第四十八話 満たされた肉、満たされぬ何か
ある晴れた午後の昼下がり。保管された生ハムの手入れをしつつ、一部をスライス。
サラミを添えて更に並べ、バーブを加えて加熱したオリーブオイルを回しかける。
パチパチと爆ぜる音を立てて加工肉に風味を加えれば、生ハムのカルパッチョが出来上がった。
その横には脂の少ない赤身肉にしっとりと潤いに溢れた分厚いベーコンを重ねたステーキの皿。
スジ肉と臓物をベースにトマト系のソースで絡めたキャセロール。
炒めたひき肉と刻んだベーコンやパンチェッタを山のように載せたサラダ。
豚汁風の味噌汁に生姜焼き……
様々な肉料理が所狭しと並べられる食卓の上、その光景を物憂げな表情で眺めるのは、この光景を現在進行系で広げている羽鳥凛鈴。
ひとしきり眺めたところでキッチンタイマーがなり、オーブンからまた一つ料理を取り出す。
ダッチオーブンでじっくりと焼かれ、スパイスの香り漂うタンドリーチキン風の肉料理がここに追加された。
肉さえあればいい、美味しく食べられれば充分。
そう思っていたはずなのに、どこか満たされない気持ちが彼女を戸惑わせる。
それでも何か色々作っていれば食指も動くだろうと見込んではいたけれど、それもどうやら見込み違いで、どれも美味しそうな料理なのに何かが物足りない。
「さて、なぜかしらね。こんなのは初めてだわ」
とは言え出来上がってしまった以上は、これらの料理は必ず食さなければならない。ただ無為に消費するのは肉に対する冒涜だ。
カルパッチョの生ハムとサラミをまとめて一摘みしそのまま口に放り込み、飲み込む前にチーズも一欠片。
強烈な塩味が脳に突き抜け、そこにワインを流し込むことでそのハーモニーを楽しむ。
たしかに美味、たしかに風味豊か。
しかし──
「……だめね。どうにも気が乗らない」
満足には程遠い。
ステーキにナイフを入れベーコンごと頬張り、キャセロールの豊かな歯ごたえを感じ、野菜よりも肉が多いサラダを味わい、タンドリーのスパイスを香りと味とで堪能。
「……やっぱりだめね。」
それでもやはりモチベーションが上がらない。
そのまま彼女は進まない食事に途方に暮れるのだった。
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「……というわけで、あなた一緒に食べない?」
「……仕事中ですので」
どうにも気が乗らないまま、その翌日。不定期に現れた配達人の藤嶋晃にそんな申し出をしてみるも、無惨に素気なく断られ、沈んだ気持ちが更に重くなる。
「……あの、寂しいのならこの前の……あ、名前知らなかったわ。まぁ、あの女? に連絡でもしたらどうです?」
「名前は知ってる。でも連絡先は知らない……」
配達人の言う先日のあの女──如月華蓮は、それは見事な食べっぷりを披露し、凛鈴もその光景には大いに機を良くしていた。
しかし、嵐のように現れた彼女は去り際も嵐のごとく慌ただしいものとなり、結局お互いの連絡先など交換することもなく、そのままお開きとなったのだ。
「はぁ……それならいっそ、お隣さんの家でパーティーでもしたらどうです?」
普段ならこんな妙な相談などしてこないような相手から相談を持ちかけられ、しかもその内容は”一緒に食事をしてほしい”と来て、半ば投げやりに応える藤嶋。
というか、
(どうかその悍ましい食事に俺を巻き込まないでくれ!)
という心の叫びが全てだったが。
なので、肉の出どころを考えたらあまり褒められたことでもないが、粗裾分けがてらに食べてくれそうな人間に食べさせてしまえ、と凛鈴の隣人に水を向けた。
「あら、それはいいアイディアね。どうして思いつかなかったのかしら」
食べずに捨てたり腐らせたりは凛鈴のポリシーに反している。そしていまは一人での食事がなにか物足りない。
なら、他の人間と食卓を囲えば全て解決である。
「悩みが解決しそうでよかったっすね。それじゃ、自分はこれで」
そして体よく凛鈴との食事会という、彼にとっての地獄を回避できた藤嶋はそそくさと部屋を後にしたのだった。
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「えぇ〜! こんなにもらっていいんですか?!」
そして日の沈まぬうちに早速、数々の料理が持ち込まれたの隣家である野崎家だった。
主婦の野崎沙那は以前から何かと凛鈴に肉のお裾分けのおねだりをしたり、調理が終わるタイミングを見計らって料理を分けてもらったりという節約術を披露していたが、ここに来てとんでもない量の料理を持ち込まれそのテンションは一気に最高潮になる。
「えぇ、料理をしていたらつい熱が入りすぎてしまって」
「わかるわかる、熱中してるとついやっちゃうよね!」
そして賛同はするが、沙那は別に熱中しすぎて何かをやりすぎた、という経験は特にない。
だが、そう言っておけば相手も悪い気はしない、という沙那流の処世術である。
そして運び込まれた料理の数々。一応手を付けてしまったステーキは切り分けて小皿にし、サラダとカルパッチョは追い肉してボリューム増加、生姜焼きも追加で焼き上げるなど、家族世帯への配慮も忘れない。
「う〜ん、でも今はパパも梨那もいないし、また後でいただこうかし……」
どうやら沙那以外の家人は留守らしく、豪勢の食事を一人で食べるのも量が多い。なので家族が揃う夕食に回そうか、などと考えたところで、
「いえ! よかったら私と食べませんか? 実はお昼まだなんですよ」
珍しく食い気味に凛鈴がそう提案する。というよりも、元々はそれが目的であるため、ここで料理だけ置いて自室に帰るのは本末転倒である。
「……え? そうなの? ん〜……それなら……まぁ、いっか。うん、それじゃ一緒に食べましょう!」
そんな急な申し出に沙那は一瞬たじろぎ、ここで2人で食べると野崎家の取り分が減る、しかし無下に断って気を悪くされれば折角の料理が没収になり、次のお裾分けもなくなるかもしれない。
そんな損得勘定が脳内で繰り広げられた後、今後の投資と割り切って凛鈴の提案を受け入れることにしたのだった。
いつもと違う、隣家の食卓に所狭しと並べられた料理たち。
「ん〜! 凄い! ただの肉入りサラダかと思ったけど、お肉の味がしっかり付いてるからサラダなのに、すっごい箸が進むわ〜!」
まずはサラダに手を付けその味を絶賛する沙那。それぞれの肉に違った味付けがされているため、とても豊かなハーモニーを演出しており、それが沙那にとってはとても新鮮だったようだ。そのため初手から絶賛である。
「このスープも美味しい! アレでしょ? なにか内臓系ってヤツ? 柔らかいけど歯ごたえが面白い!」
スジ肉と臓物キャセロール。トマト仕立てで濃厚な味付けの中に、旨味がしっかり溶け込み、煮込まれた素材が各々の歯ごたえを主張する。
「ステーキもすごくいい! お肉自体はさっぱりなんだけど、ベーコンの脂が絡んだら、また味が変わるのね!」
淡白な赤身肉のシンプルな旨味に、ベーコンの脂を重ねることでより濃厚な味を演出するステーキ。焼き加減も当然のごとく絶妙で、柔らかくすんなり飲み込める。
料理の一皿ごとに感想を述べ、その出来にしっかりと喜びを感じている沙那を見て、凛鈴もまた笑みが深くなる。
自身の大好きな肉。確立された調理の技術。美味であることに間違いはないのに、なぜか満たされない感情。
その答えがようやく見つかったのか、始終笑顔のまま凛鈴もまた食事を続ける。




