20元上司からの手紙
マリアンヌのダンスの指導が終わったのは夜になってのことだった。湯浴みをして、夕食を食べて、エリザはぱたりとベッドに倒れる。もう起き上がられない。
このまま眠ってしまえばよかったのだが、頭は冴えてしまっていた。
指導されている間は余計なことを考える暇はないが、ひとりになれば思考がひとりでに走り出す。
(わたし……もしかしてそろそろ用済み?)
――悪い思考が。
エリザは冷静に考えてみた。これから自分がやる仕事はあるだろうかと。
もちろんやるべきことはある。日照りの地に雨を降らせに行くことも、レヴィンと交わした大切な仕事のひとつだ。だが毎日行く必要はない。農閑期が来ればまったく行く必要がなくなるし、その間に水路が完成すればそれ以降も行く必要はない。
ホワイト王国の土地のマナがおかしいことを調べるという自分で見つけた仕事も、うまくいっていないし成果が出せる気もしない。本当に、足掛かりひとつない。100年間解決しなかった問題なのだ。いままで多くの魔術師が調べようとしたはずで、其れでも成果が出ていないということは、簡単に解決できる問題ではないのだろう。
(やっぱり……わたしの仕事、ないかも)
カーテンを閉ざした暗い部屋でごろごろと転がっていると、思考がどんどん悪い方向を向いていく。だが思考は止まらない。止めることができない。
(……仕事をしていない人間を置いておくところなんてない……どうしよう。いつか、無能はいらないと言われたら)
レヴィンは、エリザが仕事をしないことを許してくれるかもしれない。いつか訪れるかもしれない、魔術が必要な時を見越して。だが、エリザは仕事をしていないことに耐えられない。我慢できない。
どんなに住みやすい国でも、どんなに働きやすい環境でも。仕事がないのなら意味がない。
ベッドから起き上がり、窓を開ける。
豊かになった王都――ここではもうできることはないかもしれない。
(仕事をしていないと、わたし……)
――生きている意味がない。
その時、窓から飛び込んできた黒い何かがエリザの額に突き刺さる。
「痛っ?!」
額を押さえてうずくまる。じんじんと痛むが、出血はしていない。魔術で治すほどでもない。
涙目になりながら目を開くと、床に一羽のカラスが立っていた。
「……なんだか見覚えがあるような」
その漆黒の羽、黒曜石の瞳。思い出したいような、思い出したくないような。
エリザが思考を停止させている間に、使い魔は一枚の紙の姿に戻る。そこに綴られている見慣れた字を見て、エリザは後ずさった。
「い、いやぁ! 読みたくないぃぃ……」
絶対怖いことが書いてある。
エリザはベッドに突っ伏して枕の下に頭を隠したが、一度見てしまったものは忘れようとしても忘れられるものではない。読むまでこの恐怖と動悸は収まらないだろう。
エリザは勇気を出して起き上がり、床に落ちている手紙を拾ってその文面を読んだ。
『いつまで休暇を取っている。いい加減頭も冷えて、充分反省した頃合いだろう。早く帰ってきて仕事をしろ』
「……読むんじゃなかった……」
書かれている文章自体はとても短い。
だがエリザの情緒を乱すのには充分すぎた。頭がくらくらする。
名前は書かれていないが、差出人が誰かは明白だ。
「ジェイド様……」
宮廷魔術師時代の元上司。第三部隊隊長。若き天才魔術師。黒のエレメンタル。彼を称える多くの言葉も、彼の功績も、彼の言葉も、姿も、表情も、思考も、エリザはよく知っている。
だが今回だけは本当にわからない。
「わたし、クビにされたはずじゃ……?」
正確には、ここにお前の居場所はない――だったが。クビかと聞いても否定はなかった。
だからエリザは解雇されたと思っていたのに、上司であるジェイドの中ではそうでないらしい。ただの休暇扱いになっているようだ。
ジェイドが忘れているのだろうか。それともエリザの勘違いなのだろうか。
もしエリザの勘違いだとしたら。
エリザは無断で長い休みを取っていることになる。
さあっと血の気が引いていく。
「わ、わたしはちゃんと辞めたはず……」
宮廷魔術師の身分証も返した。退職金は受け取っていないが。そんな制度があるのかはわからないが、噂に聞いたことがあったような気がする。
「ううん、お金の問題じゃなくて……もしかして本当に、クビにされてないの? まだ宮廷魔術師のまま……?」
エリザはじっと手紙を見つめる。
その文面に甘えようとしているエリザも確かに存在していた。
ホワイト王国には仕事がなくても、ブラック皇国には仕事がある――……
もしエリザの思っていた通り辞めたことになっていたとしても、また試験を受ければ戻れるかもしれない。さすがにあの部署には戻れないが、別の部署を希望して、またあの仕事漬けの日々に戻れるかもしれない。
(でも、それは本当に幸せなの……? でも、働けるだけで幸せかもしれない……)
仕事があることは幸福なことだ。喜んでもらえるのは、誰かの役に立てるのは、必要とされるのは、幸せなことだ。身体がつらくても、眠れなくても、心が擦り切れても、幸福なことだ――きっと。
そう、言われ続けてきた。
「…………」
ここには――ホワイト王国には、もうエリザの仕事はないかもしれない。
レヴィンに聞いたら仕事をひねり出してくれるかもしれないけれど、そんな無理やりに作られた仕事で誰かを幸せにできるだろうか。むしろ困らせるかもしれない。
最初にレヴィンがエリザを雇ったのは、国中の魔導具の修理のためだ。
しっかり直したから、数年は問題なく動くはずだ。また問題が出てくる数年間の間、エリザは何をしていればいいのだろう。
モンスターの殲滅?
それは冒険者や騎士団の仕事を奪うことになる。
別のことをして役に立とうとも、やはりエリザには魔術しかない。この国ではもう役に立てないかもしれない。
――だが、帰れば仕事がある。誰かに必要とされる。
「…………」
エリザは朦朧としながら部屋を出た。




