第四十九話
穏やかに晴れたある日、今日も今日とてキッチンで料理に興じる羽鳥凛鈴。
厚みのあるスライスに塩胡椒を振りかけ、下味をつけて一気に焼き上げた、いつもよりは薄めのステーキ。
薄く切り落としにした肉にアクセントに玉ねぎを加えて甘辛く炒めた焼き肉カルビ風炒め。
オーブンでじっくりローストした肉を切り落としたもの。
そして今回の料理の定番とも言える、表面をカリカリに焼き上げた厚切りのベーコン。
作り置きのリエットの瓶も横に並べられている。
珍しい加工としてはニューコンミートを手作りしたことだろうか。
ワインをベースに塩とにんにくにローリエ、クローブなどのスパイスを加えた漬け込み液にブロック肉をじっくり浸し、数日寝かせた後に塩抜きしてキャセロールで蒸し上げれば完成。
スライスするなりほぐし身にするなりすれば常備肉の出来上がりである。
そして今日のランチのために、この手間のかかった料理たちを惜しげもなく解放していくのだった。
そしてそんな調理中の彼女の傍らには──
「……そこまで没頭するのも珍しいっスね。また何か心境の変化で?」
一人、大量の段ボールを開梱させられて、黙々と検品する羽目になった配達員の藤嶋晃がいた。
不定期にどこからとも無く送られてくる、謎の肉。
鮮度を誇るように、真空パックのその中で赤く煌めくそれは、傍から見れば食欲をそそることは間違いないだろう。
しかし、その出処を知っている藤嶋にとっては、忌まわしい呪物でしか無い。
じっくりと眺めたくもなければ、手袋越しでも触りたくないほどの──。
「今いいところなのよ。もう少し待ってくれるかしら?」
そして普段であれば一も二もなく飛びつくはずの凛鈴が、新しい肉そっちのけでずっと肉を調理しているのだ。
前回のいつもにも増した気怠げな雰囲気はどこへやら。今回に至っては鼻歌すら聞こえてきそうな凛鈴の上機嫌ぶりに、藤嶋はただただ不気味がるばかりだった。
そして、この見るのも嫌な肉の山もなんとかして欲しい、というところである。
そんな藤嶋をよそに、凛鈴はひたすらに調理を続けるだけだった。
先ほど言葉にしたように、作業はクライマックスを迎えたようで、それぞれの肉たちをあらかじめ用意しておいたパンに挟む作業に移っている。
焼き立てのステーキサンド、分厚いベーコンサンド、レタスでは無くチシャ菜で挟まれた焼き肉カルビサンド、ローストミートサンドにジャムのようにリエットを延ばした肉ジャムサンド、そしてニューコンサンドと色とりどり……では無いが多種多様のサンドイッチが並べられていく。
「あ、ソーセージも残っていたからホットドッグも作りましょうか」
そう言って冷蔵庫から新たな食材を物色し始める凛鈴。
「あ〜、そっスか……じゃあ、隙間に適当に詰めておきますね……」
まだまだ自分の世界から返ってこなさそうな家主に変わり、このままでは作業が終わらないので、凛鈴の開いた冷蔵庫にそのまま肉を詰め込んでいく。
自身が持ち込んだ量以上に、唸るように詰め込まれた冒涜的な肉の数々に辟易しながらも作業は続いた。
「あら? これはまた可愛らしいのがあるわね?」
そんな作業が一段落したのかようやくこの日に届けられた肉に意識が行った凛鈴は、たまたま目についた一つのパックを手に取りそんな事を言う。
表示にはクロッド(ウデ)と書かれた真空パウチ。その小ぶりな見た目が気になったようで、その鮮度や繊維の走りをまじまじと見つめ、ときどき肉の弾力を確かめるように揉んで見る。
「あら、いつにも増して若い肉ね。一体何があってここに紛れ込んだのかしら」
基本て気に凛鈴のもとに届けられる肉の殆どはそれほど若くはない。
若い肉というのはそもそもが希少だし、何か”よほどの事情”がなければ凛鈴の口に入ることもない。
たまに来れば当たり、程度のものだがそれが少しだけ気になったようだ。
もっとも以前口いった不思議な入荷がある時に配達人である藤嶋に聞いてみたが「細かい裏事情は知らない」という答えしか出てこなかったので、疑問に思うのは野暮だろう。
「きっと何かのごほうびね」
とカジュアルに受け止めることにした。
「それじゃ、、自分はこの辺で」
そんなこんなで検品と開梱、そして収納の殆どを終わらせた藤嶋はいつものように部屋を辞する。
「ええ、いつもありがとう。あ、このあとピクニックにでも行こうかと思うの。たまには一緒に……」
「仕事ですので」
そんな誘いをかけては見るが、いつものように食い気味に断られるのだった。
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外出用のドレスを着込み、帽子も忘れずにかぶると、大げさなピクニックバスケットを抱えて部屋を出る。
目的地はさほど遠くない近所の運動公園だ。芝生と、噴水を兼ねた水の流れるモニュメントがランドマークの小洒落た広場が売りだったと彼女は記憶している。
まだまだ暑さは続くが、きっと清々しい気分で食事ができるだろうと信じて歩みを進める。
そしてたどり着いた公園は、大きく広がる空と広々とした芝生のコントラストの美しい場所だった。
広場では親子連れが遊んでいたりくつろいでいたり、モニュメントの水場で遊んでいる子供たちもいて中々に活気に溢れていた。
ピクニックシートを敷いて食事をしている一団などもいるのを見て、自分も早速自慢の料理にありつこうと、歩を早める。
公園内を歩きつつ、食事に適した場所はないかとあたりを見渡してみると、端の木陰の方にベンチとテーブルが有るのが目に入った。
特に先客もいないようなのでそのままそこを食卓にしようと足早に駆け寄る凛鈴。
持ち込んだピクニックバスケットを広げると、中からまずはランチョンマットを取り出し、皿とカップ、そしてカトラリーを並べていく。
次に顔をだしたのは、自信作のサンドイッチたち。ナイフで切り分けて三角形にし、皿の上にセットしていく。
最後にティーポットとお湯の入ったボトルと茶葉を用意して紅茶を淹れればピクニックベースの完成だ。
ティーポットにカバーを被せて茶葉を蒸らしている間に早速サンドイッチの一つにかぶりつく。
少し薄いとは言え、手ずから焼いた特性肉のステーキは充分な存在感を示し、その肉汁と旨味をパンに染み込ませる。
正に主役、王者の威容を示していた。
次に齧ったのは焼き肉付の味付け。スパイシーで甘辛い風味は食欲を更に増幅し、玉ねぎの甘さが肉の旨味を引き立て口へと広がる。その強すぎる風味をチシャ菜が和らげ、それらをパンが受け止めることで新たな調和を生みだした。
次に手を出したのはローストミートサンド。肉を使ったサンドイッチとなれば定番中の定番だろう。じっくりと時間をかけて火の通された肉はしっとり柔らかく、その旨味をしっかりと閉じ込められており、ソースと絡んで肉の味をより高めている。
リエットのサンドイッチは見た目はシンプルだ。白いパンに薄茶色のペーストが地味な見た目を演出するが、実際に食べてみると複雑な旨味と塩味が広がり、滑らかな舌触りが心をも満たす。
ここで蒸らしの終わった紅茶で一息をつけることにしたようで、用意したティーカップに注いでいく。
アッサムの香りに頬をほころばせつつ、周囲を見渡すと、相変わらず子供たちと声や水の流れ、木々の葉がこすれる音などが心地よく響いていく。
頬を撫でる風を感じつつ、普段の静まり返った部屋とは違う、賑やかで穏やかな空気に、彼女の胸も自然と弛んでいった。
「……やっぱり、お外で食べるのもいいわね」
次のサンドイッチを手に取り、まるで宝石を眺めるかのように目を細め、徐ろにニューコンミートサンドを一口齧る。程よく溶けた脂と塩味ががパンに染みて、噛むごとに溢れる濃厚な旨味。思わず吐息のような声が漏れた。
しばし目を閉じて味わい、幸福をかみしめる姿は、ただの食に感動する若い女性そのものだ。
その時──
「あの、お姉ちゃん……それ、美味しそうだね」
いつの間にか近寄ってきた、小さな男の子がベンチの横で立ち止まっていた。
凛鈴は一瞬驚き、けれどすぐに柔らかく微笑む。
「ふふ、そう? じゃあ、ひとつあげましょうか」
と、バスケットからまだ手を付けていないチシャ菜で包んだ焼き肉サンドを取り出す。野菜がのぞき、外見はごく普通のものに見える。
差し出されたそれを、子どもはぱっと笑顔になって受け取った。
「ありがとう! お母さんと一緒に食べる!」
駆け出していく小さな背を、凛鈴は手を振って見送る。
その目元には、どこか母性めいた温もりすら宿っていた。
……けれど、彼女の皿の上には、まだ肉汁を滴らせる別のサンドが並んでいる。
頬を紅潮させながら、その一つに手を伸ばした時、ふと誰かに覗き見られているような錯覚が背を撫でた。
「ふふ……今日も、良い日だわ」
肉を口に運びながら、彼女は静かに微笑んだ。




