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第十七話 日々是、肉食

 朝の光がゆっくりと部屋に差し込み始めた頃には、凛鈴はすでに床を出ていた。


 寝間着となっているネグリジェから、いつものクラシカルなドレスに着替え、その上からエプロンを付けて臨戦態勢。


 まず向かったのは冷蔵庫。幾分かの隙間が目立つ庫内。この日は新たな肉の受け取りが予定されているので、そんな寂しさも一時のこと。


「よしよし、今日もいい肉ね。手早く済ませたいから、これとこれ……っと」


 庫内の肉を手際よく選別し、最終的にハムを種種類とチーズ、それから事前に下拵えが終わっていたスープの入った鍋を取り出す。

 次いで床下の熟成庫から生ハムの原木を取り出すと、慣れた手つきで梱包を解いて、専用ナイフで必要分を薄くスライスしていく。

 収穫が終われば再び梱包。表面を軽く拭き、切り口を保護してラップで巻いたなら、熟成室にしまわれる。

 一通りの食材が出揃えば、簡易ながらも豪華な朝餉の準備が整った。


「じゃ、朝ごはん、ね」


 朝食はシンプルに。プロシュートとサラミを薄くスライスし、ローズマリーで香りをつけたハムを軽く炙る。

 掌に収まるサイズのアルコールストーブに火を灯した。

 青く細い炎が、金属の小皿の裏を舐めるように照らす。

 皿の上には、薄く切られたプロシュート。

 脂の層がわずかに透け、じんわりと香りを立ち上らせていく。

 火を見つめながら、凛鈴は小さく微笑む。


「この色が一番好き……静かで、純粋で、どこまでも無慈悲」


 その言葉に、誰が返すわけでもない。ただ、肉の焼ける匂いだけが、部屋の中に広がっていった。

 トマトスープにチーズをひと摺り、軽くトーストしたパンとともに食す。


「日本の朝定もいいけど……こういうのが、やっぱり落ち着くわ」


 良き1日は良き朝食から。簡単なメニューとは言うが、そこにかけられた手間はそれなり以上。

 今日という日を豊かに過ごせるだろうと予感めいたものを感じながら食を進める凛鈴だった。


 ---


 朝食を終えた後、もうしばらくすれば配達が来るであろうと、ソワソワしながら彼女はその時を待つ。

 やがて時が来たとき呼び鈴が鳴らされ、呼応するように彼女は勢い置く立ち上がり、玄関のドアへと殺到する。


「……お届け物です」


 ドアの向こうにいたのはいつもの覇気はないが仕事のできる配達員。山と積まれた段ボール箱とそれを載せた台車はいつもの風景だ。

 その山から一つ一つと段ボールを運び入れ、凛鈴は室内に置かれた段ボールを一つ一つと検める。


「バラにモモ、ロース。ホルモンも一揃い……今日はちょっと脂が多い?」


「そうなんですかね? 自分にはわかりかねますが」


 肉に関する感想や質問はいつも受け流される。――見る目のない男だ。などと内心考えながらも、アレコレと詮索されたり能書きを垂れられるよりは遥かにマシかと思い直し、検品を再開する凛鈴。


 とりわけ、今回の仕入れには希少部位とされるハツやフワ、レバーにマメなどがまとめて届いたのは嬉しい。

 さて、今回はどんな料理を作ろうか。そんなまだ見ぬ食卓に思いを馳せる。


「……では、自分はこのへんで」


 仕分けがある程度終わって、肉を冷蔵庫にしまいきった頃には、この配達員は調理の際に残った骨やその他の非可食部位をまとめて梱包し直し、部屋を辞する準備を整える。


「いつもありがとう。これからご飯の支度なのだけれど、よかったら……」


「仕事中ですので、このへんで」


 にべもなく、食い気味に断って彼は部屋を後にした。


「あら、残念。美味しさには自信があるのに」


 こうして何回かに一度はねぎらいのつもりで自身の料理をご馳走しようと声をかけるのだが、彼がその誘いに応じたことは無かった


 ---


 春の午前。再び肉に向き合う。


 スパイスを調合し、粗挽きと細挽きを分けて配合。香りの強いハーブや、軽くしびれる程度の山椒を混ぜ、保存用ソーセージの仕込みに入る。

 先程の届きたては直ぐにでも調理したい、という欲求を抑えて、もう少しの熟成を促す。

 美味しくいただこうと思ったら、急いてはいけない。


 そうしてじっくりと仕込み終えた肉たちは、温度管理された熟成庫へ。今日はまだ「素材」のまま。彼女にとって、完成とは最終調理だけを指すのではない。保存・熟成の工程こそが“料理”の核なのだ。

 その時の1番美味しくなるタイミングをじっくりと見極めなければならない。


 そんな仕込み作業をしていれば、再び聞こえる呼び鈴の音。

 この時間帯であればお隣さんだろうか。そう思いながら玄関に向かえば、そこにいたのは正に予想通りの人物。


「こんにちは〜、今日もすごい荷物でしたね〜。またお取り寄せですか〜?」


 隣に住むパート主婦の野崎(ノザキ)沙那(サナ)だ。

 配達の日や、それ以外でも日頃から何かしら料理をしているタイミングを目ざとく見つけては、こうしておねだりに来るのだが、凛鈴はこの隣人のことを実はそこまで嫌っていない。

 自分が好きな肉やそれを調理した料理をいつも「美味しい」と言ってくれることから、普通とは違うこの肉の「味の違いがわかる舌」の持ち主というふうに見ているフシがある。

 同じ肉が好きな人ならかまわない、とは凛鈴の談。

 この日も快く配達されたのとは違う、加工済みの肉をいくつか渡す。

 今回はハンバーグのタネ。成形はしてあるが、ちぎってミートボールにしてもいいし楽しみ方は色々だ。


「いつもありがとうね〜。またよろしく〜」


 そう言って去っていく隣人を笑顔で見送る凛鈴だった。


 ---


 昼食は軽め――のつもりでも、やはり肉は欠かせない。


 まずはバインミー。自家製のレバーパテを塗り、香草とみじん切りのハムを散らす。


「ラムじゃないけれど……香りの調合でいくらでも“異国風”にはできるものね」


 その肉団子“キョフテ”を、ハーブヨーグルトとともに。


「ふふ、肉の香りが旅をしてるみたい。こういう混沌、嫌いじゃないわ」


 肉を味わうことに妥協はない。古今東西、ありとあらゆる手法を試していく。

 普段はあまり馴染みのないスパイスが、”未知”という隠しきれない隠し味を更に引き立てる。

 それをじっくりと、肉とともに味わうのも彼女の日々の楽しみの一つだ。


 ---


 陽が落ちれば、夕餉の準備が始まる。


 前菜はサルーミの盛り合わせ。パンチェッタ、コッパ、サラミ、プロシュート。すべて自家製。皿の上で互いに香りを競い合う。


 メインはポルケッタ。ただし味付けは中華風。五香粉と花椒を利かせた肉に、皮はパリッと、脂はとろけるまで火を通す。


「手間はかかるけど……そのぶんだけ、報われる味がするのよね」


 イタリアンと中華の融合。彼女の味の探求は留まるところを知らない。


 ---


 食後、手を洗い、髪をまとめてシャワーを浴びる。


 その後、冷蔵庫の奥、特別な熟成棚を開ける。保存肉たちはそこに、まるで標本のように並んでいた。油に沈むリエット、燻香を放つサラミ、乾きながら香りを育てるソーセージ。


 グラスにウイスキーを注ぎ、ひとりきりの静かな晩酌。


 そしてふと、腹の底からぽそりと漏れるように呟いた。


「……あれ? なんだか、まだお腹すいたかも」


 保存肉を前に困った顔を浮かべる凛鈴の夜は、まだ終わらない。


 ウイスキーを傍らにカット済みのベーコンを堪能し明日の肉をに思いを馳せながらも夜は更けてゆく。

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