24城の地下での再会
一度レヴィンに案内してもらった場所に行くまでには、厳重な警備が敷かれている。だが、空を飛んでしまえば地上の警備は関係ない。
篝火の上を飛び越えて、誰もいない、特別な入口の前に降り立つ。
質素で堅牢な扉を開いて、中に入る。
ここからは警備の人間はいない。そしてここから、城の地下に入ることができる。中は真っ暗だった。灯火の魔導具が動いていないからだ。
「灯火」
杖に込めたマナを使い、魔術で灯りをつける。ふたつの光がエリザの頭上で眩く輝いた。
(きっとここは王国の心臓部……見つかったら捕らえられるかも)
恐ろしいことをしている自覚はあった。王城の地下に、他国の魔術師が一人で入ろうとしているのだ。
捕まったら火あぶりだろうか。
だがエリザは使命感で前に進む。魔術師として。そしてレヴィンに雇われた聖女として。この国のマナの根源に触れるために。
そして一歩、踏み出そうとすると――
「――エリザ」
後ろから声がかかる。
声だけでも、呼び方だけでも、誰かはわかる。
エリザは振り返った。入口の外に、レヴィンが立っていた。金色の髪を月明かりが照らしていた。琥珀色の瞳がエリザを静かに見つめていた。
「ち、違います。わたしはエリザじゃありません」
「……もしかして、それでごまかせると思ってる?」
「……いえ」
答えた声は、いまにも消え入りそうだった。
「その格好も、変装のつもりなのか?」
「変装じゃありません。これが本来のわたしです」
コートは新調しているが、他の格好はこの国に来たものとほとんど同じものだ。
レヴィンはおかしそうに笑った。
「そうだったな。なんだか、とても懐かしいな」
「…………」
「君が部屋にいないとマリアンヌから聞いて、おそらくここだろうと思った」
緊急事態の対応で忙しいはずなのに、わざわざエリザを探しに来るなんて。
火あぶりだろうか。縛り首だろうか。できたら毒杯で頼みたいところだが贅沢だろうか。どの方法でも構わないが――エリザにはいま、やらなければならないことがある。
「いま、この国のマナは完全に途絶えています。これは、本当に異常事態です」
「ああ」
「原因があるとしたら、最も可能性が高いのはここなんです。この国の、マナの根源――……お願いします、レヴィン様。わたしにここを調べさせてください。処刑はその後で受けますので!」
「どうして処刑なんて話に?!」
「え、違うんですか?」
レヴィンは肩を落として大きく息を吐き、気を取り直すように顔を上げた。
「処刑なんてするわけがない。調査は、城の外に出ないのなら自由にしてくれていい。だが、ひとつ条件がある」
「はい……」
「私も共に行く」
「……危険です。この下がどんな状況になっているか、まったくわからないんです」
「それは君も同じことだろう」
「そうですけれど、わたしは魔術師ですし、責任があります」
「――エリザ、君は私の聖女だ」
声は、やさしく言い聞かせるように夜の中に響く。
「すべての責任は私が取る」
「――いえ、レヴィン様。二人で取りましょう」
レヴィンは驚いたような顔をして、気が抜けたように笑った。
「……ああ、そうだな」
そしてエリザはレヴィンと共に、長く深い螺旋階段を、ゆっくりと慎重に降りていく。暗い道を魔術の光で照らしながら。石は光を受けて月のように白く輝いていた。
最深部は石に覆われていないむき出しの地面。その中央に、光り輝く杖が刺さっている。以前見た時と何も変わらず、暗闇の中で、光が鼓動を刻んでいるように強く、弱く、光っている。
――魔術王の杖。
その傍らに、誰かがいた。黒いローブを着た黒髪の青年が、つまらなさそうに座って寝ていた。
エリザの心臓が大きく跳ねる。
どうしてここに彼がいるのか。
「ジェイド様……?」
かつての上司の名前を信じられない気持ちで呼ぶ。
「ようやく来たか」
目を閉じたまま言い、目を開ける。漆黒の瞳から放たれる鋭い眼光は、とても見慣れたものだった。
「……どうしてここにジェイド様が?」
ブラック皇国にいるはずの宮廷魔術師団の第三部隊の長が、どうしてホワイト王国の城の地下にいるのか。
そしてそれ以上に驚いていたのがレヴィンだった。
「……あなたが、ブラック皇国の最強魔術師と言われている――……」
「お初にお目にかかります。ですが挨拶はお互いにやめておきましょう。自分は迷子になった部下を迎えに来ただけですので」
優雅に一礼する。あくまで非公式に済ませたいようだった。城の内部への不法侵入――公になれば国際問題になりかねない。
「――エリザ」
威圧的な声で呼ばれ、無意識に身体が震える。
「どうして戻ってこなかった」
「…………」
「手紙を出してやっただろう」
「……はい、読みました」
「ならばどうして俺の元に戻ってこない」
――手紙が届いたのは昨日だ。あまりにも返事を急ぎすぎではないだろうか。
手紙を読んだらすぐに喜んで帰ってくると思われていたのだろうか。
馬鹿にされているのかもしれない――そう思いつつも、動悸と息切れが起こり始める。胸が、苦しい。
エリザは静かに息を整えて、ジェイドを見た。
「……無能はいらないと言ったのはそちらですよね?」
「お前が有能なことはわかりきったことだろう」
エリザは混乱した。
「あの、ここにお前の居場所はないって、はっきり言いましたよね?」
「そう。お前がいつまでも現状に甘んじて燻っていたから、いつまでも俺の下にいないで昇進試験を受けて同階級になれと言ったんだ」
「――わかりません! わかるわけがありません! それを察せられる人間はおそらくこの世にいません!」
エリザは感情のまま叫ぶ。そんな上司の心遣い、わかるわけがない。
これは不幸な行き違いでもすれ違いでも勘違いでもない。ただただジェイドの言葉が足りない。
「だがどうしても出世するつもりがないのなら、これからも俺の部下として仕事を与えてやる。だからいい加減帰ってこい」
「いやです」
エリザは脱力しながらもはっきりと断った。
「ジェイド様は、スカーレットの言うことをすべて信じていたじゃないですか。わたしが全部悪いって。人の成果を奪っているって……いまさらそんな風に言われても、信じられません。もうあなたの下では働けません」
「あんな稚拙な小細工に騙されるか!」
ジェイドは憤慨して叫ぶ。
エリザはますます混乱した。
もしかして、もしかして、ジェイドは研究報告書が偽装されていたことに気づいていたというのだろうか。ならばどうしてエリザばかり攻め立てるような言い方をしていたのか。
「――あそこはお前が証明するか、俺に助けを求めてくるところだ! そしてあの小娘を断罪し、反省させるところだろうが! 何故おとなしく身を引いている!?」
「わかりません!!」
エリザは力の限り叫んでいた。
確かに何も言わなかったエリザにも非がある。
ジェイドがそんなふうに考えていたなんてわかるはずもない。
「どうしてスカーレットやデイジーがのうのうとしていて、お前が国を出ているんだ! 許さん!」
「知りません!」
エリザは怒りのままに叫んでいた。
そんな内心知るはずもない。もうわけがわからない。
つまりはジェイドはエリザをクビにするつもりはなくて、むしろ昇格試験を受けさせたくて、スカーレットの偽装がわかっていても言い分をそのまま聞いたのは、エリザ自身に反論させるためで。
(……わかるわけがない)
頭がくらくらする。
徹夜続きだったあのころのように。頭がガンガンと痛む。
「もういいです。もう全部わたしのせいでいいですから、帰ってください。わたしは絶対に帰りませんから、ひとりで帰ってください」
――失望した。
もう失望した。怒りも悲しみももう感じない。ジェイドは恩人だが、こんな上司の下では二度と働けない。働きたくない。
そしてそれはジェイドも同じようだった。失望したような――あるいは悲しそうな瞳でエリザを見る。
「お前はいつもそうだ……何故、俺を頼らない。何故俺の元にこない。俺はお前をこんなにも愛しているというのに」
「あ――ああああ愛?」
「そうだ。俺はお前を愛している!」
力強く言い切る。
「お前の罪は、俺の愛に気づかないこと、そして自分に自信がないことだ!」
「後者は、その、叱咤激励と受け止めますが――その愛はごめんなさい! 受け入れられません!」
エリザは勢いよく頭を下げた。
ジェイドからの愛だなんて、恐ろしくて受け止められない。
「そこの坊やか」
一瞬の――だが気の遠くなる静寂の後、ジェイドは言った。鋭い眼差しはレヴィンに向いていた。
「王族への恋慕など不毛とわかっているだろう」
「な、な、何を言っているんですか。れ、れ、恋慕って――わたしはただレヴィン様を尊敬していて」
エリザは動揺した。この気持ちは決して恋愛感情ではない――はずだ。
「王族なんて人たらしだけがうまい人種だ。お前は利用されているだけだ。そのうちボロ雑巾のように捨てられる」
「勝手な想像で勝手なことを言わないでください。レヴィン様に失礼です!」
「お前が不幸になるのは見過ごせん」
「わたしたぶん、あなたの前でずっと不幸でしたが?!」
昔のエリザにはそれがわからなかった。
だがいまははっきりとわかる。
「不幸? 何を言う。お前はいつも幸せそうだったではないか」
「――幸せ……?」
家に帰ることもできず、ゆっくり眠ることもできず、食事も適当で、身だしなみに気を遣う余裕すらなかったあの頃が?
確かに仕事はあった。絶え間なくあった。
だが、それだけだ。仕事しかなかった。
(それって……冷静に考えると異常なんじゃ?)
仕事をしていなければ生きている意味がないとか。どうしてそんなことを思うようになってしまったのだろう。
(どうしてわたしは仕事にそんなにこだわっているの?! それだけがわたしの存在する価値だって……誰が、言ったの……)
――もしそうだとしても。
(わたしは、そんなのはいや……)
もっといろんなことをしたい。知りたい。仕事をしていない自分も好きになりたい。
「エリザ・ルーウェス――白のエレメンタル」
黒い色を帯びた声が、エリザを呼ぶ。
「お前は仕事にしか――魔術にしか幸福を見いだせない女だ。生来の魔術師、生粋の魔術師だ」
断言される。その断言は、エリザの胸に心地よく響いた。
「お前を理解し、愛してやれるのは俺だけだ。お前に仕事を与え続けてやれるのは俺だけだ」
「…………」
「戻ってこい。俺の元に」