第二十三話 *贈答品:高級黒毛和牛A5ランク 1kg
その日の配達はいつもと少し違っていた。山のような段ボール箱とそれを台車で運ぶ配達員は同じなのだが、彼はそれらの荷物とは別に珍しく両手で抱えるように一つの小箱を運んできた。
銘木風の加工が施された高級感ある箱で、まるで何かの贈答品のようだった。
「これは何?」
家主の羽鳥凛鈴は、そんな様子の違う包みを見て僅かに首を傾げる。
配達員は帽子のつばを下げたまま、少し逡巡してから答えた。
「……日頃の感謝を込めて、とのことです」
言われて箱を開けてみれば、中には丁寧に添えられた礼状と、見事な霜降り肉が収められ、A5ランク国産黒毛和牛というラベルの張られたのブロック肉が納められていた。
凛鈴はしばらくその肉を見下ろしたあと、少し肩を竦めた。
「こういうの、あまり口に合わないのよね。あなた、これ要る?」
その申し出に若干顔を引きつらせつつも、なんとか平静を保って応えた。
「……聞かなかったことにしますので、どうか……お収めください」
商品の格以上に送り主の思いが乗った代物だ。たとえそれが社交辞令だったとしても、無碍に突き返されたなどと報告すれば、自分が何かの“対象”にされかねない。男の目にはそんな恐れがわずかに揺れていた。頼むから受け取ってくれ、と。
「ふぅん。ならいいわ、もらっとく」
凛鈴はその表情に特に反応を返すこともなく、肉をそのまま受け取った。
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化粧箱から取り出したブロック肉は、その鮮度を誇るかのごとく、輝きを湛えてまな板の上に鎮座し、まるで王者のような風格を漂わせながらその威容を放つ。
しかし、その玉座の前に立つ彼女は傅くでも平伏すでもなく、その王を無感情に見つめるだけだ。
やがて徐ろにその一端を切り出し、何の迷いもなく調理に入る。
塩、胡椒、他各種スパイスを手早くまぶすと、あらかじめ加熱しておいたフライパンで一気に表面を焼き上げる。これだけ脂の乗っている肉はそのままでもフライパンを滑るように踊った。
必要以上の塩分が入り込む前に、肉汁を閉じ込めるために適度の焼目が入るまでしっかりと焼く。
やや厚めに切り出された肉の片面にしっかり火が入ったのを確認してからひっくり返し、裏面も焼く。
焼き加減は当然、レアだ。これだけの肉なのだから、その新鮮な風味を逃す手はない。
タイミングを見極め、これまた適度に加熱をした鉄板に載せれば完成だ。
下味は最低限。ソースは定番の赤ワインベース。フライパンに残った脂も使って一気に仕上げたら完成だ。
そんな、普段なら心が踊り出来上がりを待ち遠しく思う凛鈴なのだが、この調理中はいつものような浮き立つような所作はない。
ただ手際良く、流れるような動きで機械的に仕上げたステーキは、それでも王者の風格を失うことはなく、極めて美しい焼き上がりだった。
燭台に火を灯し、テーブルにナプキンを敷いて皿を置く。
いつものように整えられた食卓。だが、その中心にある一品に、凛鈴の心はわずかも高鳴っていなかった。
ナイフを入れ、口へ運ぶ。
その瞬間、柔らかく、甘く、旨味が広がった。
――それでも、彼女の心はまったく揺れなかった。
「味は、いい。けれど……やっぱり違うわね」
ため息を一つ。味は、間違いなく極上だ。繊維は柔らかく、脂は上品に甘い。にもかかわらず、この肉は彼女に喜びをもたらすことはなかった。
何かが足りない。それが味なのか、それとも他の何かなのか。それは彼女自身にもよくわからない。
たが少なくとも凛鈴にとって、このA5ランクの和牛はまだ物足りないと感じてしまうことだけは確かだった。
その後も凛鈴は無表情のまま、皿の上の肉を一口ずつ淡々と切り分け、最後まできれいに食べきった。
残った脂もソースも、パンで丁寧に拭い取り、鉄板の底が露になるまで余さず片付けた。
そこにあったのは満足でも感動でもない。ただ、肉への礼儀だった。
「さて、コレどうしようかしらね……」
もっとも、礼はあれども対応は辛辣であるが。
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翌日、凛鈴は小さな保冷バッグを手に隣家のチャイムを鳴らした。
中にはあの高級和牛の残り――手を付けずにいた大半が入っている。
「またたくさんもらったので、よろしければどうぞ。食べ差しで申し訳ありませんが」
そんなことを言いながら、隣人へとバッグを渡す。沙那は受け取った瞬間にすぐさまその中身を覗き込み、目を見開いた。
「え!? うそ!? 和牛!? これA5ランクってマジ!?」
少なくとも沙那達の家計では絶対に手に入る事の無い高級肉だ。そんな物をいきなりポンと渡されれば驚くのも無理はない。
凛鈴はその様子に軽く微笑み、何も言わずに保冷バッグを手渡すと、そのまま踵を返した。
いくら口に合わないとはいえ、それを無駄にするなど肉に対する冒涜だ。
ならばいっそせめて、この肉を堪能できる者に送るのが礼儀というものだろう。
沙那の歓喜の声が背後で弾けていたが、凛鈴の表情は変わらない。
彼女の中では、すでに次の献立の構想が静かに立ち上がっていた。




