第六十二話 分け合える喜び
テーブルの上に広げられたミートパイ。
凛鈴は、届けられた白い箱を開け、整然と収められたひとつの大きなパイを見下ろした。
綺麗にラッピングされたその上には、今回もまたカードが添えられている。
得体の知れない相手から届いた、正体不明の料理と、それを彩るメッセージカードを眺める。
”包み隠さぬ美味は、包んでこそ映えるもの”
「……なるほど。パテ・アン・クルート、ね」
付属した別のカードを見れば料理名の表記もあった。その名を声に出した瞬間、その名が放つ重みを凛鈴は理解した。
複数の肉の部位を用いることで、味の幅を広げ、調和を生み出すミートパティを、更にパイ生地に閉じ込めることによって旨味を余すこと無く楽しむことができる逸品だ。
使う肉もミンチの粗さを変えたり、軟骨や臓物を使うことで、より豊かな風位を演出することもできるが、その反面、配合のバランスを欠けば一気に台無しとなってしまうリスクも有る。
加熱に際しても、温度管理を厳密にゆっくり時間をかけて火を通し、そうしてできたパテを更にパイ生地に包んで焼き上げる。
中のパテに火が通り過ぎてはいけないし、かと言って生地が焼けないのは論外だ。
こうして数多の手間をかけて出来上がるのが、このミートパイというわけである。
そしてこの料理の味をを余すこと無く食するためにに必要な手順が、ご丁寧に複数行に渡って細かく書き連ねられている。
“解凍後すぐに切り分けること”
“オーブンで再加熱する場合の温度と時間”
“決して電子レンジにはかけないこと”
──まるで論文のような注意書きだ。
最後に大きく記された一文が、凛鈴の目を引いた。
”美味しくお召し上がりいただくために”
それは案内文であると同時に、”こちらの指定した方法以外で味わうことは許さない”という暗黙の圧力でもある。
「……なんというか、ほんと徹底しているわよね、これ」
味覚においてさえ絶対的なルールを設けるその徹底ぶりに、凛鈴は思わず肩をすくめて苦笑した。
「ふふ……ほんと、手間も誇りも惜しまないわけね。いいじゃない。しっかり見極めさせてもらうわよ?」
早速その味を堪能してやろうと意気込む凛鈴は、直ぐにガスオーブンを操作し、予熱を始めた。
パイ自体がそれなりに大きいため、加熱するのもひと手間だ。だが、そんな受け取り手の事情など知ったことではないと言わんばかりの意思表示は、見様によっては傲慢とも取れる。
本当の味を楽しんでもらうためか、それとも失敗を許さない完璧さのためか。
それは作り手とこれから食す凛鈴のみが知ることとなる。
オーブンの予熱が終わり、凛鈴は用意していた鉄板に慎重に“パテ・アン・クルート”を載せた。
あとはじっくり解凍と加熱を待つだけ――そう気持ちを切り替えた矢先。
「やっほ〜、リズリズ〜っ!」
そこにもう一人、その料理の真意を確かめることになる人物が現れる。
いつものように呼び鈴もノックもなく、勢いよく扉が開かれれ、まるで風が吹き込んできたかのように元気いっぱいの声とともに華蓮が現れると、凛鈴は思わず吹き出してしまった。
「ふふふ……ほんと、あの胡散臭い配達人とは正反対ね。それにちょうどいところに来たわ」
部屋に入った華蓮は、これから火を入れるために用意されたミートパイに早速目が行き、初めて見るその料理に視線を釘づけにされ、テーブルの上に整然と置かれた大きなパイに、瞳をきらきら輝かせながら身を乗り出す。
「なにこれ? お菓子?」
「これは――パテ・アン・クルート。要するにミートパイよ。中にはお肉がぎっしり」
軽く説明する凛鈴の声に、華蓮の表情はさらに弾んだ。そんな様子を微笑ましげに眺めながら、凛鈴はパイの上に乗った鉄板をオーブンの中に入れ扉を閉める。
「お肉! しかもパイ! 絶対おいしいやつじゃん!」
すると、まるで子どもが誕生日ケーキを前にしているかのような食い入る眼差しで、オーブン前へと張り付くとその中を覗き込む華蓮。
「ふふ、しばらくしたら本当にそうなるわよ。今はじっくりと待ちましょうね」
そう言って凛鈴は、温度計を確かめつつ慎重に焼き上がりのタイミングを見極めにかかった。
「さて、期待しているわよ? どこかの誰かさん」
じりじりと時間が流れ、オーブンの中からはパイ生地が香ばしく焼ける匂いが立ちのぼる。
バターと肉汁が溶け合った濃厚な芳香が、ゆっくりと部屋の隅々にまで広がっていく。
「……っ! すごい匂い……!」
胸いっぱいに吸い込んだ華蓮の顔は、期待に耐えきれず崩れ落ちそうなほど。
その隣で凛鈴は静かに笑みを浮かべながら、じっと焼き色を見守り続けるのだった。
チリチリと小さな音を立てていたオーブンの中で、パイ生地がじゅわりと膨らみ、黄金色の艶を纏っていく。
表面の模様もくっきりと浮かび上がり、香りはますます濃厚さを増した。
「──そろそろね」
凛鈴は手袋を嵌め、静かな所作でオーブンを開ける。
瞬間、濃密な熱気と芳香が一気に解き放たれ、部屋の空気を押し返すように広がった。
「わぁっ……!」
華蓮は思わず一歩下がり、それからすぐに前のめりに身を乗り出す。
その瞳は完全にパイの虜だった。
鉄板ごと取り出し、テーブルに置かれたパイは──まるで宝石箱のような輝きを放っていた。
凛鈴は一息つき、真剣な表情でナイフを手に取る。
「いい? これは切り口が命よ。焦っちゃだめ」
「は、はいっ!」
いつになく神妙な顔で返事をする華蓮。
刃がサク、と軽やかに生地を割る。
続けて押し込むと、層をなすパイ生地の下から、しっとりとした肉の断面が姿を現した。
ピンク色に艶めく肉と、ゼリー状のアスピックが宝石のように煌めき、断面図はまるで芸術品そのもの。
「……見事ね。ここまで徹底された仕事は、なかなか見られないわ」
凛鈴の声には珍しく畏敬すら混じっていた。
「な、なにこれ……お肉なのに綺麗すぎる……!」
華蓮は食い入るように見つめ、今にもかぶりつきそうな勢いで身を乗り出す。
小皿に切り分け、香ばしい生地と芳醇な肉の一切れを差し出す凛鈴。
「さ、召し上がれ。──きっと忘れられない味になるわよ」
華蓮はごくりと喉を鳴らし、両手でフォークを構える。
そしてひと口──
「……っ! おいしぃ~~~~っ! なんかいつものと雰囲気違うけど、これも美味しい! ……もしかしてリズリズの料理じゃない?」
言葉にならない感嘆とともに、体を反らし、床をバンバン叩きながら全力で喜びを表現する華蓮。
しかしその味の違いに気づいたのか、ほんの少ししんみりとした表情を見せる。
そのテンションの忙しさに、凛鈴はくすりと笑みを浮かべる。
「ふふ……やっぱり分かるものなのね、嬉しいわ」
そして自身もその料理をじっくりと味わっていく。
特徴ある歯ごたえは臓物かそれとも軟骨か。脂の多い部位は細かく、淡白なものは大きめにミンチにされ、時折漂う濃厚な風味はレバー、いやフォアグラを贅沢に使っている。
それらが密閉された生地の中で爆発とも言える見事な調和を生み出していた。
「僅かな苦みが、まるで宝石の中に隠された棘みたいだわ。本当、流石ね」
静と動、二人のコントラストの中で、部屋には幸せな食卓の風景が広がっていった。
「……これほどのものを一体どういう人間が作っているのか……興味をそそられるわね、ホント」
以前の贈り物では”素材の厳選”と”育成のこだわり”がほのめかされていた。
「一度じっくり語らってみたいわね。この料理の主と……」
凛鈴は静かにワイングラスを傾けながらつぶやくのだった。




