第一話 鉄板の上の祈り
食卓には今日も肉がある。ただそれだけのはずだった。
彼女は今日も肉を食す。
──その肉は赤身の綺麗な肉だった。脂の差しこそ少ないものの固さはなく、ブロックから切り分ける際もすんなりと刃が通り、一枚の分厚いスライスが切り分けられた。
そんな一枚の肉は、予め熱せられた厚手のフライパンで一気に表面に焼き色を付けられ、あっという間にミディアムレアのステーキへと姿を変える。
普通の家庭なら、焼き上がったステーキは普通の皿へと盛り付ける所だが、そこは拘り故か。
わざわざ、これまた予め熱を与えられた鉄板の上に盛り付けられる。この時、理想よりもやや甘めの焼き加減でフライパンから上げるのがコツだ。そうしないと、折角のベストな焼き加減も鉄板の熱で台無しになってしまうからだ。
鉄板の上にはスライスされたオニオンとコーンの粒が既に載せられており、鉄板の熱に焼かれながらも主役の登場を今か今かと待ち構えている。
そしてついにこの時が来た。スライスオニオンの上に焼きたてのステーキがその身を横たえたのである。
滴る肉汁が鉄板の上でぱちぱちと跳ね、肉の厚みとその重さも相まって、敷かれたオニオンに一気に熱が入り、その香ばしさがさらに高められた。
最後に、肉汁と幾つかのソースで作ったオリジナルステーキソースを掛ければ、彼女のお気に入りメニューの一つであるミディアムレアステーキが遂に完成だ。
付け合わせはオーソドックスに丸いパンとコーンポタージュ。どちらも近所のスーパーで買ってきた普通の物だが、そんなことは関係ない。
肉を食らう。
彼女は肉を食べることこそが目的であり全てだ。パンもスープも雰囲気的なもので、なんとなく気まぐれに並べてみたに過ぎない。
彼女にしてみれば、一緒に並べるのが白米に味噌汁と沢庵であったとしても関係ない。もっとも、白米を並べるなら、肉ももう少し和風なメニューに変わるだろうが。
それはともかく、例え共されるパンが有名店の一級品であったとしても、目の前に鎮座する600gの分厚いステーキが相手であるのだから、彼女の目には脇役としてしか映らない。
「……いただきます。」
料理が白いテーブルクロスと共に敷かれた赤いランチョンマット上に並べられた所で、彼女は先程まで身に付けていたエプロンを外して席につき、ナイフとフォークを手に食事を始めた。
ステーキ用に刃に鋸刃のような刻みの入ったナイフはすんなりと肉へ滑り込み、肉汁を迸らせながら大きな一枚肉を切り分けていく。
彼女は溢れる肉汁を一滴たりとも無駄にしないよう、右手のナイフで肉を切り分け、そのまま左手のフォークで口に運んで咀嚼を始める。
噛み締められた肉からは一気に肉汁が溢れだし、その旨味が彼女の口内を支配していく。
一口目の味わいに歓喜を覚えつつも、彼女は手を止めることなく二切れ目の肉を切り出し、一口目を飲み込む前に次の肉を放り込んだ。
後はただひたすらその繰り返し。時折ナイフとフォークを置き、パンとスープに手を伸ばすが、彼女の手はすぐにステーキへと戻り肉を求める。
彼女がテーブルについてからものの10分とかからずに600gのステーキはあっという間に平らげられ、残っていたパンで鉄板に残されたソースと脂を名残惜しそうに拭い取るとそれもそのまま口の中へと放り込む。
こうして彼女は僅かな肉片の一欠片、溢れた肉汁の一滴も残すことなく大きなステーキを完食した。
「……ふう。今回のお肉も悪くはないわ。今回は赤身だったけど、無駄に硬くもなく旨味もよし。これで他の部位も期待できるわ。」
食事を終えた彼女は誰ともなくこの日の肉の感想を述べる。
彼女──見様によってはまだ十代にも見えるほどの幼さの残る女性――はレトロで優雅さを演出しつつも、どこか胡乱な気配を孕むドレスに身を包み、その姿をテーブルに載せられた燭台の蝋燭が不安定な明かりで照らされている。
この昭和の残り香漂う木造アパートのダイニングには些か不似合いな様相だが、内装自体はリフォームされていて比較的近代的なのと、先程まで座っていた椅子もテーブルクロスの下のテーブルも、彼女の衣装に合わせてかアンティーク彫の物で揃えられているため、室内に限って言えばむしろ調和のとれたインテリアである。そのある種異様な様相は幻想的でありつつもどこか退廃的であった。
「さて、と。次は何を食べようかしら。」
そう言って彼女は冷蔵庫を開いて中身を検める。一人で暮らすにはこれまた不似合いな業務用の冷蔵庫の中にはまだまだ沢山の食材が詰められている。
尤も、その内訳と言えば……
・モモブロック
・リブロース
・中落ちカルビ
・スペアリブ
・バラスライス
・ミンチ
・各種ホルモン&スジ肉
と、合計で数十㎏に至るほどの肉、肉、肉であるが、これらはあくまで冷蔵保存の分で、冷凍庫には更に幾つかの肉とソースが備蓄されているため、見事に肉ばかりなのである。
「さぁて、明日は何を食べようかしら……うふふ……」
つい先程巨大なステーキを食べたばかりであるにも関わらず、彼女の意識は既に次の肉へと移っている。冷蔵庫の中のをどのように調理してやろうか、どう味わおうか。そんなことを考えながらうっとりと肉を見つめる。
彼女、この郊外の木造アパートに住む女性──羽鳥凛鈴――は肉が好き。ただひたすらに。
「あぁ、明日の朝餉が待ち遠しい……」
今日も、そして明日も彼女は肉を貪る。