08王城生活が始まりました
エリザはレヴィンと共に兵たちに守られながら、数日かけて王都へ向かう。
馬車に乗るのは遠慮した。試しに乗ってみたが、杖に乗って飛ぶ方がよほど気が楽だったし、乗り心地がよかった。
しばらく移動を続けていると、遠目に大きな城の姿が見えてくる。
ホワイト王国の王都は、中央に大きな城と堅牢な城壁を持つ、緑の豊かな都市だった。白い壁と濃灰色の屋根の建物が多く、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
王都に入ってまず感じたことは、やはりマナの弱さだった。
人は本能的にマナが豊富な地を求める。国の最大の都市でこの少なさは不思議なほどだった。
エリザはそのまま城の中に連れていかれ、高い場所にある部屋に案内される。
「こちらの部屋をお使いください」
部屋の中には広い机と大きなソファがあり、続きの部屋の奥には天蓋付きの大きなベッドと鏡台、クローゼットが見えた。
窓にはレースのカーテンとベルベットのカーテン。
王族の姫君はこんな生活をしているのではないかと錯覚するぐらいの厚遇ぶりだった。
「聖女様をお世話させていただくマリアンヌと申します。なんなりとお申し付けください」
マリアンヌと名乗った城付きメイドは、お手本のような完璧な礼をエリザにする。
(ひえええ)
胸中で叫んだ。
王宮で働けるメイドは身元のしっかりとした、良家の娘だけだ。少なくともエリザの国ではそうだった。
「よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げる。
「それではお召し替えをさせていただきます」
着替えぐらい自分でできる。だが、用意されていた白のドレスを見て言葉を飲み込む。
青みがかった光沢のあるドレス、いったいどれぐらいの価値があるのだろう。エリザの貯金では絶対に買えないだろうということだけはわかった。
これを自己流で着て破ったり汚したりするのは怖い。
だがエリザよりもよっぽど育ちの良さそうな女性に世話をされるのもいたたまれないものがあった。
だが相手もこれが仕事なのだ。仕事の邪魔をしてはならない。
胸中で謝りながら、エリザは着替えをさせてもらう。
鏡に映ったドレスを着た姿は、自分ではないみたいだった。
髪もしっかりと手が入れられて、いい香りの香油を塗り込められて、高価そうな髪飾りをつけられる。軽く化粧も施された。
聖女という肩書きなのだから、見た目も重要な要素なのだろう。
とはいえ、これは。
「とてもよくお似合いです」
「あ、ありがとうございます……でもその、もう少し動きやすい服はありませんか? 汚したり引っかけて破ったりしたら……」
「後ほど仕立て屋を呼びますので、少々お待ちください」
マリアンヌは涼やかに答える。
(ひえええ)
仕立て屋を呼ぶということは、一から専用に服を作っていくということだろうか。
軽率な発言をなかったことにしたい。
「王太子殿下に見ていただきましょうか」
「ひっ」
思わず怯えた悲鳴が出る。
――エリザの雇い主はレヴィンなのだから、出来を確認されるのは当然のことだ。
だがまだ心の準備ができていないし、わざわざ見てもらいに行って彼の時間を奪うのも心苦しい。
「――いえ、もう時間も遅いですし、明日にしましょう。夕食をお持ちしますので、本日はゆっくりと旅の疲れを癒してください」
エリザの心を読んだのか、マリアンヌはそう言って部屋から下がる。
ひとりになったエリザは、ほっとして自分のドレスを見る。
裾がひらひらとしていて、軽く動かすと優雅に踊る。その動きも、光沢も、きれいだと思った。
しばらくそうやって遊んでいると、部屋の扉がノックされたので慌てて姿勢を正す。
マリアンヌとメイドたちによって食事が運ばれてきて、あっという間に食事の準備が整えられる。
見たこともないような繊細で美しい食事の前で、エリザは硬直した。
「あの、マリアンヌさん。どうやって食べればいいのでしょうか? わたし、こんなすごい食事のマナーは知らなくて」
正直に言う。
どうしてナイフとフォークがこんなに種類があるのか、どの順番で、どの料理を食べればいいのか、まったくわからない。
知らないことを正直に言うのは恥ずかしい。だが知らないまま過ごすことは、もっと恥ずかしいことになる。
「では僭越ながらわたくしが」
マリアンヌの指導の下、夕食を食べる。おそらく最高級の素材と調理なのだろうが、エリザにはおいしいとしかわからなかった。
食事の後は湯浴みが。その後は寝間着に着替えると、マリアンヌも部屋から下がって一人きりになる。
ようやく一人になれたエリザはベッドに座り、驚愕した。
「ふかふか……すぎる……! あのパンぐらいふかふか……ええ? どういう仕組み?」
身体がどこまでも沈み込んでいく。これではいったいどこに身体を横たえればいいのか。
あまりにも落ち着かなくて、逃げるようにベッドから降りる。窓際に行き、ベルベッドのカーテンと、その奥のレースのカーテンを開いて、窓を開ける。
入り込んできた風がレースのカーテンをふわりと揺らした。
「いい風……」
部屋からは王都の姿が一望できる。
魔導ランプがないからか、ホワイト王国の夜は暗い。地上の光の数はブラック皇国の都とは比べ物にならない。
――静かだ。
(お城のこんないい部屋に、こんないいベッドに、おいしいご飯に、いい服……贅沢しすぎなんじゃ?)
エリザは頭を抱える。
(聖女業……わたしには絶望的に向いていないんじゃ? わたしはただの魔術師なのに……)
聖女だなんて大仰な肩書きを背負い、身の丈以上の待遇を受けている。
元々は田舎で生まれた身寄りのない孤児なのに。村長の家で下働きとして雇ってもらえてようやく生きてこられたのに。
十歳の時に宮廷魔術師としてすでに有名だったジェイドに魔術の才能を見い出されて、そのまま皇都に連れていかれて、老年の魔術師の女性の世話になりながら、魔術と一般常識を叩きこまれた。
十三歳で宮廷魔術師の試験に合格してから、ひたすら働いてきた。朝も夜もなく、ひたすらずっと。
(……そうだ。わたしはわたしだ)
食べるものが変わっても、着るものが変わっても、住む場所が変わっても、肩書きが変わっても。
エリザ自身は何も変わらない。魔術が使えるだけの人間だ。
やれることは変わらない。やることも変わらない。いまエリザに課せられた仕事は、魔術を使ってこの国の魔導具の調整をしていくことだ。
(――うん。ご飯のためにも頑張ろう)
気合いを入れ直し、顔を上げる。窓を閉める。
頑張るためにはまず眠らないといけない。
徹夜は三日連続までならだいじょうぶだが、やはり徹夜をすると頭の働きがどんどん鈍っていく。それではいい仕事はできない。
(眠れるときに眠らないと)
宮廷魔術師時代でも、どうしても耐え切れなくなった時や、少しでも時間ができた時は机の下で眠っていた。
「――そうだ!」
天恵を得て、エリザはベッドの下に潜り込む。
さすが王城。ベッドの下までよく掃除されていて、埃ひとつない。
素晴らしい仕事に感激しながら、エリザはベッド下の中央にまで潜り込む。
冷たく固い床に身体を横たえると、とても落ち着いた。
(ああ、この硬さ……これよこれ)
前職場の床の硬さとよく似ている。そしてこの暗さ。この静けさ。
エリザはすっかりリラックスして、その場所で熟睡した。