第二十六話 そのコースは拒絶され
あの忌まわしい調理依頼から数日後、羽鳥凛鈴のもとに配達員が一通の封書を届けた。
差出人の名はない。ただ、あの男と同じ組織の人間が書いたと思しき文字でこう綴られていた。
《ご不快な思いをさせたこと、深くお詫び申し上げます。 関係者の一部は既に粛正され、当人も組織より除名処分を受けました。 どうかこれにて一件、お納め願えますと幸いです。》
そんな謝罪の言葉とともに、事の顛末を記した報告書が同封されていた。
しかし、そちらは凛鈴にとっては特に興味もなかったのか、一瞥して直ぐにテーブルへと置く。
「そして、こちらがその”ケジメ”だそうです」
そう言って配達員は次に懐紙に包まれた何かを差し出した。
けれど凛鈴は、それを見て受け取ること無く呆れたように吐き捨てる。
「そんな“食べられない”もの、いらないわよ」
おそらく、その懐紙の中にはあの男の"ケジメの証"が包まれていることだろう。しかし、そんな物を貰っても、凛鈴には何の役にも立たない。
「いえ、これは受け取りというより、彼らの謝意というか誠意と言うか、なので。何も本当に受け取る必要なありません」
そう言って配達員は懐紙をしまう。この証は別に受け取る必要はなく、これだけのことはやった、という証明ののうなものなのだ。
コレを見たうえで溜飲を下げてくれと、そういうことである。
「あ、そう」
とはいえ、そういう筋の世界では生きていない凛鈴にとっては、それは興味もなければ意味もないものなのだが。
「……そうね。そちらですでに要件が片付いているなら私が言うことはなにもないわ。ただ……」
「ただ?」
「“あれ”は料理じゃなかった。けれど、料理として出来上がってしまったのなら、誰かが食べなきゃいけない。だから責任を持って彼がそれを最後に食べなきゃならない。あなたたちの言うケジメってのがそういうものなら、私はそれを望む」
なので、別の制裁案を冷たい表情で言い放つ凛鈴。
あの時の調理は食材への感謝もなければ完成した料理への敬意もない。しかも、喜ばれて味わわれることもなかった。
彼女にとってそんなものは料理ではない。
ならばせめて、無為に消費された食材たちが料理としての最期を迎えられるようにはどうしたらいいか。
つまるところ、この話を持ってきた男に食べさせるのが1番だろう。
「それは……多分構いませんが、まだあるんですか? それ」
「ええ、あるわ。どうしてかしら、なかなか食指が進まなくて」
あの時の食材は凛鈴のために用意されたものではない。そして凛鈴自身のために作ったものでもない。すべてが噛み合っていない料理は、多少手を付けたものの、どうにも素直に味を堪能できなかったため、未だに残されていた。
あの一件からすでに数日は経過しているが、果たしてそれは食べることが出来るのか。
「一応小分けして、冷蔵庫にしまってあるから、大丈夫でしょ。多分」
「……わかりました。依頼人に相談しておきます。どのみち、その辺りに放置していいものでもないので、責任を持って回収しますよ」
が、賞味期限は特に考慮しないらしい。食べられようが食べられまいが関係はない。どちらにせよ回収しなければならないものだったようだ。
そしてそうと決まれば、配達員は残された臓物煮込みの赤ワインスープやシャリアピンステーキ、レバーパテなどを持ってきた箱に厳重に詰め込み、他の非可食部位も含めて回収すると、素早く部屋を後にしたのだった。
「私が許さないのは、食材に対する敬意のなさ。それを“料理”と言い張ったあの男の態度」
誰ともなく凛鈴は言い放つ。
---
──件の男は、独断で『私刑』を実行した。
その過程で無用な犠牲者を出し、接触が憚られる人物を調理者として指名、被害者の身内にその料理を食べさせることで“拷問”と“制裁”と“愉悦”を兼ねたらしい。
その異様な儀式が更に複数に人物の監視下で行われていたことが後に発覚し、組織は外部圧力によって一部崩壊。大損害を被った。
なお、件の男はその責任として制裁を受けた後に放逐。以降は組織の知るところではない。
そんな報告が凛鈴にあげられたあと、あの男は凛鈴の希望通りに再び組織の人間に連れ戻され、正装をして豪奢なテーブルに着座していた。
そしてそれは当然自発的なものではない。椅子の脚、背もたれに体を縛り付けられ、それはもはや会食と言うより拷問に近い様相だった。
しばらくして給仕の手により料理は冷めないように運ばれた。器も選ばれ、盛り付けにも手は抜かりはない。
美しく、食欲をそそる配置。その極みともいえる作品が男の前に置かれる。だが、それを喜ぶ者は誰もいない。誰のためでもない料理は、ただ美しくあるだけ。
――料理として仕上がってしまったから。誰かが食べなければならないから。
調理から複数日が経過し若干異臭も漂い始めていたそれを、どうやら彼は見張りを付けられたうえで完食させられるようだ。
当然、その料理の材料を知っていた男は全力で逃げようとしたらしいが、命を張るかこの料理を食べるか、という二択に屈して男はこの忌まわしき晩餐を供せられた。
最初は前菜のレバーミートパティから始まり、次に赤ワインの臓物スープが出され、メインは厚切りのシャリアピンステーキ。おまけでデザートにミートパイまでついた。
男は涙を流して、吐いて、泣き叫んで、それでも誰かの手によって忌まわしい料理を口に押し込まれる。
「もう……勘弁してくれ……! もう食えない……」
口の中に広がる肉の味と微かな異臭、それと同時にその肉の調理前の状態が彼の脳内にフラッシュバックする。その嘆きは、悲鳴でも懺悔でもなかった。ただの、本能的な叫びだった。
誰も慰めなかった。誰も助けなかった。
結局長い時間をかけて完食は果たせたが、その時にはすでに彼の心は折れていた。
あれは“料理”ではなかったから。
けれど、料理として完成してしまった以上、誰かが食べねばならなかったのだ。
――それが、「ケジメ」だと言うのなら。
私はそれを望む、と彼女は言った。
そして、その後の男の消息は誰も知らない。
ただ、噂では――あれ以来、まともに食事ができなくなったらしい。
何かを食べればそのたびにあの肉の味を思い出して吐き戻し、目を閉じれば肉の断面が、そしてその肉の在りし日の姿が瞼の裏に浮かぶ。
そして、夜ごと夢に見るのだという。
「どうして、あんなものを作った……?」と。
けれど、彼はその答えは見つけられない。
ただ、凛鈴ならばこういうだろう。
「あなたが、“料理”と呼ばせたからよ」
用意された“フルコース”、それは誰のためでもなく、誰にも祝福されず、ただ、“拒絶される”ために存在した。
忌まわしき冒涜的な料理として。




