幕間 後見人、橘宗二の独白
あの人には、若い頃ずいぶんと世話になった。
何度も命を救われたし、今の俺があるのも、あの人から教わった技術と、考え方のおかげだった。恩返しをしたいと思っていた。どんなことでも手伝うつもりだった。
……そのはずだったんだがな。
一度は家族のために足を洗って、平穏に暮らしていた。息子は独り立ちし、孫も生まれて、噂じゃ幸せな家庭を築いていたって聞いてたんだ。だが、壊れるときってのは、本当に一瞬なんだな。
裏社会への復帰の手助けが恩返しだなんて、今思えばとんだ皮肉だ。だが俺にもあの人にも、もう表の世界で生きていく術は残されちゃいなかった。
あの年齢じゃ雇ってくれるところもなくて、痩せた頬と疲れた目が、あの人の境遇を物語っていた。だから俺は手を回した。仕事を回した。昔の名を利かせて、道筋を整えた。
あの人は腕が衰えてなかった。手際よく、静かに、確実に仕事をこなして戻ってきた。だが、やっぱり無理があったんだ。孫を抱えながら、この仕事はできるもんじゃない。
警戒のためにウチの手の者を何人もつけていたのに、あの日に限って陽動に引っかかって、全員そっちに向かってしまった。まさか、あんな卑劣な手に出るとは……凛鈴ちゃんが攫われて、直後に月並みな脅迫が届く──あの人は一人で助けに行った。そして──
俺たちが現場にたどり着いたときには、すべてが遅かった。
あの人はもうそこにはいなかった。あったのは大小様々な肉片の成れの果てと生々しい血痕のみ。そんな中、凛鈴ちゃんは血に染まった床の隅で、焦点の合わない目をして、何かの肉にかじりついていた。
あれが……あの人だったのかもしれない。年端もいかぬ少女に、そんなものを食わせるとは、あの外道どもが──!
事を片付けたあと、すぐに彼女を病院に運び込み、金もコネも使って、最高のケアを受けさせた。だが、心は戻ってこなかった。
食事は摂れず、言葉も発せず、医者も匙を投げた。身体はなんともないのに、魂の方が壊れてしまっていた。
──結局、裏社会流の“荒療治”に踏み切った。
割れた意見の中で、俺も最初は躊躇ったが、これ以上何もできないままで終わるのは嫌だった。だが……それが正しかったのか、今でも分からない。
あの子は生き返った。けれど、それは“元に戻った”んじゃない。まったく別の存在に変わってしまったんだ。
いま、凛鈴ちゃんは……普通の食事ができない。
肉料理には興味を示すが、“普通の肉”じゃ食べようとしない。あの時の残りを与えたときの、あの子の笑顔──あれを思い出すと、胸が張り裂けそうになる。
結局、裏稼業の一端にあの子を組み込むことになった。あまりにも皮肉な結末だ。だが、もうそれしか、彼女が“生きられる場所”がなかった。
新しいナイフセットを退院祝いに送ったとき、あの子が「ありがとう」と言った。その言葉が、あまりにも澄んでいて、あまりにも無垢で──同時に、どこか底の見えない何かを孕んでいた。
……本当にこれでよかったのか?
俺はあの人に、仕事なんか斡旋すべきじゃなかったんじゃないか。どんなに手間がかかっても、表の仕事を探してやるべきだったんじゃないか。
昔のように何もかもうまくいく、そう思い込んでしまった。
──それが俺の犯した罪なんだ。
その罰は、何の罪もない、あの子に向けられてしまった。
もう、あの子は戻れない。ならばせめて、俺が見守り続ける。
どれだけ穢れた道を歩こうと、二度と孤独にしないように。
それだけが、俺にできる──最後の、罪滅ぼしだ。




