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第二十八話 わんこケバブの狂宴

 ある日の午後、玄関チャイムが鳴る。

 玄関先に届いたのは、小ぶりながら重みのある段ボール箱。いつもとは違う、”普通の”宅配便。印刷された伝票には大手通販サイトの名前と今回購入した商品、「回転式グリル」の文字が躍っていた。


「ふふ、やっと届いたのね……」


 凛鈴(リズ)はその場で受け取った箱を開封し、中から銀色に光る新たな調理器具を取り出す。コンパクトな筐体ながら、しっかりとしたスピット(串)と受け皿が組み込まれている。

 新しいおもちゃを買ってもらった子どものように、早速キッチンに持ち込んでセットアップしながら、自然と頬が緩んだ。


「この子で、今夜はケバブよ」


 ワクワクを抑えられず、そう呟く。


 ---


 荷物の到着を見越して、肉の仕込みは前夜から始まっていた。


 バラ、モモ、ロース。

 それぞれのスライス肉に異なるスパイスを振り、ヨーグルトでマリネする。クミン、パプリカ、オールスパイス、そしてにんにくと塩。香りの層を何重にも折り重ねていく。


「これは“焼く”んじゃなくて、“育てる”のよ……」


 そうして仕込まれ、漬け込みを終えた肉をここで取り出し、順に重ねて串へと通す。大きな肉の山がそびえ立ち、この時点ですでに完成された料理のようにも見えるが――ケバブはここからが本番だ。


 肉塊をグリルにセットしスイッチを入れると、低いモーター音とともにゆっくりと回り始める。

 串打ちの間に予熱されていたグリルによって肉山が静かに、そして確実に焼かれていく。

 まるで祭壇の灯火のように、淡く燃える赤外線ヒーター。

 その前で、整然と幾重にも重ねられた肉の塔が、静かに、崇高に、円を描く。


「うふ……うふふ……やっぱり美しいわ……この曲線、この熱、この脂の香り……!」


 凛鈴はテーブルに肘をつき、頬杖をついた姿勢でじっと肉の回転を見つめていた。

 もはや“焼く”というより“祈る”に近い時間。肉を崇める女のその目には、獣じみた光すら宿っていた。


 ---


 しばらくすれば香ばしい煙が立ち昇り、脂が下のトレイにじゅうじゅうと滴る。

 香辛料とヨーグルトに漬け込んだ肉のスライスたちが、次第に焼き色を帯びていく。

 滴る脂が、焼き皿に当たってパチパチッと小さな音を立てた。

 凛鈴はナイフを構えると、絶好のタイミングを今か今かと待ち焦がれ、そしてその時が来たのがわかると、徐ろに香り高く焼けた表面をそっと削ぎ落とした。


 ざくっ。


 香ばしく焼けた表層をナイフでそぎ落とす瞬間、凛鈴の顔がわずかに上気する。


「うん……今日のは、表面の焦げが甘く香ばしく仕上がってる……これは、恋の味……じゃなくて……欲の味ね」


 皿に落ちた肉片を一枚、指で摘まんで口元へ。

 ざくっ、むにっ、とした食感に、鼻に抜けるスパイス。

 ヨーグルトとミントのソースを一滴垂らして口に運ぶと、熱と香りに満たされた身体が震える。


「……ああ、駄目……私、永遠にこれを食べ続けたい……!」


 そうして皿の上に次々と落とした熱々のケバブ肉を一瞥し、手にはピタブレッド。

 そして、その傍らには小瓶に詰められた自作のソースが置かれていた。


「スパイスにはクミンとコリアンダー、あとナツメグを少々。それにしても、このパンチ……」


 肉を大盛りでピタに詰め込み、野菜も少々。最後にヨーグルトソースを小さなスプーンでひとすくい、ピタに垂らす。


「――だからこそ、これが必要なのよ」


 丹念に水抜きをヨーグルトにミントと塩とガーリック、少しのレモンを混ぜた白いソースをちょんと付ければ、パンチの効いたスパイスの風味の中に清涼な風が吹き抜ける。


「……これよ」


 そうして出来上がったドネルケバブにかじりつく。噛むたびに滲む脂と、香ばしいスパイスとヨーグルト酸味が絶妙なハーモニーを奏でて調和する。


「これがなきゃ、ただの暴力よね」


 焼ける、削ぐ、詰める、食べる。

 焼ける、削ぐ、詰める、食べる。


 ただひたすらに。回転する肉の塔は、彼女にとって神の恵みであり、狂気の灯火であり、背徳の快楽だった。

 口の中が熱を欲していれば肉、香りが欲していればヨーグルトソース。時折ビールや蒸留酒を流し込みながら、飽きも空腹も挟む暇なくただ幸福だけが流れていく。


 凛鈴は焼き立ての肉片を薄く切りながら、手元のピタを時にはバゲットに変えて挟み、レモンを搾り、赤玉ねぎを刻み、ミントソースを塗って喰らう。

 いくつものバリエーションを楽しみながら、その食宴は進んでいった。


「ははっ……! あはははっ! ほら、どこまででも行けるわ、肉が回る限り、私は……!」


 脂の跳ねが頬に散っても拭おうとせず、あふれた肉汁が皿を濡らしても止まらない。

 食欲でも、執念でもない。

 これはもう、肉に対する信仰だ。


 ---


 何度目の"焼ける・削ぐ・詰める・食べる"だろうか。

 山は確かに削れていく。肉の塔は次第に痩せ、その儚さを見せ始め、そして肉山はついに終わりを迎えた。


 最後の一枚を削ぎ取り、口に運びながら、凛鈴はそっとグリルのスイッチを切った。

 途端、回転の止まった肉の残骸と、静けさだけが残った空間。


「……終わっちゃったのね」


 微笑みながら、その最後の肉をゆっくりと口に運ぶ。

 食感も、香りも、記憶に残すために、噛みしめるように味わった。


「もう一度回したら戻ってくるかしら……あの時間」


 満腹のはずなのに、どこか心細い。焼けていた肉の姿を思い出し、どこか寂しげに微笑んだ。


 だが、すぐに思い直す。


「次は……串焼きかしら? それとも、ブロック肉を丸ごと?」


 新たな“火の祭り”の構想に思いを馳せる凛鈴だった。

本日は29日で”肉の日”なわけですが、それはそれとして凛鈴さんは今日も平常運転です

……平常?

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