第五十八話 約束と未来への仕込み
すっかり日が昇った昼下がりの時間帯。ここ最近の│凛鈴の部屋は来訪者が絶えず、常に客が訪れる。
「そんなわけでね〜、ちょっとすぐには獲物回してもらええないみたいなんだ〜。ごめんね?」
そしてこの日、凛鈴のものとに現れた華蓮は、軽い口調ではあるが申し訳なさそうにそう伝えてきた。
凛鈴の冷蔵庫を早く一杯にしてあげたい、そしてもっと美味しい料理を作ってもらいたい。
その一心で仕事を増やしてもらえないかと、彼女の上役に頼んでは見たものの、結果は見事に撃沈。
供給元の都合を考えれば、何でもかんでも仕留めて狩ればいいというわけには行かず、だからといって本来の獲物以外を手に掛けるのは論外だった。
結果として凛鈴のための肉を沢山獲ってくるという小さな望みは早くも頓挫した。
「そう。仕方ないわね」
そんな彼女にとって残念な報せではあるが、凛鈴はそこに落胆することなく、なんでもないように返す。
彼女もまた、供給を増やしてくれと彼女の後見人に連絡を取ったのだが、長い溜息となんとも疲れ切った反応の声で「……駄目だ」と短く断られている。
無いなら無いで仕方が無いと諦め、現状で満足するように心がけることにしたのだった。
「しばらくは有り物で済ませることになるとは思うけど、貴女が満足できるような料理を作るつもりではいるから安心して」
そう言って、華蓮の前に出来立ての料理を差し出す凛鈴。
有りもの、ということ切り落としからのミンチで作ったハンバーグと、新たに仕込み直したベーコン、そしてやはり切り落としのこま切れ肉をたれ焼きした肉など。それらとレタスやオニオン、トマトを挟んだ特製バーガーが本日の料理だ。
もちろん、ポテトとナゲット風に揚げた肉もあるし、ドリンクも凛鈴オリジナルのクラフトコーラが添られた。
「あ、ハンバーガー! わたしコレ好きなんだ〜」
「あら、そうだったの? それはちょうどよかったわね」
そしてそのメニューは無事に華蓮に喜ばれた。凛鈴としては少ない材料で遣り繰りしたつもりだったので嬉しい誤算だ。
「いっただっきま〜す! ん〜、コレいいね! すっごく美味しい!」
言うやいなや一気にかじりつき、その味を堪能する華蓮。
何がどうなって美味しいのか、どんな味付けなのかなど、彼女にはわかりはしない。ただ美味しいと感じられるか否かが華蓮にとっては全てだ。
だが、凛鈴も別に細かな評論を求めてはいない。純粋に自分の技術が評価される言葉が聞けたらそれで満足なのだ。
──かつて誰かにそうしていたような、かすかな記憶。
靄のかかった様な思考を余所に、ただただ華蓮が笑顔で食事を頬張る姿を見て、凛鈴もまた実を深めていく。
「ふふ、慌てなくても大丈夫よ。今は貴女だけの料理なのだから」
「えへへ〜、もっとゆっくり食べたいんだけど、もっと食べたいって感じ止まらなくって」
大振りなバーガーをあっという間に平らげる勢いだが、それは既に予測できていたので、凛鈴は次の品を用意する。
今度はテリヤキソースをまぶして目玉焼きをトッピング。俗に言うテリたまバーガーだ。
バンズは断面を軽く焼き、しっとり感と歯ごたえを両立させ、細部に至るまで抜かりはない。
フライドチキン風に仕上げた肉も添えられてプレートはより一層豪華さを増す。
「ふふ、ランチはまだ始まったばかり。しっかり食べてね」
「えへへ〜、ありがと〜」
大振りなバーガーが追加され、正に至福の時と言わんばかりに満面の笑みを浮かべる華蓮と、その様子を微笑ましげに眺める凛鈴。
2人の小さな食宴はもう暫く続く。
−−−
「ふう、さてと。折角なのでこれもそろそろ仕込みましょうか」
食事も終わり、自身は紅茶を、華蓮にはクラフトコーラを用意して一息ついた頃、凛鈴は何かを決意するようにそう言った。
「ん〜? まだなにか作るの?」
「ええ、とっておきの仕込みをこれからしようと思ったの」
そして席を立つと向かったのはおなじみのキッチンに置かれた巨大な冷蔵庫。
中から取り出したのは若干細身ながらも、殆どそのままの形を保った枝肉だった。
「この前のパーティーで粗方保存肉は空いちゃったでしょ? いくつかは新しく仕込み直してほぼ揃ったんだけど、これは時間もかかるからつい後回しにしちゃってね。よかった一緒に作っていかない?」
「おもしろそ〜! いいよ! 手伝う!」
どすん、と迫力のある音を立てて肉を調理代に置くと、華蓮も二つ返事で引き受ける。
こうして二人の初めての共同での調理が始まった。
「まず、この料理はとても繊細なの。あそこで手を洗って綺麗にしたあと、この手袋をつけてちょうだい」
「は〜い!」
そうして促されたのはオゾン精製器に繋にった水道だ。
所謂オゾン水での滅菌手洗いである。
もちろん、石鹸での手洗いも忘れない。
「ほら、ちゃっと洗わないと。爪の間もしっかりね」
普段は細かいことは言わない凛鈴も、調理となれば話は別だ。
雑になりがちな華蓮に厳しく指導が飛ぶ。
「おっけ〜! これでいい?」
「ええ、上出来ね。では調理を始めます」
最後に自身は調理用の手袋を付けると、華蓮の手にアルコール製剤を吹きかけ、同じく枝肉を包んでいる真空パックにも吹きかけ、ある程度揮発したところで徐ろにパックを開く。
中から現れたのは立派な骨付き肉だ。大きさもかなりのものだが、そこに包丁を入れ、まずは余分な脂肪や表皮を引き剥がす。
そして深々とナイフを突き立てると、その切れ目から骨を外し、筋を圧迫して血管から僅かに残った血を絞り出し、形を整えていく。
端切れはまた別の料理を作る材料にしよう。
そんな事を考えながらも作業は続き、ある程度形が整った所で次の作業となる。
「さあ、次の作業よ。この塩を肉の表面にしっかりすこんで」
「わかった〜」
次に取り出したのは大量の塩だ。それを大きめのバットに敷き詰めたあと、そこに整えた肉を置くと、2人で肉の表面に擦り付けるようにして揉み込んでいく。
こうすることによって塩分が肉の内部まで浸透し、腐りにくく、そして熟成が進むようになるのだ。
やがて塩山のような状態になったそれを、今度はラップで巻き上げ密閉する。
「ふぅ、これで下拵えは完成ね。後はじっくり熟成させてから、次の工程だわ」
「やった〜! なんか既に美味しそうなんだけど、これいいつ食べられるかな?」
そうしてこの日の作業は終了となった。どんな肉料理が出来上がるのかと楽しみな華蓮は早くもその完成が待ち遠しいようで、その出来上がりを聞いてきた。
「そうね。まぁまぁな重量もあるし、まずは5日ほどこのままおいておくことになるわ。その後は塩抜きに2、3日と乾燥に3、4ヶ月くらい? そのあとの熟成は……」
「ええ〜? そんなに掛かるの〜? もっと早く食べようよ〜」
だが、その長すぎる熟成期間を聞いて先程までの表情とは打って変わり、絶望の様相を浮かべて抗議する
「駄目よ。これは美味しくいただくための儀式なんだもの。その代わり、貴女には1番に食べさせてあげる。約束よ」
仕込まれていたのは生ハム。それも本格的なものだ。
自前の熟成庫と乾燥庫を駆使してじっくりとっ仕上げていくつもりだ。
「だから、完成を待ちながら、またここへいらっしゃい。貴女のための料理を用意して待っているわ」
「う〜、すぐ食べられないのは残念だけど、我慢する。絶対だよ?」
「ええ、この肉に誓って」
生ハムの熟成とともに交わされたのは、また一緒に過ごしたい、食事をしたい。2人の小さな約束だった。




