第三十話 泡の向こうに見えるもの
事の始まりは何気ない、ほんの些細な一言からだった。
昼の支度を始めようと庭に出た羽鳥凛鈴、そんなときいつものように顔を出したのは隣人の主婦、野崎沙那。
他愛のない世間話からおねだりの布石から、そんな話をしている中でこんな会話が挟まれた
「お肉っていえばさ、最近クラフトコーラって流行ってるんだって。何でも肉料理にすごく合うらしいわ。スパイス入れて自分で作るらしいの。身体にもいいんだってさー」
沙那の軽い声に、凛鈴の指がぴたりと止まった。
「クラフト……コーラ?」
「うん。なんかカルダモンとかクローブとか、そういうの煮詰めて炭酸水で割るんだって。オシャレでしょ?」
その瞬間、凛鈴の目が静かに光を帯びた。手持のスパイスの在庫が脳裏に光る。カルダモンとクローブは在庫がある、シナモン……も僅かだがあったはず。ジンジャーはパウダーか生か、どちらが良いのだろう。ミントやレモングラスも残っている。他にも何が必要なのか……?
「……炭酸水は?」
「あっ、そうそう、それ。まぁ、市販品でもいいし、フレーバーウォーター使うのもありじゃない? あ、拘る人は炭酸サーバーも使ってるみたいね」
それを聞いて、即座にそのクラフトコーラなる物を試してみたくなった凛鈴。
「そう、いいアイディアをありがとう。少し試したいことが出来たので、今日はこれで」
「え?」
沙那が目を丸くするのを余所に、凛鈴はそう言ってこの日はさっさと部屋へと引き上げたのだった。
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そして明くる日。
待ちに待った炭酸水サーバーが家に到着した。
早速試しに炭酸水を作り、味わってみる。
「なかなかの強炭酸。いいわ」
説明書によれば、水だけでなく様々な飲料に炭酸を添加できるとのことなので、食事と共に口にしている酒類にも幅が広がりそうだ。
また、調理にも炭酸水を用いるものがある。早くも後のまだ見ぬ料理に凛鈴の心は弾む。
とりあえず、目下の目標はクラフトコーラの作成からだ。
まずは調べた通りのスパイス・ハーブを並べ、その香りを吟味する。
オーソドックスにカルダモン、クローブ、シナモンをベースに、パクチー、スターアニス、ペパーミント、レモングラスにジンジャー、その他色々。ありったけのスパイスを揃えていく。
そうして各々嗅ぎ分けながら、凛鈴は淡々とスパイスを量り始めていた。また、肉料理に合う、という触れ込みだったので併せて肉の下ごしらえをしながら、同時進行で香辛料を次々と煮出し、キッチンは一瞬で異国の屋台のような香りに満たされる。
「……これ、混ぜてから炭酸にするべきか。否、炭酸を潰す可能性がある。ならば抽出温度を下げて……肉を活かすために必要なのは……」
スパイスを濾しながら、彼女は手際よくマリネ液を調合する。そして冷蔵庫の奥から、解体された肉の一部を取り出すと、まずは炭酸水にその肉塊を漬け込んだ。
「炭酸によって繊維がほぐれる。加熱前に旨味を閉じ込められる。……これは、可能性だ」
コーラと肉を行き来する凛鈴の実験は、朝から夜まで延々と続いた。肉に炭酸を含ませ、加熱し、焦げの香りとスパイスの香気を調和させる試み。炭酸強度を変え、甘味と苦味のバランスを測る。
途中、砂糖を加えすぎて鍋が吹きこぼれたり、唐突にレモンを丸ごと投げ入れたりと、カオスな展開が続く。
最終的に凛鈴が辿り着いたのは、柔らかな甘さとわずかに刺激のあるスパイス香が溶け合った、少し癖のあるクラフトコーラだった。
リコリスやスターアニスなどのクセが出る物はかなり控えめに効かせ、肉に合わせるのでジンジャーとナツメグを少々。ミントとバニラの香りで複雑な風味を整え、レモングラスをごく僅かに、レモンの果汁で酸味と清涼感もプラス。
その結果徹底した”全部のせ”のようなモノが出来上がる。
その横にはスパイス入りの炭酸マリネで筋を柔らかくし、ほんのり味付けしたカットステーキと、同じく炭酸漬けした肉を包丁で叩いて粗く挽いたパティのハンバーガー。バンズは焼きたて。中の肉はじゅわりと噛むごとに広がる旨味。フレッシュなレタスとトマト。
「……完成した」
そうして出来上がった料理を何も考えずかぶりつく。
「……合理の極致」
その日、彼女の食欲だけが静かに燃え続けていた。肉と炭酸。異なるベクトルで交差し、やがて何事もなかったかのように、ゆっくりと暮れていった。
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翌日。昼過ぎの遅い時間、インターホンの音に応じてドアを開けた沙那の目に飛び込んできたのは、例によって凛鈴が手にした大きなバスケット。
今回のクラフトコーラづくりは新たな知見のきっかけとなった。
其の最大の功労者にどうしても報いたくなった輪鈴の少しばかりの心配りである。
「あら、羽鳥さん、こんな時間に珍しいわね。もしかしてアレ、作ったの?」
「ええ、この通り。でもドリンクだけだと物足りないと思って料理も用意したのよ」
凛鈴が差し出したのは、丁寧に並べられたハンバーガーのセットプレート。自家製の分厚いバンズに、肉汁たっぷりのパティと香ばしいベーコン、特製のピクルスとソースがきっちり収まっている。脇にはカリッと揚げたポテト、そして……見慣れない瓶に詰められた、黒褐色の液体。
”肉に合うドリンク”、その言葉がなければ決して完成しなかった一つの世界がそこにあった。
玄関口では何なので、そのまま野崎家のダイニングまで料理を運び、セッティングを整えると、その前に沙那を座らせる。
そしてクラフトコーラの原液に自宅で生成してきた強炭酸水を足すことで完成された香り立つ炭酸飲料がグラスに注がれていた。
「これが、クラフト……コーラ?」
「ええ、ハンバーガーに合わせて。少しスパイスが強いかもしれないけれど」
促されるまま、沙那はコーラに口をつけた。
「ん……すごい、けど、独特な味ね……。なんというか、漢方みたいというか……うーん?」
「ふふ、そこでこのバーガーをか齧ってみるといいわ」
眉をひそめながらも、試しにバーガーにかぶりつく。
ジュワ、と肉の旨みが口いっぱいに広がり、スモーキーな香りとスパイシーなソースが追いかけてくる。
そのまま、再びコーラを一口。
「――あ、あれ? あっつ、すごく合う! さっきと全然ちがう!」
沙那の声が弾む。味の調和が舌の上で一つにまとまり、思わず目を見開いた。
「ね? 単体だと強すぎるけれど、脂と合わせると甘みが際立つの」
「すごい……ほんとに、すごい……!」
そういうやいなや、二口三口と食が進み、合間のポテトをつまみながらも、あっという間に平らげてしまった沙那は、満足そうに手を合わせて深くため息をついた。
「ふふ、いつも美味しそうに食べるのね」
凛鈴の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「だって、美味しいんだもん。こんなの、何度でも食べたいくらい!」
食後の余韻を楽しみながら、沙那はコーラの瓶を見つめて首をかしげる。
「料理だけじゃなくて、こういうのも作れるのね。……もしかして、スイーツとかも作れたりするの?」
そう聞かれて思い出すのは、いつかのミートケーキ。
「スイーツ……お肉の入ったものなら」
「もう、冗談ばっかり♪」
沙那は軽く笑いながら肩をすくめる。だが、凛鈴はその言葉を訂正しなかった。
”特製のケーキ”を差し出した時、沙那はどんなリアクションをするだろうか。
そう思うとまた一つ、楽しみが増えた気がした。
最近クラフトコーラづくりにハマりまして。
このレシピはスターアニス(八角)を入れてますが、八角入りはクセが強くて駄目でした……
クローブとカルダモンとシナモン、これだけでコーラっぽい香りになるのが不思議です




