第二十七話 詰められたものたち
「ねえ羽鳥さん、聞いてよ。昨日やってた番組なんだけどね、世界の変な料理を紹介する特集、見た?」
昭和の空気漂うアパート一階の小さな庭先で、丁度昼食で使ったバーベキューグリルの掃除をしていた羽鳥凛鈴に隣人の主婦、野崎沙那が買い物袋を抱えたまま、笑いながら言った。
「……変な料理?」
料理、と言われたら聞かないわけには行かない、とその言葉に手を止めて詳細を求める。
「ほら、なんだっけ、羊の胃袋にいろいろ詰めて煮るってやつ。何かの……イギリス? だったか、フランス? だったかな?」
「……あぁ、ハギス、ね」
胃袋に詰める、と言われたらコレしか無いだろう、とその答えを告げる。まるでクイズ番組のように。
「うん、それ! あれ、家庭じゃ絶対無理よね〜って思っててさ、臓物なんて売ってないし、胃袋なんてなおさら――」
そしてその答えはやはり正解のようで、沙那がそう笑う。尚も番組の感想を続ける彼女を余所に、凛鈴の脳裏には早くもハギスの“構築図”が浮かび上がっていた。
ハツとフワとレバー。どれも高価で競合の多い希少部位。在庫はあっただろうか。ミンチは在庫にある赤身や脂肪部位を挽いたら行ける。
胃袋……確か、焼肉用に細かく切って冷凍したものしか残ってなかった……
どうやらハギスを作ろうと思ったら、次の入荷予定をまたなければならないらしい。
「……すぐには無理、ねぇ」
小さく呟いたその一言に、沙那は気づかなかった。
「でも、そんな珍しい料理、食べてみたいわ〜」
無邪気に笑う沙那を余所に凛鈴の目に宿った光が、もう日常から逸れていたことに。
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それから数日。
いつもの配達員が持ち込んだ山のような段ボール箱。その一つを開けた瞬間、凛鈴の目元が緩んだ。
「……来たわ」
冷えた真空パックの中には、希少な臓物たちが美しく並んでいた。
内臓部位は同一ロットで揃っている。正に僥倖。
「取り敢えず無理言ってなんとか希望の部位を揃えました……今度は何を……」
そう言いかけた配達員だったが、途中で止める。どうせ碌なもんじゃなし、下手に聞いて同じ料理を食べられなくなっては嫌だ、と思いとどまった。
「いいわね……それぞれが別の命の響きを持っている。けれど、だからこそ混ざり合えば、調和を超えた“対話”が生まれる」
そんな配達員の心境など気にするでもなく、手袋をはめ、目の前にずらりと素材を並べていく。
台所に立つ彼女の動きは、もはや料理というより“儀式”だ。
「……では、失礼します」
そんな一言ももう届かない。
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まずは臓物の下処理から始める。
ハツ(心臓)は既に血抜き済みだが、念のため塩で揉んで流水で洗い直す。
フワ(肺)は軽く茹でこぼしてから粗く刻む。湯に浮かぶ白い泡をすくいながら、凛鈴は表情一つ変えずに火加減を調整する。
「この泡が、命のざわめき……」
レバーも薄く切り分けて、軽くミルクに浸す。
肉だけではなく、野菜も使う。玉ねぎはみじん切りにし、たっぷりのバターと共に鍋で焦がさぬよう炒める。
その香りが台所に立ち込めるころ、オートミールはミルクでふやかし、ふわりと甘い香りを漂わせていた。
そうして下拵えが終わったところで、すべての材料をボウルにまとめる。
ミンチ、刻んだ臓物、ミルクに浸したオートミール、炒め玉ねぎ、そしてハーブバター。
黒胡椒、ナツメグ、コリアンダー、タイム。スパイスの複雑な香りが混ざり合い、湿った音を立てながら“タネ”ができあがる。
このときオートミールの粒を潰さないよう、優しく捏ねるのがコツだ。出来上がりの食感が段違いに良くなる。
「ロットの違う命の声……なのに、不思議ね、拒まない……いや、響き合ってる……まるで共鳴してるみたい」
手を止めて一瞬、耳を澄ます。
ハツ、フワ、レバー、そしてこれから中身を詰める胃はすべて”同一のロット”で揃えられている。一方、使われたミンチや野菜などは完全な異邦人。しかし、それらは相反すること無く調和し、まるでボウルの中からかすかな心音が聞こえてくるようだった。
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そして――主役の胃袋。冷凍で届けられたものを一晩かけて解凍しておいた。
見た目は少しばかりグロテスク。だが、凛鈴は一切躊躇せず、温湯で丁寧に洗い、裏表の薄皮を取り除く。
「……綺麗にしてあげる。あなたは、器なんだから」
洗浄が終わればタネを少しずつ詰め込み、空気が入らないように整える。
詰め終えたら口を縫い合わせ、オーブン皿にセット。
本場では茹でるのが主流だが、今回は“家庭流・焼きハギス”。
予熱したオーブンに静かに差し入れ、温度を180℃にセット。
焼き時間はいつも通り。けれど、彼女の時間だけがゆっくりと流れていた。
小窓の向こうの変化を、凛鈴はまるで天体観測のように見守っている。
脂がにじみ、皮がわずかに膨らみ、表面が艶を帯びてゆく。
「……ああ、これはただの臓物料理なんかじゃない……。命を抱き、命を詰め、命を還す……まるで、小さな宇宙の縮図だわ」
彼女の頬に、ほんのり紅が差していた。
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焼きあがった胃袋は、ふっくらと膨れ、表面は軽くパリッと焼けている。
ナイフを入れた瞬間――ぷしゅっという音と共に、内部から熱気とスパイスの香りが溢れ出す。
むっと立ち上る鉄と脂の香り、内臓特有の濃厚な匂い。
そのすべてを、凛鈴は嬉々として吸い込んだ。
「……これが、命の芳香……」
皿に取り分けた断面には、ざっくり混ざった臓物とミンチ、オートミールがぎっしりと詰まっている。
一口、そっとすくって、口に運ぶ。
最初に感じるのは、舌の上で溶けるような脂のコク。
続いてやってくるスパイスの層。そして、オートミールの甘さ。
噛みしめるごとに、異なる部位が異なる舌触りで存在を主張してくる。
ミンチのなめらかさ、フワのふんわりした歯触り、ハツの弾力、レバーの苦み。
「……違う命なのに、拒まない。互いにぶつかって、溶け合って、調和してる……」
しばらく言葉を失った凛鈴は、そっと呟いた。
「これは、対話。違う命の断片が語り合ってる……食べるって、こんなにも荘厳だったのね……」
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食後、静かなキッチンで、残された料理を眺めていた。
この素晴らしいアイディアをくれた隣人にもこの思いを伝えたい。
そんな理由から、いつもならあっという間に完食していただろうに、今日はそれを残している。
「お礼は大事ね。彼女ならこの良さがきっと分かるはず」
そうして彼女の想いとともに、ハギスを更に小分けしてタッパーに詰め始めた。
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――数日後の昼下がり。
インターホンの軽快な音と共に、またもや隣人・野崎沙那が姿を現す。
「こないだの“あれ”、めちゃくちゃ美味しかったよ〜〜〜! ほんっっっと、“本場の味”って感じ! ああいうの、どこで覚えたの?」
凛鈴は微笑みながら軽く首を傾げた。
「ええ、貴女から話を聞いたら作ってみたくなって、色々調べてみたの。お口に合うようで何よりだわ」
そう応えて満面の笑みを浮かべる。
「いや〜〜、私もテレビでしか見たことなかったけど、胃袋にいろいろ詰めて焼くってあれ、やっぱ“本物”だったんだね〜! 臓物って聞いたけど、全然クセもなくて食べやすかった〜! もう感動しちゃってさ」
あっけらかんと笑う沙那。
その手には、返却されたタッパーが抱えられている。
凛鈴は、笑みの奥でほんのり眉を上げた。
「そう? 臭み取りはちゃんとしたからね。……でも、あれ、ハツもフワもレバーも、ちゃんと全部入ってたのよ」
「へえ〜、すごーい。全部? えーっと、ハツって心臓、フワってなんだっけ……? レバーはまあわかるけど……」
沙那の笑顔が一瞬止まり、目が点になる。
「でも……美味しかったから、いっか!」
そしてすぐにケロッと笑って見せた。
凛鈴はその様子に、どこか感心したような目を向ける。
「……やっぱり貴女は肉食女子の素質、あるかもしれないわね」
「えっ、なにそれ、褒めてる? てかまた変なもの作ったらちょーだいね〜!」
軽い足取りで階段を降りていく沙那の背中を見送りながら、凛鈴はふと小さく呟いた。
「ふふ。嬉しいわ。じゃあ次は何を作ろうかしら」
その声は沙那には届かず、静かに閉まった扉だけが余韻を抱いた。




