第十四話 セッション at パテ・ド・カンパーニュ
ある雨の午後、羽鳥凛鈴は再びそれを受け取った。
玄関先に立つ配達員は前回と同じく、胡散臭い笑みを浮かべた男だった。無表情で口数が少なく、妙に手順だけが整っているところはいつもの配達員と共通していたが、この得体のしれない男に関しては信頼はできそうにない。
「羽鳥凛鈴さんですね。お届け物です」
「……また?」
受け取るしかないとわかっている。
宛名はやはり自分宛で、依頼人欄は空白。白い箱。冷凍。規格通りの梱包。無地。
久方ぶりに見た様式美。
「受け取らないという選択肢は?」
「ありません」
淡々と返されたその言葉に、思わず笑みが漏れる。
前回と同じ形式の中に詰められていたのは、今回もまた調理済みの料理だった。
ただし、前のような上品なフォアグラとは違い、ずしりと重みがある瓶詰が二つ。
蓋の下に巻かれたラベルには、丁寧な活版印刷でこう記されていた。
『パテ・ド・カンパーニュ “Brutalité”』
“すべての素材に感謝を込めて──”
「……いい名前ね」
今回の料理は、以前届いたフォアグラのように電子レンジで、というわけには行かないようで、すぐに味わってみたいという欲求を抑えつつ冷蔵庫でひと晩解凍。
そして翌昼。瓶の蓋を開けた瞬間、部屋の中に肉と香草の芳香が広がった。塩と胡椒、それにナツメグやセージ、タイム。
そして、どこか鉄分を感じさせる香り。
凛鈴は、瓶に詰められたパテにナイフを入れる。
指先に伝わる感触は、滑らかさと粗挽きの絶妙なバランス。
ごろりと大きめに切られた肉片が、繊維の方向も無視して大胆に混ぜ込まれている。
肩肉、レバー、脂肪、そして骨の髄か何か。
断面は美しく、大理石のようなマーブル模様を描いていた。
「これは……混ぜ物じゃない。“哲学”ね」
それは単なる保存食ではない。
整った色合い、丁寧な温度管理、しっかりと押し固められた圧。
一切の遊びがなく、それでいてどこか“過剰”なまでの執念を感じる調理。
『余り物など存在しない。すべては使い切るべき部位』
──どこかで聞いたような考え方だ。
凛鈴はクラッカーにパテを塗りながら、ふとその食感に意識を集中させる。
柔らかさ、脂のねっとりしたコク、時折現れる筋の歯応え。
すべての食感が綺麗に混ざり合い”均一化”された完成品。
「まるで、意図的に“混ぜた”みたい」
フォアグラが“育て方”なら、これは“処理の妙”だ。
不要とされ、切り落とされ、捨てられるはずだった何かを。
こそぎ、集め、細かく刻み、叩き、混ぜる。
「……みんな一緒に、ね」
そう、確かにラベルの裏にも書かれていたのだ。
『すべての命を、ひとつに。』
恐ろしいほどにシンプルで、そして正しい。
効率、無駄のなさ、徹底した処理。
それでいてこの美しさ。
「美しいって、怖いわね」
ワインのグラスを持ちながら、凛鈴はゆっくりと目を閉じた。
どこで育ち、どこで解体され、誰の手によって作られたのか。
その背景にあるべき情報は、何一つ開示されていない。
けれど――そんなことは些細だ。
いまこの瞬間、凛鈴の目の前にあるのは、見事に調和した“寄せ集め”だった。
手間のかかる下処理。絶妙な塩梅。
すべてが一片の無駄なく、“美”に仕上がっている。
「……こういうのを見ちゃうと、私も工夫しなくちゃって思っちゃうのよね」
不意に脳裏をよぎる、自分の“冷蔵庫”の中身。
先日使い損ねた脾臓。
バラしたばかりのガツ。
圧をかけるにはゼラチン質がほしい──じゃあ、あの膝蓋骨周りが使えるかもしれない。
クラッカーの最後のひとかけを口に放り込む。
「……これは、挑戦状ね」
この美しさを超えるには、どうすればいい?
凛鈴の唇に浮かんだ笑みは、
その香草混じりのパテと同じくらい、滑らかで不穏だった。
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その夜、凛鈴はいつもより深くグラスを傾けながら、考え込んでいた。
──あれほど整った仕事、久しぶりかもしれない。
香り、食感、味──どれもが精密に設計され、まるで数値化された美味しさを口に運んでいるようだった。
「……けれど、完璧すぎて、どこか物足りない」
そう、どこか空虚なのだ。なめらかで洗練されてはいるが、魂が感じられない。
手元に残った瓶詰のパテをじっと見つめながら、凛鈴はそっと蓋を開けた。
すでに味わったはずのそれを、再び香りとして迎え入れる。
「……ふうん。やっぱり、よくできてるわね」
見事な乳化、均整の取れた脂の層。スパイスは控えめで、香りが立ちすぎないよう調整されている。
けれど。
「完璧だけど、なんていうか……ちょっと、物足りないのよね」
「美味しい」ことに異論はない。しかし、それは“感動”とは違った。
美味、という到達点までの道筋をどこまで捉えているのか。そこまでの道筋をどのように構築するのか。
無機質に組み上げられたパズルのような、その完成するまでのプロセスがこの料理からは、すっぽりと抜け落ちているような気がした。
言うなれば工場でオートメーション化され、流れ作業的に刻まれ、撹拌され、瓶に詰められた。
美味しさと効率は追求するが、そこに理論はあっても哲学はない。そんな味気なさだった。
「私なら、こうはしないわね」
そう呟いて、立ち上がる。
冷蔵庫を開け、食材棚を眺める。 そこには彼女が常に確保している「素材」――整った形を持たない、こそげ落とした肉、脂肪、骨周りの筋。
「膵臓、あるわね……これはちょっと癖が強いけど、旨味はある」
慎重に選別しながら、手元に広げていく。
「みんな一緒に……なんて、都合のいい言葉だけど。切り落とされたものには、それだけの理由があるわ」
脾臓は一度脂肪部位を切り分け、レバーはミルクで血抜きをし、臭みの強い部位にはスパイスを重ねて抑えるのではなく“包む”。
粗さを隠すのではなく、引き立てて個性に変えるのが彼女の流儀。
「癖がある? そりゃそうよ。でも……癖は隠すものじゃない。むしろ暴いて、抱きしめて、旨味に変えるの。そうやって仕上がった料理には――小さな叫び声があるわ」
彼女にとって、癖があるから使わない、などという考え方は肉に対する冒涜である。
下処理が終われば、レバーと脂肪、肩肉、腸間膜に近い薄い部位、それらを細かく刻み、ミンサーにかける。
スパイスは控えめに、あくまで素材の風味を引き出す程度に。
「癖の少ない部位ばかり集めても、それはたしかに美味しいかも知れない。けれど……」
彼女の目に、戸惑いも迷いもない。 肉を調理する行為に、彼女は常に真摯だった。
そしてそこには自分なりの哲学もある。
そう、正に”余り物など存在しない”なのだ。
焼き型に詰める前に、必ずひと口分をフライパンで火入れし、味を確認する。 その仕草はまるで、何か神聖な儀式のようでもあった。
低温のオーブンでじっくり火入れし、粗熱を取ってから、脂を流し込み封をする。
焼き上がり、冷やし固め、じっくり寝かせる。
丸一日かけてようやく完成したそれは、届いたそれよりも不恰好で、断面も不均一だった。
だが香りは力強く、食欲を刺すような重厚さを纏っていた。
瓶の中に閉じ込められたその一皿は、派手さはないがどこまでも端正だった。
「完璧じゃない。でも、それでいいの」
凛鈴はテーブルに並べたふたつの瓶詰――一つは外部の贈り物、もう一つは自分の作品――を見比べ、目を細めた。
「向こうは完成された協奏曲。こっちは喧嘩腰のジャズセッション。でも、どちらも好きよ。これが肉の輝き、なのかも知れないわ」
あちらのパテが計算され尽くした静謐の味なら、凛鈴のパテは喧騒を抱えた一皿だ。小さな歪みや不揃いさはそのまま残す。違和感も混乱も、すべて「この子の生き様」だ。
「ガラス瓶って不思議ね。保存するためのものなのに、こうして詰め込むと……まるで展示された標本みたいだわ。詰めて、飾って、眺めて、名前をつけて……でも、食べるのよ。それがいちばん美しい保存方法だと思うけど」
以前作ったコンフィにリエット。その横に新たに2つのパテ。鈍い輝きを煌めかせながら、鎮座するさまは、正に展示品と言っても差し支えのない、そんな美しさを湛えていた。
そうして出来上がった瓶を眺めながら、凛鈴は静かにメッセージカードをしたためる。
『同じ料理でも、レシピだけじゃ作れない味がある』
届くかわからないカードにはそう書かれていた。




