04魔術不毛の地たる隣国へ
皇都を出たエリザは、杖に乗って夜空を飛ぶ。風のようにゆったりと。
国境に向かって飛んでいるうちに、東の空が明るくなり始めてくる。空から見る夜明けは眩しかった。
森の上を通過し、山を越えかけたところで、エリザは気づいた。
空にいくつもの影が浮かんでいることに。それが鳥ではないことに。
「ワイバーン?」
翼を持つ竜――ワイバーン。
(国内に出たものはこの前片づけたはず……また渡ってきてたの?)
遠目に見たところ五匹はいる。
興奮しながら地上を見下ろし、時折降りては獲物を弄んでいるようだった。
(人か獣を襲っているんだ)
ワイバーンは集団で狩りをする。食欲は旺盛。機動性が高く、狙った獲物はどこまでも追いかける。一度ワイバーンの集団が現れれば被害は甚大だ。そのためワイバーンは危険種として認定されており、最優先討伐モンスターの一種である。
地上の方からは弓矢が飛び、ワイバーンを打ち落とそうとしているのが見えた。
――襲われているのは人間だ。
エリザは飛行速度を上げ、一気にワイバーンに近づいた。先ほどまでは遠い影だったワイバーンたちに、鱗の輝きが目視できる距離にまで接近する。
白く輝く魔術紋章が、エリザの前に展開する。
「雷嵐!」
超短縮詠唱で魔術を発動させ、ワイバーンの集団を横から殴るように、雷を伴う強風を発生させる。
翼を持つ竜は風に乗るのはうまいが、乱れた風の中では飛行を維持するのに精いっぱいで他のことはおろそかになる。
空が張り裂けるような音と共に、雷撃の網がワイバーンたちを捕らえた。雷撃に触れたワイバーンは身体を痺れさせ、翼を焦がさせ、そのまま地上へ落下していく。
エリザは下を見る。そこにはワイバーンに襲われた馬車と騎馬の一団がいた。このままでは一団の上にワイバーンが落下するかもしれない。
エリザはモンスターの身体を構成するエレメンタルだけを狙って――
「雷迅」
攻撃魔術を落とす。
雷撃はワイバーンたちのエレメンタルを破壊し、その身体を霧散させた。
モンスターの肉体を構成するエレメンタルは、魔術によって破壊できる。エレメンタルを破棄された生物は元の形を維持できない。
ワイバーンの群れは地面に落ちる前に、鱗一枚残さず消えた。
エリザはワイバーンの落下の軌跡を追うように、地面に降りる。負傷した馬車と騎馬の一団の中央に。
商人の集まりかと思っていたが、どうやら兵士のようだった。同じような制服に同じような武装。働き盛りの年齢の男性ばかりが約二十人。怪我人が大多数。ワイバーンに手ひどくやられたらしい。
「大丈夫ですか? いま治しますね――治癒」
魔術紋章を大きく広げて、広範囲に治癒魔術をかける。
白い光――マナが人体を構成するエレメンタルに干渉し、自然治癒能力を大幅に向上させて傷を治す。人体欠損の場合はまた別の魔術が必要だが、どうやらその必要はなさそうだった。
「な……治った?」
「なんて奇跡だ……」
傷が治った男たちがざわめきながらエリザを見る。
(大げさだなぁ)
治癒魔術は魔術師にとって基礎の基礎。魔術師ならこれぐらい誰でもできる。
エリザは苦笑いを浮かべながら周囲の状況を見る。青い軍服の上に白銀の鎧を装備している。ブラック皇国の黒い軍装ではない。
となると考えられるのは――
(……ホワイト王国の軍? どうして国境近くに……?)
訝しんでいると、ひとりの青年がエリザの方へやってくる。
「ありがとう。君のおかげで助かった」
声をかけてきたのは、金髪に琥珀色の瞳の若い青年だった。
その笑顔の眩しさにエリザは思わず目をつぶる。太陽のような輝きだった。
溢れる気品と自信。彼が高貴な人だとすぐにわかった。
つい先日まで宮廷魔術師だったこともあり、貴族や騎士は近くで見てきた。だから貴族の雰囲気はわかる。しかし貴族というものは魔術師を便利な道具としてみているものだ。
こんな真っ直ぐな、こんな屈託のない、こんな尊敬と感謝のこもった眼差しを向けられたことはない。
「いえ、たいしたことはしていませんので」
彼の顔を見ないようにしながら言ってすぐに立ち去ろうとしたエリザだったが、馬車が三台ほど壊れていることに気づいてしまう。
形が崩れているだけなら走れるので大した問題ではない。だが車輪がひしゃげているのは大問題だろう。すぐに修理はできそうにないし、移動にも支障が出る。
これから彼らが移動手段に困るだろうことは容易に想像できた。
想像できた次の瞬間には身体が勝手に魔術を使っていた。
「復元」
エリザは時魔術で馬車を壊れていない状態に戻す。
ひしゃげ、破壊されていた馬車はまさに時を逆回しするように元に戻り、外れていた車輪も元の位置に戻る。
兵士たちがざわめく。奇妙な雰囲気だった。何が起こっているのかわかっていない、自分の目で見たものが信じられていない、未知への恐れ――そんな感情が渦巻き始めていることに、エリザは気づく。
「こ、これも君の力なのか? すごいな……ぜひ礼をさせてくれないか」
金髪の青年は熱心にそう言うが、エリザの危機管理能力はこれ以上この場にいるのはまずいと訴えている。
「いえ、たいしたことはしていませんので。それに、わたし急いでいますので、これで」
杖でトントンと関節を叩き、浮遊魔法と風魔法をかける。
エリザが杖に座るように腰をかけると、エリザの身体は宙に浮いてあっという間に飛び立った。
「待ってくれ――せめて名前を!」
「名乗るほどのものではありません。それでは失礼します!」
一気に西に向けて飛ぶ。少しでも早くその場を離れるために。
(あー、まずいことしたかも? あの場所って、ブラック皇国領? それとももうホワイト王国領?)
空を飛びながら、エリザは一人反省会に入った。
もしまだブラック皇国領内だったとしたら、未登録魔術師が違法に魔術を使ったことになる。大問題だ。
(それに、他国の騎士様と関わってしまうなんて)
大問題だ。
だがブラック皇国とホワイト王国は敵対関係にはないはず。だから利敵行為にはならないはず。
(いやわたしはもう宮廷魔術師じゃないし! 困っていた人を助けただけだし! ――そう、人助け!)
いいことをしたんだから問題ないと、楽観的に考える。
まさかホワイト王国がブラック皇国と敵対したりはしないだろう。ホワイト王国はブラック皇国の属国のような扱いになっている。攻めてくるような兵力はない。
万が一攻めてきたとしても、ホワイト王国には魔術師がいない。
――ホワイト王国は魔術師にとって穢れの地だ。魔術師の誕生しない呪われた土地。
他の土地に生まれた魔術師も、本能的にその地を避けるらしい。だからホワイト王国には魔術師は存在しない。
対してブラック皇国には多くの魔術師がいる。宮廷魔術師だけではなく、他にも大勢。魔術師は誓約により人相手に攻撃魔術を使うことはできないが、戦争とは何も直接力をぶつけ合うだけのものではない。
魔術師は、地形を変えたり、天候を変えたり、あるいは魔導具を操ることができる。それがどれほどの効果を生み出すか、エリザには想像しかできないが圧倒的な力の差になるであろうことは予想できる。
両国の国力は違いすぎる。
だから戦争にはならないし、ブラック皇国もわざわざホワイト王国の領土を取りに行ったりはしない。魔術師のいられない土地など、何の価値もない、不毛の大地に過ぎない。
(だからこそ、無才なわたしでも魔術師としてやっていけるかも)
一筋の希望を抱いて、エリザは空を飛ぶ。新天地を目指して。




