第二十四話 ピッツァ・カーニバル
朝から少し晴れ間の覗く日だった。昨日までの湿気を忘れさせるような軽い風が台所の窓から入り込んで、揺れるカーテン越しに凛鈴のエプロンがふわりと膨らんだ。
「なんだか今日は……パーティーでもしたい気分ね」
そんな呟きは、いつもの通り独り言だ。だが彼女がそう呟くとき、それは単なる食欲ではない。なにか衝動に近いものが、彼女の胸の奥で静かに騒ぎ始めていた。
台所の戸棚を開け、引き出しを引き、冷蔵庫のドアを開く。
目に入るのは、整然と並べられた食材と調味料の数々。だが、今日の彼女の視線はそこでは止まらなかった。
まずは床下収納に誂えた熟成室。そちらに目を向ければ、そこには以前仕込んでいた生ハムの原木がお目見えだ。
早速取り出して梱包を剥がしてやれば、以前よりも更に熟成の進んだ風味を漂わせる。
「うふふ、本当にいい子ね。こうしてしっかり待っていてくれて、より美味しくなるんだもの」
そして次に冷蔵庫とは別に新たに追加された熟成庫。床下の熟成室は長期保存用、冷蔵庫横の熟成庫は短期と中期の調整用。そうして分けることで、微細な温湿度と時間管理が可能になるのだ。
もちろんこちらにもいくつかの肉がしまわれ、扉を開ければひんやりとした空気と共に芳醇な肉の香りが流れ出る。
「……うん、いい出来」
そこには数種類のソーセージと、脂の乗ったパンチェッタが吊るされていた。
まずはソーセージ。豚肉をベースに、ローズマリーやセージ、オールスパイスを練り込んで仕込んだもの。
凛鈴は静かに一本手に取り、皮の感触を確かめながら小さく頷いた。
「いろいろ試したけど……やっぱり羊腸が一番馴染むのよね」
見た目はどこにでもある朝食用のそれ。けれど、凛鈴にとってはその“素材の相性”が何より重要だ。
その感触と、火を入れたときの弾けるような張りと香り。それらを誰よりも知る彼女にとって、羊腸はただの素材ではなかった。
ソーセージとは、単に肉を詰めたものではない。「個性と余韻」を調律する手段だ。
「あ、皮無しもいいのよ? あれはあれで、もっと“やわらかい感じ”に仕上がるから。パティとか、つみれ風とか。詰めずにそのまま練るのもまた、素材の良さを出すには最適だったりするの」
そして次は皮なしのソーセージ。肉の下処理から詰め込み、スパイス選びにもこだわっている。
クミン、パプリカ、オールスパイスなどが香り、どちらも粗挽きと細挽きを混ぜ合わせることで、まとまりを良くしつつ、食感も楽しめる二段構えのこだわりだ。
「皮に頼らないからこそ、自由な成形ができるのも魅力なのよ。パティ風、ボール状、棒状……どれも表情が違って、面白いの」
そして最後にサラミ。こちらは燻製させた後に更に乾燥を行い熟成を進めている。
「時間はかかったけど、いい香りね」
その手触りはしっかりとしたものがあり、乾燥も熟成も充分に行き届いていることがそこからわかった。
次に取り出されたパンチェッタも、数週間熟成させた自家製。生の肉に塩と砂糖、数種のハーブで漬け込み、それを適度に乾燥させつつ、低温で熟成させたものだ。
時間をかけて何度も手入れをする必要があるため、ついつい手を出すのを躊躇ってしまう、そんな逸品となってしまったが、ここに来て一気に放出することを決めたようだ。
熟成庫から取り出す瞬間の神聖さ。
「あぁ……いい香り。脂が甘くて、溶けるよう」
数週間寝かせたパンチェッタを薄くスライス、 包丁を滑らせると、しっとりとした脂がとろけるように断面を光らせた。それを軽く炙って試食。
「これは……焼くより、あのトマトソースに合わせたいわね。今日は火を通さず、仕上げに使いましょう」
そう呟いて、凛鈴はまな板の上でパンチェッタを次々と薄くスライスしていく。その指先には一切の迷いがない。
続いて冷蔵庫からはこれまた以前作ったベーコンとリエットを取り出し、ベーコンの方も大きめにスライス。
冷えた脂なナイフを滑らせ、こちらもきれいな断面を空気に晒す。
「このベーコンはスモークを二重にかけたの。リエットは油が固まってるから……少し戻さなきゃ。あ、これも使っちゃいましょう」
最後に出たのはミンチ肉。こそいだ部分や硬い筋などをまとめてミンサーで挽いたものの寄せ集めだ。
これもタダの寄せ集めではなく、旨味の強い部位を中心に使っているため、決して屑肉の余り物ではない。
言うなれば、選ばれし部位の集合体とも言える。そんなミンチ肉に軽くスパイスを混ぜ込み、手際よく丸めてミートボールを作ってトッピング用の食材へと仕立て上げる。
具材が揃ったなら次はピザ生地の作成である。強力粉と水、塩、オリーブオイルにドライイースト。
捏ねて、寝かせて、発酵させて。一次発酵を終えた生地を丸めて、もう一度軽く捏ねてからベンチタイムへ。
この繰り返しが、彼女にとっては静かな瞑想だった。
ソースはシンプルにトマトベース。自家製のトマトソースに、ひき肉を練りこんだリエットを加える。
庭に設けられたバーベキューコンロ、その上に設置したピザ用オーブンの前で凛鈴はピザ生地に手を置いていた。
「今日は贅沢にいきましょうか。パーティーだから──私だけの、ね」
チーズのとろける音。オーブンの中で赤く揺れる炎。
この一枚に乗るのは、“集められた断片たち”
ピザ一枚ごとに具材は変え、一枚目は皮なしソーセージとパンチェッタを並べ、粗挽き黒胡椒をひとふり。
二枚目はミートボールと厚切りベーコンを敷き詰めた肉の海。
三枚目は焼き上げたプレーンなピザ生地にリエットと生ハムを後乗せ。塩気と香りのハーモニー。
そして最後の一枚。スライスベーコンとパイナップルを並べて焼き上げ、最後にパンチェッタと生ハムを乗せ、上からハチミツとメープルシロップをとろりと回しかける。
捏ねては焼き、捏ねては焼きの繰り返し。
オーブンの前で焼き上がりを見守る、静かな時間。
「ふくらんでいく……なんて健気な生地かしら。どれも個性があって、愛しいわ。ふふ……ピッツァ・カーニバルね」
そう名付けた祭りのようにテーブルに並べられたのは、凶暴なまでの肉と甘みの饗宴だった。
「“カーニバル”って、肉の祭りって意味らしいわ。ふふ……私にぴったり」
その言葉には少しだけ、“別の意味”も込めて。
ピザカッターで切り分け、それを一切れ口へと運ぶ。
香ばしさと塩気、そしてほのかな甘さが混ざり合い、舌の奥に重く沈んでいく。
彼女は目を細め、ひとつ息を吐いた。
「……肉って、ほんと、幸せの味がする」
カーニバル──肉の祭り。獣とは少し異なる、彼女の好むその味は──




