第五十四話 約束された充足
いつものように空は晴れ渡り、薄いカーテン越しに差し込む柔らかな日差しで目を覚ました凛鈴は、ベッドから身体を起こすと、身支度を整える。
昨晩の宴は楽しかった。
思い出して思わず笑みを浮かべつつ、朝餉の支度のためにキッチへと向かう。
自身の食べる肉のために誂えた大きな冷蔵庫の扉を開き、調理する肉を吟味する……のがいつものルーティーンなのだが。
「……お肉、無くなった……」
先日のパーティーで大盤振る舞いした結果、作り置きは出し尽くし、未調理のブロックがいくつか残るのみになってしまった。
あまりの惨状に思わず悲しそうに呟く凛鈴。
しかし直ぐに次の肉を求め、足元の床下収納を開いてみると、こちらもすっかり様変わりしていた。
二本あった生ハムの原木の内、一つは既に食べきり、もう一つも大分小さな肉片へと成り果てていた。
「ハムもない……」
そして再び訪れたその物悲しさに思わずへたり込む。
「……コレは由々しき事態だわ……直ぐになんとかしないと」
悲しみに暮れながらそう呟きつつも生ハムを手にふらりと立ち上がり、調理台へと向かった。
生ハムというものは本来は塩分がとても強く、スライスする厚みを間違えると味が濃すぎて肉の旨味も何もあったものではなくなってしまうのだ。
そのため、均一の厚さに切り分けるにはそれなりの習熟した技術が必要だ。さもなければ業務用のスライサーを用意するしか無い。
まずは残ったハム表面を磨いて汚れを落とし、軽くトリミングする。次にスライス用のナイフを軽く温め、徐ろにスライス面を薄く削ぐようにナイフを滑らせる。
残り僅かな原木から切り出された鮮やかな赤が、食卓に彩りを与えていく。
必要量が切り出されたところで、切り口にオリーブオイルを塗布し保護膜を作って再び密閉。
ここで食べきってしまってもいいのだが、今から仕込んだとして出来上がるのは最短でも2週間以上、さらなる熟成を求めたら何ヶ月もあとになる。
せめて中継ぎがほしいとため息を付きつつ、切り出した生ハムを綺麗に整えて皿に並べ、室温になじませていく。
その間にバゲットを切り出し、トースターで焼いていく。
シンプルな朝食の出来上がりだった。
「少し物足りない……けど仕方ない……」
焼色のついたバゲットのスライスにオリーブオイルと生ハムを載せて齧りつつも、そのボリュームに不満があるようでボヤキが止まらない。
「残ったブロックをどう調理しましょうかしら。取り敢えず生ハムはまた仕込むとして、いくつかは食べやすく切り分けないと駄目ね。保存用のお肉もすっかり無くなっちゃったし。ソーセージ、ベーコン、パンチェッタ、サラミ……ハーブの追加は必要かしら? また会えるといいわね」
今は無き保存肉に思いを馳せつつ、必要な香辛料を頭に思い浮かべ、調理の手順と段取りを構築していく。
時間はあるのだからまたゆっくり揃えていけばいい。今早急に必要なのは昼食と夕食に向けた下拵えだ。
「さて、何を食べようかしらね。と入ってもあんまり凝った部位はないから簡単に、それでいて美味しいやつを……」
凛鈴にとっては簡単=手抜きではない。あくまで手元の食材が手間を掛けなくても美味しく調理することはできるというだけであって、さらなる美味や変化球を求めるのであれば、いくらでも労力をかけることができる、という意味である。
「そうね。脂の多い部位がまだあったことだし、角煮なんてどうかしら?」
そして思いついたのは、調理自体の手順は少なくても時間のかかる料理だった。
「まずは直近の問題。お昼は……簡単にステーキにしましょう」
そしてここでも簡単に、と凛鈴は言うが、絶妙な焼き加減と、それを維持する鉄板の準備、ソースの作成など奥の深い料理出であり、言うほど簡単な料理ではない。
作るものが決まったので、早速エプロンを締めて調理場へと向かう。
冷蔵庫から真空パックされた大きめなブロックを取り出すと、それを均一な厚さになるように、切り出していく。
そうして最初に切り出した厚切り肉を一度バットに置き、残りは鍋に入るように調整しつつも大きめのブロックになるように切り分けていく。
厚切り肉の方は塩と胡椒、ローズマリーとタイムを素早く振るって、味をなじませた後に素早くフライパンで焼き上げる。
風味と旨味を閉じ込めるように一気に焼き目をつけ、ひっくり返したら程よく火が通るようにじっくりと焼いていく。
角煮の方は、表面をフライパンで炙って焼き目をつけ、あらかじめ加熱しといたたっぷりの湯に酒を加えてゆっくりと沈める。
そのまま15分ほど茹でた後は粗熱を取ってこのまま数時間は放置。
他にも並行して肉を切り分けたりミンサーで挽いたり、調味料をまぶしたりと下拵えを続けていく。
そうこうするうちにステーキも焼き上がり、あっという間に昼食の時間となった。
加熱していた鉄板に乱切りした玉ねぎを置き、その上にステーキを鎮座させ、横には朝に食したものと同じバゲットをセット。
エプロンを解いて席につき、出来上がったばかりのステーキに手を合わせてから、カトラリーを手に取る。
滑るように肉に入るナイフは、自身の技術を証明するかのごとく絶妙な焼き加減で仕上げられており、一口食せば脂の旨味が広がり凛鈴を歓喜の渦に巻き込んでいく。
「ふふ、やはりコレね。こうでなくては」
満足の行く出来に思わず言葉があふれる。だがその後は一言も喋ること無く、ひたすらに肉を切っては口に運び、飲み込んでは切り分けるというルーティーンに入り込む。
「ふう。まだ足りないけど、まずはこんなところね」
程なくして肉を平らげたあと、満足そうにそう言うと席を立ち、再びエプロンを着けて調理台へと向かった。
「やっぱりまだ寂しいわね。次のお肉はいつだったかしら。これから沢山楽しめるって思ったらワクワクしちゃう」
冷蔵庫の在庫は少ないまま、だけど手を掛ける肉たちはまだまだ残っている。
「ふふ、またいっぱいにしてちょうだいね?」
そして小さな約束に期待を込めて。




