【03】新領主のきな臭い密談
(森神さまも喜ぶ味、か)
スロヴェスタの夜。その路地を、大きな荷物を抱えてアニは歩く。
昨日褒められたことを思い出しては、ふふふと頬を持ち上げる。あんなことを言われたのは初めてだったし、都人にも通用する味だと評価されたみたいで、そこもまた嬉しい。
(……抱きしめられたのは、あんまり思い出したくないけど。恥ずかしすぎて)
あの謎の抱擁はきっと、都人の挨拶のようなものだろう。そう思っておく。
それよりも今は祭だ。開催を明日に控え、今夜は町中が眠ることを忘れている。
農業と酪農が主な産業であるスロヴェスタの住民は早寝早起きだが、今日だけは例外だ。あちこちで杯がぶつかる音、歌声が響き、でたらめな旋律の弦楽器の音が重なり合う。こういう雰囲気はアニも嫌いではない。目を閉じて音を聞くと、自然と笑顔になった。
(あたしは参加しないけど、皆が幸せな未来に歩めますように)
捨て子の自分を拾って、受け入れてくれた町だ。心からそう思う。
(材料もたっくさん仕入れたし、明日は引きこもって、新しいレシピを練ってみようかな。それから森に入って採取も少し。そろそろ茸の季節が近いし、甘いの以外も……)
なんて、考えながら、ひょいと裏路地を行く。
こちらを通った方が、南西にある森の入り口に近いのだ。町にひとつしかない小さな宿の裏手、道ではなく建物の隙間をすり抜けると、迂回せずに風車小屋の手前まで出られる。
いつも通りそこを抜けて、早く家に帰ろう。
宿と塀の隙間を、荷物を掲げ持ってよちよち進んでいると――
「質素な宿だ。ろくな食事も酒も出さんとは」
上から声が聞こえた。
見上げると、二階の出窓から顔を出した男性が、ぷかりと葉巻の煙を吐き出したところだった。
「そう思わんか、メルロー。娯楽も女も酒も無い、土臭い田舎くんだりまで足を運ぶわしを労え」
「全くもってそのとおりでございます。旦那様は大変お仕事熱心でいらっしゃる」
(あの人…… 領主さま?)
アニははっとした。今煙を吐いているふくよかな人物は、この町を含む一帯を統べる新しい領主、ギンド候だ。新任の挨拶で顔を見た。室内から漏れ出る光でうっすら見えた、特徴的なひげの形からしても間違いない。
(お祭りは明日。もういらしてたって不思議じゃないけど……)
会話が――なんだか、不穏だ。
(領主さま、ご挨拶の時にはいつもにこにこして、皆に優しくしてくれていたのに…… 今の、聞き間違い?)
心音がどくどく鳴る。スロヴェスタの町を土臭いと罵るなんて、聞き間違いであってほしい。
アニの知るギンド候は、代替わりの挨拶の時にも老若男女に分け隔てなく親切にしていた。締めくくりにはこんなことも述べていた。
『この町には若き才能を育てる為の素晴らしい祭りがあると聞く。今からその日が待ち遠しい。どうか皆、切磋琢磨し当日を迎えて欲しい。楽しみにしておるよ』
アニは思ったものだ。前のおじいさん領主と全然違う、ちょっと怖そうな雰囲気だったけれど、そんなことなかった。とても穏やかそうな人だ、と。
その印象が食い違う。不安感が後から後から込み上げてくる。
「しかしまあ、これも欠かせぬ仕事と割り切ろう。わしの財産のためのな」
澄んだ夜の空気を煙が汚していく。領主と付き人らしい男の、不穏な会話は続く。
「旦那様がおいでになることで、町の者は何一つ疑わずにいるのです」
「は、呑気な連中だ。選ばれたが最後、売りとばされるとも知らずに」
「え」
今、何て。
「誰だ!」
咄嗟に出た声を押さえようと、口を押える為に荷物から離した手。
紙袋からこぼれた缶が打ち合った高い音に、窓が更に大きく開いた。身を乗り出してくる男性。その後ろから領主の顔。目が合う。
「おまえ、何をしている! そこを動くな!」
(あ、ど、どうしよう、どうしよう……!)
聞いてはいけない話を聞いてしまった。
そのことを、アニは漸く自覚した。逃げ出そうとした足で缶を蹴飛ばして躓く。ばたばたした足音。宿の主人の声、それを押しのけて人が来る。狭い隙間で思うように動けないアニの腕を、誰かが掴む。
「や、離して!!」
手足を振り回しても無駄だった。少女ひとりの抵抗など、数人がかりの男には赤子同然――
「口をふさげ、声を上げさせるな」
布を噛ませられて、担ぎ上げられる。
いや、と叫ぶことすら許されないまま、アニは頭から袋を被せられた。
●
曖昧な視界の先で、誰かが喋っている。
どこかの室内、アニは手足を縛られて転がされていた。被せられた粗末な麻袋の穴から光が入り込んで、断片的に景色が見える。革靴の先端が複数。とんとんと不機嫌に床を踏んでいるのは、領主ギンド候だ。
(あたし、どうなるの……?)
細かく震える肩を押さえられない。冷えていく指先から、感覚が消えようとしていた。見てはいけないものを見た、目撃者として捕らわれたのだ。どう考えても、無事に家に帰してもらえるとは思えない。
「まさかネズミが居るとは。全員浮かれ騒ぎ中だと油断した」
忌々しそうに、領主の声は言う。
「この者、聞いていたのだな? 間違いないな」
「窓の真下に居たのです、当然聞こえているかと」
「油断ならんな。――まあ良い、枠が一つ埋まっただけだ。顔を見せてみろ」
アニの顔に被された袋が、猿轡ごと強引にはがされる。
「っ――!」
大きく息を吸い込みたかったが、目にした表情に息を飲んで、できなかった。
寝転んだまま斜めに見上げた先には領主の顔。間違いなくそうなのだが、記憶とは全く違う。ひどく険しい、汚らしいものを見るような目で、アニを睨んでいた。
「小娘か。しかも平凡だ」
「変わり種好きもおりましょう。下働きであれば買い手もつきます」
「二束三文ではないか。せめてもう少し見た目が良ければ、整えてから娼館に流したものを」
「し、娼館? にそくさんもん?」
いったい何を言っているんだろう。
アニは目を見開いたまま、瞬きもできなくなった。
分かっている、意味を理解できないほど子供でもない。感情が拒否をしているのだ、受け入れたくないと頑なに首を振っている。
(この人達は、あたしをどこかに売り払おうとしてる……!)
それだけではない。先程聞いた言葉が本当なら、祭で選ばれる若者たちも――
「領主さま! さっきの話は本当なんですか!?」
大声を上げたアニを、部屋にいる全ての男が冷ややかに見つめた。
血の通っていない、優しさのかけらもない視線に晒されて肝が冷える。だけれど口は閉じなかった。込み上げた感情が、吐き出し口を求めて迸る。
「町の人を売るとか、そんな…… 嘘ですよね!? だって皆、領主さまが来られるのを楽しみにして、一生懸命準備して!」
「それが愚かというのだ、馬鹿め」
領主はにたりと笑った。それは、残酷な事実を突きつけることが楽しくてたまらないという顔だった。
重たそうな身体をどすんと椅子に預け、彼は細めた目でアニを見る。そして、ねっとりと口を開いた。
「良いか、娘。おまえたちが楽しみにしている祭は終わった。
今年から変わる。このわしの手によってな。
世間には、若者を欲しがる者は多く居る。そういった連中に売り渡す、具合のいい人材を選ぶ審査会場として生まれ変わるのだ」
「う、うそ、そんなの、」
「嘘なものか。選ばれた者は束の間の喜びを味わい、そして後になって知るのだ。研鑽も希望も全く無駄だったとな。おまえもその一員になるのだぞ」
領主の言葉に、周りがくつくつと喉笑いを漏らした。
何も知らない少女を嘲る、嫌な笑い声だ。アニの頭がかっと熱くなる。怒りと悲しみで、どうにかなってしまいそうだ。
「そんなことひどいこと、誰も認めるはずない! まともじゃない!」
「誰に許可を得る必要がある? わしは領主だ。この土地に生きるもの全ての生殺与奪はわしの手にある。
こんなにも利用価値のある機会を逃し続けるとは、先代もその前も見る目がないな。そうは思わんか、メルロー」
隣に立つ付き人に、領主は撓んだ視線を投げかけた。付き人は全くですな、と、平然として肯定した。
周りの男たちもそうだ。誰一人、領主がこれから行おうとしている行いを咎めようとしない。善意の中で生きて来たアニにとって、それは信じられない出来事だった。
今までの祭をぶち壊して、私利私欲のために利用する――
こんな悪行を、今までに見たことがない。
だが、彼らは一切悪びれなかった。愉快そうに笑い、手まで叩く始末だ。
「選ばれた連中は死ぬまで働かされるか、慰み者か。いいように使われることだろう。
しかしな、幸いだとは思わんか? 神の役に立ったのだから」
領主は大振りなしぐさで、自らの胸を指した。興奮で目が充血し、異様な圧がアニを襲う。
「もとより祭は、神の為のものだったという。この地を拓いた際に土地神を喜ばせる為に開催された祭だ。だが神など存在せん。おまえたちにとっての本当の神とは、土地を統べ、民を従える領主、つまりはこのわしだ!
娘、おまえも頭を垂れて感謝するがいい! そうすれば、少しはまともな買い手を探してやらなくもないぞ!」
「っ……誰が、あんたみたいな人に感謝なんかするもんか!!」
アニは――叫んだ。
あらんかぎりの声で、喉を振り絞って叫んだ。身体中に怒りが巡り、涙まで出そうなくらいだった。
森の神を騙り、町の住民を食い物にする輩になど、決して屈したくない。たとえ自分がどんな目に遭おうとも、嘲笑を浴びても、口を閉じる気にはならない。
「森神さまはちゃんといる! あんたの悪行を絶対に許さない! 悪いことなんかさせやしない!」
「そうだ、神は存在する」
「そう、森神さまは―― え?」
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