第五十一話 愛と喜びの肉料理
すっかりと日が沈み、薄暗い部屋が更に暗くなっても、その部屋の主はひたすらに肉を捌き、縛り、漬け込み、密閉しと調理を続けている。
いずれも手の込んだ、ただ焼くだけ煮るだけとはならない、時間をかけて仕上げるものばかりだった。
以前であれば手の込んだ料理は全て自分のためであった。
しかし、なぜだろうか。ここ最近の凛鈴はどうにも自身の料理を誰かに食べて欲しいと願うことが増えたように感じている。
自分の料理を食べみたい。そんなシンプルな理由で肉を仕留めてきた華蓮の食に対する欲求にも興味が湧いたし、普通であれば迷惑でしか無い様なタイミングでの訪問で凛鈴の肉料理を求めてくるというのに、何故かそれを疎ましいと思うこともなく、むしろその時の最高のもてなしが出来るように張り切ってしまう。
そんなのは今までにない関係性だった。
なにが凛鈴をそこまで惹きつけるのか、彼女自身もよくはわからない。
美味しい料理と聞いて、それを求めてくるのは隣家の一家も同じで、凛鈴が料理を振る舞えば美味しい美味しいと喜んではくれる。
そこの違いは何なのだろうか。その悩みを解きほぐす糸口になれば、とありったけの肉を下ごしらえし続けて今に至る。
新たにベーコンを作るならもう少し時間が欲しいところだが、今からでも充分美味しいものが出来上がるだろう。
本格的なバーベキューならこのスパイスの過程を疎かには出来ない。
折角なので壺漬けカルビなんてものにも挑戦してみた。すこし成熟した個体だったようなので、じっくりと漬け込み、旨味を高めて肉を柔らかくしてあげたい
パンチェッタ、間に合うと良いな。駄目だったらそのままポルケッタにしよう。
そんな事を考えながら作業をしていると、例によって玄関ドアを開けようとする音が響く。
既に日も暮れているが、こんな時間に呼び鈴も鳴らさずに来訪する人物など、凛鈴にとっては一人しか心当たりがない。
流石にカギは掛けてあるので、玄関まで行き解錠すると、勢いよく開け放たれたドアの向こうには、予想した通りの人物である神谷華蓮だった。
「こんちゃ〜! また来ちゃった! 今日はお土産あるよ〜」
以前会ったときとは異なり、デザインこそ派手だがモノクロでシックな装いに、片手には血濡れた何かの入ったビニール袋を無造作に掴んでいる。
「あら、準備がいいのね。穫れたてかしら? よく持ってこれたわね」
いくら華蓮の事を好ましく思っている凛鈴でも、訪問の仕方と雑な土産は思うところがあるのか、思わず苦笑いを浮かべつつ、彼女を歓迎する。
「えへへ〜、ちょっと無理言っちゃった! でも最後は「勝手にしろ」って言ってくれたよ〜」
「……それはあんまりしないほうがいいってことね。気持ちは嬉しいけど、程々に。さて、なにをもってきたのかしら」
「えへへ〜、これなんだけど、どうかな?」
流石の凛鈴も、あまりに勝手がすぎると大変なことになるのではと危惧すると、華蓮もそれがわかったのか若干バツの悪そうな顔をするが、持ち込んだ肉に興味が移ったと見るや、すかさず血塗れの肉を凛鈴に差し出した。
「これは……ちょっと難しいわね。でも、なんとかしてみるわ。」
その中にあったのは無造作に切り取られたクロッド。血抜きも皮剥もされていない丸のまんまだった。しかも取り立てて若い個体、というわけでもない。
さすがの有り様に、少し凛鈴の顔も険しくなる
「ちょっといいかしら。」
「え〜? 何〜?」
「美味しいお肉を食べたいならね、それなりの下処理と解体が必要なの。次はきちんとプロに任せなさい」
状態の悪さに思わず一気にまくしたてる凛鈴。
「そ、そ〜なんだ〜、ちょっとゴメン。美味しいお肉って奥が深いんだね〜。で、それ美味しくなりそう?」
凛鈴の圧に若干引きつつも、あまり悪びれることはない華蓮。雑な仕事は申し訳ないと少しは思いながらも、やはり仕留めた獲物の味の方が気になるようだった。
「……いいでしょう。美味しく仕上げてみせます」
言いたいことはまだまだあれど、取り敢えず、は目の前の肉が更に悪くなるようなことだけは避けたいと、凛鈴は直ぐに作業に取り掛かった。
取り敢えず、血濡れたままになっていた断面はもうだめだろうと判断し、ごっそりトリミング。
骨ごと輪切りにして、塩水につける。
次に先端側のモミジを切り落として、血が抜けるようにシンクの上に吊るしていく。
一方のクロッドは表面に切り込みを入れてそこから包丁で皮を剥いで行く。パリパリに焼き上げるのもいいが、今回は食さない方向でいく。
そうして骨からも肉を切り分け、大きく分けた部分はそのままに、こそぎ落としたミンチ状の部分は、先程切り落として塩洗いした断面部分と併せて丸ごとひき肉にする。
そうして切り分けた肉は、大きな者はそのままスパイスを振ってフライパンへ、ミンチは量は少ないがミニハンバーグとして横に添えてまとめて焼き上げる。
殆ど熟成せず、鮮度重視の調理で凛鈴にとってはあまり満足の行く出来ではないとは思う。
それでも、色々と言いたいことはあるが、美味しい料理を求めて訪ねてくれた華蓮には精一杯報いたいという気持ちが溢れているため、できることを精一杯やるだけだった。
尚、待ち時間は手持ち無沙汰になるだろうからと、華蓮には過去に仕上げたベーコンとパンチェッタを与えて大人しくさせてる。
そうして焼き上がった肉たち。添え物もなく、ソースもシンプル。スパイスと肉の純粋な味のみで勝負した一品が華蓮の前に運ばれた。
「またせたわね。どうぞ、召し上がれ」
「待ってました〜! いただきま〜っす」
そしてカトラリーを並べると、食前酒を手に取ること無く、逆手に持ったフォークで肉を突き刺し、切り分けること無く思いっきりかじりつく。
少し硬い筋があったのか、そこでようやくナイフの存在を思い出し、噛み切れなかった筋を切り始める。
「慌てなくても無くなったりしないわ。ゆっくり味わって大丈夫よ」
急がないと無くなる、華蓮からそんな鬼気迫ったような雰囲気を感じ取り、落ち着くように促す凛鈴。
少なくとも、この肉は華蓮のもので、誰もそれを取ったりはしないと優しく諭す。
「これはあなたのお肉なの。だからゆっくりと、その味を堪能しましょう」
そして華蓮の背後に立つと、彼女の持つ逆手のフォークに手を添えてゆっくりと正しい持ち方に直し、もう片方の手のナイフも同じ様に手を添え肉を切り分ける。
「そう、ゆっくりと」
「えっと……こう?」
戸惑いながらも凛鈴に身を任せ、凛鈴のテンポに合わせて口元に運ばれた肉を頬張る。
「あなたが仕留めたお肉、味だけでなく見た目や食感、匂いなんかも……全てを味わうの。それが肉に対する礼、だと私は思っているわ」
「ん、よくわからないけど……うん、試してみる」
少しずつ進む奇妙な2人の食事。多少ぎこちないながらも、それを咎められるでもなく、凛鈴に促されるようにゆっくりとその肉を味わう華蓮。
昔からの習慣で普段の食事はどうしても必死になりがちだが、凛鈴の言葉を聞いて凛鈴の促すように摂る食事はどこか彼女を落ち着かせていた。
そんな食事の終わりがある程度見え始めたところで、彼女の背後から凛鈴は離れる。
途端になんとなく物足りない感覚をおぼえたが、その正体は彼女にもわからなかった。
そしてそのまま華蓮の対面へと移動した凛鈴はそこに腰掛け、彼女にこう切り出す。
「明日、ちょっとしたパーティーを開こうかと思ってるの。お隣さんも呼んだんだけど、よかったらあなたも参加してみない?」
と、突然の誘い。
「え? パーティー? どんなの? お肉ある?」
パーティーなど殆ど参加したことはない華蓮だが、それが楽しいことであるというのは理解している。
戸惑い顔が笑顔に変わり、その内容がどんなもであるかに興味が移った。
「ええ、もちろん。たくさん用意するわ。若い個体から成熟した個体、前に仕込んだ加工肉に、新しく仕込んだ分の仕上げ。いっぱいあるわよ」
「もちろん行く! おいしいご飯は正義!」
そうして二つ返事で約束を取り付けた。
この日はそこで食事会はお開きとなり、宴は翌日へと引き継がれる。
「……やっぱり、確かめたい。その答えを──」
そう凛鈴は心の中で呟いた。
華蓮と、隣家の彼ら。
同じ肉を前にしたとき、彼らはどう振る舞うのか。
その答えが、明日の宴にある――




