1 留学生の憂鬱
僕は小さくため息をつきながら背のリュックサックをゆすり上げた。リュックは僕の胴回りよりも大きく膨らんでいる。右手はキャリーケースのハンドルを握っている。足元はアスファルト舗装ではなく平たい石をコンクリートで固めたものだから、キャリーケースが激しく暴れ、ガラゴロと大きな音を立てている。
ここは鬼士院に続く参道。道の両側には土産物屋や食事処が隙間なく立ち並び、平日にも関わらず観光客で溢れている。京都という土地柄もあってか、外国人観光客のほうが多いようだ。皆キョロキョロと辺りを見回しながら写真を撮っている。
参道をしばらく歩くと、低い建物の向こうに鬼士院のシンボルにもなっている七重の塔の尖塔と、院をぐるりと取り囲む高い城壁が見えてくる。京は長岡京の地にある城郭都市。鬼族の聖地にして母国。千年の鬼の都。それが鬼士院。
城壁まてたどり着くと、僕は観光客の順路から離れて逆方向に歩き出す。裾を絞った袴に刺繍の入った単衣、いわゆる鬼士服姿の衛兵がさり気なく僕の行く手を阻む。
「見学の方はあちらへどうぞ」
言葉は丁寧。だが眼光は鋭い。僕はおどおどしながら答える。
「あの、僕、錬成所にー 留学生でー」
衛兵は「あぁ」といった感じで頷き、
「角を曲がって最初の入り口だ」
そう言うともう僕など目に入らないかのように見張り番に戻った。
衛兵が顎でしゃくってみせた角までたっぶり10分かかった。狭いながらも自治権を持つ城郭都市。四角い枡形の一辺は1km以上ある。ひいふうと息を弾ませながら角を曲がる。先程よりも年嵩の衛兵が手持ち無沙汰な様子で空を眺めている。
「あのー」
僕は息切れを覚られないよう声を絞る。衛兵が白い歯を見せて笑った。
「その様子だと留学生かい?」
ホッとして頷く僕。
「名は?」
「雨道、雨道春風です」
ウドウシュンカーと呟きながら門の脇にある詰所に入る衛兵。クリップボードを手に戻ってくる。
「ここに署名を」
A4用紙に10人の名が印刷されている。僕の名は下から3番目。五十音順ではないらしい。僕は衛兵の差し出すボールペンを受け取り名前の横にフルネームで署名した。衛兵が腕時計をチラと見て時間を書き込む。
「真っすぐ行って突き当りを右に折れると新入生控室がある。行けばすぐ分かるよ」
「ありがとうございます」
歩き出す僕を衛兵が呼び止めた。
「私も里の出身なんだ」
衛兵が優しい笑みを浮かべる。
「頑張って。すぐに慣れるさ」
僕はもう一度衛兵にお礼を言うと重たいリュックを揺すりあげ、キャリーケースをゴロゴロ引きながら歩きした。