21【sideレヴィン】夜の訪問
レヴィン・アルノルト・ホワイト。王国の長子であり第一王位継承者であり、王太子。兄弟姉妹はおらず、王家を継ぐ唯一の人間。その毎日は多忙極まりない。規則正しい生活を努めてはいるが、起きている間はすべて公務のようなものである。
今日もレヴィンは夜になっても執務室で公務をこなす。
「聖女様のお力のおかげで、今年の収穫量と生産量は大幅に上がりそうです」
補佐官ステファンが嬉しそうに報告する。
「そうか。今年は安泰だな」
二年続いた不作も今年は収まりそうだ。底をつきかけていた備蓄も回復が見込めるかもしれない。それもこれもエリザのおかげだ。彼女が雨不足の地に雨を降らせ、魔導具を直してくれたから。
「それにしても魔術師というのは素晴らしい。いままで何十人もの魔術師が訪れましたが、その中でもエリザ様は歴代最高の力を持っていると推測されます。おそらく皇国でも有数の魔術師だったのでしょう」
「……だが彼女は、国での待遇はあまりよくなかったようだ」
レヴィンが提示する報酬にいつもおののいている。睡眠時間もほとんどないほど働いていたようであり、仕事だけが唯一の幸福と思い込んでいる様子がある。まるで洗脳でもされているかのように。
ブラック皇国での魔術師の地位はこちらが想像しているよりもずっと低いのかもしれない。
「大勢いるから多少ぞんざいな扱いをしても、ということでしょうか。贅沢なものですね。ですがそれならば、こちらが厚遇している限りいつまでもいてくださりそうですね」
「…………」
レヴィンは応えなかった。
ステファンの言うことは、確かにレヴィンの望みでもある。エリザにずっとこの国にいてほしい。待遇をよくするだけでそれが叶うなら、いくらでも予算をかける。だがそれで本当にいいのだろうかという不安もある。
――エリザにすべて押し付けることになってしまわないだろうかと。
「王太子殿下。聖女様はもうこの国に欠かせない御方です。魔術師としても、聖女としても」
「……ああ」
「エリザ様はいまや天恵の聖女と呼ばれ、民にも親しまれています。人気は日々高まり、ひいては王家――王太子殿下の人気もますます高まっています」
「…………」
「いっそ娶ってしまわれればいかがですか」
「言いたいことはそれか」
レヴィンはため息をついた。
「はい。幸い王太子殿下にも決まった方はいませんし、聖女様が妃となるのなら、自分の娘を王太子妃にしたい貴族たちも引き下がるはずです。貴族たちも聖女様の奇跡に救われているのですから」
「…………」
「そうすれば我が国もしばらく安泰。いいことしかありません」
「……彼女を政治の道具にはしたくない」
本当に今更だが。
レヴィンは王太子として、魔術師の助力が欲しかった。国の魔導具を直してくれる魔術師が。エリザはその期待に十二分に答えてくれた。これ以上を求めるのは酷というものだ。エリザは貴族ではない。普通の少女だ。魔術師としての力がどれだけ強くとも。
「うまく行っているときはいい……だがもし何かあったら、民衆は手の平を返すだろう」
その時どんな誹りを受けるか。魔女と呼ばれ、民の怒りを一身に受けることになるかもしれない。もちろんそんなことをさせるつもりはないが、危険性がある以上、普通の少女にそんな重責を背負わせることはできない。
「ふむ……殿下の気が乗らないのなら仕方ありません。それでは、15歳から25歳ほどの男に聖女様を誘惑するようにさせましょう。数で攻めれば一人や二人くらいは気に入ってくださるでしょう」
「却下だ」
「何故」
「何故? エリザを何だと思っているんだ」
「もちろん、この国に必要な聖女様です」
ステファンはあくまで国のために物事を考えている。この件に関してはどこまでいっても平行線だろう。
「今日はもういい。下がってくれ」
ステファンを下がらせようとしたところに、部屋の扉が開いてエリザが入ってくる。
「あの、お取り込み中すみません……」
「聖女様、こんばんは。我々は退室するところですので、ごゆっくりどうぞ」
ステファンはアレックスも共に退室させる。気を遣っているつもりなのか。
レヴィンはすべての仕事を止めて、エリザを見た。少し顔色が悪い。何かに悩んでいるようでもあった。
「どうしたんだ?」
「レヴィン様……わたしにできるお仕事はありませんか?」
――そうだ。彼女はいつだって仕事に夢中だ。レヴィンのことも雇い主としてしか見ていないだろう。ステファンが何を画策していようと実を結ぶことはないだろう。
「すまないが、いまは君に頼むようなことはないんだ。仕事がないときはゆっくり過ごしてくれれば――」
「無理なんです!」
エリザは悲痛な声で叫ぶ。
「……やることが……仕事がないとわたし……」
いまにも泣き出しそうな、そして何かに怯えているような顔で。
レヴィンは困惑した。
(この強迫観念はなんなんだ……)
エリザは常に仕事を欲している。まるでそれだけが自分の存在価値であるかのように。
そんなことはないと、どう言えば伝わるのか。
「エリザ、君の趣味は?」
「趣味? ……仕事の効率化の方法を考えるのと、魔導回路の仕組みを調べるのと……わたし魔導回路を直すことはできるんですが、つくるのは中々うまくいかなくて。同じような魔導回路でも設計者によって仕組みが全然違っていたりして本当に面白くて」
「……それは、仕事の一環だな」
仕事が趣味、というのは少々危うい。気分転換にならないのではないか。
「そうだな……刺繍をしたり、絵を描いたり、本を読んだり、植物を育てたり、料理とか買い物とか……」
一般的な女性の趣味を並べてみるが、エリザはどれにも反応が悪い。
レヴィンは自分の浅学と不甲斐なさを恥じる。相談ひとつ満足に乗れないなんて、と悔やむ。
「そうだ。馬に乗るのは?」
「杖に乗れるので、あまり……でも、わかりました。レヴィン様がいま言われたことをやってみます……お忙しいところをすみません。失礼しました」
「ま、待ってくれ!」
レヴィンは慌てて呼び止めた。このままエリザを帰すわけにはいかない。すごく嫌な予感がした。そのまま手の届かないところに行ってしまいそうな予感が。
――何か。何かないのか。
レヴィンは必死に考える。そしてふと気づく。いまは考えるべきは自分のことではなく、エリザに何があったのかではないかと。
「エリザ、何かあったのか?」
考えをそのまま口にする。
エリザは驚いたように目を丸くし、レヴィンを見上げた。やはり何かあったらしい。
「私では力になれないかもしれないが、話して楽になれることもきっとある。教えてくれないか?」
わずかな沈黙ののち、エリザは小さな声で言った。
「前の職場から、手紙が来て――戻ってこいと……」
「…………」
レヴィンの中に湧いてきたのは怒りだった。あんな、使い潰すような、ろくに眠ることもできないような、仕事中毒になるような粗末な扱いをしておいて――いまさら戻ってこいだなんて。
――エリザを侮辱している。
もしその手紙が手元にあれば破り捨てていただろう。
だがエリザはどうしようか迷っているようだった。レヴィンからすれば劣悪な環境に、自分から。戻りたい理由が何かあるのだろうか。
(もしかして、仕事か――?)
ここに仕事がないのなら、戻って仕事をしようと考えているのか。
(そんなに、仕事がしたいのか……?)
悔しさと、無力感が湧いてくる。
エリザが本気で帰ることを望んだら、レヴィンには引き留める手段はない。彼女は空を飛んで一瞬で消えることができる。
だがエリザはこうやって相談しにきてくれた。エリザの中にはまだ迷いがあるからだ。レヴィンに最後のチャンスを与えてくれている。
「エリザ。明日、一緒に遠乗りに行こう」
――結局、自分の趣味に誘うくらいしかできなかったが。
ちゃんと話す時間を取りたかった。誰にも邪魔をされずに、ふたりきりで。
レヴィンはエリザと離れたくはなかった。彼女が魔術師だからだけではない。
エリザといると安らぎを覚える。その魔術や仕事熱心すぎるところに胸が騒ぐこともあるが――レヴィンはその時間も含めて、エリザといるすべての瞬間を楽しんでいた。
そして彼女にも、安らぎを覚えてほしかった。仕事に、焦燥感に追い立てられるのではなく、もっと穏やかな時間を過ごしてほしかった。
そんな話を、ゆっくりとしたかった。
「は……はい。わたしでよければお供します」
エリザはこくんと頷いた。護衛の仕事だと思っているようだが、約束には変わりはなかった。




