第三十一話 真夏の夜の花火 −ベーコンエクスプロージョン−
暑さが和らぐこともなく、夏真っ盛りとなりますます強くなる日差しを受けながら、配達員の彼は今日もこのアパートを訪れる。
バリアフリーなど概念も存在しない頃に建てられた建築物、そこかしこの小さな段差を超えるたびに金属製のカートに積まれた梱包箱が、玄関前で静かに揺れる。
「お届け物です」
呼び鈴を押せば即座に扉を開いて現れるのはこの部屋の主、羽鳥凛鈴。
配達される荷物を今か今かと待ち構えていたのだろう。
満面の笑みでそれを受け取った彼女は、いつも通りの表情で礼を言うと、箱を抱えて室内へと戻る。
配達員はその後ろ姿を追うように荷物の仕分けのために部屋へと進む。そしてキッチンにて繰り広げられていた光景に戦慄した。
ソーセージ、ハム、ベーコン。
そして、ひときわ目を引く、濡れたように赤いブラッドソーセージ。
艶やかな断面が、不気味なまでに光を反射していた。
調理台の上には整然と並べられた加工肉の山。そのすべてが美しく仕上がり。それを見た彼は不覚にもそれらを「美味しそう」などと感じてしまい、即座に頭を振ってその邪念を追い払う。
――やめときゃよかった。見なきゃよかった。
なまじその加工肉の在りし日の姿を知っているだけに、余計に嫌な想像が掻き立てられてしまう。
そんな配達員の心境などどこ吹く風、凛鈴はいつものように段ボールを開墾し、中身を検めていく。
整然と並んだ真空パックの肉塊。
刻印もブランドもない、まるで「名前を持たない食材」たち。
それも、ただの肉ではなかった。よりにもよって人間のそれによく似た構造――。
肋骨のような骨。手足の関節に見える軟骨。血が滲むように赤黒い脂身。
それらの肉を愛おしそうに愛でる彼女の姿に、何度目かの戦慄が走る。
「……何か、祭りでもあるんですか?」
何かの準備のように積み上げられた加工肉を指して、冗談めかしてそう問うと凛鈴は淡々と返した。
「ええ、ちょっとした記念日みたいなものです。命の、ね」
そのセリフは微妙に笑えなかった。
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荷物の仕分けも終わり配達員の帰ったあと。
凛鈴の台所には外の熱気にも負けない熱がある。
微かに立ちのぼる燻製の香り、刻まれたスパイス、そして何より、分厚く脂の乗った肉塊たち。
彼女は静かにエプロンを結び直し、作業台に並ぶ材料を眺めた。
ベーコン、ひき肉、スパイス、ソース。
それらが意味もなくそこにあるのではないことを、彼女の目が物語っていた。
――今日は、「爆発」させる。
その言葉にこめられた真意を知る者はいない。
けれど凛鈴の脳裏には、完成形のイメージが鮮やかに浮かんでいた。
ミートエクスプロージョン。
それはアメリカが生んだ、豪胆すぎる肉料理。
ベーコンで編んだ格子の中に、スモークしたソーセージと味付け肉を巻き込んでロールし、丸ごと焼き上げる。
肉の、肉による、肉のための料理。
だが、凛鈴のそれは少し違う。
彼女は一切の妥協をしない。
選ぶ肉はもちろん“いつもの”。
配達された肉に更に手を加え、重たく、艶やかで、まるでまだ命を宿しているかのような……そう、まさに“命”の一部だ。
ベーコンも、ただの豚肉ではない。
自らの手で燻し、乾かし、整形した特別製。
脂の入り方、塩の加減、すべてが“再現不能な唯一性”に満ちている。
厚切りで塩気と脂の強いもの。燻製香が濃厚に染み込み、手の温度だけで脂がとろりと溶け出すような、良質な品だ。
調理台の上にクッキングシートを敷くと、その上に薄く切り分けたベーコンを一本ずつ並べていく。
縦に五枚、横に五枚。広げ、一本ずつ交互に持ち上げながら、丁寧に織り込み重ねていく。
冷たい鉄板の上に描かれる、ベーコンの“編み込み”。肉の格子状の防壁。香りと脂の布地。それは一種の織物であり、儀式であり、構築物だった。
――だが、ここまでは準備運動にすぎない。
次に、ソーセージミート。粗挽きの豚肉にスパイスとハーブを混ぜたもの。
今日は少しだけ赤みが濃い。何を混ぜたか、問う者はいない。
ベーコンの編み込みの上に、ソーセージミートを平らに敷き詰める。
厚さは均一に、指の第一関節よりやや厚く。押し固めると、脂がじんわりと浮いて、肉の香りが鼻腔をつく。
粗挽き肉には特製スパイスとソースを練り込む。
甘さと辛さ、酸味と燻香。
それらが渦巻く香りが、キッチンを満たす。
時折、凛鈴は目を閉じる。
鼻腔をくすぐる匂いの中に、“記憶”を探るかのように。
焦げる脂の香り。かすかに混ざる鉄の匂い。
それらが、誰かの声や体温を思い出させる。
そこへ、もうひとつのベーコン。
カリカリに焼いたチップ状のものを、ソーセージミートとひき肉の上へまぶす。
ベーコン・オン・ベーコン。脂と煙と肉の三重奏。
更に、特製のバーベキューソース。
粘度の高い甘辛い液体が、焼いたベーコンとミートの上をゆっくりと滑る。
スパイスの粒とともに、静かに広がる濃厚な甘みと、ほのかに酸味を帯びた香り。
「……では、巻きましょうか」
ベーコンのマットの端を掴み、手前からくるくると巻いていく。
中のミートが押し出されないよう、強すぎず、弱すぎず。
彼女の手つきは慎重で、だが迷いがない。
やがて、見事な一本の“肉の塊”が完成する。
ずっしりとした質量。端まで均一に詰まった肉の圧。
ロールされた肉は、完璧な筒状に成形され、格子のベーコンに包まれる。
編み込んだベーコンの網目は、もはや料理ではなく紋章のようだった。均一な厚み、完璧な縦横比。指の腹で撫でるたび、彼女の顔がわずかに緩む。圧倒的な“肉の塊”がそこに姿を現した。
「……この厚み、この脂肪の層。これができるのはある意味才能ね。やっぱりこのお肉は見込んだ通りだったわ」
そして彼女はそれを抱えるように持ち上げ、鉄板ごとそっとオーブンへ。
予熱された内部温度は135℃。低温でじっくりと、余すところなく脂を落とし、肉を焼き締めていく。 温度、湿度、時間――すべてが精緻に調整される。
凛鈴にとって、それは「爆発」の準備に等しい。
燻された脂が徐々に汗をかき始めると、甘く、重たい香りが空間を支配していく。
オーブンの奥で、肉が膨れ、脂が染み出し、皮が焼けていく。
パチパチという音と共に、圧力が高まり、香りが爆ぜる。
その様はまるで、命の断末魔か、あるいは新たな誕生か。
焼き上がったロールを取り出し、彼女はひと息ついた。
その姿は、どこか神事を終えた巫女のようだった。
刃を入れる。
崩れない。
切り分けた断面は、まるで輪切りにした時間のようだった。螺旋の肉の渦、脂の層が幾重にも交差し、その中心に血の赤が残っている。
ひとくち。
肉が爆ぜ、脂が舌を焼き、スパイスが脳を貫く。
甘い。辛い。重い。
あまりに濃厚な、圧倒的な生命の味。
一口ごとに、濃縮された肉の味が爆ぜる。旨味が跳ねる。そして脳に届く快感。
「……爆発してる。肉の花火、といったとことかしら」
凛鈴の笑みは、どこか幼かった。けれど、その目に宿る光は、生半可な飢えではなかった。
ひとつ、またひとつ、熱の残る塊を口に運ぶ。
黙々と、丁寧に、そして確実に。
気がつけば、皿の上には何も残っていなかった。
空っぽになった皿を前に、キッチンタイマーの針が静かに一秒を刻む音だけが響く。
凛鈴は、両手を膝に置き、真っ直ぐ前を見据えたまま、呟いた。
「……次は、何を“包もう”かしら」
誰にも聞かせるでもない、自己肯定の言葉。
誰にも食べさせない。誰も知らなくていい。
これは、凛鈴が“自分のために”作った料理。
命を喰らう喜び。
ひとりで抱える祝福。
爆発は終わった。
炎も煙も消えた今、残ったのは、重たく満たされた彼女の鼓動だけだった。
だがその余韻は、静かに、凛鈴の胸の中で燻り続けている。




