿名でやっていたTwitterを急遽、実名に切り替えました。


犯罪者に消されまいと考えた手段でした。


私は犯罪者の「その人」について何も知りません。


「イラスト〇ペース」のTさんに、あまりに「その人」が不審だったので、突然電話して聞いたことがあります。


Tさんはスーパーリアルの絵で、あれこれの誰もが知っているパッケージの絵を描かれていた方。


「WAKUWAKUカード」に絵も使わせてもらいました。


普段は温厚な方ですが、私からの電話で、


「おまえはまだそんなことをやってるのか~「その人」ぐらい純粋な人はいないんだぞ~頭がおかしいくせに」


と怒鳴られたことがあります。


久々に電話をかけてるのにいきなり「おまえ」扱いです。


ーどれだけ犯罪者の「その人」の「ウソ」に酔いしれて正義感に燃えているのか……、


これほどヒステリックに怒鳴りつづけけられるほど、そんなに犯罪者の「私にイジメられた」という「ウソ」は魅力的だったのか……、


と思います。


犯罪者の「その人」の「ウソ」はしっかり、「その人」を守っておりました。


しかし、こんなに人のパソコン内を壊してくる、仕事先のパソコンもおかしくする、こういう人が仲間うちにいるのは危険ではないのでしょうか……?


……。


 「WAKUWAKUカード」は何とか残したいともかく仕事にしなくちゃ、と思っていたので、メルマガは細々、締切前の半年に一回続けていました。


イラストレーターの展示会や出版物の話や私の編集後記。


アニメの発表が中心だったのですが、途中で皇居の話題になったりしました。


それなりに人気がありました。


 その頃2013(平成25)年8月頃はもう文章とか自分のパソコンで考えて書くのは怖すぎてネットカフェで書いておりました。


「WAKUWAKUカード」のメルマガの文章を書いて8月31日メルマガを発表しようとした途端、メルマガが壊されてしまったのです。


確か、次の日は土日で9月1日の防災の日に合わせた記事はもう間に合わない。


私は頭に来て、犯罪者に向っての記事を一週間後復活したメルマガに書いてしまいました。


この頃から私に犯罪が毎日のように来てる事を書きはじめたんだと思います。


この前の人の犯罪者に対する Tさんの、


「あんな純粋な人はいないんだぞ」


という犯罪者の「その人」の「ウソ」に心酔しきった言葉も胸にささっていました。


 私、いつも言うけれど「言ってる私が変だ」と誰もが言うけれど、変なのは私ではなくて、やってる犯罪者が異常なのです。


異常なほど犯罪が続きつづけたのです。


毎日のように……、嫌がらせはくる。


メールは盗まれる……、


電話まで切れ続ける……、


パソコンもデジカメもなにもかも操られる……。


……。



 2014(平成26)年9月1日頃、「イラスト〇ペース」のXさんが亡くなりました。


私は辞めていた「イラスト〇ペース」との接点はすでに何もなかったのですが、突然、「イラスト〇ペース」の創始者Kさんが、つてを辿って、知らせて来ました(今まで何の知らせも寄こさなかったのに……)。


ーすでに私と「イラスト〇ペース」の人たちとは何の関わりもないのに……。


Xさんは純粋な人でした。


私が「WAKUWAKUカード」をつくった時にも最初に喜んでくれたひとです。


イラストレーターの奥さんの絵も「WAKUWAKUカード」に預けてくれました。


音信不通だったKさんからの連絡……、


恐ろしかったです。


もっと恐怖だったのは犯罪者の「その人」でした。


私がXさんの所に行けば自分の犯罪がバレてしまう……?


Xさんは、たしか練馬在住でした(私はXさんと親しいわけではなかったのです……だから行きませんでしたが)。


私が仕事で練馬に行こうとすれば、ひどい仕打ちが私にやってきました。


私は東京の東隣の市の住人です。


練馬は西側の街 練馬に行こうとすれば、飯田橋と池袋という2つのターミナル駅を通らなければならないのです。


その頃はタブレットでその駅の地図を写して出かけましたが、1回目は写した地図が全部消されてしまいました。


2回目、練馬に行った時にはタブレットのディスクトップの猫の画像が反転

しました。


普通はポジティブなのにネガティブに変わっていて、本当に恐ろしかった。


3回目、あるイラストレーターの展示会に行ったあと、猛烈に嫌がらせがやって来ました。


私は展示会をした人を知らなかったのですが……、何事があったんだろう、又、私が犯罪者の「その人」を怒らせる何をしたんだろう……って?!


ー考えていましたら、展示会の作者からお礼のハガキが来て、彼女は練馬在住の方でした。

 

犯罪者の方は、そんなにご自分の犯罪したことバレるのが怖いんだ。


バレるかも知れない、そのたび、そのたび、私を脅してきている……。


でも私を脅しても犯罪の履歴は消えませんよ!


ご自分の罪が増えるだけですよ。


「イラスト〇ペース」のメンバーは私が犯罪者の「その人」をイジメているということに心酔しまくっておられて当分バレそうにはありませんでしたが……。


電話やメールは消され続けました。


私はこの件が始まってから何年も自力では眠れなくなっていて、医者に睡眠薬をもらって眠っています。


そういう人には、自立支援医療と言って医療費が安くなる制度があるのを知って、医師の診断書を書いてもらって役所に届けでるところでした。


医療費が安くなるのも嬉しいけれど、それより私が、毎日の嫌がらせに苦しんでいる証明になるのが嬉しかったのです。


看護婦さんが出来たら電話しますよ……と、言われていました。


ところが何日しても電話が来ないので、聞いたら何日も電話をしてくれていたらしい……とのこと。


医者の電話も切ってくるなんて……。


うちはもう陸の孤島になっている。


看護婦さんに証明してもらおうと電話したら心よく引き受けてくれたので、ボイスレコーダーを買って持って行きましたが、医者はかんかんで看護婦さんも私を無視します。


どうも裁判になるとかと思ったようで、看護婦さんは何があったのかその病院を辞められました……、そのクリニックにはもう行けなくなりました。


犯罪者がまわりにいることは本当にあちこち迷惑をかけます。


私はあえて2級の精神障害者になれました。


しかし犯罪者が電話を抜くたび、人に迷惑をかけることをどうしたらいいのでしょう。


 2014(平成26)年8月4日「イラスト〇スペース」の主催者だった

Kさんが、その頃は友人だったRちゃんの展示会に後援隊をひきつれて乗り込んで来られたことがあります。


私がメルマガで、サイバー攻撃に合っていると書いていたから、Kさんが疑われていたのでしょうか……、もう10年以上も会っていなかったのに、その会話は奇妙でした。


普通なら、口頭に「ひさしぶりだね」とか挨拶がつくのに、いきなり、


「俺やってないから」


でした。


いったいなんのこと……?


なんのこと?!


彼の仲間たちが、


「これで、分かっただろう、Kさんはやってないから」


と続けました。


私の友人の間でもKさんが怪しいって言われてたこともあります。


でもメールを消すとか簡単なことなら、Kさんにも出来るかもしれないけれど、あまりに高等な技術があって、Kさんのことは疑ってもいませんでした。

 でも、もしも、「イラスト〇ペース」内でそんなサイバー攻撃があって、仕事のメールが盗まれる、パソコン内で仕事が壊される、そんな事があったなら会員が危険です。


お金を取っている責任あるKさんが、まず、その現状を聞き取ってくれて注意勧告すべきなのではと思うのですが……違いますか?!


犯罪者の「その人」の技術はすごかったですよ。


すごい技術に幼稚なイジメ……。


それが「その人」の特徴です。


こんな技術があれば、私になんかかまってないで仕事が何でもできそうなのに……。


とにかく私は、家のパソコンでこの犯罪のことを調べるのが怖いので、図書館まで行ってパソコンを借り、弁護士さんとかを調べていたら、パソコンを借りられる55分の枠のなかで3回もパソコンを切ってきました。


これ図書カードかなんかで分かるのでしょうか……。


市の……とある施設でパソコンを貸してくれる所があって、一時期そこに通いつめていました。


警察の調書を書くためです。


ある時、犯罪者の「その人」の名前を入れたら、文章ソフトがふっとんでしまいました。


いけない!


ここでも見られてるんだ……と思いました。


USBかなんかで入ってくるのでしょうか……?


うちの古い使ってなかったパソコンでも犯罪者の「その人」の名前を入力しますとパソコンがクラッシュします。


よほど警察に自分の名前を出されると怖いみたいでした。


ネットカフェなんかでもパソコンをおかしくします。


携帯電話やらSuicaを持って行ったのが良くなかったのでしょうか……。


いつもいつも見張られているようでした。



ある時 大荷物を持って歩いていた時があって、コインロッカーに預けました。


Suicaで入金する形式のです。


そしたら開かなくなってしまいました。


しょうがないのでそこに書いてある業者を呼びました。


2,30分かかったと思います。


こんな所まで嫌がらせが来るんだと、心底恐ろしくて、腰が抜けるとはこのことです。


私は山手線に乗ったまま動けなくなってしまって何時間もぐるぐる回ってやっと自分ちの連絡方面に繋がる駅に辿り着きました。


その頃からSuicaは持たず、切符を買って電車に乗り降りするようになりました。


 ある時は企画書を持って行こうとしてました。


コピーは自宅でできるのですが、何が起こるか分かりません。


注意のため向いのコンビニでコピーしようとしたらコピーの機械が変になっていて、コピーができません。


店の人にも見てもらったのですが、どうしてもコピー機能に切り替わりませんでした。


こんな所まで嫌がらせしてくるんだと、頭が真っ白になりました。


……とにかく約束の時間があるので出発しました。


最寄りの駅付近までは大丈夫でしたが……、乗継の日比谷線に乗り込んだ後、腰が抜けていて、どうしても、目的地の六本木で降りられなくて、終点の中目黒に着いてしまいます。


それを何度もくりかえして、大幅に遅刻してしまいました。


コピーはそこの会社でしてもらいました。


変ですよね、私……、これじゃあ仕事にはなりません。


ーパソコンは何度も買い直しました。


それでも嫌がらせが来て困りました。


……ネットを通さないパソコンが欲しかったです。


しかしパソコンは、プリンターのドライバーやらCGのソフトやらネットで入れねばなりません。


秋葉原でパソコンを買い、小岩のホテルに泊まって初期設定をしたこともあります。


それでもいつの間にか入られてしまい、嫌がらせが始まってしまうのですが……。


……。


ーまたある日なんて、M図書という教育関係の出版社から連絡があって、作品のストックを作りたいから作品を数十枚送ってほしいと連絡がありました。


私はよろこんで何十枚か送信しました。


そしたら、……担当さんのパソコン内の画像が全部ウィルスでやられてしまったそうです。


中でも私の原稿が一番ひどかったとか……。


そのことを警察に話すと、「すぐ捜査します」って言ってくれたのですが、私は担当さんに迷惑書けるのが申し訳なくて断ってしまいました。


あんな機会はなかったのに何故断ってしまったのでしょう。


その頃、人に迷惑をかけさせられ続けていて、また迷惑がかかると、とっさに断ってしまったのです。


ーある時デジカメが壊された時があって秋葉原の中古パソコン屋さんでしっかり説明してもらって買おうとしてました。


ついでにパソコンも良いのがあると言うので購入を検討しました。


日本製で、不具合があるとすぐに対応してくれるとのことでした。


それは良い、買うと決めて試させてもらったら、いけない又嫌がらせです。


私のパソコンのように文字が大きくなったり小さくなったりします。


何から入ったのでしょう、お店のカードからか?……とにかく、購入は中止しました。


こんな風にいつどこでも脅しがやってきます。


それも隙あれば毎日、毎日のようです。


どうしてこんなに暇があるのか不思議です……。


働いていないんでしょうか……。


 その日は、TV局の企画書を送らなければいけなかったのですが、私のパソコンではどうしても文字化けしてしまいます。


それは普通にある事のようです。


私は慣れないWindowsを取出して、企画書を送ろうとしていたらWindowsがジャ~ンと鳴っていきなり切れてしまいました。


その日はどうしても起動することなく、明日朝の締切どうしようと不安でしたが、

朝の4時位になってWindowsがつき、企画書を書類ファイルではなく、メールに書き込んで事なきを得ました。


 昔、朝の連続テレビドラマ「ととねぇちゃん」のモデルになった人に会ったことがありました。



「ととねぇちゃん」は「暮らしの手帖」という出版社のオーナーの方のことです。


私が作品をもちこみしたら私の作品を褒めてくださって、私の作品の写真まで撮ってくれました。

 

 私はドラマがあった、この機会だから「ととねぇちゃん」の事を調べてメルマガに書きました。


TVの朝ドラは、春から秋の放送だったと思います。


だからその年の大晦日の昼に、「ととねぇちゃん」の特集番組をしているとは思わず何気なくみていました。


そしたらいきなりTVがチカチカして切れたのです。


何のことか何のことか……、その夜……、また紅白歌合戦を見ていましたら、「ととねぇちゃん」役の高畑充希ちゃんが出て来て主題歌を宇多田ヒカルちゃんが歌うというところで又、TVがチカチカしだして消えました。


私その大晦日をひとりで過ごしていたので、そんなでも充分怖かったです。


その後もTVを消して来るという嫌がらせは何回かありましたが……、すぐ飽きたみたいでした。


「ととねぇちゃん」のことをインターネットで調べていたら、急にウィルスが入れられてパソコンが止まってしまい、交番に持込んで見てもらった事もあります。


……そんな事がたえず毎日のようにありました。


 そんな事より何より困るのは、メールが消えたりする事です。

自分のも困るけれど取引先の人が私へのメールを書いていたら、いきなり消えたっていうのが何回もありました。


「いやこういう事たまにあるから」……、とその人は言うのだけど1回や2回ではないから困るのです。


 私が展示会に行くたび行くたびウィルスに犯されてた人もいました。


前はきっちり挨拶状をくれてたのに、くれなくなってしまいました。


 ……とにかく私がインターネットで展示会の案内を見るたび、ブラウザがクラッシュするのです。


それでも展示会に行ってみると、その人がひどいパソコン障害に合っていたりしました。



 助けてくれようとする人も出てきました。


最初は、仕事先のTさん。


若い頃からつきあいのあった人です。


広告代理店の社長でニコンやら味の素の仕事をやらせてもらいました。


そのインターネット部門やら、政府の仕事までやってるシステムエンジニアの方、Y氏に相談させてもらうことができました。


でもY氏は優秀すぎて、会見に行った時、私のパソコンは普段ログアウトなんかしないのにログアウトされていました。


私は「ほらほら、すぐに変な事して来るでしょ」って思って見ていたら、Y氏はログアウトされているのに私にパスワードも聞く事もなく、直してしまって「何の異常もないですよ」と、ケロっとしているのです。


その頃、犯罪者の名前つきでメルマガが送られていた時期なので、それを言うと、「そういう可愛い女の子の名前で何処もが、メルマガを送って来るんですよ、特に異常はないです」……と言われてしまいました。


他のシステムエンジニアの人に言うとログアウトをパスワードなしで、解除したのはスゲーって言われました。


ー本当に怖かったのは次の日です。


 パソコンがOSから文字設定、アドビのソフトが4つ壊れ、使用できない状態になっていました。


警察に連絡しても繋がらず……。


仕事があったので初期化して使用したのです。


この愚行を、システムエンジニアさんたちは怒りました。


パソコンが壊れた直後でないと詳しい履歴は上書き保存されてしまうらしいのです。


 それでも社長のTさんは心配してくれて何度かメール交換してくださいましたが、その時期、母が危篤状態で、帰省やら葬式やら繰り返していましたので、失礼がいっぱいあった事と思います。


その後私はPSTDで待ち合わせ恐怖症になっていて、何十分も待ち合わせに遅れて、いっぱい仕事をもらってたのに、本当にお世話になっていたのに、連絡も取りづらくなってしまいました。


「WAKUWAKUカード」のファンの人からもメールがきました。


元N〇CのOBのHさん、Mさん、Iさん、私が中国向けに作っていたカードを派遣で行っていた中国の人に送ってくれていたらしいです。


いろいろいっぱい解説してもらいました。


事務所は渋谷にあって、私は渋谷の3賢人と呼んでいました。


渋谷は再開発がすごくて、事務所に行くまでに重い資料のトランクを持って何回も何十階もの階段をのぼったり降りたりしました。


それでも壮年のシステムエンジニアさんと違って、何を言っても優しく解説してくれて助かりました。


審査のためメール交換もしてくださいました。


……そのメールは、何度も文字化けしました。


 あと千葉のKさん。


N〇T出身のIT会社社長です。


「WAKUWAKUカード」を復活させようとしてくださったり、県警にまでついて行ってくださいました。


警察の対応は、私なんかが行くのとまったく違っていて、具体的にこの書類を出しなさいと言ってくれたりしました。


犯罪者の「その人」は技術者が来ると奮起するみたいで、くだらない嫌がらせを何度も仕掛けてきました。


外付けHDをSDカードに移してくれたのですが「WAKUWAKUカード」関連の音楽、アニメ、キャラクターが全て消えました。


イラストレーターの友人のRちゃんのメールが消えて出てきたのもこの会社のメールです。


ーしつこく嫌がらせをしたもん勝ちですね。


どんな技術も追いつかない……。


 先輩のAさんが紹介してくれた古くから企業のセキュリティをやってきたYさんはインターネットにつなげるとすぐ入れます。


アドレスでも型番からでも内部に侵入できます。


初期化をしても無駄です。


こういう所(ファミレスで会見してました)で隣からでも至近距離で侵入できます……とのことでした。


 その頃、いとこの純ちゃんがカナダに留学するので写真とか個別に配ってられないし、Facebookに入るというので、私も便乗してFacebookに入りました。


写真とかネタは前にTwitter(X)で発表したものがあったし、久々の仲間との

通信すごく懐かしかったです。


しかし、やっぱり犯罪者はやってきました。


展示会とかミーティングとかあると、メッセージを即座に抜いてきます。


パソコンの速度は遅かったけれどこれがタブレットで見ると秒速で抜いてきます。

よほど私を仲間に会わせたくなかったのでしょう。


仲良くしているとその人のパソコンを壊してきたりします。


 それにしても嫌がらせは年々ひどくなるばかりです。


毎日のように嫌からせ電話がきます。


パソコンが異常な動きをします。


それをデジカメで撮っていました。


コンビニで印刷して警察に持って行きました。


そしたら家の電話器の時間が40分ほど変えられました。


パソコン内は、文字が大きくなったり小さくなったり、わけの分からない画面が出て来て作業がまったくできなくなる。


ポインターがくっついて離れなくずるずる引きずってしまう。


ウィルスバスターにも相談しましたが、パソコンを全部見てくれて、なにもないとのことでした。


パソコンメーカーにも相談しました。


これほど酷い事例は見たことがない……、とのことでした。


しかし助けてくれることはありませんでした。


まるで親のかたきにでも会ったようなしうちが、毎日、毎日です。


 これはもう犯罪者の「その人」と会った「イラスト〇ペース」に相談するしかない……と、2016(平成28)年春、当時は友人だったRちゃんの近所でMさんの個展があるのを見つけました。


Mさんなら正義感もあるし、ちゃんと聞いてくれるかも知れない。


私はRちゃんに一緒に行こうとハガキを出しました。


Rちゃんはすぐに携帯に電話をくれたそうですが、私の携帯は鳴らなかったのです。


 それでもMさんの個展には無事行けまして、私の窮状も話す事ができました。


4月にMさんと「イラスト〇ペース」の当時のリーダーのSさんと会って聞いてもらえることとなりました。


 会ったのは新宿の喫茶店で、ふたりとも、ちゃんと聞いてくださいました。


パソコンを開けてると途中見知らぬソフトが立上っていました。


あとで聞くと、それはターミナルというもので外から自在にパソコンをあやつることができるソフトということでした。


ふたりとも誠実であちこち聞いてみてあげるから……とのことでした。


 帰って来たらとんでもないサイバー攻撃がやって来ました。


まずデジカメが、初期化されていました。


パソコンに訳の分からない画面が、次から次へと変わりつづけます。


パスワードも入れてないのにG-mailが開きます。


アドビのソフトが次から次へと開きます。


パソコンの文字設定が変わってしまいます。


とにかく数週間それ以上手がつけられなかった。


犯罪者にとって恐ろしい事をした報復でしょうか……、攻撃は前よりいっそう強くなりました。


 それから数週間した5月、自分の電話からはできないので、外に出たある日に

相談したMさんに公衆電話してみました。


そしたら凄い剣幕で怒鳴られてしまいました。


私が犯罪者の「その人」をイジメているという噂を聞きつけて、私が言っていることを「ウソ」と思ったようです。


テレホンカードの50回分のが何枚も無くなりました。


4、50分は怒鳴られました(パワハラ以上のパワハラです)。


お陰でその日に次会う人の約束は大遅れ……、そうやって次々信用を無くすんですよね。


犯罪者の「その人」の「ウソ」はどれだけ人を魅了するのでしょう。


 おまけにMさん~この人が~世紀の大ヒーローになりました。


彼は正義感の強い人、おまけに顔も広い、あっちでもこっちでも私が犯罪者の「その人」をイジメていたという幼稚な「ウソ」をどんどん広めて行ってくれました。


どこに行っても、陰口をたたかれているようで、居場所がなくなりました。


 友人だったRちゃんもその幼稚な「ウソ」を信じたその一人です。


次に会った時には話もしてくれなくて、ただ睨みつけられているばかりでした。


Rちゃんの友達も、その友達も、前にはよく話していたのに、睨みつけて避けてきます。


どれだけ犯罪者の「その人」の「ウソ」は魅力的だったのでしょうか。


私は「その人」にほぼ会ったこともないのですから……。


4、5、60代が幼稚な「ウソ」を祭り上げて、そのたび大盛り上がりです。


風評被害にもほどがあります。


とうとうどこにも行き場がなくなりました。


 Mさんがパソコンにも強い「日本S連盟」のHさんにも聞いてくれると言っていたのを思い出して、Hさんにも電話してみました。


SFの絵なんかをかいてて超絵のうまい方です。


自衛隊のセキュリティの幹部まで知ってると豪語していたHさん。


Mさんの中でパソコン環境に一番詳しいって人がこんな程度!?


怒鳴りはしなかったけれど、仲間との軋轢を避けたのでしょうか、……あまりにも冷たかったです。


まさか彼までも私が「犯罪者の「その人」をイジメた」という幼稚なウソを信じたのでしょうか……。


私、犯罪者がパソコンの中をぐしゃぐしゃにしている動画もみせたんですよ。


警察に相談してるってのも、精神科に毎月お世話になってるってのも、聞く耳を持たずですね。


仲間の中で作り上げた噂の中にいるのが一番楽ちんでいいですね。


私がその直後から日々サイバー攻撃に会って嘔吐下痢をくりかえしているのもへちゃらです。


仲間と一緒に幼稚な「ウソ」を信仰しているのが責任もなく気楽でいいですね。


これって「イラスト〇ペース」「日本S連盟」公認の虐待です。


もう自分の正義感にメロメロですね。


こんなに時代が進歩しているのに……、古典的な江戸時代のような幼稚な「ウソ」の支持者が倍増してしまいました。


 相談したその日から、私のパソコンへのイジメはもっと激しさを増しました。


犯罪者にとって怖い事をした報復でしょう。


パソコンが開かない。


開いてもいきなりソフトが開いてしまう。


インターネットを見ていると、特定の人の所でブラウザがクラッシュしてしまう。


パソコンを閉じると、嫌がらせ電話が鳴る……。


もう滅茶苦茶でした。


それが毎日、毎日、四六時中見張られて脅されている感じです。


私はさらに、嘔吐下痢、嘔吐下痢をくりかえし、1年で15キロやせました。


 その頃、市の健康検診があって、胃癌が発覚しました。


そりゃあ、胃癌にもなるでしょう。


まともに毎日を過ごしたことがないもの。


今の医学は凄いですね。


担当の先生の言われるには、だいたい15年くらいたっている……とのこと。


この犯罪が始まった年月でした。


癌は検査があったから初期で助かったのですが、もう犯罪者の「その人」は人殺しです。


その仲間も人殺し幇助です。


そんな中でも私は制作を諦めきれずに、何社かの企画書を書いておりました。


癌になって、ほんの少し嫌がらせの頻度が減りました。



 人殺しといえば、私は老後のため、個人年金をかけていました。


国民年金だけじゃ到底、老後はやっていけないだろうと思ったからです。

でも日々仕事がなくて、仕事を壊されて、お金がなくて、個人年金に借金していたのです。


満期が来て満額払えないので、親に工面してもらおうと帰省しました。


そこにも犯罪者の「その人」はやってきました。


嫌がらせを受けている画面を見せようと、パソコンをつけると嫌がらせメールが携帯に届く。


ソフトを開けようとすると、家族に嫌がらせメールが届く。


……行動を全部見られてるようです。


新幹線の中でパソコンを開くと文字が大きくなったり、小さくなったり、画面が変わったり、脅してきます。


私は新幹線の中でゲーゲー吐きまして、落着いたと思って在来線に乗ったら、まだ恐怖が消えなくて思いっきり車内で吐いてしまいました。


回りの客にいっせいに身をひかれてしまいました。


 それでも一方の個人年金は親のお陰で助かりました。


その後、もう一個の個人年金もあったのです。


個人年金の満期が近づいていた頃でした、保険会社の人が電話をくれていたのでしょう、それが切られていたのかもです。


電話がリンっとなって切れる、


リンとなっては切れる、


そういうことが数週間繰り返し続きました。

私はなんだろう、また、新種の嫌がらせかなと戦々恐々としていました。


そしたら、一本だけ繋がった電話があって、保険の外交員さんでした


「あなた保険をほっとくと、パァーになっちゃうわよ」


と軽く言われてしまいました。


私は唖然とするやら、恐ろしいやらで、


「もういいですほっといてください」


と言ってしまいました。


……。


 保険の外交員さんは、彼女なりに残ったお金で健康保険に切替えて、私に役立つことを考えてくれていたみたいでした。


でも私には気持ちのゆとりも、お金の余裕もなかったのでコツコツ積み立ててきた個人年金を手離してしまったのです。


 年金を手離したその、1週間後か2週間後に私に癌の宣告がきたのです。


本当に電話が切られ続けるのは恐ろしいです。


もしも個人年金を手離さなければ、老後1000万円入っていたし、もしも普通の精神で外交員さんの話をまともに聞いて健康保険に入っていれば、手術のお金も入院費用もまかなえていたでしょう。


犯罪者の「その人」の脅しはもう強盗ですね。

 

 後半戦になって、犯罪者の「その人」は定期的な仕事は消さなくなりましたが、ちょくちょく仕事のCGを変える……という嫌がらせをしていました。


仕上げのCGを送ってるのにラフの鉛筆画が送られるとか、


数か月前のCGが送られるとか……、


それだけでもこっちは神経の休まる間もなかったのですが……。


 その頃10年位前に仕事をしていた通信社から久々の連載の仕事が入りました。


半年ほどの連載です。


最初は順調にスタートしました。


でもやはり途中で、前回のラフが送られたり、


最初のラフが違ったものに変えられたり、


……しょうがないので、最初のラフはFAXで送って電話で送ったことを伝えました。


記者さんは迷惑だったと思います。


文章を書いてる最中で中断させられるのですから……。


私、犯罪にあっていて犯罪者がこういうことしてくるんです……、なんて言っても誰も信じないでしょう。


ー私が間違えているとしか思わないですよね。

通信社さんだったので、事件も取扱う仕事、私何年も犯罪にあっていて、相手は有名な会社の人です……と伝えたのですが、聞く耳ももたず、一回きりで連載は終了しました。


 その頃、犯罪者の「その人」を紹介してくれた会社のN氏からも、イラストの仕事が来ました。


犯罪者は容赦なくCGを壊しました。


犯罪者の「その人」が見下した人にどんな罵詈雑言を吐くか知っていた人N氏。


犯罪者のことを、あんなすごい性格の人には始めて会ったと……、何度も言っていた人。


この件に関して相談してずっと同情してくれていた人。


その人のところでCGが壊されたので、私は喜々として警察に報告しました。


でも人は信用できませんね。


警察というと誰でも身を引いてしまう。


N氏もあっと言う間にそんなことはなかったと否定されて、この件はなかった事になってしまいました。


 その他の仕事もCGが壊される、メールが届かない……と散々でした。


 私は絶望しました。


もうイラストレーターの仕事は、犯罪者がいるかぎり責任持ってできない……と思い知ってしまったのです。


手描きの仕事に変えたら……とも言われましたが、手描きと言えども、どこもここも、写真に起こして、メールで送るのですから、メールを牛耳られてるのでは何をしても同じです。


 他の仕事も捜しましたが、家で仕事をしていた……というのでなかなか働き口が見つかりません。


コロナ禍がきて、集団募集が来て、やっとコールセンターの働き口が見つかりました。


……7カ月くらい勤めました。


でも何年も引きこもりのような状態だったので、突然のお勤めで腰痛になって歩けなくなってしまいました。

 

このまま、歩けなくなり老後がきて、私は皆に幼稚な誤解を受けたまま空しく死んでいくしかないのでしょうか……。


 嫌がらせは、私がイラストの仕事をあきらめた頃から、ずっと少なくなっていましたが、やっぱり、犯罪者の「その人」が私に良いことがあるとやってきます。


 たとえば地方に行っていた娘が、久々自宅に帰って来た時とか……、


娘が仕事でイラストを描いて新聞に載った事を友人に報告した日とか……、


非通知電話がやってきます。


嫉妬しているのはいったいどっちなのか……。


そうそう、娘が結婚して、そのデジカメ写真を年賀状に使おうとパソコンに入れたら、画像を壊して来ました……。


しつこいしつこすぎる。


 私は仕事をあきらめることができず、こそこそ企画書のようなものを書いていました。


ある日、TVプロダクションの人の目にとまって、


「もし出版の方も受かるならTVにもしましょう」


と言ってもらえました。


それこそ、必死です。


なにしろ、出版社に電話がかからない、かかっても切られてしまう……、

のですから。


私は又も4キロほどの距離のある街に行って公衆電話をかけまわり、やっと一軒の出版社に辿り着きました。


でも皇居の本の最初の蛇腹式の本を持って行ったので、一般の出版社に持って行ったから、話も聞いてもらえませんでした。


2、3日待ってくれるというので、普通の本の形式に書き直していましたが、ものすごいサイバー攻撃がやってきました。


アドビ「イラストレーター」でやっていたのですがクラッシュばかりします。


その頃パソコンの用語を見られる場所が分かっていたので、調べて見ると、1秒に3回以上、壊されていました。


出版社の人にもTVプロダクションの人にも企画は持って行けませんでした。


そもそもTVプロダクションの人は私のデザイン学校の友人の仕事関係の人です。


携帯から友人の電話番号が消えていたのです。


なぜ私からいきなり電話がかかってきたのだろう……という話になって、友人を通じてやっと話が通じたしだいです。


 ともかく1秒に3回も、いくらキカイでやってるとは言え、どうしてこんなに

暇があるのでしょう。


警察にも、弁護士にも何度も相談しましたが、その事と、この書類の関連が分からないとか言われて断られてしまいました。


前にシステムエンジニアさんと警察に行った時には、こういう資料があれば捜査しますと言われたのに……。


怖いですよ。


考えてる最中に書類が消されるのは……


 それでも、その年は何社も出版社にアピールした年、別の企画なら……と心良い返事の編集者さんもいて、出版社に何軒も年賀状を書きました。


あてもない事でしたが、どこかで仕事になればと必死でした。


 そしたらまた、ものすごいサイバー攻撃、書いては消えるの繰り返し、恐ろしくて、年末には書ききれませんでした。


年末には仕上げて家族と田舎に帰省するつもりだったのですが、ともかく日をずらして年賀状だけは書いて帰省することにしました。



でも正月ひとりでいては怖くて怖くて家にいられません。


私は千代田区の友人に電話して会ってもらうことにしました。


新年の皇居一般参賀に行く事になりました。


準備万端ふたりには会えたのですが、慣れてるふたりは荷物など持っていません。


私はカメラやら簡易椅子まで持っていて、荷物検査があるということで、道を分けられてしまったのです。


折悪しく、携帯電話が怖くてしかたなくて持ってなかった私です。


そこから何時間も検査があるということ、何万人もいる皇居です。


とうとうふたりとは、はぐれてしまいました。


天皇陛下に旗をふるのはあきらめて、出口で何時間もふたりを待っていたのですが、……無駄でした。


その方たちの家にも行ってみたのですが、……いませんでした。


……犯罪者に脅されて、いったい私は何をしているのでしょう。


……。


 私はアニメもあきらめきれず200点ばかりあった作品を100点ばかり改正して「フラッシュ」を変換してYouTubeにアップしてみました。


少しは見てくれるかと思いきや、一番カウント数がいったのは9000人位で、あとは、100カウント行くか、行かないか、……でした。


やっぱり20数年たったアニメは生き残れない。


身内や近しい友人にだけ受けていますが……。


 その他にも私はPSTDになっていて、待ち合わせ恐怖症で普通の友達とも、約束の時間を間違えたり、場所を間違えたり……、友達を何人もなくしてしまいました。


恐怖で口も聞けなくなっていた日々もあったのです。


 犯罪者の「その人」に会った日から地獄のような日々の連続です。


描いても、描いても、壊されてイラストはかけなくなってしまいました。


イラストレーターで生きてることが誇りだったのに、とうとうそれも失くしてしまいました。


何より何にでも感動するココロ。


これが私の唯一の自慢だったのにそれまでなくしてしまいました。


もう20年以上です。


10年以上は警察に相談してその犯罪の記録は残っています。


本当に、虚しい作業ばかりの繰り返しで、……20数年過ごしました。


 20年以上何も楽しいことはなかった。

娘が成長して、高校に受かり、大学に受かり、結婚しても……、




うれしい時も楽しい時も……、


東日本大震災の時も、コロナ禍の時も……、


いつも、いつも、いつも心の片隅に電話が切られ、パソコンの異常があり、脅される恐怖を抱えていました。


お金がいつもなくてヘトヘトでした。


 最近、家族が何もすることがないのは良くないので、飼っていた猫のエッセイでも書いてみたら……というので、一番古いパソコンをひっぱりだして、数日書いてみました。


ーが犯罪者の「その人」は許してくれません。


パソコンの中で文字が大きくなったり、小さくなったり、脅してきます。


「その人」は犯罪をやめようとはしません。


 今年になって、小さな仕事が入りまして、しばらく使ってなかったパソコンを

取出して、仕事をしました。


描いたらイラストがゴミ箱に入っていました。


私は、あぁ~、まだやってくるんだ……とゴミ箱から取出して、クライアントに送って事なきをえました。


そして「その人」が来たことのお印、パソコンの言語設定を変えてきました。


……まだ嫌がらせが続くのか……。


と、もううんざりです。


 必死で、していた仕事をまったく、会ったことのない、赤の他人から邪魔され壊され、脅され続けるなんて思ってもみませんでした。


しかも20年以上……。


パソコンは頭脳です、頭脳ごと脅されているのでどうにもできません。


頭脳であるパソコンが見えていたので、警察に相談しているのも分かって、恐怖で脅してきていたのでしょう。


ちゃんとした犯罪者になるのは怖くてしょうがなかったのでしょう。


もう犯罪者であることは間違いありません。


犯罪を続けてた事は事実なのです。


 一昨年、家族の形態が変わる予定ができて、マンション内を整理しました。


大事にかいてきた絵も犯罪の記録も一部屋分捨てました。


もうイラストレーターでいることはあきらめなきゃいけない……。


と決意したのです。


 今までこの20年以上、嫌がらせや誤解がきつくて、何度も、あぁ~、ここで電車に飛び込めばどんなに楽になることか……と思いながら生きてきた私ですが、この時ほど、もう希望も何もなく死にたい……と思ったことはなかったです。


こどもの頃から何かを表現して生きていることが自分の生き方だと思って生きてきましたから……、何の目的もなく生きていく生き方が分からなかったのです。

 絵をかいて生きることは、息をすることのように普通のことでした。


絵をかいて、家族を養い、マンションまで買って、生きてきたのです。


それが訳も分からないことであきらめさせられるなんて……、しかも私が「イジメ」たことになってる。


 唯一死ねない理由に、マンションの自治会の役員の当番がやってきて、毎月の会議と毎月のお役目がある……、そんな小さな責任があるので死ねなかったのです。


 その頃は、懐かしい夢ばかりをみていました。


ある時はアイデアがいくつもいくつも浮かんで絵に夢中になっている夢、


ある時は皆と展示会をしている夢、


展示会のあと大きな画板をもちあって二次会をしている夢……、


……毎日のように夢をみました。


夢から醒めたあと、ああもう絵をかくこともできないし、皆ともあうことも出来ないんだ……と虚しさに打ちひしがれたものです。


 20年以上たって、私がパソコンも見なくなって、ほぼ今は何もしなくなった犯罪者の「その人」はどうしているのでしょうか。


ほとんどパソコンに手をつけてないので、3年ほど、ほぼご無沙汰してますが……、私は名の残るイラストレーターだ……と、豪語していらしゃいましたが……(まず名の残るって犯罪史上、名の残るの間違いではないでしょうか?)


 私は名の残る人って、昔からの絵画をみても、歴史上の人物からみても……私、本を書いた時、100人以上の伝記を読みましたけど偉い人はその努力とともに、神様に愛されたとしか出会いをしてきています。


その世界の神様から愛されてる人が生前も死後も歴史に名を残している……、人のパソコンから企画を盗み、自分のものにし、発表し、ばれないようにその人を脅しつづけてる……、回りに「ウソ」をつき続けている……、そんな人が神様に愛されるのでしょうか?


他の人のパソコン内も気がつかないように、そうして傷つけていらしゃるかも知れませんね。


なにしろこんなにパソコンに侵入されてる私だって6、7年分からなかったのですから……。

 

 名が残る名が残らない……は別として、私も表現者の片隅のひとりとして、神様に見せられているというような経験を何度もしました。


イラストレーターだった時は絶えず……、きりがない程あって、幸せだったなぁって思い出します。


 でも一番すごかったのは1997(平成9年)~2000(平成12)年頃のイラストレーターや絵かきさんたちとの出会いです。


有名、無名、伝説の絵描きさん達……、皆、絵が上手くて、趣きがあって、一緒に展示会をやらせてもらったり、画集を作ったり、有名、無名のイラストレーター100人以上に出会ったなぁ~。


 そして「フラッシュ」のソフトに出会った時も、音楽が入って、自分の絵がアニメとして動かせる……、それは感動した出来事でした。


音とともに動かせる、自分の絵が生きているようになりました。


それは楽しいことでした。

 

 私の尊敬していたイラストレーターも、そんなに絵が上手いのに、そんなに良い絵がかけるのに、安く買いたたかれていたり、騙されて仕事をしていたりしました。


そんな事が許せなくて、腹がたって、私はインターネットで彼らの絵を宣伝する事を考えたのです。


私のアニメとともに……。


 いっぱいのすごいイラストレーターに出会えて、あの時は本当に神様が出会わせてくれたんだ……と思いました。


年賀状素材集のF&Sさんの声をかけてくれたおかげで、私の「WAKUWAKUカード」のアクセス数をあげてくれました。


 そんなこんな、ありがたい出会いがあって、「WAKUWAKUカード」はGoogle上位表示になっていたのです。


みんなの仕事も世界進出しておりました。


Google上位表示があったからこそ、大きな会社や小さな会社も「WAKUWAKUカード」に仕事をくれようとしていたのです。


イラストレーターの収入にも、発表にも、なったはずでした。


ーそれが全部犯罪者に盗まれました。


すべて犯罪者に邪魔され、友人とは会えなくなり、幼稚な「ウソ」で汚されてしまいました…

 私、有名な「その人」を嫉妬したと言われてますが、人の絵に嫉妬することは少ないんですよ、尊敬することの方が多いです。


この時だって、(許可を頂いた)30~50人以上のイラストレーターの絵に音楽をつけてメッセージカードにして世界に送りだしていたんですから……。


努力もしていたんですよ。


皆のために文字をデザインして音楽と合わせてひとつ一時間以上かけてましたから……。


有名な人、無名な人100人以上会いましたが、どんな「有名な人」でも「有名な私」と言ったのは、「その人」1人です。


私は申し訳ないけど「その人」の作品を見たこともなければ有名だということすら知らなかったのです。


ともかく皆の絵を有名にすることで必死でした。


その頃は自分のアニメが有名になるより、イラストレーターの役にたてるかもしれないと言うことが嬉しかったのです。


 すべて初期の出来事だったんだと、最近になって、やっと、この文章を書き出してわかりました。


2001(平成13年)1月、私は私のアニメとイラストレーターの絵をメールで送るグリーティングカードのサイト「WAKUWAKUカードランド」をたちあげました。


その年の秋にはGoogleの上位表示が取れていました。


犯罪者の「その人」とあったのは、いつだったのか覚えてもなかった人なので分かりませんが、……2002(平成14)年頃でしょう。


その頃からアニメのソフトが壊れてばかりいて作れなくなってしまいましたから……、もう会った頃から犯罪は始まっていたようです。


 2002(平成14年)年末~年始、私が「WAKUWAKUカード」で企画していた「365日の誕生日花」カード企画が、2003(平成15年)4月頃犯罪者の、「その人」の大手グリーティングカード会社から出されたのです。


私が花の絵の作家に会い、丁寧にメールを出し、企画し続けていたものと同じものです。


パソコンの中はすべて見えていたのです。


犯罪者のその人は、その企画が始まってすぐに大手グリーティングサービスの、その企画が始まったメールマガジンを送ってきました。


イラストが写真になっていただけで、瓜二つのアイデアでした。


そんなメールマガジンなど送ってよこしたりせねば、分かりもしなかったのに……。


その後は私がイラストレーターのために、企画して、大手中小会社に持込んでいた企画は全て犯罪者の「その人」のものとなりました。


……。


 あんなにみんなの事を心配してたちあげた「WAKUWAKUカード」だったのに、せっかくGoogle上位表示をとれたのに、「イラスト〇ペース」のメンバーから「WAKUWAKUカード」は憎しまれ続けました。



それでも私は何年もイラストレーターのためにやったのだから……。


期待してくれた仲間たち……。


ともかく仕事にしないとと耐え続けました。


バカみたいに、何年もイラストレーターのために努力したのです。


「WAKUWAKUカード」でイラストレーターに仕事や発表の機会があるかも……。


って、そんな努力より、犯罪者の「その人」の言った「有名な私の事を嫉妬してイジメた」……という言葉の方が、みんなの心には心地よく届いたのです。


 そんな幼稚なことではないのですよ。


犯罪者の「その人」は私がイラストレーターのために考えた企画でいくら手に入れたのでしょう。


私もこんなひどい目に会っていながら、この事にこの文章を書くまで気がつかずにいました。


金銭価値のない犯罪はありえないと言われつづけていたのですが、金銭価値は始めの方から発生してたのでしょう。


 私もそのくらい取りなさいといわれていた価格です。


多分、推定、当時1千万円~数百万円でしょう。


だって「有名な私」の価格なんでしょう。


「イラスト〇ペース」の月500円ほど仲間から集めて数十人で集まって……というお金の額とは違うお金が支払われていたはずです。


2003(平成15)年っていったら、ITバブルのまだあった時代です。


イラストレーター価格ではなくIT価格だったのでしょう。


私がイラストレーターの事を心配してがんばって企画したことは、パソコンからすべて、筒抜けになって、その人の仕事になって、収入になったのではないのでしょうか?


私がその人に「イジメ」をしていたことは100%「ウソ」です。


だって、「その人」に会ったことすらないのですから……。


私も自分の何が「その人」をこんなに逆上させるのか訳が分からなくて、どの発言が悪かったのか考え続けていましたが……。


……なぁんだ、そういう事だったんだ。


さすがに人の企画をパソコン内で見て、大きな収入になったことがやましかったのではないでしょうか。


私の方が暴言をあびされつづけ、嫌がらせが毎日のように続きました。


私が会ったこともない「その人」をイジメたという「ウソ」にまみれつづけられ、20年以上……、私がイラストレーターのもとに戻ることをずっとサイバー攻撃して阻止していらっしゃたのではないでしょうか。


 ーこれはれっきとした犯罪です!


私を封じ込めようと犯罪が続きつづけました。


「あの人が有名な私に嫉妬してイジメた」……なぁんて幼稚な「ウソ」を信じてあげて、正義感に燃えているイラストレーターの皆さん、現実を考えてください。


ご自分のパソコンすら盗み見されてたかも知れないのですよ……。


時代はどんどん進んでいます。


20年前のあの時代……、仕事はインターネットに取られていて……、紙のイラストレーターは大変でした。


だから私はインターネットの仕事をイラストレーターに持ってこられてたらって思って「WAKUWAKUカードランド」を作っていたのです。


時代はどんどん進んでいて、今は、仕事を取られるのは「人」ではなく「生成AI」の時代です。


「チャットGTP」の時代です。


こんな進み続ける時代にあって、「その人」の幼稚な「ウソ」を信じてあげて、刑事さんに指摘されるまでもなく江戸時代のように時代遅れすぎる。


小中学生のように幼稚すぎる、「その人」の犯罪も、何もなかったことのように、見過ごしてあげてください。


そして「その人」の犯罪を幇助しつづけてあげてください。


きっと、「その人」は味をしめて、他のパソコンも狙っているし、私と同じような目に合った人も大勢いるはずです。


 犯罪者の「その人」もよっぽど、私がイラストレーターの所に戻って、その犯罪がバレるのが恐ろしいのでしょう。


だって、「その人」が見下し続けて「ウソ」をつきまくった私が「その人」を仲介したのですから……、今も、ほとんど、私が仲介してあげた、私の友人だった、イラストレーター仲間と付き合ってらっしゃるのでしょう。


 ちょっと、うら若い、かわいい子がいて、「私、あのババアにイジメられたの」と言ったら信じてあげてください。


世界が、世の中がこんなに変化しているのも気がつかず、ご自分の身も大変になっているかもしれないのに関係なく、その正義感に酔いしれていてください。


人が傷ついて苦労しているのにも、とことん無神経でいて……、ご自分の正義感に酔いしれていてください。


ご自分が犯罪に加担していることも気がつくこともなく、気持ちよく犯人の「嫌がらせ」&「殺人」に参加してあげてください。


 こんなに時代が日進月歩進んでいる時代……。


イラストレーターと言えば、絵かきでアーティストですよね。


アーティストと言ったら、時代の変化に一番敏感な職種のはずです。


そんな人たちが、刑事さんに、江戸時代のような古い人々……と、揶揄されているのですから。


……アーティスト失格です。


せいぜい3、40人位の人々で犯罪も気がつかず、かわいい子が発した「「イジメ」られてるの」発言に正義の味方になって、酔いしれていてください。


 本当にパソコンの分かる技術者の話では、パソコンの中は通信がつうじれば、見える、消せる、盗める……ようですよ。


だって今ではテレワークという普通の技術になっているのですから。


メールアドレスでも、電話番号でも、その人の個人情報さえ分かれば、パソコンに侵入することは可能です……とのことでした。


パソコンに侵入して、仕事も人間関係も壊されつづける……、そして幼稚な「ウソ」と「犯罪」には20年以上……、それこそ血反吐を吐いて、苦しめられました。


信頼関係のあった仕事先にも友人関係にも迷惑かけさせられっぱなしで、痛恨のきわみです。

 

 誰が考えても、私がグリーティングの企画をやっていて、しかもGoogle上位表示され、一番、嫌に思うのは、大手グリーティング会社の「その人」ってことが単純にわかりませんか?


仲間のために必死で作った企画だって、同じグリーティングカードを作ってた人以外盗む必要もなかったはずです。


 仲間のことを考えてやっていたのに、水面下で「盗まれた」私はコテンパンにやられていました。


「その人」は自分の「盗み」を隠すために「ウソ」をつきつづけたのです。


「盗み」と「ウソ」を隠すために私を攻撃し犯罪を続けました。


毎日のように……、お陰で私は仕事も友人も失いつづけ、恐怖によってとんちんかんな行動をして失敗させられ、行きどころのない日々を過ごしています。


「その人」のもくろみは大成功していて、だれもがその「ウソ」に騙されそれぞれの正義感に酔いしれつづけています。


ーだれか、人のパソコン内に入りそのアイデアを盗むのは、いけないことだと、

言ってくれないものでしょうか? 


ーだれか、人のパソコンに入り、そこのCGやパソコンを壊しつづけることは犯罪だと言ってくれないものでしょうか? 


ーだれか、人に来る電話をとめて、仕事を阻止するのは犯罪だと言ってくれないのでしょうか?


 この20年間くらいで 壊されたのは……、


〇パソコン5、6台 家族のWindows3、4台

・仕事メールは締切が過ぎてやってきます。

・パソコンメールのアカウントはしょっちゅう消されます。

・ある年には、毎週のように、GmailメールとYahooメールのアカウントが20回以上消されました。

・インターネットを見ていると、ブラウザがしょっちゅうクラッシュ、とくにイラストレーター仲間やその展示会の案内をみているとクラッシュします。

・仕事は指定されている物を送っているのに違うCGが送られます。

・CGや文章が文字化けさせられます。

・パソコンの文字が大きくなったり小さくなったり訳の分からない動きをすることはしょっちゅうありました。

・ポインターがくっついて離れないこともありました。

・Facebookは、あけるとすぐに展示会のお知らせ、オフ会のお知らせが、あっという間に抜かれてしまいます。

・仲良くしてた友達のパソコンが壊されました。


〇パソコン内ソフト フラッシュは使うたびしょっちゅう壊れます

・CGが消されます。

・アドビillustratorが異常な壊れ方をします。

・時にはパソコンやメディアの中から消えます。

 

携帯電話ガラケー2~3台

・仕事の電話ごと何回も切れます、もう携帯の電波が切れる時代ではなくなったのに、何回も時には10回以上切れること5、60回以上。

・携帯の電源がいきなりシャットダウンされてしまいます、20回以上。

・履歴がぐるぐる回ります。

・アドレスが消されたり、変えられたりします。

・友人イラストレーターの展示会に行くと警報音が勝手にが鳴ります。

・秋葉原に行ったら、携帯の画面表示が万歩計の画面になってしまいました。


〇スマホになってからは、イラストレーター仲間の事を調べると非通知電話が鳴ります

・こちらに良いことがあると非通知電話がきます。

・友達に犯罪者のことを書いてると非通知電話がきます。


〇家電話

・外から入った電話が繋がりません。

・家電話から外にも繋がらない(家電量販店とか、サポートセンター仕事先)。

・イラストレーターに電話したり、気に入らないことがあるとスパム、嫌がらせ電話がなりやみません。

・嫌がらせ電話で追跡できると警察が言うので、電話番号を写真で撮っていた

ら家電話の時間設定が、40分も変えられてしまいました。

・ものすごい数の非通知電話がきます。

 

〇外付けHDやUSBメモリーSDカードなど……

・外付けHD3台が壊されました。

・中には書籍の為に描いた絵や原稿が入っていて修復に25万円かかりました。

・USBカードやSDカードもう2、30個以上壊されました。


〇プリンター

・(何年も何回も)年賀状を印刷しようとしたら壊れる。

・指定してない印刷(100部位)をさせようとする。


〇デジタルカメラ

・勝手に初期化されます。

・パソコンに画像を入れると一部壊れたりしました。


〇iPad

・設定が次々変わりました。

・トップ画面の写真がポジからネガ画面に変わったことがあります。

・Facebookでイラストレーターのお知らせ画面、オフ会や展示会の画面があっという間に消えてしまいます。あまりに怖くてfacebookには入れなくなりました。


〇ブログ、メルマガ

・2013(平成25)8月31日「WAKUWAKUカードランド」の唯一の発信元の     

メルマガが消されました、修復するも9月1日に合わせた記事は間に合いませんでした。

・皇居の本を思いついてからはじめたブログが2014(平成26)年春、消されました。


〇嫌がらせ電話、非通知、嫌がらせメールは携帯にもパソコンにもしょっちゅう毎日のように続く


〇TV

・見ていると思われる場面で切られました。


〇外部の電話や機器

・公衆電話で警察に電話しようとしたらいきなり切られました。

・コンビニのコピー機がおかしくなりました。

・図書館で借りたパソコンが55分の枠の中3回も切れました。

・公共機関で借りたパソコンが犯罪者の「その人」の名を入れた途端ワードがクラッシュしました。

・中古パソコンショップで買おうとしていたパソコンの文字が、大きくなったり小さくなったり異常な動きをしました。

・コインロッカーの鍵をSuicaでかけたら、開かなくなってしまいました。

・久々会う友達のMac、iPhone、タブレットが壊されていました。

・友達の展示会に行ったら、その人のパソコンがウィルスに犯されていました。



 私は「イラスト〇ペース」や「日本S連盟」の人たちに出会って、その頃の出版事情が大変で、インターネットに対応する「WAKUWAKUカード」をつくったこと。


それから2年も立たない間に大手グリーティングカードの人にそのアイデアを盗まれ、脅され続けていること……。


恐怖で嘔吐下痢して苦しみました。


6、7年も犯罪ということに気がつかず、気がついてからは警察、弁護士、システムエンジニアさんに相談して歩いた10数年……以上。


本当に20年以上むなしい時間を過ごしています。


こんな気がつかず進行する犯罪を、人々の悪質な噂話を、私はどうすれば良かったのでしょう。



 「イラスト〇ペース」や「日本S連盟」の人たちのところに、仕事を持って帰りたかった~のですが……、邪魔されて、仕事にもできず、悪質な噂話が蔓延していて帰れず終いです。


仕事は壊され、体も壊し、人格も変えられてしまいました。


仕事の約束の時間には携帯電話機器がシャットダウンします。


仕事のCGはパソコンの中で壊されてしまいます。


 この文章は、すぐにでも書きたかったのですが、犯罪者の「その人」が微力な通信でも嗅ぎつけて又ひどい嫌がらせをしてくると思われるので、1年2年と恐ろしくて書けずにいました。


パソコンに向うのも、まだ脅してくるので恐怖でいっぱいだったのです。


 今は、MacもWindowsも通信のできない機種などありません。


ワープロなら……、とも思ってみたのですが、それすら進化していて、ネットワークに繋がる事を売りにしています。


私は秋葉原にはいかないで、近所の中古パソコンショップで通信機能を全部抜いてもらって、やっと、やっと、この文章を書きました。


 通信が繋がると何でもできる、相手のアイデアも見放題、20年以上脅し続ける事もできる、壊し続けることもできたって訳です。


 これは、2002(平成14)年~20年以上つづいた私の恐怖体験です。


仕事をすれば、仲間と会おうとすれば、まだまだつづくことでしょう。


日々、日進月歩で世の中は進歩しています……。


今は人ではなく生成AIに仕事を取られる時代。


その進歩を悪用して自分の利益にする人がいるなんて……、2001(平成13)年「WAKUWAKUカードランド」を作った私には想像もしなかったことです。


 今後インターネットの世界が、どんな発展があるか分かりませんが、どうか

セキュリティを強化してください。


こんな幼い下らない小さな犯罪にも耳を貸してくださることを願ってやみません。


会ったことすら覚えていない「その人」に会って20年以上!


私の仕事を壊わされて、仲間に会わせないようにされて、「ウソ」をつかれて苦痛な年月でした。


 20年~で私は年をとって、おばあちゃんとなりました。


技術は日進月歩で進んでいて、パソコンやスマホから、写真や画像を抜ける技術は一般のものとなったみたいです。


孫ができて、写真館でお祝いの写真を撮ってもらいました。


それをプリントしてもらう……のではなくて、いろんな設定のヴァージョンの撮ってもらった写真70枚位から選べて、その画像はスマホやパソコンからダウンロードするのだそうです。


その中からえらんで、プリントアウトしてもらうのもありだそうです、もちろんパスワードはありますが……。


パスワードはどんな犯罪でも簡単に分かるとのこと相談した何人もの弁護士さんから聞きました。


パソコンからアイデアを盗む方法も簡単ですね。


孫のお祝いのその日にも、非通知電話がかかってきました。


まだまだ脅しが続いてくるのでしょうか……。


ーただただ苦痛です。


見ず知らずの人からいきなり犯罪や誹謗中傷がやってくるなんて、20年以上前の私にはなんのことかもわからなかった出来事です。


苦痛は続きつづけていて、7年前に仲間に相談して、その報復にひどいサイバー攻撃に合い15㌔やせて胃癌になり、7年たって、また癌になりました。


「イジメた」ことが事実のようになっている私など苦しんでるのが嬉しいのでしょうが、脅しや犯罪がつづきつづけています。


ご自身にもふりかかってくるかもしれないので、気をつけてくださいね。


 私は20年以上前、本気で出版不況にあえぐ周囲のイラストレーター仲間のこと、心配していましたよ。


なんとかインターネットにつなげる道はないかと、これから収入にしていく手だてはないかと2001(平成13)年1月「WAKUWAKUカードランド」をたちあげたのです。


Google上位表示になるのも2001(平成13)年1月から9月と早かった~が、収入にするための営業に出遅れているうちに、「その人」に盗まれるのも2003(平成15)年4月と早かった。


そこからは毎日、毎日のようなサイバー攻撃が長かった!


皆のところへ来ないようにさせられ、やっていた仕事も全部消されてしまったのです。


20年以上、嘔吐下痢で苦しみつづけました。


いったい、なんのことか……、なんのことか……、会ったこともない私に「イジメられた~」という幼稚な時代遅れな「ウソ」をつかれ、それに群がる人々の多さにびっくりしてしまいます。


どうか今現代の日進月歩の技術の進歩に気がついてください。


20年以上も前のあの頃から、パソコン内のアイデアは盗まれていたのです。


これは「イジメ」ではなく犯罪なのです。


気がついてくれる人がひとりでもいてくれれば幸いです。


私は「イジメ」てもいなければ、その人に会ったことすらない展示会で、すれちがった程度の何もして来なかったら気づいてすらない人です。


これ、あなたが気がついてくれなければ、永遠に犯罪はつづきつづけるでしょう。


 でも犯罪者の「その人」はなんて可哀相な人でしょう。


犯罪を隠すたびに犯罪を犯して、私なんかを脅さなきゃならないなんて、警察に怯えなきゃならないなんて……。


そして私なんかににふつうの幸せがあるたび、たとえば娘が結婚したとか……、孫が出来たとか、そんなことすら恨みに思ってるのか、写真を壊してくる……、嫉妬してるのか非通知を送ってよこす。


「その人」にふつうに、子供を抱き、ふつうに孫を得るふつうの幸せはないのでしょうか……? 


世に残る絵かきとして、生きてらっしゃるので幸せなのでしょうか……?


 そして頭がいいのか、悪いのか……、分かりませんが、どうしてもいじわるをしないと気がすまない性格なのか、……自分がやったと主張しなければいられないのか……。


最初にアイデアを盗んだのだって、メルマガを送りつけて寄こすし……。


ハードディスクを壊した時だって、しつこく名前つきのメルマガを送りつけてくる……。


自分がやったのだと主張してくる……。


そんなのがなければ知りもしない人だったのに……。


犯罪を疑ってみることもなかったのに……。


いじわるな性格は直らないようです。


 私としては、まったく身に覚えのない赤の他人からパソコンで作ったアイデアを盗まれ、20年以上も、嫌がらせを受けつづけ、仕事をこわされ、人間関係もこわされ、「イジメ」たと名指しされつづけられ、誰もが忘れた頃にも、まだ人の人生に関わり、恨みつづけられるとは……。


ほんとうに恐ろしいできごとです。


 私は「WAKUWAKUカードランド」を始めた頃はイラストレーターを一生続けたいと思っていました。


仲間とも一生つきあい続ける……と、思っていました。


でも「その人」に会った時点ですべて終わらされてしまいました。


人はウソをつきます。


「その人」も盛大に知らない私のウソをつきましたが……。


私も自分と人にウソをついていました。


「その人」に出会った時から、もう全て終わっていたのです。


パソコンの中でCGが壊れる、へたをすると取引先のパソコンまでおかしくする。


メールは抜かれる、電話はかかってこないし、かけられもしない……。


こんなじゃ仕事にはもうならなかったのです。


長いことイラストの仕事はしようと抵抗しました。


仕事先の人たち迷惑をかけてすみませんでした。


「WAKUWAKUカードランド」だって実現しなくてはと、がんばっていました。


警察にも10年以上相談しました。


しかし「その人」が見張ってるかぎり、もう無理だったのです。


イラスト制作しようにも、パソコンという頭脳の中に他人が不正にアクセスされていたのでは、もう集中することは出来ませんでしたね。


夢は壊されて、仲間にすら知らない人にすら、陰口をたたかれるようになってしまいました。


まったく見ず知らぬ人の「ウソ」と「犯罪」に会ったばかりに……。


こんなことになるなんて世の中恐ろしすぎます。


 世界で誇れるコンテンツを作っておりました。


その時代日本でトップクラスの人々もいました。


4、50代の油ののりきった人々のコンテンツです。


その頃のGoogleでは必ず、上位表示でした。


もう少しで、ちゃんとした会社に持って行って、イラストレーターの収入にも発表にもなるはずでした。


私はイラストレーターの事を心底思っていました。


でも人の評価は違いますね。


Google上位表示をとったことなど、どこへやら……。


パソコンからアイデアを盗んだ犯罪者の「その人」の「ウソ」が一番うけました。


いったい私が会ったこともない「その人」にどんな「イジメ」をしたことになっているのでしょうか? 


「ウソ」がバレるのが怖いのか、犯罪がバレるのが怖いのか、私が仲間に会うのが怖いのか「その人」はさまざまなサイバー攻撃を仕掛けてきました。


まだ私がパソコンをいじっていると何かを仕掛けてくるでしょう。


その度、その度、私は精神的にも身体的にも社会的にも壊れていきます。


「イジメ」た「悪者」にしたてた私が壊れるのは痛快きわみないかもしれません。


でもこれはそんな幼稚な「イジメ」ではなくもう「犯罪」なのです。


どうか気がついてください。


その「ウソ」を認めつづけることは犯罪幇助になっています。


私の人生は見ず知らぬの「その人」の幼い「ウソ」と「犯罪」でこわされてしまいました。


私って、バカみたい。


人のことを思って努力してサイトを作り上げてGoogleも認めてくれてたのに……。


すぐにでも仕事にできそうだったのに……。

知らない人からアイデアを盗まれて、脅され続けるなんて……。


そして皆からも蔑まれ続け、仕事も失い続けて、20年以上……。


なんて不運な人生なんだろうって思います。


ーしかし「その人」の人生よりは、ましかもです。


簡単に私なんかのアイデアを見て使ってしまったばかりに、ずっと、私を脅し続け、犯罪をし続け、警察に怯え、私が仲間に近づくたび怯えて、私を脅し続けているなんて……、この世に残る偉大なイラスト

レーターだからいいのでしょうか……? 


 

 技術はどんどん発展しますけれど、こんな悪用ばかりの世の中にならないで欲しいものです。





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