氷の女王よ。僕はあなたを許しはしない。この身が朽ちても怨嗟を吠えるでしょう。
便宜上、僕の親友をハーミットと呼ぶことにしよう。
彼は少なくとも僕の人生で一番、頭が良かった。
便宜上、僕の親友をシスターと呼ぶことにする。
彼女が少なくとも僕の人生で一番、美しい心を持っていた。
僕は、ショーファーと呼ばれている。念押しだが、これも本名では無い。
山々に囲まれた盆地に位置した僕らの村は人口百人程度の小さな村だ。数年前はこの三倍はいたが、東の国と戦争をするために男も女も仕事やらなんやらでこの村を出て行った。もともと小さな農村と言うこともあってか。帰ってくる者はあまりいなかった。
ハーミットと僕は、当時は幼く戦争に連れて行かれることもなかった。軍人になれる年になる頃は、戦争は終わってしまっていた。
当時、十四歳の僕は戦役に出た両親の代わりに、畑仕事に勤しんだ。ハーミットは父親が医者ということもあって熱心に勉強していた。
そんな僕らは午前中に仕事を終わらせると、野山を駆けまわり魚釣りや木の実取りなどで遊んでいた。
十四歳になる頃には、二つの大きなイベントに出会うことになった。
ひとつめはハーミットの両親が非力なハーミットの代わりに僕にライフルをくれたこと。
ふたつめは村にある小さな教会に僕らと同い年のシスターが訪れたこと。
端正な顔立ちに透き通る歌声、天使のように優しい笑みは村人たちを癒やしていた。年が近い僕らはすぐに仲良くなり、毎週日曜日の礼拝が終わったあとは三人で野山を歩き回った。
この頃になると、ハーミットは軍役から帰った父親の助手として少しずつ医術を身につけていた。
運動が得意だった僕は、木に登って山葡萄を取って三人で酸っぱい顔をしながら食べたり、河原で捕まえた魚を焼いて食べたり。冬になると大きな角の鹿を何頭も撃って教会の前に村中のみんなを集めて肉をつまんだ。
貧しいながらも村中のみんなが慎ましく幸せを謳歌していた。
しかし、年が経てば嫌でも仕事をしなければならないのが常々だ。十八になった僕は一人前の男として、村と何十キロも離れた街に野菜や毛皮などを売り、調味料や服を買い付ける馬車乗りになった。
ただおつむがあまり良くなかった僕の代わりに、運転席の隣にはハーミットが座り、商人たちと言葉を交わした。
シスターは十六になる頃、喘息という病気になり山にも街にも行けず、教会のベッドにいることが増えた。
それでも毎週日曜日は、僕らはシスターのところへお見舞いに向かった。そのときは必ずハーミットが値切りに値切ったタダ同然の甘い甘いお菓子をコッソリ持って行った。
毎週、このお菓子をどれにしようかハーミットと考える時間は僕らの楽しみだった。
「なぁ、ぜんそくっていうのはいつ治るんだ?」
「……僕がもっと多くのことを勉強すれば、すぐに、明日にでも治す」
馬車乗りになって半年、ここ二、三週間ハーミットはシスターの話をすると歯切れの悪いニュアンスで言葉を返した。
きっと難しい病気で、村一番の秀才ハーミットでも治すのが難しい病なのだと僕は口には出さなかった。
「治ったらまた、野山に入って魚取ったり、ハンティングしたいな。僕が百キロのワピチを抱えて山を下りるところ見せて驚かせたいね」
「ああ、そうだな、シスターも目を丸くするだろう」
ハーミットは淡々と言うが、言葉尻から嬉しそうに思っているのが長年の経験から僕にはわかった。
「でもシスターのあの細い腕に何カ所も注射を打って、青くなってるのを見ると辛いよ。シスターの病気をさ、僕とハーミットで肩代わりできたら良いのにな」
「俺はともかくショーファーは止めておけ、喘息の前にお前の鈍さじゃ喘息にも気づかない」
皮肉を込めてハーミットは更に続ける。
「それに、誰かが肩代わりするんじゃなくてな、徹底的に全てを根絶させて幸せな世界を作った方が良いに決まっている」
「それもそうだね、流石ハーミットだ!」
轍を目で追いながら、僕らは襟元から寒い風が入り込み秋の訪れを感じていた。
「寒いな」
「もうすぐハーベストだからね」
「もう、そんな時期か、じゃあ今回の土産はカボチャのケーキだな」
「カボチャのケーキか! それにしよう!」
話が決まると、ショーファーは馬に鞭を入れて脚を速める。
街に着くと、ハーミット商会に入り、商談を行う。その間ショーファーは事前に買い取る予定だった品物を馬車に積み込んでいた。
冬支度に向けて大量の塩と大量の医薬品を積んでいた。最近は流行病なのか村人の多くが倦怠感、下痢、便秘、頭痛、振戦などの症状がある。原因はよくわかっていないが、ハーミットと僕だけは健康体である。
普段から山で遊んでいる僕らは体が丈夫になっていたのだろうとハーミットは説明していた。
きっと熱心に祈りを捧げていたのが功を奏したのだろう。
「お待たせ、いつも通り高く売って、安く買ってきた」
「おう、こっちは準備運動にもならなかったよ」
「そりゃ、午前中に自分の畑を綺麗にして、午後にハンティングして、夕方には他の村人たちの手伝いをしている化け物に言われても」
「誰かの役に立つって言うのは良いことじゃねえか」
「ああ、そうだな」
「じゃあ、いつもの菓子屋に寄って、シスターに土産を持って行こう」
馬車を走らせて、帰路につく。
舗装されていない細い山道は自動車という乗り物がまだ入れないらしく馬車に頼るしか無い。
暗い夜道でも僕の目は昼間のようによく見えた。
「おい、空、すごい星だ」
「あれはオリオン座だ、オリオン座は前教えたな」
「ギリシャ神話の狩人、オリオンだろ、俺も狩人の端くれだからね」
「そうだな、ショーファーの撃つワピチは最高だからな」
「首を狙って撃つのがコツなんだ。首が撃てない時は鼻水が凍ってもじっくりじっくり待つ」
「僕は銃を持たないから、全部ショーファーに任せるよ」
ガス灯のない夜の道は星が今にも降りそうなほど燦然と輝いていた。それは僕らを導くように、僕らを抱きかかるように目の端から端まで煌めきを集めていた。
「任せて、そうだ、今度は三百キロを超える鹿を撃とう。シスターに腹一杯食わせたら精もついて元気になるに違いない」
「シスターの華奢な体じゃ肉を三切れも食べたら腹いっぱいだろうな」
「じゃあ、村のみんなで食べよう。みんな何だか病気がちだし」
「そりゃあいいや、そうだな」
それから僕とハーミットは他愛も無い話をした。そして話の中心にはいつも親愛なるシスターがいた。
僕には家族がいなかった。両親は帰ってこず、ひとりぼっちの僕に寄り添ったのはシスターとハーミット、そして村のみんなだった。
村に戻ると、荷物をそれぞれの場所に下ろし、教会へ向かった。今日は日曜日では無いが、土産を置いていくだけと説明したら神父がシスターの容態を見てから教会に向かい入れてくれた。
シスターの部屋に入るとランタンの火が景色を影で揺らしていた。
「体調は大丈夫?」
「気分はどうだ?」
二人は抑えきれず同時に声を掛ける。
「二人とも、そんないっぺんに話しかけても、今はお薬を使って貰ったからとっても元気よ」
薬という言葉を聞いてハーミットは怪訝な表情をした。シスターの注射跡を思い出していかめしく思ったのだろう。
質素な部屋は小綺麗になっており、布団は上等な羊の毛を使ったふかふかなものである。
「今日はカボチャのケーキを持ってきたよ」
紙箱に入ったひとつのケーキをシスターに差し出した。
「ありがとう! 甘い物大好き!」
「みんなには内緒だ」
ハーミットは釘を刺す。シスターはそれをはいはいと聞き流して早速ケーキを頬張った。
頬をパンパンにした姿はリスを彷彿させる。シスターの愛くるしい別嬪ぶりに拍車が掛かる。
「とっても美味しい、二人とも本当にありがとうね」
「じゃあ、俺たちは行くよ、次は日曜日だ」
「明後日だから直ぐだよ」
僕とハーミットは立ち上がると教会を後にした。
「そうね、じゃあ、また日曜日」
シスターは嬉しそうに笑っていた。
部屋を出るとハーミットは馬車の疲れからか顔に影が出ていた。
「どうかしたのか?」
「いや、今は言うべきことでは無い」
「そうか」
「なぁ、ショーファー……俺を信じろと言ったら信じてくれるか?」
「もちろん、当たり前だ」
「少しも疑念に思わなかったのか」
僕は間髪入れずに首を縦にする。ハーミットとシスターが言うことに嘘は無い。あるとするならそれは二人とも騙されているだけだ。
「その言葉信じていいな」
「なんだよ、僕もハーミットもシスターも家族みたいなもんじゃないか」
「そうだな……悪いな」
ハーミットの様子が妙だった。
「なにかあったのかい?」
「ん、ああ、ちょっと商会で色々な噂を聞いた。近々、収穫量の多い品種の芋が入荷されるらしくてな、少し買い付けようかなと」
「いっぱい食べられるなら良いことじゃないか!」
教会の扉を閉めながら僕は喜びのあまり大きな声を出した。
「病気や気候の変化に弱かったらいくら沢山取れると言っても意味ないだろ」
「それもそうだね」
「じゃあ、僕は近いから歩いて帰る。また明日な」
「お休みハーミット」
「お休みショーファー」
僕は馬車に乗ると、村から少し離れた自宅に向かった。
消えかけの暖炉に薪を放り込んで火を復活させると、その火だねを火ばさみで挟んで風呂の火を起こす。昼間のうちに水を運んでおいたためあとは温まるのを待つだけである。
二十分ほどすると丁度良い温度のお湯になる。それにタオルをつけて体を拭く。こうすることで毎回水を運ばずに済む。土曜日は湯船に浸かって体を綺麗に洗う。
体を拭き終わると、夕食は取らずそのまま眠りについた。
2
土曜日は楽しみだった。
朝食を簡単に済ませると、ライフルの弾とライフルを手に取り、狩りに出る。
「おはようショーファー、今日はハンティングか?」
「おはようパン屋さんのおじさん、今日はデカいワピチを取ってくるよ!」
パン屋の店主は早朝から仕込みのために小麦粉をキッチンへ運んでいた。
「お前の二メートル近い身長ならワピチも木と間違えるだろうな」
「百九十センチだよ、あと十センチ足りないんだ」
「それでも充分デカいさ」
「まだまだだよ、じゃあ、行ってきます」
朝の五時、吐く息は白い煙になっては消えていく。広葉樹は枯れ落ち始めていた。何度目かはわからないが冬の訪れを肌でも目でも感じられた。
僕は歩き慣れた山道の香りを吸い込みながら獣の気配を探る。風下ならワピチの臭いに気づき、すぐに銃を撃つことができる。
静かな山を僕は直向きに愛した。山は平等で静かでそして何よりも一人でいることが当たり前だからだ。
最近の大人たちは山に入るのを億劫がり、家にいることが多い。大人の楽しみというのが村では流行っているが僕は一切興味がないしどんなものかも知らない。
ただ山にいられればそれで良かった。ハーミットの父親から貰った大切なライフルを持って山に入ればそれだけで楽しい。
川のせせらぎ、虫の声、様々な食材、ワピチにオオカミ、クマもいる。オオカミはあまり美味しくはないが、冬のクマとワピチは絶品だ。毛皮も高く売れるため冬場の収入源だ。
鼻先が獣を察知すると立ち止まり、ライフルに弾を一発だけ入れる。マガジンが壊れてしまい弾を何発も入れることができない。だが僕にとって銃は一発で事足りる。クマでもない限り二発は必要ない。
風上を見るとメスのワピチが半分枯れた草を食んでいた。自分のいる位置より斜面の高いところにいるため少し狙いが付けにくい状況だった。ギリギリまで近づいて首を狙う。
引き金を押し込んで弾を放つと、ワピチはその場に倒れた。本当ならオスの大きなワピチが良かったが、メスはメスで肉が軟らかく美味い。
小さいと言ってもそれでも百キロはある。持ち帰るには丁度良いサイズだ。
ワピチを担ぐと、下山し近くの川に向かう。ナイフで首を切ると鮮血が川を赤くした。
それからしばらく鹿を水に沈めて血抜きを行う。こうすることで獣の臭さがいくらかましになる。
その間に枯れ枝を集めて火を起こす。これから川に浸かった鹿を捌くのにこの寒さは辛い。
「もう獲ったのか」
欠伸をしながらたき火の煙を頼りにハーミットが現れる。
「おはよう、ハーミット、良い朝だね。ワピチを獲ったよ」
「見ればわかるが、よく山道でこれを担いできたな」
「そうかな? うちの村は僕とハーミットとシスターより年下がいないからね。なんでだろ?」
「何でだろうな」
ハーミットは僕の前に座りたき火に手を向ける。
「なぁ、ショーファー、村を離れたいと思ったことは無いか?」
「あるよ」
「お前は村が好きだもんな、やっぱな……あるのか」
「両親を探しに行きたいな」
僕はそう言いながら立ち上がると鹿を川から引き上げてその辺の木に吊す。
「袋を持ってきた」
「おー、ありがとう、持ってくるのを忘れてたんだ」
布袋をハーミットから受け取ると僕は慣れた手つきでワピチの皮を剥ぎ、肉をブロックに切り分ける。
十分もしないうちにワピチは肉と毛皮になった。
「心臓と肝臓が美味いんだよ」
そう呟きながら、枝を削って串状にすると適当に切って水で洗った心臓と肝臓をたき火の縁の地面に刺す。
それ以外の内臓類は土に埋めて処理をする。
「好きだな」
「美味しいからね、ハーミットは肉を食べるかい? 背ロースを切り分けようか?」
「切ってくれ」
僕は袋から背ロースのブロックから三切れ取ると串に刺して焼き始める。
「良い具合に脂があるな」
「この時期は冬に向けて脂が乗るんだ」
「楽しみだ」
「これ食べたら教会にも届けてあげようね」
「……そうだな」
教会の話をすると、ハーミットは押し黙ることが最近増えていた。
丁度良く焼けた肝臓と心臓を僕は食べる。肝臓は特に栄養価が高く、そして美味しい。周りの人は食べたがらないが僕はこれが好きだった。
ハーミットもしっかり火が通った肉を食べると自然と笑みが零れた。
他愛もない話をして、僕たちは村に戻り、すれ違う人と挨拶をしながら、教会へ向かった。
教会の門を叩き、神父に招かれた。
「やぁ、よく来たね」
「今日はワピチが取れたからお裾分けです」
そう言って神父に肉のブロックをそのまま渡す。
「おお、ありがとう。山の恵みですね。中に入ってゆっくりしていなさい、お茶をお出ししますよ。クッキーもあるので二十分ほど待っていなさい」
僕とハーミットはお言葉に甘えて教会の中にはいる。主に祈りを捧げているとハーミットが思い出したように呟く。
「そう言えば昨日、シスターの部屋にペンを忘れていた。取ってくるよ」
「あ、僕も行くよ」
僕らはシスターの部屋に向かうと、途中の通路で違和感に気づいた。
シスターの部屋から複数の人の気配と何かが軋む音がしていた。ハーミットもそれに気づいており、人差し指を立てて僕に沈黙を強いた。
僕は静かに頷いて、ハーミットの要求を受け入れる。
それから、シスターの部屋のドアノブを静かに数センチだけ開く。
裸のシスターに群がる顔なじみの村人たち、いずれの者も服を着ていない。裸である。部屋の中は煙が充満しており、異質な雰囲気だった。
僕とハーミットは、あまりの光景に何も言えないまま、数分それを見てから、ハーミットが手で下がろうと言う。
僕とハーミットは神父のところに行き「急用を思い出した」と言って外に飛び出した。それから僕らは何かに怯えるように僕の家に転がり込んだ。
「ハーミット!」
「静かに、君に真実を話す」
「知ってたの!」
ハーミットは椅子に座り、俯いて静かに「ああ」と返した。
「どうして、あれって」
「シスターは二年前からあんな状態だ」
「どういうこと?」
「最近、大人の楽しみがあるのは知っているな?」
「知ってる」
「あれは父が戦役から帰った後、気分が良くなる薬『メタンフェタミン』が原因なんだ」
「薬?」
「色々見てきたが、あれを使ったら最後、一生あの薬に囚われ続けることになる。難しく言うと薬物依存症とか言うそうだ」
「依存症?」
「主な効果は、この世のものとは思えないほど気持ちよくなるんだ。そして――――」
ハーミットは息を荒げ、侮蔑に満ちた憎しみの表情で話を続けた。
「性行為と合わせるとこの上ない快楽へと変わる」
「でも、なんでシスターは……?」
「考えても見ろ、この村で一番若いのは誰だ?」
「シスター……そんなことで!」
「そのシスター自身も薬物依存症だ」
「なんで……」
「そりゃ、よがってる女の方が男は興奮するからな、クソが」
僕は怒りを通り越して、涙をこぼした。あまりにそれはむごたらしく不自然で、まるでシスターのことを人間を模した玩具としか扱っていないように思えたからだ。
その後に自分に残ったのは黒く、燃える憎悪だった。
「そんな……みんな、村人のみんな……」
烈火の如く、銃口から出る炎だ。僕の心は焼かれるような痛みに抱きしめられた。
「そしてこの薬の効果が切れると、人格が変わったかのように薬を求めて暴力的に、自己中心的になる。まるで悪魔のようにね。そして未来永劫薬を求め続けるようになる」
「救う方法はないの?」
「一つだけある」
「やろう! みんなを助けよう」
僕は喜んで、みんなを助けようと誓った。
そして次の言葉でその喜びは絶望に変わった。
「殺すという唯一の救済がね――」
ハーミットは辛い表情をしていた。二年もの間、この現状を見て見ぬ振りをしていたということもあって罪悪感と悲しみと怒りが入り交じった状態だった。
「それ以外はないの?」
ハーミットは涙をこぼしながら、震えた声でやっとの想いで言葉を紡いだ。
「ない、ショーファー、最後のお願いだ……村を、僕……俺と一緒に村を救おう」
「わかったよ、僕……俺たちでやろう」
そうして俺たちは、どうしようもなくなってしまったこの村を救うことにした。
3
準備を始め一週間が経った。
ハーミットは長い間、村を救う計画を立てていた。それは簡単なもので一週間薬を止めて禁断症状という状態にした後、薬を与えて快楽に耽っている間に家に火を放ち焼き殺すということだ。
古来より火は悪魔を祓うとされているため、それにあやかり焼き殺すことにした。幸いなことに薬の効果中は何をされても快楽しか感じないという話のため殺す手段は何でもよいのである。念のための保険として薬の中に致死性の毒をハーミットは混ぜるとも言っていた。
この土曜日の間、俺は村人全員の様子を昼夜問わず観察していた。わかったことは二つ、ひとつは俺とハーミット以外の村人全員が依存症になっていたこと。ふたつめは昼間は理性を何とか保たせて平常を装っていること。
そして今夜、俺たちは計画を実行した。
夕方の六時、十二月ともなると寒さが一層に厳しくなる。肺が驚くように収縮するのがわかった。
「本当にいいの?」
「ああ、頼む、俺にはできない」
ハーミットの家の中には彼の両親が鎖で椅子に縛り付けられていた。俺の両手には薪割りに使う斧が握られていた。
「ごめんよ、おじさん、おばさん、本当にお世話になりました」
手が震えていた。
「ショーファー、俺の両親はもっと辛いんだ!」
煽り立てるように俺に怒鳴りつける。斧を振り上げて、せめて苦しくないように俺は全力で世話になったハーミットの父親の脳天をかち割った。
白い塊が飛び散り、もはや誰なのかもわからない肉塊にしてまず一人を救済する。
そして今度はハーミットの母親も同じことを繰り返す。
心底良かった。これなら辛いのは俺とハーミットだけで済む。あとは主が魂を救済してくれるに違いない。
「あとは、村を救うだけだ」
ハーミットは悲しそうだった。
「ああ、そうだな」
俺は彼の悲しみを見ずに、次の家に向かった。
俺は村人たちが薬に溺れているのを確認してから家の中に自家製火炎瓶を放り投げた。いくら救済のためとは言え、心にしこりが残った。
本当にこれで良いのだろうか、疑問で疑問でしょうがなかったが、村人をメタンフェタミンとかいう悪魔から解放するにはこれしかなかった。
良いことをしているのだと何度も俺は自分に言い聞かせた。
「ハーミット、俺さ……シスターだけは殺せないかもしれない」
俺は有りのままをハーミットに打ち明けた。
「俺が行く。全てが終わったらシスターの部屋に来るんだ。彼女だけは二人で弔おう」
俺の肩を叩いて、ハーミットは教会に向かった。僕は言うことを忠実にこなし、二時間ほどで全ての家を焼いた。
途中で俺に気づいた人もいたが、みんな斧で辛くないように救済した。
村人の全員の顔を覚えている俺は救済漏れがいないことを念入りに数えて、ぴったり九十六人をカウントすると教会に向かった。
礼拝する場所では神父が主の前で悪魔に取り憑かれていた。
「こんばんは、ショーファー、酷い、ワピチの解体かい?」
いつになく上機嫌な神父の頭に俺は斧を振りかざした。神父は間一髪のところでそれを避けると奥へと逃げようとした。
俺は転ばせるために斧を投げる。幸いなことに斧の刃先は神父の脳天を直撃して主の元へ魂を送り届けることができた。
すっかり血で汚れてしまった顔を聖水で洗い流すと、俺は、シスターの部屋に向かった。
4
ドアを開けると、ハーミットが崩れ落ちていた。そして床には注射器が山のように落ちていた。
ベッドには裸のシスターが安らかに眠っていた。息は既になく、救済は果たされていた。
「ハーミット、終わったね」
「なぁ、ショーファー……」
ハーミットは虚ろな目で俺を見た。彼のシャツはボタンを掛け違えており、そのことに彼は気づいていなかった。
「どうしたんだい」
「俺を殺してくれ、今の、今の俺はとても気分が良いんだ」
ハーミットはまくっていた腕を見せると、注射針の跡があった。
「ハーミット! なんてことを!」
「シスターを殺せなかった。頼む、俺も……俺を救ってくれ!」
「そんな……」
俺は両手を見つめた。
「頼む! ヒヒッ!」
「だけど……そんな!」
「いいんだ、俺は、せめて親友の手で救われたいんだ。愛する友を救えなかったが、せめてこれくらいなら……な?」
「ハーミット……」
俺は両手を彼の首に添えると渾身の力で彼の首を絞めた。うめき声と奇妙な笑い声を上げながら、バキッという音と共に彼は何も言わなくなった。
彼の亡骸はシスターの横に置いた。俺はなんとなく気づいていた。この二人はおそらく、悲しいことに、哀れなほどにそういうことだったと。
俺は祈りを捧げて涙を流し訣別の歌を親友二人に捧げた。
ハーミットのいた場所にシスターの日記があったが字の読めない俺にはなんて書いてあるかわからなかった。
そして部屋を出る前に俺は言う。
「すぐに行くよ。正しく、正しく伝えたあとにね」
5
「被告人、サルヴァトーレ、最後に言い残すことはあるか?」
俺は街に向かい警察に出頭した。
裁判は予想通り死刑となった。そして今、ようやく俺は最後の刻限を迎えていた。
「ショーファーって呼んで欲しいなそっちの方が慣れてて」
「ではショーファー、最後に言うことは?」
俺は裁判の時は牢屋にいるときも何万回言い続けたことを繰り返す。
「メタンフェタミン、あんなもの禁止しろ、存在してはいけない!」
執行官はそれを聞いて見下すように笑った。そして小さな声で、俺に耳打ちする。
「氷の女王が無いとこんな仕事やってらんねえよ」
そして俺は絞首台の床板が落とされた。
1951年、アメリカで誰にも理解されないまま、その生涯を終えた。