01宮廷魔術師をクビになりました
「エリザ・ルーウェス、ここにお前の居場所はない」
宮廷魔術師団の部隊本部――国の優秀な魔術師が集まる中で、執務机の椅子に座った黒髪の若き魔術師が、前に立つエリザ・ルーウェスに冷たい声で告げる。
「え……? ど、どういうことですか? クビ、ですか……?」
エリザはぼんやりした声で聞き返す。
三日連続の徹夜明けの頭では、隊長の言葉をよく理解できなかった。
エリザは十三歳で宮廷魔術師となってから三年、昼夜を問わず働き続けてきた。魔物討伐、魔術研究、公共魔導具の修理整備。すべては国のために。平和のために。民のために。
そのためになら寝る時間がほとんどなくても、食べ物が味気のないパサパサの簡易栄養食だけでも、一か月家に帰れなくて自分の机の下で寝る生活も、何も辛くはなかった。
なのに何故か、直属の上司である隊長から解雇を告げられているようだった。
エリザには理解できなかった。
納得できる理由を求めて、思考力の低下した頭脳を必死で起こしながら上司を見る。二十歳で魔術団の部隊長にまでなった天才魔術師ジェイドを。
「わからんのか。自分の罪が。だとしたら救いようがないな」
漆黒の目が呆れたようにエリザを見る。声には怒りがこもっていた。
眼鏡には身なりを整える余裕もなくてぼさぼさの銀髪を三つ編みでまとめた、みすぼらしいエリザの姿が映る。青い瞳は死人のように生気がなかった。
「前回のワイバーン討伐、お前は何一つ仕事をせずにスカーレットに押し付けたそうだな。なのに自分がやったと報告書を出した」
「それは、ちゃんとわたしが一人で……スカーレットは補助に入ってくれましたが」
「先輩ひどいです……! 先輩はいつもあたしに仕事を押し付けているじゃないですか……あたし、いつもいつも先輩に……」
状況を詳細に説明しようとすると、赤い髪をきれいにまとめた少女――スカーレットが泣きながら訴えてくる。
スカーレットは泣きじゃくりながら隊長の隣に行き、その背後に隠れた。
「それだけではない。研究成果もスカーレットの成果を奪って自分の名前で提出しただと?」
「そんなことしていません!」
「スカーレットが涙ながらに訴えてきたのだ。それでもお前は自分はしていないだと?」
隊長は後ろのスカーレットを憐れみの目で見て、エリザを睨んだ。
「ちゃ――ちゃんと調べてください。魔術刻印を見てもらえば――」
ぱさっと研究成果をまとめた紙の束が机の上に置かれる。エリザの署名が入った報告書だ。
ちゃんとエリザの魔術刻印も入っている。
「たしかに一枚目だけは、お前のものだな」
「え……?」
エリザは表紙をめくり、二枚目を見た。そこにあるのは自分の研究成果の報告。しかし用紙に刻まれているのはスカーレットの魔術刻印だった。
魔術刻印は魔術師一人一人違う。上書きや消去はできない。自分の所有物に入れることで、自分のものだと証明できる。報告書にはそれぞれの魔術刻印を入れてから提出することが義務付けられている。
偽造されないように、自分の魔術刻印が入った用紙に研究成果を記載する。
なのにこの報告書はスカーレットの魔術刻印が入り、なのに一枚目だけは魔術刻印と署名がエリザのものになっている。
(……書き写したんだ……)
ぼんやりした頭でも状況が見えてくる。
たしか、この報告書を提出する直前に、公共魔導具の整備仕事が緊急で入ってきた。翌朝までかかりそうな仕事だったため、後輩のスカーレットが自分のものと一緒に提出してくれると言ってくれたので任せた。
スカーレットはその後、自分の魔術刻印が入った用紙にエリザの研究成果を書き写して、表紙だけは元のままに提出したのだ。
これではエリザがスカーレットの報告書を奪って、表紙だけ自分のものにしたように見えるだろう。
「弁明は?」
「…………」
「これは素晴らしい研究成果だ。これがあれば魔術詠唱の短縮化も進み、魔術の弱点でもある詠唱時間を短くすることができるだろう」
――そう。
そうなることを願って、詠唱短縮の研究を続けていた。次から次へとやってくる仕事の合間を縫いながら。
「浅はかな小細工を弄して、この研究成果を自分のものにしようとするなど。やることが稚拙すぎて泣けてくる」
「…………」
違います。信じてくださいと泣いて訴えるところなのだろうか。
なのに涙のひとつも出てこない。
「宮廷魔術師としての仕事も義務もまったく果たしていないどころか、人の成果を奪うクズめ……」
スカーレットは隊長の後ろでしくしくと泣き続けている。
その口元には時折、堪えきれない笑みが浮かんでいた。
「俺の部下に無能はいらない。エリザ・ルーウェス。ひとりになってしっかりと反省することだ。即刻ここから出ていけ!」
◆ ◆ ◆
(クビになってしまいました……)
エリザは皇都の職人通りをとぼとぼと歩く。唯一持ち帰ることの許された私物の杖を握りながら。
太陽の明るさが眩しい。こんな明るいうちに皇都を歩くなんていつぶりのことだろうか。普段は研究所にこもるか、魔物退治に駆り出されるか、魔導水道の整備のために地下に潜っているばかりだったから。
久しぶりに見る皇都は活気に溢れていた。
多くの国民が生き生きとした顔で過ごしている。だがいまのエリザには眩しすぎてよく見えない。
(最後のお給料ももらえませんでした……)
エリザは何も仕事をせずに本部でダラダラと過ごしていたり、外でサボっていることになってしまっていたので、事務方から給料は払えないと言われてしまった。むしろいままでの給料を回収されないだけ感謝しろとまで言われてしまった。
(貯金だけはあるけれど……)
ずっと仕事漬けだったので、身なりを整える時間も心の余裕もなくて、服も官給品のローブばかり着ていて、アクセサリーなど買ったこともなかった。
給料を使う余裕がないので、貯金だけはあることだけが救いだった。
エリザは部屋を借りている緑色の屋根の宿屋に戻ると、外の掃除をしていた宿の女将がエリザの顔を見て驚いていた。
「あらまあ、エリザちゃん。随分久しぶりねぇ。大丈夫? 顔色が悪いわよ」
「女将さん……お久しぶりです。少し眠ります」
ふらふらとしながら宿の一室に戻ったエリザは、ため息も出なかった。
宮廷魔術師になってから、職場の近くに借りた部屋。ほとんど帰っていないので、自分の部屋なのに他人の部屋のようだ。
(こんなことなら、どこかに物置を借りてそこを住所にしておけばよかったかも)
ベッドの上の服や荷物をどかして、ぱたりと倒れる。
そのままエリザは泥のように眠った。久しぶりの熟睡だった。