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「わっ! え? ロ、ロッシュ!? ……ってぇ!」
「ロッシュ!! やめなさい!!」
唸り声をあげながら、ダイチの腕に噛みつくロッシュ。
もう俺はびっくりして、ロッシュをダイチから引き離し、緊急避難としてケージに隔離。
ダイチの腕の傷を確認したけど、着ていたものが長袖だったお陰で傷はなく、牙によるへこみと服のひきつれ程度ですんだ。
でもあの小さな口でもこんなに跡がつくんだと、俺はショックだった。
ロッシュはしばらく興奮状態だったけど、俺の仕事部屋でしばらく抱っこして撫でてやると、落ち着きを取り戻し、いつものかわいいロッシュに戻った。
「ごめん、1人にして」
「いや、いいですよ。それよりロッシュは落ち着きました?」
「うん。抱っこして撫でてやったら、落ち着いた。……でも、本当にごめん。ロッシュがまさか人を噛むなんて」
「いや、いいですよ。なんともないですし」
「でもロッシュのせいで、服を傷めてしまったし。弁償するよ」
穴というほどではないけど、ダイチの服はロッシュの牙が引っかかり、生地の糸が少しつってしまっている。
「これくらい大丈夫です。気にしないでください」
「本当にごめん。弁償くらいさせてくれ」
「本当に大丈夫ですって。きっと俺がいきなりユウジさんに抱きつこうとしたから、ロッシュがびっくりしたんですよ」
たしかに、ロッシュからは、ダイチが俺に襲いかかろうとしたように見えたのかもしれない。
ロッシュは俺を守ろうとしてくれたのかもしれないが、それでもいきなり人を襲うなんて。
「もしかすると、大好きなご主人様を取られる気がして、俺に腹を立てたのかも」
ダイチはふふっと手の甲を口に当てて笑った。
「……普段、この部屋にはあんまり人が来ないから。ダイチにはもう慣れたと思ったんだけどね」
「ここ最近は俺だけ?」
「まあ……。はは、そうだね」
この年になると友達付き合いも限られてきて、家に出入りするような付き合いはなくなる。しかもここ何年かは親密な関係になる相手もいなかったし、ロッシュと俺は長い間ふたりきりで蜜月を過ごしてきたようなものだ。
「ロッシュが嫉妬したのかな」
「ロッシュはユウジさんのこと大好きでしょ。よくよく思い返してみれば、ユウジさんと距離が近いと、ロッシュが警戒して吠えてましたね。ロッシュがただ単に、俺のこと苦手なのかと思ってましたが……。もしかして、ロッシュが例の黒木さんだったりして」
「え!? まさか〜!」
……まさかと言ったものの、確かにその可能性もなくはない。
俺が黒木は人間に生まれ変わるって、そう思い込んでいるだけで、次の転生が人間とは限らないのでは。転生だってすぐにできるとは限らないし、黒木の魂がロッシュとして生まれていても不思議じゃない。
(ダイチもだけど、あいつ、犬っぽい性格してたもんな)
ロッシュ=黒木だったとしたら、ちょっと今後の可愛がり方を考え直さないといけない気がするけど、ロッシュが人間の言葉を完全に理解しているとは思えないし、人間っぽい仕草があるわけでもない。
(まあ、いいか。実際黒木が今どこでどうしてるかなんか、誰にもわかるはずはないし。ロッシュはロッシュだ)
5年前にこのマンションを買ったとき、絶対に犬を飼いたくて、偶然めぐりあったブリーダーさんのところで出会った赤ちゃんのロッシュ。
よちよち歩きで俺の所へ来て、ちっちゃな尻尾をちぎれるくらい振ってた。もうかわいくてかわいくて、すぐに飼うことを決めたんだよな。
俺の手から離乳食をやって、病気もせず元気いっぱいで、ずっと俺のそばにいてくれたロッシュ。寝るときも仕事するときも一緒。俺が落ち込んで弱ってるときも、寄り添ってくれた。
その関係性は、この先もずっと変わらない。
「ロッシュの前では、ユウジさんといちゃいちゃできないですね」
「ははっ、ダイチがまた噛まれちゃうかもね」
「じゃあ、ロッシュがいない今だけ、……いいですか」
ダイチの顔が近づいてくる。
あーこれキスだ。ダイチとの初めてのキス。
こういう雰囲気になるのも久々で、俺は年甲斐もなくドキドキしながら、ギュッと目を瞑った。
だけど。体が引き寄せられただけで、肝心の顔は俺の首の横。
(……なんだ、ただのハグか)
ちょっとがっかりしながらも、ダイチの逞しい腕でギュッと抱きしめられ、耳のすぐそばに聞こえる吐息に、やっぱり鼓動は早くなる。
「……すみません、OKの返事もらったばかりで、抱きしめてしまって」
ダイチの少しかすれた声に、ああ、そっかダイチにとっては初めての恋だったなって、思い出した。
――まだ21歳のダイチ。
結局なんだかんだとほだされてしまって、正直本当に俺でいいのかって、まだ不安ではあるけど。これだけ熱望されたんだからって、言い訳もできたことだし。せいぜい大事にしてもらおうじゃないか。
「ダイチ、これからよろしくな」
「――! ……はい!」
ポンポンと背中を叩くと、俺を抱きしめるダイチの腕が、さらに強くなったのを俺は感じていた。