第九話 となりの晩ごはん
この日は不定期な仕入れの日。きょうも今日とて羽鳥凛鈴は待ち焦がれた配達員を部屋へと引き入れた。
凛鈴の部屋にて、例の業者がいつものように箱を運び入れ、配達員が黙々と仕分けをしていると、お隣の野崎沙那がいつものように顔を出す。
「わあ、また新しいの? いつもお取り寄せ凄いわねぇ〜♡」
彼女の言うように、量はたしかに凄い。少なくとも個人が定期購入するというよりももはや店舗の仕入れと言っても差し支えのないレベルで段ボールが積み上げられるのだから。
そんなお隣さんの参上も気にすることなく、凛鈴作業を中断せずに
「あら、こんにちは」
とにこやかに応じる。配達員は帽子を目深に被り直して軽く会釈するに留めた。
「こんなにあるなんて大変ねぇ、何なら少しもらってあげてもいいわよ? あなたのお取り寄せのお肉、すごく美味しくて! この前の切り落とし、すっごく柔らかかったの!」
その一言に、箱を持ち上げていた配達員の手がわずかに止まる。
男はゆっくりと帽子のつばを下げ直し、深くかぶり直す。顔を隠すように。
聞き違いかと、ちらと視線だけで凛鈴と沙那の様子をうかがう。
だが、二人とも実に自然に微笑み交わしていた。そこに妙な駆け引きはない。
なので男は何も聞かなかったふりをすることにした。
「ええ、かまわないわ。仕訳が終わったら届けるからお家で待っててね」
「ありがと! いつも悪いわね」
そんな会話も当然聞き流す。
バラ、ロース、モツ、肩にスネ。真空パックされた色とりどりの部位を検め、冷蔵庫の隙間に詰め込んでいく。
一通りの選別が終われば、いつものように可食に適さなかった部位を配達員に託して、今日の荷物受取はおしまいである。
「……ありがとうございました。またどうぞ」
そしてこちらもいつも通り。相変わらず覇気のない声で一礼すると男は去る。
ただし、今回は近所にお裾分けしているというとんでもない事実を知ってしまったことで、内心はいつもと違ってあまり穏やかではないのだが。
「さて、今回は何がいいかしら」
一方の凛鈴は、お裾分けをおねだりされては仕方ないとばがりに何を贈ろうかと選別を始める。
何せ凛鈴にとってお隣の沙那は"肉の違いがわかる"舌の持ち主なのだ。
断る理由もないので今回は何がいいかと詰め込まれたばかりの冷蔵庫を楽しそうに物色する。
臓物系は以前のBBQのときに渡した。切り落としもつい先日贈った。生ハムは喜ばれたが、持て余したとも聞いた。ならばあまり手間のかからない部位がいいだろうか。
そこで、今回はオーソドックスにロースといこう。それも小間切れではなく、厚手のスライスで。
生姜焼きでもカツでもステーキでも、美味しくいただけるといいな。
そう考えながら凛鈴は手際良くブロックから切り出し、パッキングを進めていくのだった。
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「ほんと、いつも悪いわね〜。しかもこんなに沢山。うれしいわ〜、冷蔵庫に入り切るかしら」
切り進めるうちに、たくさん食べてほしいという気持ちが高ぶってしまった結果、2kg近く及ぶ大量の肉のパッキングが出来上がってしまい、それでも折角用意したのだからと、凛鈴はそのまま隣家に持ち込むことにした。
「いつも美味しいと喜んでくれていますからね。私の好きなお肉を私と同じように味わってくれるのが嬉しくて、今回少し張り切ってしまいました」
奮発して沢山切り出したロース肉。料理の種類も多岐にわたるそれは正に汎用性。
「早速ステーキかしら。今度とんかつも作れるわね。ホント助かるわ〜」
「細かくすればカレーやシチューにもいいのよね」
より楽しんでもらえるように敢えてオーソドックスな部位を選んだが、これも大変喜ばれ凛鈴の気分が良くなるのだった。
「あ、最後に一つだけ。火はよく通してくださいね。お腹を壊すと大変です」
厚手の肉なので、そこの注意だけ促す。そして肉と沙那の背中を見送ると、凛鈴は満足そうに自室へと帰っていった。
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「ただいま〜、お、なんかいい匂いだな。今日の晩御飯は何?」
帰宅早々、部屋に満ち溢れた食欲を誘う夕食の香りに、夫である野崎雄馬は仕事の疲れも忘れ、妻である沙那にその正体について訪ねた。
「あら、おかえりなさ〜い。今日はね、また羽鳥さんからお肉頂いちゃったの〜」
「また貰ってきたのか? なんだかいつも悪いな〜」
「でもくれるっていうんだもの。なら、受け取らなきゃ失礼よ」
なにかにつけて妻と交流があるのか、しょっちゅう肉を貰ってくることに雄馬も多少の罪悪感がないでもない。
特に、本人曰くお取り寄せ品だとか、明らかに高級であったり高価であるような、またはとてつもなく手が込んでいるような部類の料理を貰ったこともあるため、こう何度ももらい続けているのは流石に気が引けるようだ。
「流石にやっぱり悪い気もするし、ちょっとお礼してくるわ」
「そう? それじゃ頼むわね」
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夕食前に取り敢えお礼だけでもしておこう、そう思い立って帰宅後にも関わらずすぐに隣家へ向かい、呼び鈴を鳴らす雄馬。
「……なにか?」
何度目かの呼び鈴を無らした後、でてきたのは不機嫌を隠すこともなく胡乱な目つきで睨みつけるドレス姿の女。
その異様とも言える雰囲気に一瞬呑まれかけた雄馬だったが、すぐに来訪の目的を思い出し、
「あ、あの、いつも妻がお世話になってます……! ホント、美味しいお肉で家族みんなもとても喜んでまして……」
その一言に、顰め面だった凛鈴の表情は一瞬で破顔し、
「あら、それはご丁寧に。美味しかった、ですか。喜んでもらえて何よりだわ」
と上機嫌に返してきた。その反応に思わず安堵する雄馬。
「ええ、それはもう。ただ、毎回貰ってばかりでなんだか申し訳なくて。なんで、近い内になにかお礼でもと思いまして……今日はその、挨拶というか……」
「いいのよ。あなたの奥様、とても”味のわかる方”のようですから。そんな方に食べてもらえるなら、肉も喜びます」
凛鈴はそんな雄馬に微笑む。雄馬は雄馬で、はて味がわかるとは? と若干の疑問符を浮かべるが気にするのは止めて、お礼の応酬となった。
「あ、そうですわ。いま下ごしらえしていたお肉がありますのでよかったらどうぞ」
言うやいなや凛鈴は部屋へと戻ると、即座に戻って来る。その手にはきれいに切れ目の入り、タレに付けられた肉塊だった。
「花咲ハラミを作ってみたの。ちょうどいい切れが出ましたので。柔らかくて旨味が濃い部位ですわ。よかったら是非どうぞ」
「え!? そんな、いいんですか?」
「もちろん。きっとお肉も喜ぶわ」
お礼を言いに来たはずが、何故か更に肉の贈り物を受け取ることになり、唖然とする雄馬。
「では、すみませんが私はこれで。ちょっと仕込みがいいところなものですから」
「あ、はい、こちらこそすみません」
そうして雄馬の言葉を最後まで聞くか聞かないかくらいのタイミングで扉を閉める凛鈴。
結局、生肉を持ったまま、呆然とした雄馬が玄関前に取り残されることとなった。
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「ただいま〜……なんか羽鳥さんからまた肉、もらってきた」
「え〜っ! ハラミ!? 嬉しい〜♡ 明日はこれに決まりね」
「やったー! お肉だー!」
更に増えた肉に喜ぶ妻と娘を見て、雄馬は深く考えるのを止めた。
いいじゃないか。実際うまい肉なんだ。家計も助かるしいい事だらけだ。気にすることはない。
そんなふうに自分に言い聞かせて。
フライパンで焼かれ、香ばしい音とともに脂が跳ねる。
「焼きすぎないでね」
「ほら、おとうさんはわさび醤油が好きでしょ」
などと、ごく普通の会話。
食卓に並ぶ皿。きれいに焼き上がった厚切りのステーキ。湯気、脂、肉の弾力。
娘は嬉しそうにナイフとフォークを使って頬張り、
「やわらかーい!」
とご満悦の様子。沙耶もパクパクと口に運び、
「ほんと、すごいよね。スーパーのと全然違う」
と肉を絶賛。
(……これは本当に、何の肉? まぁ、たしかにうまいからいいけど)
雄馬は雄馬で今まで食べたことのない肉の風味に疑問を抱くが、その味に負けたかのように湧いた違和感を肉と一緒に飲み込むことにした。
「ねぇママ〜、また明日もお肉にしよ〜よ」
「ふふっ、明日はさっきのハラミでステーキにするわよ〜」
しばらくは肉をたらふく食べられる。その現実に思わず皆一様に笑みがこぼれた。
野崎家は何も知らない。
今日も、明日も、凛鈴のおすそ分けが食卓を満たす。




