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第二十五話 その調理は拒絶する

 とある午後、今日の夕餉は何にしようかと、調理台の前で羽鳥(ハトリ)凛鈴(リズ)は一人思案、というちょうどその時。

 鳴らないはずの呼び鈴。お隣さんなら料理が欲しければもう少し遅い時間に訪れる。

 では、この呼び鈴の主は何者か。ほぼ確実で招かれざる客だと判断して、凛鈴は無視を決め込むことにする。


 しかし、いつかのように呼び鈴は激しく連打され、無遠慮なノックまで始まる始末。

 観念して扉を開ければ、そこにはいつもの配達員と、見慣れぬ男の姿。黒服で背が高く、不躾な視線を投げかけてくる。


「……すみません、こちらの方が食材の持ち込みを希望されてまして……」


 配達員は伏し目がちに言った。


「……持ち込み?」


 羽鳥凛鈴が思わず眉をひそめると、男のほうが一歩前に出た。


「よう。お前だろう? 死体を処理して調理してるとかいうイカれ女ってのは。実はな、任せたい仕事があるんだ。手間はかけてもらっていいが、早速取り掛かっちゃくれねぇか?」


 言い方に丁寧さはない。あくまで命令口調で言いたいことだけいってくる。

 それだけで、凛鈴の顔にはすでに冷たいものが浮かんでいた。


「うちは、そういうのやってないの。下処理済みのものしか受け付けないし、他人のための調理もやってない」


 凄みのある大男に負けること無く、胡乱な目線で相手を居抜き、自身の意思を告げる凛鈴。

 そんな彼女に対して一歩踏み込みながら更に言い募る男


「うるせえ。いいから、やれよ。余計な口を利くな。お前の仕事は“料理”することだけだ」


 配達員が慌てて何か言いかけたが、男ににらまれ、口をつぐむ。


「……それじゃ、あんたが包丁握る? 私にやらせておいて、命令だけして、味のことなんて知らないくせに」


「形になっていればそれでいい。味はどうでもいいんだよ」


 凛鈴の頬がぴくりと動く。


「……それ、いちばん言っちゃいけない言葉だって、知らないの?」


 男は肩をすくめ、配達員は顔色を失っていた。


「知らんね。そんな狂ったモノを食うのはおれじゃねぇしな」


 二人の意見がぶつかり合うも、男もまた引くつもりはないらしい。

 結局、凛鈴は調理場に籠もり、黙々と作業を始めた。

 目の前にあるのは、処理されていない生の肉。けれど、それは明らかに「普通の肉」ではなかった。

 ほんのりと指先に伝わる温かさ、不十分な血抜き、時折痙攣する筋組織。

 つい先程まで生きていた、そんな雰囲気すら感じさせるほどの”鮮度”だったのだ。


「こんなもの、食べ物って言えるの?」


 凛鈴の手は止まらなかったが、心は荒れていた。

 けれど、包丁を握った以上、手は抜かない。どんな素材であれ、味を引き出すのが“料理人”だからだ。

 取り敢えず皮は剥がして血抜き、臓器はハーブで包み、ゼラチン質の部位は丁寧に火入れして数種のメニューを仕上げていく。

 スープやリエット風のペースト、もちろんメインとなるステーキも用意した。すりおろした玉ねぎを揉み込んで風味を閉じ込め、肉を柔らかくして焼きあげる。

 処理も下拵えも熟成も、すべてが足りていない、凛鈴にとってとても不満足な品が並んでいく。


「おうおう、いいじゃねぇか。これだけ出来てりゃ上出来だ。このフルコースを見せられたあの野郎の顔が目に浮かぶぜ」


「……ふざけないで」


 完成を見た男のその言葉に、凛鈴は包丁を置いた。金属音が甲高く響き、台所が一瞬、緊張に包まれる。


 目の前には、火にかけられたままの鍋。


 赤ワインベースで煮込まれた肉と臓物がぐずぐずと崩れていく。脂が浮き、香草の香りが部屋を満たしていた。

 不完全なものでも、せめて美味しく食べられるように彼女が持てる知識と技術を詰め込んで作ったメニューたちだ。


 完璧な火加減。計算された塩梅。技術としては、申し分ない。


 ──だが。


「私は……この料理を美味しく食べてくれる人のために料理してるの」


 誰の顔も浮かばない。誰のために調理しているのかも、途中でわからなくなった。


「“ただ見せたい”なんて……そんなもの、食事じゃない! そんなのはただの侮辱だし冒涜よ!」


「はっ、常識で考えてみろ。誰がこんなモン食うってんだ? オラ、出来上がったならさっさと行くぞ」


 そう言って、男は盛り付けの終わった料理を乱雑に箱詰めし、配送員に押し付ける。


「……申し訳ありません。このイレギュラーについても、なんとか補償が出来ないか頼んでみます」


 と配達員は言う。本来であれば、彼はあくまで運び屋。あの男との直接のつながりはない。

 しかし、この件は思うところがあるのか、彼は自身の依頼人に掛け合ってみるとのこと。

 そうしてすぐに配達員と男は帰った。鍋には食器にすら出していない、誰の口にも入っていないままの料理だけがぽつんと残されている。


 凛鈴は、残された料理を前にスプーンをひとつだけ手に取ったが、結局、口には運ばなかった。


「……いい、もういい。こんなもののために手を動かした私がバカみたい」


 鍋の火を落とすと、凛鈴はすべての料理を器に詰めるだけ詰めたあと、片付けもそこそこに寝室へと向かう。

 

 かつてのトラウマ。誰かの絶望を招くために作られた、見せ掛けだけの料理。全てのものに対する侮辱と冒涜。


 あの屈辱を思い出し、凛鈴は布団をかぶったまま、静かに吐息を吐いた。


「美味しいって、幸せのはずなのに。なんで、こんなに気分が悪いのよ……」


 そしてその晩、彼女は自分の食事も取らず、怒りに肩を震わせながらふて寝した。

 

 そして結局この夜の料理は、その後も冷蔵庫に残り続けた。

 冷たく、誰のためにもならず、ただの“結果”としてそこにあるだけのモノとして。

 

 ――けれど、その“結果”は、いずれ誰かの皿に乗る。

 それが“料理”という名を与えられたものの、逃れられぬ宿命だった。

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