03【sideスカーレット】こんなはずでは
エリザが宮廷魔術師を解雇された翌日。
スカーレット・ウィナーはうきうきで職場である宮廷魔術師本部に入った。
陰気で見苦しいエリザは消えた。少しばかり魔術の才能があったようだが、とにかく華がなかったエリザは、宮廷魔術師団の汚点だった。
仕事は黙ってやってくれるので随分と楽ができたが、とにかくその存在が気に入らなかった。
だから、罠にはめてクビにしてやった。
(研究成果の偽造だけはダメよね。せ・ん・ぱ・い♪)
第三部隊の部屋に入る。いつもと違う爽やかな空気が漂っていた。
「うわぁ~、ヌシ本当にいなくなってるのねー」
後ろから入ってきた同僚のデイジーが、エリザの机を見て驚いたように言う。
いつもそこにあった気配が今日はない。
同じく部屋に入ってきた同僚のフリージアも清々しそうに笑った。
「よかったわよ。あの人すごく暗かったし。怖かったし。なんかずっと残業してたみたいだし? 能力なかったんだろうね」
「宮廷魔術師に無能はいらないわよね。白のエレメンタルとか、何言ってんのって感じ。あースッキリ」
入り口付近でたむろしていると、長身の魔術師――第三部隊の隊長であるジェイドが入ってくる。いつもと同じように不機嫌そうな表情で。だが顔の作りは抜群に良い。王宮で一番の美形とも噂されている。
「なんだ、エリザはいないのか」
「やだぁ。ジェイド様がクビにしたんじゃないですかぁ」
「ではこれはお前がやっておけ。公共魔導具の修理依頼だ」
ぽんと仕事を渡される。スカーレットはそれを胸に抱きながら、上目遣いで上司を見上げる。
「そんなことより隊長、今夜食事に行きませんか? あたし、おいしいお店知っているんです」
「まずは仕事を終わらせろ。明日の朝までに報告書を提出するように」
言って早々に部屋を出ていく。何にも関心がないとばかりに。
スカーレットは困惑した。あの冷たい声は、瞳はどういうことだろうか。ジェイドはスカーレットのことを可愛がっているはずなのに。
「がんばってね~」
同僚たちはそそくさと離れていこうとする。
「デイジー、フリージア、手伝ってよ」
「無理よ。こっちだって今日はなんだか仕事がたくさんあるのよ」
「こっちもだよー。なにこれ、この量……」
同僚たちも辟易した様子で自分の仕事に入っていく。
スカーレットはため息をついて与えられた仕事に目を通した。公共魔導具の修理命令。いつもエリザに押し付けていた仕事だ。
ずらりと公共魔導具の情報が並んでいる。登録ナンバー、名前、場所、管理者名、不調内容。その数三十以上。
「まったく……しばらくはあたしがやるしかないのか……まああの先輩ができてたんだし、こんなの軽いかるーい」
本部に保管されている自分の杖を手に取り、スカーレットは仕事に向かうため外に出る。
スカーレットも魔術師だ。それもエリザより優秀な。
あんな無能にできる仕事が自分ができないわけがない。
――そう、信じていた。
その自信は昼までは持続していた。しかし夕方を過ぎて空が暗くなってきたころには気力は完全に消えていた。
「うう……早く先輩の代わりを見つけて仕事を押し付けないと、デートにも行けないわ……」
それでもあと少しで終わりそうだ。
次は水道の魔導ポンプの修理。
人気のない通路を歩き、ぽつんと立っている管理者の詰所のドアをノックする。一人残っていた若い職員が眠そうな顔を出す。
「ふわぁ……やっと来た……定時過ぎてますよ。あれ? 今日は新しい人なんすね……まーいつものようにちゃちゃっとお願いしますよ」
ポンプ管理者の青年はさらっと確認サインをして、それで自分の仕事は終わりとばかりに帰っていく。スカーレットの仕事を見届けようともしない。
「いい加減なやつ……まあいいわ。さっさと終わらせて次よ次」
杖に込められた魔力を使って、魔導回路を見ようとする。
しかし、杖が動かない。
「なによこれ。マナ切れ? 誰よ、補充してないのは!」
杖に補填されているマナがないということは、自分の魔力を使わなければならない。
しかしそれはとてつもなく疲労感を伴うことだ。一日中仕事をしていたスカーレットにそのような気力は残っていない。
「…………」
魔導具管理者は現場にいない。
魔導ポンプはまだ動いている――ように見える。
確認サインはすでにもらっている。
(すぐに直さなくてもいいわよね……)
何も今日明日に壊れることはないだろう。
そもそも既にスカーレットにはどうしようもない。
なのでスカーレットは本部に戻った。そして目を疑った。みんなとっくに帰っていると思ったのに、全員が残業中だった。
(めずらしい……でもちょうどいいわ)
スカーレットはこれ幸いと、杖の保管庫の前に行く。
「誰よ、杖をマナ切れにしたのは? 補充担当者は誰?」
杖の保管庫の前から、部屋全体を見渡しながら問う。
「あんたでしょ」
呆れ声で答えたのはフリージアだった。疲労困憊の様相で。
「はあっ?」
「もともとはあんたが担当でしょ。あんたがやらないからエリザ先輩が代わりに夜中にやってたみたいよ。もうエリザ先輩いないから、これからはあんたが担当よ」
「はあっ? なによそれ?!」
スカーレットは目を瞬かせる。そんな仕事を与えられた覚えは――ある。遥か昔に。確か一年前に。
最初にうまくできなくてエリザに頼ったところまでは覚えている。
それからずっとエリザがマナ補充をやってきたらしい。そしてこれからはスカーレットがその仕事をする必要がある。
「今日は仕方ないけど、今夜からはちゃんとやりなさいよ。あんたのせいで皆困ってるんだから」
「……あんな疲れること嫌よ、無理よ。フリージアやってよ」
「自分の仕事でしょ?」
フリージアの視線は氷のように冷たい。
「それからあんたも報告書まとめて提出しとかないとまずいんじゃないの? いつもあんたの代わりにしてくれてた先輩はいないし、手伝える余裕のある人はいないよ」
「うぐぅ……」
いつも報告書をまとめていたのはエリザだ。
そして上司のジェイドは報告書の提出にはものすごく神経質だ。
その日スカーレットは徹夜で報告書を仕上げることになった。もちろん杖のマナ補充などする余裕はなかった。
――翌朝。
「スカーレット!」
ジェイドの怒声が一日の始まりを告げる。
机で眠ってしまっていたスカーレットが弾かれたように立ち上がると、すぐ前に怒りの形相のジェイドが立っていた。
「昨日の仕事が全部終わっていないとはどういうことだ! お前が魔導ポンプの修理をしないせいで、第二居住区域で断水が起きたぞ!」
「え……ええっ? す、すぐ行きます」
「もう俺が対処した」
鋭い眼光が突き刺さる。まるで氷の刃だ。魔王の瞳だ。無能を見る目だ。
「それから、お前が全員の杖のマナ補充をしていないと苦情が出ている。どういうことだ」
「そ、それは、いままでエリザ先輩がやってくれていたから……」
「…………」
ジェイドは無言でスカーレットを見据える。次の言葉を吐き出すまで待っている。
だがスカーレットには口にできる言葉がない。言い訳も、反省も、改善案も何も浮かんでこない。
「あたしじゃ無理ですぅ……」
瞳を涙で滲ませ、上目遣いでジェイドを見上げる。
「あたしだけじゃ無理です!」
「馬鹿を言うな。そもそもエリザの仕事は全部お前がやっていたと言っていたのはお前自身だ。なのにどうしてできない」
「それは、その……」
「俺は無能は嫌いだ」
どさっとスカーレットの机の上に書類の山が置かれる。
「昨日の仕事は午前中に終わらせて報告書も提出するように。そしてこれは新しい仕事だ。死ぬ気で今日中に終わらせろ」
冷たく言い放ち、踵を返す。
そして部屋を出ていくのではなく、別の宮廷魔術師にも怒声と叱責、そして新たな仕事を与えていく。
一人ずつ丁寧に。反論する余地もないほど完璧に。
それは地獄の時間だった。




