第六十四話 初めての手作りカレー
すっかり間が空いてしまいました…
残暑が夏の残り香を演出する、とある日の夕暮れ。
部屋の主たる羽鳥凛鈴はいつものように調理代の前へと立ち、鍋をかき混ぜた。
鍋の中で、濃い赤の液体がゆっくりと湯気を立てていた。
骨付きのスネ肉を香味野菜とともに焼きつけ、そこに赤ワインを注ぎ入れと、じゅっと音を立てて立ち上る香りが、キッチンの空気が一変した。
湯気の向こうで凛鈴は淡々と木べらを回し、焦げつきを防ぐように丁寧に底を撫でていく。
やがて赤ワインとブイヨンにじっくりと煮込まれたスネ肉がほろりと崩れ、ワインの酸味が丸みを帯び始めると、そこへ裏ごししたレバーを一匙。
深く沈むような香ばしい匂いが広がり、彼女は小さく頷いた。
隣のボウルでは、ひき肉の種が静かに休んでいる。
その肉質は彼女のこだわりが顕著に現れており、細かく挽いたスジ肉が旨みを支え、粗挽きの脂身が肉汁を閉じ込める。
さらにそこへ細かく刻んだ軟骨を加えることで生まれた歯ごたえが、豊かなアクセントを演出していた。
最後に玉ねぎをじっくり炒めて混ぜ合わせることでタネが完成。
冷たい指先でで形を整え、空気を抜くたびに、手の中で肉がわずかに“生き返る”ような感触があった。
フライパンが十分に熱を帯びたところで、バターを落とす。
溶け出して黄金色に泡立つ脂の中に、凛鈴はハンバーグを滑らせるように置く。
じゅう、と力強い音。立ちのぼる肉の香りに思わず唇が緩む。
合わせるデミグラスソースもまた、手間のかかった逸品だ。
細かな肉カスとワインをじっくりと煮詰め、そこへ溶かすように裏ごししたレバーを加え、深いコクを与えている。
木べらを動かすたび、香りが重なり合って空気をより豊かに満たしていった。
「……うん、上出来ね」
満足そうに呟く小さな声は、湯気の向こうで微笑みに溶けて消えた。
真っ白なご飯の上にとろりと広がるカレー、その中央に鎮座する肉厚のハンバーグ。仕上げに添えられたデミグラスソースが渾然一体となった香りが、部屋いっぱいに満ちていく。
そうして完成された一皿は、異t者客人の前にそっと運ばれた。
「……なんかすごい」
思わず立ち上がる華蓮。
その子供のような感性の彼女にはそれ以上の言葉は見つからない。しかし凛鈴にとっては最上級の賛辞とも言える一言を、ただ素直にそう口にして、あとは無言でカレーを掬いひと口頬張る。
熱さにわずかに目を細めながら、彼女は幸せそうに笑った。言葉はなくとも華蓮にとっては満足の行く出来だったことの現れでもある。
「どう?」
「おいしい。ほんとに、すごい」
語彙に乏しい返事に、凛鈴は思わず小さく吹き出す。
自分で作った料理に驚きはない。けれど、目の前で誰かが嬉しそうに食べてくれること。それは何よりの満足だった。
二人はしばらく、言葉少なに食事を続けた。
カレーの香りとハンバーグの肉汁が絡み合い、濃厚な味わいが舌に広がる。食べるたびに、じんわりとした幸福感が胸に満ちていった。
「これが噂にまで聞いた”手作りのカレー”なのね! 初めて食べた……コレが……」
それだけ言うと、目に涙を浮かべながら一気にカレーを掻き込んで行く華蓮。決して行儀の良い食べ方ではないが、凛鈴はいつものようにその食べっぷりに笑みを浮かべつつ、自身の分のカレーを食べ進めていく。
やがて皿が空になり、華蓮は名残惜しそうにスプーンを置いた。
「むぅ、もうなくなっちゃった。この美味しさならもっと食べられるのに……」
「ふふ、そうだろうと思っていっぱい作っておいたわ。おかわりもあるからたくさん食べたらいいわよ」
唇を尖らせその不満を顕にする華蓮に思わず微笑みながら凛鈴は、新たに盛り付けたカレーを華蓮の前に置き、空になった皿を引き上げる。
「さぁ、どうぞ召し上がれ」
そしてそうおどけて言ってみれば、それを合図に再び華蓮は勢いよくスプーンお動かし始めた。
──そんなやり取りを三回ほど繰り返した後、ようやく華蓮の手が止まり、幸せそうな表情でその余韻に浸っていた。
「……また、美味しい料理を作ってね」
そして食事を終えた直後ながらも華蓮は次の料理への期待を口にする。凛鈴は少しだけ微笑み、静かに頷いた。
「えぇ。あなたのための料理を作るから、楽しみにしていてね。でね、次に作るならどんな料理が良いかしら?」
「う〜ん、美味しいの! 料理の種類とか名前とかわからないから、なんでもいいよ!」
凛鈴の問いかけに返すかれんの言葉はどこまでもアバウトだった。食事のリクエストに対して「なんでもいい」は禁句だと世では言われているが、凛鈴は華蓮が適当に言ったわけではなく、自身に全幅の信頼を寄せているのだろうと判断し、その答えに対しては別段腹を立てることもない。
「そうね。それなら今度はお子様ランチなんてどうかしら? きっと楽しめるはずよ?」
「それいいかも! 食べたことなかったから楽しみ!」
そんな凛鈴の提案に満足のいったらしい華蓮は、まだ見ぬ次の料理に思いを馳せた。
そんな楽しい一時もあっという間に過ぎ去り、時間になり席を立つ華蓮を見送り、部屋には凛鈴ひとりが残された。
片付けの手を動かしながら、彼女はふと次に作る料理を思い描く。
お子様ランチならやっぱりハンバーグだろうか。華蓮はどうもハンバーグが好きらしいと考えメニューを組み立てる。子供っぽいなら唐揚げも外せないだろう。きっと喜んでくれる。ご飯に旗を立てたらどんな顔をするのだろうか。
そんな事を考えるその横顔には、静かな満足と、淡い期待が滲んでいた。
「その頃には次のお肉、届いているかしら?」
その柔らかな声は静かな部屋に小さく響くだけだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
これからもなるべく頻度を上げていくよう務めますので、今後ともご贔屓に。




