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第六十話 箱庭見守る保護者会


 町の喧騒から一本外れた路地に、昭和の名残を残す古びた喫茶店がひっそりと灯りをともしている。橘はそこで“客人”を待っていた。

 店内には豆を挽いた香りが濃く漂い、まるで空間を切り取ったように外の雑多な空気を遮断していた。


 橘はすでにその奥の席に腰を下ろし、湯気の立つカップを前にしている。

 苦味の強い深煎り。砂糖もミルクもなし。

 

 こればかりは、どんな高級酒よりも価値がある ──そんな風に思える一杯だった。


 戦場のような血生臭い世界に戻れば、この香りも味もすぐにかき消される。だからこそ、この刹那だけは静けさを享受する。


 扉が再び開く音に、橘はゆっくりと視線を上げ、姿を現した来訪者を見やる。


「少し遅れたか?」


 現れたのは、同じ組織で現場の人間をまとめている”仲介人”と呼ばれる男だった。

 彼は扉を押し、店内へと歩みを進める。


 橘はカップをテーブルに置き、静かに首を横に振った。


「いや、気にすることはない。……俺の方こそ、呼び出して悪かったな」


「ふん、らしくもないな。いつもなら現場の埃っぽい事務所で済ませる話だろう」


「たまには場所を変えてもいいだろう。……それに、ここなら耳も少ない」


 仲介人は苦笑を漏らし、向かいの椅子に腰を下ろす。テーブルの上の黒い液体に一瞥をくれるが、自ら注文する気配はない。


「で、用件は何だ? 俺をこんな小洒落た店に呼び出してまで話したいこととなると、やはり例の小娘どもの話か?」


 橘は小さく息を吐き、視線を窓の外に流した。

 喫茶店の柔らかな音楽が、二人の間に一瞬の沈黙を繋ぐ。


「……あいつらのことだ。少し話をしておきたくてな」


「やっぱりな」


 橘が言葉を落とすと、仲介人はわずかに肩を揺らし、鼻で笑った。そしてその目がわずかに鋭く細められる。

 橘の選んだ舞台は穏やかだが、交わされる言葉の刃はいつもと変わらない。


「あの小娘共のことだが、あんたも随分と面倒を抱え込んだもんだな」


 小娘共。つまり橘が組織の仕事に関与させながらも、あくまで身内として扱っている二人。

 凛鈴(リズ)華蓮(カレン)のことだった。

 二人とも橘が引き取った時はろくな状態じゃなかった。だが、こんな後ろ暗い仕事をしていれば、あの二人様なやるせない状態の子どもなどいくらでも目にする。

 気まぐれでそんな子どもを引き取ってどうするのか。

 言外にそう告げるように仲介人は言葉を紡ぐ。


「面倒でも、あいつらは俺の管轄だ。外野に口を挟まれる筋合いはない」


 だが、橘にとってはどこまでいっても二人は身内だ。今更放り出すという選択肢はない。


「外野ねぇ。だが俺としては、リスクを放っておく趣味はないんでな」


 仲介人は声を潜め、背もたれに体を預けた。


 彼が言うように、実際ここ最近の華蓮の行動には気になることが増えてきた。今までは他人に興味など抱いたことはないし、仕事に関しても意欲的に動いたことなど無い。

 あくまで報酬のご褒美があって初めて仕事を受け、その内容にはまるで無関心。

 その対象にどんな背景があるとか、どれだけ命乞いしようとかも関係なく手を掛けてきた。


 そしてそれは今も変わりはないのだろう。依頼を持ち込めば素直に受けるし、きっちり仕上げてくる。


「特に華蓮。あの羽鳥凛鈴とかいう女に会ってからずっとだ。あれは危うい。命令通りに動いているうちはまだいい。だが“もっと殺したい”なんて言い出したらどうするつもりだ?」


 今までの無関心がウソのように執着し、会いに行こうとあれこれ画策してたことを男は思い出す。


 そんな仲介人の言葉に、橘は無言のままカップを傾け、冷めかけた珈琲を口に含む。苦味が舌に残り、それが答えを濁す時間稼ぎのように感じられた。


「……まだ勝手に動いたわけじゃない」


「そうなったらもう遅いんだよ」


 だが、その煮えきらない橘の態度に仲介人の声が硬くなる。


「余計な動機を持つようになったら、扱いきれなくなる。ここらで消えてくれた方が、組織にとっちゃ負担も減る。組織の仕事はあくまで金のための殺しであって、ガキどもの食い扶持じゃない。……正直、俺からすればリスクが増えるだけだ」


「悪いがそれは無しだ」


 橘は低く言い切った。


「あの娘らは俺の庇護下にある。余計な手出しはするな」


 仲介人は口端を歪め、煙たげにため息を吐く。

 窓の外には街の穏やかな日常。だがテーブルの下では、二人の利害が静かにぶつかり合っていた。


 本来であれば、畑違いの部署に出張って接触することすら避けられる。それを身内扱いとして規則を曲げるのも仲介人は気に入らないし、既に管理の手を離れようとしている華蓮という子飼いにも脅威を感じている。


「……なぁ、橘さん。今のところ、この件に触れているのは俺だけだが、いずれは組織全体にも問題として広まりかねん。そろそろ家族ごっこも切り上げて、人員整理を考えるべきなんじゃないか?」


 一層低い声で呟くように話す。何なら処分の手配位はするぞ? と小さく付け加えて。


「何度も言わせるな。あの娘らは俺の管轄だ」

 

 だが、そんなことは許さない、とばかりに殺気混じりに返事を返す橘。

 

「ふん、まあいいだろうさ。確かにあんたのいうように問題は起きていない。まだ、な。だが、もし何かあれば橘さん、あんたがケジメを付ける、ということでいいのか?」

 

「当たり前だ。あの二人は俺の家族のようなものだ。俺はそれを信じている」

 

「……ずいぶんと距離の空いた家族もあったもんだな」

 

 食人鬼と殺し屋。そんな二人を家族と言い張れるのは橘の懐の深さか、それとも現実の見えていない甘さか。

 

「……どうせ仕事が降りてきたらこっちはいつものように手配するだけだ。必要なら華蓮に仕事を振るし、配送先にあの女の場所も指定してやる。それが俺の仕事だ」

 

 そこで言葉を区切ると、仲介人は席を立ち、


「……だがな、もし“情”で仕事を狂わせるようなことがあれば、その時は……」


 それだけ言い残して店をあとにした。

 

「……覚悟、か。決めたはずだったんだがな……」

 

 再び一人となった店内で独りごちる橘。

 恩人の孫の壮絶なトラウマ、それをまとめて抱え込んで、組織の歯車にしてまで望みを叶えた。

 他に生きるすべがない幼い殺し屋だった少女、生きる場所を与えるために殺しの仕事を続けさせた。

 

 そのまま外の世界に戻したら絶対に幸せにはなれなかったであろう二人だが、今の現状は果たして望ましい状況なのだろうかと橘は自問する。

 

 先日、もっと肉が欲しいと電話口で無邪気に笑った声が、耳の奥にまだ残っている。その声を思い出すたび、胸の奥で冷たいものが広がった。

 彼女が食べる肉を調達するということは、それは誰かを消すことだ。本人がそれを知らないはずはないのに……

 

 店主に新たなコーヒーを頼み、それを口にする。

 二杯目はやけに苦々しい味わいだった。

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