03・ダブル婚約破棄③
シュヴァイン公爵家の長女、ブランカ・シュヴァイン。彼女は最近王太子殿下の婚約者に内定したらしく、王城内に出入りしている姿を私も何度か見かけたことがあった。
王太子殿下とブランカ様が一緒にいるところは見たことがないが……。
――ブランカ様……王太子殿下のことはどうするおつもりなの?
しかし私の思考は、イライラとしたシュミット様の声によって遮られた。
「君は僕の言うことひとつ聞きやしない。妖精のような可愛らしい見た目に騙された! 婚約を申し込んだけど間違いだったよ!」
シュミット様はわざとらしい大仰な仕草で、天を仰ぎ嘆いてみせる。そうして、最後に私をぴしりと指さした。
「貴族の女が働く必要はない! 大人しく、社交でもして楽しく暮らすのが幸せだろう! それも分からない君なんて、僕にはふさわしくないさ!」
シュミット様のその言葉に、ぷつり、と。
今まで我慢してきたものが限界を迎えたのが自分でもわかった。
「そうですか」
一言、シュミット様へ返した私の声は、自分が思っているよりも低いものだった。
だが今更取り繕おうという気も起きない。
――もう、無理だわ。
エルエレリア王国では、性別問わず第一子が家督を相続することが出来る。そのため、女性が第一子であった場合、跡取りとして家業を継ぐことはままある話だ。
現に、この国を統治している王は女性で、城で働く同僚にも貴族出身の女性は多い。
長年王家に仕えてきたガーランド伯爵家に生まれたことは、私の誇りだった。
――この人は、私の誇りを一生理解してくれない。
数年前、私がシュミット様との婚約を受けたのは、父の勧めだった。エディン侯爵様は父の古い友人であり、その息子であるシュミット様もきっと信頼出来るだろうと父は言った。
父には申し訳ないが、もう限界だ。
私の考えは、シュミット様に何度も口論になる度に伝えてきたつもりだった。
だけれど、私はシュミット様の考えを受け入れられないし、シュミット様も私の考えを理解できないのだ。
まったくもって交わらない。永遠に平行線を辿る。
――もう、この人の相手は疲れた。
「どうぞ、お好きにしてください。私も、仕事に生きますから」
今まで我慢していたのが馬鹿らしい。
キッパリと、シュミット様に向かって告げると心のもやが晴れたようにすっとした。
すっきりとした私とは正反対に、シュミット様の顔は怒りで真っ赤に染まっていく。
「~~っ仕事仕事って……! 君はいつもそうだ! こんな時くらい、僕に可愛くすがってみることくらいできないのか!」
「きゃ……っ」
シュミット様は怒気の混じった声で叫ぶと、私の肩を強く押した。
予想もしていなかった突然の衝撃に、上手く体のバランスが保てずただ体が傾いでいく。
――どうしよう、倒れる……!
ドレス姿のせいで動きにくい。とてもでは無いが、受け身の体勢をとれるとは思えない。
私は痛みを覚悟してぎゅっと目を瞑る。……だが、予想していたような痛みが私の体へ訪れることはなかった。
その代わりに訪れたのは、ふわりと誰かに背中を抱きとめられた気配。
「……大丈夫?」
穏やかな声が静かに落ちてきて、私は誰かに助けられたのだと遅れて理解する。
「え、ええ。ありがとう、ございます」
礼を言いながら振りあおぐと、そこには目鼻立ちの整った無表情の青年がいた。
中庭を吹き向ける風が、青年のサラサラとした金の髪を揺らす。
青空のように澄んだセレストブルーの瞳が私を見下ろしていた。
――綺麗……。
透き通った青年の瞳に、私は吸い寄せられるように見入ってしまった。
年は、18歳の私より少し上だろうか。
身なりの良い服装をした青年は、しばらくじっと私を見つめ返していたが、やがてぽつりと、
「……妖精?」
とだけ小さく呟いた。
「え……」
私にとっては、苦手な言葉。
だが、青年の言葉には、私を縛る響きはなかった。
例えるならば、私に向けて言ったのではなく、ただの独り言のような。
「あなた、どうしてここに……! いつもは執務室に引きこもってばかりじゃありませんか!」
ブランカ様の悲鳴じみた声が聞こえてきて、はっと我に返る。青年も、私から視線を外してブランカ様の方を見た。
「俺がどこにいたって、君には関係ないだろ。……それで、一通り話は聞いていたけど、俺との婚約の話は無かったことにするってことでいい?」
青年は淡々とブランカ様に尋ねている。
そこには、怒りも憤りも何も感じられない。
「そ、それは……」
「君にひとかけらの興味も示さない婚約者なんてどうでもいいんだろ?」
続けて青年が放ったセリフは、先程ブランカ様が自身の婚約者について口にしていたものだった。
――婚約、者?
ブランカ様の婚約者。すなわち、この国の王太子殿下のことだ。
――もしかして、この人、王太子殿下……!?
王太子殿下の姿を遠目にしか見た事がなかったためすぐに気づけなかったが、ブランカ様と青年の会話からはそうとしか考えられない。
遅ればせながらようやくその事実に思い至った私は、隣にいる青年に慌ててもう一度視線を向けた。
改めて青年の姿を見てみると、王太子と言われて納得の出で立ちだった。
彼の姿は、絵本の中から抜け出てきた王子様のよう。ただし、無表情ではあるが。
――まさかこんな状況で王太子殿下を間近で見ることになるなんて思わなかったわ!
そもそも、何故私が王太子殿下の姿を存じていないのかと言うと、王太子殿下は社交嫌いで有名で、滅多なことでは表に出てこないからである。
「だって、あなたが悪いんでしょ!? わたくしがいつお会いしに伺ってもぼんやりして! 気の無い様子しか見せてくださらないじゃない! わたくしは、もっと熱量の高い男性が好みなのよ!」
「なら、他を当たってくれ。じゃ、そう言うことで」
青年はそれだけ告げると、くるりと踵を返す。
私とすれ違うほんの一瞬、青年が私の方へ視線を向けたような気がした。
この時、私はまだ気づいていなかったのだ。
この日の出会いが、自分の人生を大きく変えることになるなんて。