【02】菓子の代金と突然のハグ
もう一つ箱を乗せ、同じようにくくりながらアニは問う。男はうんともいいえともいわず、曖昧な表情で先を促しているようだった。
説明した方がいいのかな。そう判断し、アニはスロヴェスタっ子ならば誰でも知っている祭の由来を語る。
「年に一度、領主様が何人かの若い人を迎えにやってくるんです。
ほら、ここは田舎でしょう? 仕事をしたいけどつてがない人が多くって。その解決策にって、才能のある人をスカウトに来るんですよ」
中でも技術職、例えば絵や木工、歌に踊り。何かしらの技を持つ者は、選ばれるためにこの日を目掛けて研鑽を摘む。
領主の目にとまれば、このあたりで一番大きなベルヴァの街で仕事を紹介してもらえる。うまくいけば王都ロキールで身を立てることも夢ではない。ロキールは文化と芸術の都。大きな出世をすることを願う者にとって、祭は大切な機会なのだ。
「今年は、新しい領主さまになって初めてのお祭りなんです。だからいっそう盛り上がってるんです。よそから見に来る人も沢山いますよ」
なるほど、と、男は顎に手を当てた。
「しかし、祭の名前と食い違うな。嫁など関係なさそうだが」
当たり前の疑問だった。そうなんですよね、とアニもまた指を顎にあてる。
「昔からそう呼ばれてるので、誰も気にしてないですけど…… 昔、領主さまに見初められて結婚した人がいるから、それにちなんでるんじゃないですかね? 玉の輿狙いの女の子も少なくないです」
「……そうかね」
と、応じたきり、男は眉間にしわを寄せて黙った。
(なんだか興味なさそう…… お祭り目当ての都人じゃなかったのか)
「君は」
「はい?」
「君も何か腕を揮って、取り立ててもらいたいのかな? 例えばこの菓子だとか」
「いえ、これはお祭りにあわせて観光に来る人に向けた商品です」
アニは首を振り、箱を軽く撫でた。
この中に入っているとりどりの焼き菓子。どれも自分で編み出したレシピだ。
味に自信はあるが、これを武器に領主の目に留まりたい――とは、思わない。
「出世には興味が無い、と」
「なくはないですよ、都会の製菓技術は知りたいです。でもそれより、スローヴェの森が好きです。離れたいとは思いません」
「何故、そんなにもこの森を?」
「守ってくれた場所ですから。あたし、捨て子なんです」
話が重たくならないように、にかっと笑って見せる。
アニは孤児だ。
十六年前、スローヴェの森に捨てられていた。町の者に覚えがなかった為、流れ者が生まれた子に困って置いて行ったんじゃないかと、あとで教えられた。
木こりが偶然、木の根元で布に包まれている状態のアニを見つけ、そこから町の教会へ。成長し、物事を理解できるようになってからは、いくばくかの保護を与えられながら人の手伝いをして暮らした。その日々で得た経験をもとに、製菓の技術を身に着け、森で打ち捨てられていた小屋を自力で改良して今に至る。
不思議なことに、生まれたばかりの赤ん坊だったアニは数日の間、誰にも見つけられないまま、怪我も病気も飢えもなく生き延びることができていた。
『スローヴェの森にいらっしゃる、森神様のご加護でしょう』
年老いた教会のシスターにそう、教えられた。
「皆は、神さまが居たのはずっと昔で今はもういないっていうけど、そんなことないと思います。生まれたばかりのあたしを守ってくれたのはこの森です。そして今も、恩恵に助けられて生きています。
森がある限り、神さまだってきっといる。だから離れるなんて考えもしません。ずうっとここに居たいです。
スローヴェの森が、大好きなんです」
「なるほど、なるほど」
男はうんうん、と深く頷いた。先ほどの祭の話の時よりも、よほど楽しそうな顔だった。
アニははっとする。見ず知らずの男性に身の上話を語り聞かせてしまった。なめらかな相槌が喋りやすくてつい――
ごめんなさい長い話を、と呟くと、男は気にしていない様子で手を振った。
「君のそういったひた向きさ、心の有り様が、菓子にも表れているのだな。道理で美味いはずだ」
言ってもぐ。再び焼き菓子を頬張る。
「……あれ!? 私ちゃんと封、あれ!?」
おかしい、確かに紐でくくったのに。全ての箱を確認するがきっちり蓋は閉じている。ばっと男を振り返ると、相変わらずの穏やかな笑みで、なめらかな頬を袋にして焼き菓子をぱくついていた。
「え!? お兄さん、それっ……」
「次は買ってくれ、だったな。しかしわたしは持ち合わせがないのだ。どうしたものかな。……そうだ」
呆然とするアニの前で、男は空いた片手で懐を探った。何かを取り出し、差し出してくる。握り拳より少し大きい、石のかたまり。ひっくり返すと、裏側には美しい石柱が細かに重なり合っている。
「これは?」
「緑柱石だ。代金に足りようか?」
「ほ、宝石じゃないですか! ここの箱全部足してもおつりがきますよ!」
アニは裏返った声で悲鳴を上げた。
「いただけません! 全部買い取っていただくでもしない限りは!」
「ならばまた訪ねよう。その度に振る舞ってくれればよいよ。それとも、石はお気に召さないかな?」
「そんなこと! ないです、ないですけど……!」
アニはじっと、手の中の緑柱石に見入った。
町にも宝飾品の加工業者はいない。何せ小さな町なので、高価なものを作って売る環境がないのだ。森の奥に採れる場所があるらしいが、設備が整っていないこともあり、だれも手を付けてはいない。
(宝石なんて初めて触った。まるで澄んだ湖の底みたい……)
いつまでも見つめていられる、見惚れてしまう美しい石。
こんなものをぽんと渡してくるなんて、彼はやっぱり都か、栄えた場所に住んでいるお金持ちに違いない。
顔を上げると、男はもうこれで支払いは済んだと言わんばかりに、満足そうに指を舐めていた。乾煎りした後に蜂蜜を絡めて仕上げたナッツ菓子の破片が、夕日を浴びてきらきら光っていた。
「君の菓子は滋味深く、染み入るような素晴らしい出来だ。良い菓子に仕立てられた実りを、神もさぞ喜んでいるだろう」
「あ――」
なんて、嬉しいことを言ってくれるのだろう。
言葉にならなくて、アニはぎゅっと石を握りしめた。三角巾を、帽子を脱ぐ気持ちで解いて、勢いよく頭を下げる。
「ありがとうございます!」
心からあふれた感謝の言葉だ。しかし、男から返事はなかった。
返事の代わりに寄越されたのは抱擁。すっと自然に、まるで穏やかな水の流れのように差し出された腕が、アニを包み込んでいた。
あんまりなめらかにそうするものだから、最初、何をされているのかわからなかった。肩と背中に感じたほのかな体温と、頬を押し付けた上等な布の感触で、抱きしめられたのだと気が付いたくらいだ。
「君は良い匂いがする。草木と土の暖かな匂いが」
「え、あ……」
囁きに言葉も返せない。
抱擁はすぐに解けた。あっけに取られたアニの頭を、男がゆっくりとさする。
「また来る。再会を楽しみに」
男はひらひらと手を振ると、そのまま踊るような足取りで、森の向こうへと歩いて行った。
アニはただ、その背中を見送るほかない。
遠くから、菓子の納品の為に訪れた、馬車の車輪の音が聞こえていた。
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