09・侍従は有能?
翌日。私は執務室で殿下がやって来るのを待ち構えていた。
というのも、昨夜考えた今後の方針を早速実行に移すためである。
――早く来ないかしら……。
なんだか落ち着かない。無駄にソワソワとしてしまう。
しばらく待っているとがちゃりと扉が開かれ、少し眠たそうな様子の殿下がエリオットを連れて現れた。
私は椅子から立ち上がり、殿下のそばに駆け寄って彼を見上げた。
「おはようございます、殿下。早速なんですけど、あなたの執務を補佐をするために何か指示をいただけませんか?」
執務補佐官。
それは名称のとおり、執務の補佐をするもののことである。
一口に補佐と言っても、仕事内容は多岐にわたる。
例えば政務関係書類の整理であったり、命じられた資料の手配。書類の内容の確認や作成。時には、領地の視察へ赴く上司に付き従うこともある。
要は、執務関係の便利屋みたいなものだ。
基本的に、上司の指示がないと仕事が始まらない。
――陛下からは、殿下の「話し相手になってやってほしい」と言われているけれど……。
私の元上司である女王陛下から望まれているのは、王太子殿下の話し相手だ。
けれど、同性ならまだしも異性の、しかも昨日まともに話したばかりの人間に、人への関心が薄いらしい王太子様が心を開いて話をしてくれるとは思えなかった。
――そもそも話し相手になるには、私のことを信頼してもらわないと……!
殿下の信頼を勝ち取るためにも、まずは執務補佐官として仕事ができるところを見せなくてはならないだろう。
これが、私が昨日自室で一晩考えた結論だった。
――殿下の話し相手になることは、きっと国のためにつながる。
これは女王陛下のためであり、ひいては将来の王である殿下のためだ。私の存在にどれほどの影響力があるかはわからないけれど、ほんの少しでも彼の対人関係への思いを動かせれば、国のために仕事ができたと言えるのではないだろうか。
――やってみせるわ……!
「……君は、仕事熱心だな」
朝から使命感に燃える私を見て、表情の動きが少ない殿下の瞳がわずかに開かれたのが分かった。
殿下は自分の後ろに控えているエリオットをつっと長い指で示す。
「執務補佐のことはエリオットに聞いてくれ。俺よりエリオットの方が教えるの上手いよ」
そう短く告げて、殿下は奥へすたすたと歩いていってしまった。
「まあ、今まで殿下の執務の補佐は俺が適当にしてましたからねえ」
代わりに、殿下に付き従っていたエリオットが私の前で足を止める。エリオットは、手紙が山のように入った小箱を両手で抱えていた。
「エリオットって侍従の仕事もしながら執務の補佐までしていたの? すごいわ」
私は尊敬の念を抱いてエリオットを見つめた。
――エリオットって、こう見えて実はとても有能な人なの?
失礼ではあるが、明るく元気なエリオットは普通の好青年にしか思えない。だから、正直そこまでのやり手だとは思っていなかったのだ。どうしても驚きが隠せない。
侍従とは、高貴な身分である王族に四六時中仕える仕事だ。ある程度の身分以上の、信頼のおける人間しか就くことが許されない。さらに身分だけではなく、本人の能力と主人との相性など、さまざまなことが考慮されて侍従は選ばれる。
侍従の仕事内容は決して楽なものではない。基本的に朝から晩まで主人に付き従い、身の周りの世話をする。それに加えて、執務の補佐までこなしていたなんて、尋常では無いだろう。きちんと休んでいるのか、人ごとながらエリオットのことが心配になる。
当のエリオットはというと、私の言葉を聞いて嬉しそうに鼻の頭を指先でかいていた。
照れているようで、すっかり顔がニヤけている。
「え、そうですかぁ? へへへ……ソフィリア様に褒められると照れるなぁ」
エリオットが箱から片手を外したせいだろう。その瞬間、エリオットの抱えていた小箱がバランスを崩した。
「「あ」」
私とエリオットの声が重なる。
私は咄嗟に手紙を受け止めようと手を伸ばしたが間に合わない。
ばさぁ! と音を立てて、小箱いっぱいに入っていた手紙が床へと散らばっていった。
「だ、大丈夫?」
条件反射のように問いながら、手紙を拾おうと私はしゃがみ込んだ。
苦笑したエリオットも、同じようにしゃがんで手紙を拾っていく。
「あちゃー……またやっちゃった」
部屋のあちこちに散乱してしまった手紙を集めていると、エリオットから何やら不穏な言葉が聞こえてきた。
――……また?
私は反射的に眉根を寄せて、執務机の前に座る殿下の方へ視線を送る。
殿下は頬杖をついた姿勢で、じっとこちらの様子を眺めていた。暇そうだ。
その表情には、驚きも怒りも呆れも何もない。自分の侍従が目の前で結構な枚数の手紙をばら撒いたというのに、まるでいつものこと、とでもいうような……。
私の視線に気づいた殿下は、ふうと鼻から息を吐き出した。
そして一言。
「……あまり、エリオットを褒めない方がいいよ。すぐ調子に乗るから」
私は怪訝な表情そのままに、今度はエリオットへ視線を向ける。
エリオットは眉を下げた情けない顔つきで、ぽりぽりと頭をかいていた。
「すみません。俺、気をつけてはいるんですけど結構やらかすんですよね」
へらりと笑うエリオット。
私は自分の顔がひきつるのを感じていた。
――あ、なんか先行き不安になってきた……。
見目麗しく仕事もできるが対人関係にさらさら興味がない王太子と、コミュニケーション能力は高いが調子に乗ると何かやらかすらしい侍従……。
……これは前途多難な気がする。