理性と欲望の電車バトル! 勝つのは私? それとも彼女?
黒崎シアは電車の窓から外を眺める。休日、朝から昼に変わる時間帯。ゆっくりと街が目覚めていく、そんな雰囲気。
通学に使っている路線とは違うから飽きたという程ではないが、新鮮味の薄い見慣れた光景。住んでるところからちょっとした都会へつづく道。
今日は白のカットソーに膝上丈の青のフレアスカート、それより淡い水色のアウターに、髪はピンクのリボンで二つ結びにしておしゃれしてきた。
ふっと背後に人の気配を感じる。車内はやや混んでるとは言えかなり距離が近い。警戒レベルを1段あげておく。
案の定、そんな予想があたったところでうれしくはないけれど、そいつは下半身へと手を伸ばしてきて――
「いやあんた何してんの?」
その手を止めはしない代わりに頭だけ振り返ると、呆れた口調でシアは後ろの女に問いかけた。
野村香月。背はシアより少し高い。黒髪ロングに赤みがかった瞳とどこからミステリアスな雰囲気を醸し出す。飾り気のない黒のワンピースに、明るい黄のスニーカーが映える。
彼女はシアの質問に対して満面の笑みを浮かべて答えた。「痴漢プレイ」
「は?」予想以上の冷たい声音に自分でびっくりする。しかしそれは香月の返答があまりにふざけているからであってシアのせいではない。
「間違えた、痴女プレイだった」反応の素っ気なさに香月は慌てて訂正を付け加える、が問題はそこではない。
ため息。だいたい1か月ぶりに2人で出かけるのに楽しみにしてたんだけどもいったい今日はどうしたんだろうか。
「まず話しながら人のお尻触るのやめなさい」
「このぐらいいいでしょ、女の子同士でじゃれついてるだけに見えるって」
「その範囲で収まるの?」
「いずれ逸脱します」
「じゃあ今すぐやめろ」
いつもより香月のテンションが高いように感じる。彼女は彼女ではしゃいでいるということなのかもしれない。方向性がちょっとおかしいけれど。
手が離れた。けれども今度は体を一層密着させる。背中に柔らかいふくらみが当たった。電車の揺れにあわせてかすかに震える。
「付き合ってるからいいじゃん」後ろから耳元でささやきかけてくる。
「付き合ってたとしてもその時その時の同意がないとだめでしょ」自然こちらの返事も同じく声量を落としたものになった。
「拒否してるのもプレイの一環じゃないの?」
「一環じゃないですね」
「じゃあそういうプレイの時はどうすればいいの?」
確かに。そういう方面についてシアは詳しくない。
でもそういうことをする時に口ではいやといいながらも、その実やって欲しい時というのはあると思う。本当にやって欲しくない時もある一方で。
やる側がそれを判断しなければならないとすれば難易度が跳ね上がる。Sは人の心を察するとても大変な仕事になってしまう。
「前もって流れとか決めとくといいんじゃないの?」
思いついたことを口にする。あってるかどうかは知らない。
香月はそれを聞いてしばらく考えてから再び口を開いた。
「今から電車内でまずは服の上から触りつつ、徐々に服の中に手を入れてったりするから、始めは拒むけどなんとなく押し切られちゃう感じで、後は流れでおねがします」
「今決めるな、やんないよ」
なんでこの流れでそれが通ると思うのか。理解ができない。
香月の体温は低い。その肌はひんやりしている。夏なんかはそれが心地いいと思う。健康のことは少し心配になるけど。
肩の上にあごをのせてがくがくしてくる。甘えてるんだろうか。かわいいことはかわいい。それはそれとしてシアはその誘いに乗るつもりはない。
「逆に私がいきなりあんたの体まさぐりだしたらどう思う?」
「おいおい今日は積極的だなー、ひゅー♪」
「ごめん、聞いた私がバカだった」
「えー、やろうよー」
「普通にいやです」
「なんで?」
「いやそっちこそなんで?」
なんかもう普通に理解が追いつかなくなってきて、質問に対して同じ質問を返す。くだらないやり取り。いつも通りと言えばいつも通り。
香月はしばしうーんとうなってから質問に対する質問の答えを返してきた。
「普通、人に見られるかもって思ったら興奮するでしょ、普通」
「普通で挟んだところで普通の意見じゃないです。人間には人前で性行為をしないっていうルールがあるの」
「まじで、そんなのいつ決まったの? 最近ニュースとかでやってた話?」
「ずっとずっと昔からだよ、正確にはいつからかわからんけど。それから話すついでに耳に息吹きかけるのやめなさい」
誘惑の方はあきらめて普通の会話に移行したと見せかけながら、香月は合間合間に吐息を織り交ぜてシアの耳を刺激してくる。
人の耳が弱いことを知って。こざかしい真似をする。
「なんで?」声だけで香月がにやけてるのがわかった。
「私は私で我慢できなくなるでしょうが」正直なところを告げる。
感覚的はまだだいじょうぶそうだけど、このままつづけられたらだんだんと紅潮していって、余計感じやすくなる可能性がある。そうなると少しまずい。
「我慢なんてしなくてもいいんだよ? 私はシアちゃんのものなんだから、いつでもどこでも好きなようにしていいんだよ?」
悪魔か、この女は。
がたんごとん。規則的に音が聞こえる。自分たちが今どこにいるのか忘れないように教えてくれる。そのおかげでぎりぎり理性を保っていられる。
精一杯声を抑えてシアは誘惑を跳ねのける。
「私は普通に自分が感じてるところを人に見られたくないし、あんたが感じてるとこを人に見せたくもないの」
「わがままだね、でもそんなとこも好きだよ♡」
「誤魔化し方が雑か! あというほどわがままでもないし。というか今日に限ってどうしたの?」
さすがに気になってきた。日常的にちょっとずれたところのある娘だけど。今日は度をこしている。なんなんだろう。なんか変なものでも食べたとかなんだろうか。いや例え香月でもまさか……。
答えづらいことでもあるのか、少しの沈黙を挟んでようやく香月はぽつりとつぶやいた。
「なんかいい匂いしたから」
正直なところシアはその言葉に胸がときめいた。
即座に振り返って抱き締めてキスしたかったところをぐっとこらえる。こらえられた自分を存分に褒めてあげたい。
「あ、わかる? 新しい香水つけてみたんだー。久しぶりのデートだしね。どう? どう? いい感じじゃない?」
無意識のうちに声のトーンもあがっている。我ながらちょろいとは思うけど、好きな人にほめられて嬉しくならないなんてことありえないのだ。
「やっぱそっちから誘ってるじゃん!」
あきれたように香月は言う。
再度ため息。肩をすくめる。シアは明るく、それでいて抑揚ひかえめに、言い聞かせた。
「私は段取りに拘るタイプだから。朝からいっしょに出かけてデートしてそれで……ってプランが頭の中でもうかっちり決まってるの」
香月の体がそっと離れる。今さら何かを察したのだろう。カンがいいんだか悪いんだかよくわからない子だ。
電車がゆるやかに速度を落とす。駅のホームへとすべりこんでいく。
「さんざん挑発してくれたんだから……わかってるよね?」
くるりと踵を返してシアは満面の笑みを浮かべる。
純度100%。何の怖いところもない。それを見た香月の顔が少し引きつっていたように見えたのはただの気のせいだろう。
扉が開く。楽しい1日になりそうだなとなんとなく思った。