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第八話 幸福の捌き方

 その日は、いつもと違う配達員が来た。

 制服はよくある配送業者のものだが、どこかわざとらしい動きと、胡散臭い笑顔。羽鳥(ハトリ)凛鈴(リズ)はインターホン越しにしばし逡巡し、玄関を開けた。


「羽鳥凛鈴さんですね。お届け物です」


「……心当たりがありませんけど」


「こちらにお名前とご住所が」


 例によって、全く覚えのない来客と荷物に胡乱げな視線を投げつつも、仕方なく受け取る。

 手渡された箱は、白く清潔で、緩衝材に包まれていて、冷凍というラベル以外に一切のロゴや記載もない。

 きっちりと機械的にプリントされた宛名書きには当たり前のように依頼人欄が空白のまま。一体どこの誰からか、その筆跡すらわからない。


「受け取らないという選択肢は?」


「ございません」


 にこやかに短く断言されたその言葉に、凛鈴は眉をひそめた。


「……変なものじゃなければいいけど」


 とはいえこのまま問答しても埒が明かないので。小さくため息をついて受け取りの手続きをし、扉を閉める。

 ドアの向こうで配達員は何も言わず、やがてその気配が遠ざかる。


 取り敢えず無造作にリビングのテーブルに箱を放り投げるように置く。小ぶりな梱包だが、妙にずっしりと重い。

 そのままにしておいても仕方がないので、意を決して箱を開けると、冷たい梱包材の奥にはまるで贈答品のように美しくパッキングされた料理が


『きっとあなたのお口に合うはずです』


 と記されたメッセージカードとともに収まっていた。


 簡素な一文と共に現れた料理は、ひとつは表面を香ばしく焼き上げたフォアグラのポワレ、もうひとつは淡い色合いに仕上げられたフォアグラのムースだった。

 どちらも綺麗にパッキングされていたが、そのビニール越しでもその仕上がりがよく分かる。


「……なにこれ」


 得体のしれない料理におののく凛鈴だったが、やがて戸惑いよりも好奇心の方が勝ち、その料理を食すことを決めた。

 ご丁寧に温め方と盛り付けの簡単な指示までついている。

 凛鈴はしばし沈黙したあと、まずはムースのパックロールに切れ込みを入れ、電子レンジにセットする。

 そちらの解凍が終われば今度はポワレ。


『風味と食感を損なうこと無く、急速冷凍いたしました。出来立ての味をお届けします』


 などと注釈がされているのだ。電子レンジで解凍しても品質は損なわれないとも。ならばその指示通りにするのが筋である。


 幸いにして凛鈴の所有している電子レンジは冷凍品も丁寧に解凍できる、国内メーカーの最上位モデルであるため、問題なく仕上がることだろう。


 温めると、香ばしい香りが立ちのぼる。

 甘く、深く、それでいてどこか機械的に均整の取れた香り。いつものようにテーブルにセットし、少し早めのランチと洒落込んだ。


「……ふうん、随分と手が込んでる」


 フォアグラのポワレは、焦げ目一つない完璧な焼き色。脂の乗りも理想的で、添えられた香草バターが熱でとろけ、脂の中に馴染んでいく。

 その横で、ムースはまるでデザートのように滑らかに整えられ、スプーンを入れるのがもったいないほどの仕上がりだった。


「これは……只者じゃないわね」


 ひと口食べて、凛鈴は思わず目を細める。なめらかな舌触り、口の中でとろける食感。ポワレから立ち上る香ばしい香りに、香草の複雑な香りが寄り添ってくる。

 確かな技術。素材の選定から調理、そして梱包・輸送に至るまで、何もかもが完璧。

 どんな人間がその食材を育て、どんな環境で仕上げたのか──それを想像するだけで、舌の奥が疼くような心地になった。そんな背景の謎までもが、隠し味として彼女の好奇心と食欲を満たしていく。


「……たまには、こういうのも悪くないかもしれないわね」


 食を進めるにつれて、ふと頭によぎるメッセージカードの『“育て方”さえ間違えなければ、誰にでもできる料理です』という文言。


「……育て方、ね」


 フォアグラ、それは育てる段階から徹底的に管理された“命”の塊。

 それをここまで仕上げるには、よほどの手間と“理解”が必要だ。しかも、味や食感からして若い個体のもの。


 一体誰が、こんな真似を?


 いずれにせよ、自分と似たような好事家がいることだけは確かなようだ。

 しかも、凛鈴のように末端だけで楽しむのではなく、飼育から始まるすべての工程に、並々ならぬ情熱を注いだ何者かが。

 そんなまだ見ぬ同類に思いを馳せながら凛鈴はワインを傾け、特上のフォアグラをゆっくりと食むのだった。


 ---


 数日後、いつもの配達員が現れたとき、凛鈴は彼に問いかけた。


「ねぇ、食材の中に……こういう、完成された料理を送ってくるところってある?」


 そう言って、彼女は先日の梱包と宛名書きを見せる。


「……何の話です?」


「あんたのとこの荷じゃないの?」


 配達員は一拍置いて、かぶりを振った。


「申し訳ありませんが、その荷物については存じ上げません。箱も梱包もウチとは違います。何より、自分はそんな調理をする人間を他に知りません」


 少なくとも、眼の前のあなた以外には、と心の中で付け加える。というか、他にもそんな酔狂で悍ましいことをやっている個人、または団体がいるということ自体信じたくなかった。

 彼自身が所属しているのはあくまで単なる運び屋だ。他の組織のことはそこまで詳しくはない。 

 いつもの上得意は過激な荷物も多いが、流石に件のようなぶっ飛んだ荷物の話は聞いたことがなかった。


「似たような組織、他にもあるの?」


 調べれば確かになにかわかるだろう。だが、調べるということは秘密を探ることでもある。


「……さあ。でも、あんまり深入りしない方がいいのでは?」


 なので彼はそう言ってからやや低く呟いた。


「……自分は余計なことに首を突っ込んで、“ディナーの食材”に立候補する趣味はないっス」


 凛鈴は、ふっと笑った。


「あら、残念。ちょっと気になる素材だったのに」


 それが冗談として流されたことに、むしろ少しがっかりしているようにも見えた。

 当人からすれば正に、「冗談ではない」といったところだろうが。


「ねぇ、もし私が“推薦”されたら……どんな香草を合わせる?」


 ふと自分の胸元に手を当てる。

 もし、自分が食材として“推薦”されたなら。

 どんな料理になるのだろう?

 どんな味がするのだろう?


「せっかくなら、どんな料理になるのか見てみたいわ」


 そんな一言も当たり前のように無言で流される。


 だが凛鈴は、もし自分が調理される立場になったとしたら――と、想像してしまう。

 どんな下処理が必要か。

 どんな香草が合うか。

 焼くか、煮込むか、いっそスモークにしてみるか。


 尽きぬ好奇心と想像に、彼女の胸はどこか楽しげに高鳴っていた。尽きぬ想像と好奇心に胸を躍らせる自分がいることに、凛鈴は気づいて笑う。


 その微笑みは、どこまでも穏やかで、そして凍えるように冷たかった。

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