お城の姫君ルーシー
連休のおともに。ありがちでベタな王道ディズニー系ファンタジーです。
ルーシーは、ふしぎに思っていました。
ルーシーのいるお城には、黒いヤマイバラの壁が覆っています。
「黒いヤマイバラの向こうに、行ってはいけない」
王さまは、言いました。
「この国には、たちの悪い病気がはやっているのだ」
たちの悪い病気。それは空気を吸っただけで人から人にうつる、おそろしいものだと王さまは言います。ルーシーや城の人たちを守る為、みんなが出られないよう、魔法使いに頼んで黒いヤマイバラの壁を作ったのだそうです。
ルーシーは、水晶窓のある部屋から外をながめてため息をつきます。
外は、どんな感じなのでしょうか。見てみたい。
病気が流行る前には、お忍びで出かけたこともあったけれど、今では無理なのです。
王さまは、そんなルーシーの様子に、「わしも、王妃が病で亡くなるまでは、黒いヤマイバラの壁など作らなかった」
といいました。
「お姫さま、病はこわいものです。王さまのお気持ちをお察しください」
魔法使いも、いいました。
ルーシーは、王さまのつらそうな表情を見て、城の外を見たいとは、言わなくなりました。
日は陰り続けていました。黒いヤマイバラの壁は、厚く城を覆い尽くしています。
お城には、庭がありました。
日陰にもかかわらず、きれいなヒヤシンスの花が咲いています。外の人たちに、この花を見せてあげたい。外の人と話したい。けれど、それをしたら王さまを悲しませてしまいます。
でも、お城での生活はとても退屈でした。
王さまも仕事ばかりで、ルーシーをかまってくれません。ネズミがたくさんいるので、王さまは、大きなねこを飼うことにしました。ねこはルーシーに甘えることもしません。
姫は、ひまさえあれば庭に出て、ヒヤシンスなどの花にかがみ込み、その香りをかいでいました。
ある日、いつものように庭を散歩していると、地面を駆け回るねずみの姿が目に留まりました。
「うらやましいな。ネズミは、外に出ることができるもの」
ルーシーがそう言うと、ネズミが立ち止まってこちらを振り返りました。
「そんなに外に出たいなら、お願いがあるのですが」
ネズミのことばに、ルーシーはびっくりして、腰がぬけそうになりました。
「あなた、口が利けるの?」
「私は隣の国の王子、リーグといいます。魔法でこの姿に変えられてしまったのです」
ネズミが答えます。
「なぜ、変えられたの?」
そこで、ネズミは話し始めました。
この国のはやり病は、落ち着いてきたこと。けれど、王さまは家臣に、外へ出るな、言うことをきかないと、魔法使いの魔法でネズミに変えてしまうぞとおどしているのです。
ルーシーは、眉を寄せました。
「おとうさまったら、ひどいわ」
「私はあなたのおとうさまに忠告したために、魔法使いにネズミに変えられてしまいました」
「なんですって!」
ルーシーは、思わず口に手をやりました。
「あなたのおとうさまはもう、魔法使い以外の人の言うことは聞きません。あなたもいずれ、ネズミに変えられてしまうでしょう」
ルーシーは、口に当てていた手を、ぎゅっとにぎりしめました。
「あなたを元に戻したら、わたしも、外に出られるの?」
なんだか胸がぐるぐるむずむずしてくるのを感じながら、ルーシーはリーグに問いかけます。
「もちろん、出られます。ただし、それには、私の魔法を解いてくださらないと」
リーグがそう言います。
「どうすれば、魔法を解けるの?」
ルーシーは、問いかけました。するとリーグは、こういいました。
「この城の魔法使いに、にんじんを食べさせてやるのです」
「にんじん?」
ルーシーは、またびっくりしました。
「ただのにんじんではありません。元に戻すクスリです。地下に隠された庭に植えてある魔法のにんじんなのです。かつて魔法使いに対抗するために、王妃がひそかに研究したにんじんです。王妃は病気ではなく、このクスリのことがバレて魔法使いに殺されたのです」
「なんてこと!」
「仇をうちましょう。にんじんは、葉っぱが緑ではなく、赤くなっています」
ルーシーは、ネズミを見つめました。
「あなたは、どうしてそこに行かないの?」
「――ねこが……」
リーグは、あからめた顔をかきました。ルーシーは、思わず笑ってしまいました。
「それじゃあ、このごろ城にネズミが増えてきたように思ったのは、魔法使いにみんな、変えられちゃったのね」
「そうなのです」
ルーシーは、頭が熱くなりました。
「じゃあ、魔法使いをやっつけなくちゃ!」
「それには、にんじんを食べさせるのがいちばんなのです」
そんなことぐらい、どうってことないとルーシーは思いました。ルーシーは、ちょっと単純なところがあったのです。
「にんじんを砂糖で甘く煮て食べさせちゃえば、わかんないわよ」
ルーシーがネズミのリーグに言うと、リーグは、きびしい声で言いました。
「ダメです。魔法使いは、にんじんが大きらいなのです」
ルーシーは、とまどいました。
「わたしも、にんじんはきらいよ?」
「好き嫌いがあるから、困るんです」
リーグは、家庭教師のような言葉づかいになっています。
「それじゃあ、料理長と相談して、にんじんの料理を考えてみましょう」
ルーシーが言うと、リーグは頭を振りました。
「料理長は、魔法使いがこわいのです。だから、にんじんの姿を見るだけで捨ててしまいます」
ルーシーは、唇を噛みました。
「じゃあ、わたしが作る」
「あなたが!」
リーグは、目を見開いて、おどろきました。
「料理を作ったことはありますか?」
「あんなの、料理本があれば……」
「甘く見てはいけませんよ。わかりました。では、わたしたちが協力しますから、料理本を手に入れてください」
ルーシーは、リーグを見つめて、つよくうなずきました。
まず、魔法のにんじんを手に入れなければなりません。リーグの案内で地下に行き、その庭に出たルーシーは、震え上がってしまいました。
ねこと思っていた動物が、なんと、ライオンだったからです。畑に通じる柵のむこうで、うろうろしています。
「こんなの、聞いてないわ」
ルーシーは、手の上に載せたリーグに言いました。
「おそらく魔法使いのしわざでしょう。だいじょうぶです。ライオンにたいしては、あなたのお母さまが残した、あの木を使いなさい」
ネズミの示す木は、茶色で平凡そのもので、ライオンをたおすには弱い気がしましたが、とにかくルーシーはその木の枝をたおって、ライオンに近づきました。
「ぐおー」
ライオンは、うなります。
「しっ、しっ」
ルーシーは、一生けんめい、木を振りまわしました。
するとどうでしょう。
ライオンは、その枝にかぶりつき、そのまま枝をなめまわしはじめたではありませんか。
「ぐおー、ごろごろ……」
のどをならし、目はとろんとしています。おとうさまがお酒を飲んだときとおなじだわ、とルーシーは思いました。
「さあっ、この隙に!」
リーグの言葉にハッとわれにかえったルーシーは、そのまままっしぐらに畑へ行き、赤い葉っぱの生えている畑をさがしあてました。ライオンがグルグルごろごろ言っている間に、ルーシーは畑を素手で掘り返し、なんとか魔法のにんじんを手にすることができたのです。
ドレスが泥だらけになりました。これでは、ルーシーということは、だれも気づかないでしょう。
「ほかに、なにか魔法の野菜とか、ないのかな」
ルーシーは、リーグに聞きました。
リーグはあきれたように見ています。
「わかった。このまま、料理長のところへ行くわ!」
ルーシーは、そーっと、そーっと、ライオンのそばを通り抜け、数十歩行ったところで台所めがけて駆けていきました。
城の台所では、ちょうど料理長が、シチューの味見をしているところです。
「料理長の気を引いているあいだに、料理本を手に入れてください」
そう言うなり、リーグはルーシーの手の中からすべりおちて、まっすぐ料理長の足元へと走って行きました。
「こらあっ! 盗み食いするな!」
料理長は、太った顔を真っ赤にさせて怒り、リーグを追いかけてきます。ルーシーは、思わず入口の壁にかくれました。料理長は気づかず、庭の方へと走って行ってしまいました。
ルーシーは、中に入りました。
鍋の中でぐつぐつ煮えてるビーフシチューは、とてもいい匂いがします。シチューには、ビーフとじゃがいもは入っていますが、にんじんは、入っていません。ちょっと味見、してみようかな。
スプーンですくってなめようとしたとたん、声が響き渡りました。
「どろぼう! どろぼう!」
キャッと悲鳴を上げたルーシーは、スプーンを取り落とし、声の方をみあげました。天井から、なぜか鳥かごがかかっていて、そのなかにオウムがいたのです。
「オウムさん、オウムさん、みんなのためなの。がまんして」
ルーシーは、お願いしました。オウムは首をかしげました。
「あんただれ」
「この国の、ルーシー姫よ」
「このシチューは、魔法使いが食べるんだよ。あたいはその見はり役だよ」
「そうなの。すごいわ」
ルーシーは、オウムをおだててみました。
「その手に持ってるのは、なんだい」
オウムは、いじわるな言い方で、ルーシーをにらみつけます。ルーシーは、あわててにんじんを背中にかくしました。
「ああこれ。これはね、ひみつのプレゼントなの。このシチューの味を、もっとよくできるものなのよ」
「ふーん。よく見せておくれ」
「だーめ。魔法使いを、びっくりさせてあげたいじゃないの」
「アヤシイ」
「あやしくない、あやしくない」
そうこうしているうちに、料理長が戻ってきてしまいました。
「まったく、逃げ足のはやいネズミだった。あれ、このお嬢ちゃんは?」
「この国の、ルーシーだとさ」
オウムは、えらそうに言いました。料理長は、真っ赤な顔をふきげんそうにしました。
「こんな泥だらけの姫君なんて、いるもんか。そうだ、ちょうどいい、おまえ、魔法使いのところへ食事を運んでくれ」
「え……ええ、わかりましたわ」
ルーシーは、すぐうなずきました。シチューの中に、にんじんをいれてやるつもりだったのです。
ところが、ルーシーがシチューの皿を受け取るために手を出したとたん、にんじんがぽろりと床に転がってしまいました。
「――こ、これは……!」
ひろいあげた料理長が、声をもらします。
「いんぼうだ! あんさつだ!」
オウムがわめきはじめました。
ガチャガチャと、周囲の兵士たちのよろいの音がひびいてきました。
兵士が数名、入ってきたので、ルーシーはかれらに命じました。
「オウムと料理長を、ひっとらえてください」
「なにを言う。みすぼらしい娘め」
兵士は答えました。
「ひっとらえろ!」
こうしてルーシーは、牢屋にとじこめられてしまいました。
その夜、ルーシーは、まっくらな牢屋のなかで、膝をかかえていました。このお城には、魔法使いの言うとおりにする人たちしか、まわりにはいません。頼りのリーグは、どこへ行ったのかわかりません。王さまは、ルーシーが台所にいたと聞いても、いまも、自室にいると思い込んでいるようすなのです。
しかも王さまは、城の外の病気が終わったことなんか、信じていないのです。王妃さまが亡くなられたときから、ずっとこころを閉ざしています。わたしには、なにもできないのかしら。ルーシーは、気分がふさぎました。目の前が、暗くなるような気持ちでした。
このまま、ずっとここにいたらどうなるでしょう。魔法使いは、王さままでネズミに変えてしまうかもしれません。大切なおとうさま。その笑顔を思い浮かべているうちに、ルーシーは泣き出しそうになりました。
この国が、魔法使いの王国になってしまったら、どんなにお母さまが悲しむでしょう。民もまた、苦しめられるでしょう。
そしてわたしは、ネズミに変えられる。
ライオンのエサにさせられるんだ。
牢屋のなかはつめたくて、ごはんもだしてくれません。ルーシーは、ぶるぶる震えはじめました。きゅうきゅう、おなかも鳴っています。うまれてはじめて、姫は「ひもじい」ということを知りました。
いっそ、魔法使いにごめんなさいしようかな、とルーシーは思いました。外に出ようと思ったのは、まちがいでした。そういって頭をさげたら、どんなに楽でしょう。ひとことそう言えば、また元の生活にもどれるのです。暖かな部屋、おいしいごちそう。そして……
退屈な日々。
コツコツ。コツコツ。
床を叩く音がしました。ハッとして顔をあげると、がんじょうなオリの外に、見覚えのあるネズミが一匹いました。
「リーグ!」
ルーシーは、思わず叫びました。
「しーっ! いま、牢のカギを開けますから」
リーグはそういうと、カギのかかった牢のかんぬきに、歯を立てて食いやぶってしまいました。
「待ってたのよ! どこに行ってたの?」
「料理長をまくのがたいへんだったんです。さあ、魔法使いのところへ行きましょう!」
リーグは、せかしました。
「無理よ。わたしにはできない」
ルーシーは、泣き言を言い始めました。
「どうしたんですか。しっかりしてください。外に出たいんじゃ、なかったんですか!」
リーグは、しかります。
「だって、魔法のにんじんも取り上げられたのよ? どうやって魔法を解くのよ!」
ルーシーは、ワッと泣き伏してしまいました。
「あなたは、この国がどうなってもいいとおっしゃるんですか」
リーグは、言いました。
「最後まであきらめず、魔法使いの魔の手から、この国を守るのです! あなたならできる」
わたしなら出来る。わたしなら出来る。ルーシーは、胸が熱くなりました。牢を出て、顔をしゃんとあげました。
こうして牢から出た二人は、魔法使いの部屋に向かいました。兵士が行き来する廊下を、見とがめられないように、わざと腰を曲げ、下働きの老女のふりをしました。
しかし、育ちの良さが態度に出たのでしょう。兵士がルーシーをみとがめました。
「おい、そこの。どこへ行く」
「はあ、魔法使いの部屋の掃除にまいります」
声が若々しいのです。兵士はますます、あやしみました。
「おまえ、どこかで会ってないか?」
「いえいえ。気のせいでしょう」
「おまえ、部屋の掃除をするのに、掃除用具も持っていないのか?」
さあ、困りました。ルーシーは、必死で考えこみました。
「えーと、掃除道具は、いまから取りに行くところです」
「だったら、道具入れはそこじゃないぞ。案内してやろう」
ほかに方法もなく、ルーシーは兵士のあとをついていきました。
「はやり病がおさまったという話は、ほんとうらしいな。おまえのようなボケ老人が、下働きに来るようになったとは……。うちは人手が足りないのか?」
根が単純なルーシーは、兵士がだまされたのに気を良くして、答えました。
「こうみえてもわたしは、まだまだ若い者には負けません」
「そうだろうな。よく見ると可愛い顔をしている。泥だらけで、よくわからないところもあるが、性格は好さそうだ」
「人からは、よく可愛いと言われます」
「老人を大切にするのは、いいことだな。われらの主の魔法使いも、老人だ。もしかして、妻の座をねらっておるのか?」
「とんでもない! あの人は、母の仇……もごもご」
道具入れのある場所に着きました。兵士は、親しげにルーシーの肩をたたきました。
「掃除をしっかりたのむぜ。ネズミが出てきて、仕方ないんだ」
ところが兵士は、ルーシーが道具を手にしてもまだそばにいました。
「その泥だらけのかっこう、何とかした方がいいぞ。仮にもここは、王の城なんだからな。女中頭のところへ、連れて行ってやろう」
道案内しつつ、兵士は、そう助言しました。
「メイド頭さんと会ったら、どうしたらいいでしょう」
ルーシーは、手にハタキを持っています。
「彼女に頼んで、かわりのメイド服を借りたらいい。きっと似合うぜ。その姿をちょっと見たくなってきたな」
どんどん、魔法使いの部屋から遠ざかります。ルーシーは、あせりました。
「服なんかどうでもいいでしょう」
「いやー、メイド服姿の老女というのも、見てみたいなあ」
なんだか、さぐるような目つきです。ルーシーは、ドキドキしてきました。
「あなたの趣味と、魔法使いの趣味は、違うかも知れません」
「ま、そうだな。しかし、女は衣装で化けるっていうしなぁ。意外と、あんたにはピッタリかもしれんな」
ルーシーは、頭をもたげました。
「それじゃあ、兵隊さん、あなたも着替えてくれますか?」
兵士は、目をキョトンとさせました。
「なんだと?」
「女装、似合うかもしれないですよ?」
兵士は、一歩、退きました。
「いや、それは……」
「スカートとか、フリルとか着た兵士さん……」
「カンベンしてくれ」
二歩、三歩。退き続けます。
「魔法使い好みの女装をすれば、昇進するかも」
追い打ちをかけると、兵士は、駆け足で立ち去って行きました。
ルーシーは、ハタキを投げ捨てると、魔法使いの部屋へと向かいました。
魔法使いの部屋は、台所からは近いのですが、兵士たちが見張っています。たぶん、同じ手は通用しないでしょう。
「どうやって入ったらいいの? 魔法使いは、強いわ……。とてもたちうちできないわ……」
ひとりごとを言ったルーシーですが、部屋のドアがばたりと開いて、兵士たちがガチャガチャ、道を開きました。
「降参に来たのだろう。入りたまえ」
勝ち誇った様子の魔法使いが、となりに料理長を置いて立っていました。料理長は、ルーシーから目をそらしています。手にトレイを持っていて、その上にビーフシチューの皿が載っていました。
一同は、中に入っていきました。兵士を外に残して、扉が、またぱたりと閉まりました。
「リーグよ。いいところまで行ったな。だが残念ながら、魔法のにんじんは、料理長が、もう捨てたぞ」
そう言うと、魔法使いは、頭をふりあげて笑い転げました。
「愉快だ、愉快だ! この国を手始めにして、おまえの国も支配してやる。世界を征服し、おれの前にひとびとをひざまずかせてやる!」
リーグは、魔法使いをじっと見つめました。
「かわいそうな人だ……」
「な、なんだと?!」
魔法使いは、さっと青ざめました。
「なにがかわいそうだ。おれは最強だ! だれもおれには、さからえないんだ!」
「だけど、食事ひとつ、まともに出来ない。好き嫌いがあって」
「おれにあの魔法のにんじんを食べさせようって腹だな? おことわりだね!」
ぐーっ。
姫のおなかが鳴りました。魔法使いは、目を丸くしましたが、こらえきれずに笑いだしました。
「ひもじいか。ふっふっふ。ひざまずけ。ネズミに変えられる前に、おれを神とあおぐのだ」
「――あのお」
料理長が、そばで言葉をはさみます。
「お嬢ちゃんは、ほんとうにルーシー姫なんですか?」
「いまさら言うなよ。わかりきってるだろ」
えらそうに、魔法使いは言います。
「こう言ってはなんですが」
料理長は、やましそうです。
「お嬢ちゃんは、おなかが減っているようです。ここに料理もありますし、食べさせてやってはどうでしょう」
「バカなことを言うな」
魔法使いは、料理長の手にしているシチューを見やります。
「うまそうだな」
一同は、ごくりとつばを飲み込みました。
ブラウンソースのたっぷりかかったビーフとじゃがいもは、とろけるような甘い匂いを放っています。ルーシーは、フラフラになってくるのを感じました。ぐっとこらえようとするのですが、どうしてもそのシチューにひきつけられてしまいます。
その視線に気づいた魔法使いは、クックック、と邪悪な笑い声を立てました。
「欲しいか」
ルーシーは、唇を噛みました。
「おれの手を取って忠誠を誓え。そうすれば、食わせてやってもいいぜ」
「――なんてことを!」
リーグが叫びます。
ルーシーは、ひざまずきました。そして魔法使いの手を握りしめました。
「ふっふっふ。これでこの国はおれのもの!」
魔法使いはそう言うなり、手をあずけたまま、あろうことか器用にも、そのビーフシチューを一気に飲み込んでしまったのです!
「わ」
料理長は、悲鳴を上げました。
「は」
リーグは、目を見張りました。
「あっ」
ルーシーは、ぴょんと立ち上がりました。
みるみるうちに、魔法使いのからだが変化していきます。小さくなって、小さくなって……。
「おい、なんだ、どうなってる! おい!」
叫び声はだんだんキイキイ声になり、途絶えてしまいました。
魔法使いのいた場所にいるのは――。
「この、ネズミめ!」
料理長は、足で踏みつけました。カサコソと、ネズミがにげまどいます。
「ど、どうなってる?!」
あわてふためいてネズミの魔法使いが言うと、料理長は言いました。
「そこのリーグさんが、魔法とたたかう方法を教えてくださいました。だからあっしは、魔法のにんじんの汁を、あのビーフシチューに入れたんですよ」
「ち、ちくしょう!」
魔法使いは、二本足で立ってキイキイわめきます。
「料理長! 魔法使いを怖がってたはずじゃ、なかったの?」
ルーシーが聞くと、料理長は真っ赤な顔をさらに赤くして、
「リーグさまは、あっしの魔法使いへの態度が弱腰だと言われました。王女さまのことを知らんぷりして油断させ、にんじんを入れるようにと。……そうすれば、リーグさまは、ダイエットにも協力してくれるんだそうです」
「――そんなに太ってるとは思えないけど」
「女房から、痩せろ痩せろと言われてましてね……」
そのとき、ハンサムな王子さまがやってきました。
「ライオンのエサになりたくなかったら、この国を出て行け」
王子は言いました。魔法使いは、キイキイわめきましたが、王子さまがこぶしをかざすと、そのまま出て行ってしまいました。
「リーグ王子。そんな程度の罰でいいんですか?」
料理長は、あやぶみます。王子は歯を見せて笑いました。
「知らないのかな。ネズミには天敵がいっぱいいる。とんびやねこ、からすなどの襲うなかを生き抜くのは、たいへんだと思うよ」
まぶしい光が廊下の窓から射し込んできました。黒いヤマイバラの壁が、消えたのです。
ルーシーと王子さまの国は、仲良くなり、やがてふたりは結婚しました。
魔法使いの行方は、だれも知りません。(了)