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流離い槍術士、槍を極める  作者: 白さわら
5/8

5.黒竜の闘士


 *****




 竜、あるいはドラゴン。


 元を辿れば、一匹のトカゲが膨大な炎の魔力を得て変化した存在だといわれる。

 人より高い知性を持ち、戯れに人の言葉を覚え話す偉大な竜もいれば、

 野生動物と変わらない知能と生態の亜竜と呼ばれる竜もいる。


 吐息は岩をも溶かす炎、全身の鱗は鋼鉄の刃ですら傷一つつかず、

 老竜ともなれば山のような巨体であるとも。

 いずれにせよ人間とは比較にならない力を持ち、

 時に畏怖され、時に崇拝されてきた存在。


 本当かどうかは定かでないが、

 吟遊詩人の歌には幾人もの竜殺しが名を連ねている。

 悪竜を討ち英雄となった者。善なる竜を殺し報いを受けた悪党。

 善悪に関係なく名が語られるのは、

 それが一握りの超越者にのみ許された難行であるがゆえ。




 *****




 シルスは今、険しい山を登っている。

 偶然立ち寄った麓村で聞いた、黒竜の闘士という人物に会いに行くためだ。


 この山には黒い鱗の竜が住んでいて、

 竜のおかげで村は救われた事があるらしく、村人は神のように敬っていた。

 土砂崩れをその身をもって何度もせき止め、

 山地の整備を手助けすらしてくれたという。

 闘士は黒竜の住処に居を構え、ひたすらに武芸を極めるため鍛錬を続けている。


 流離人に平然と教えてくれる村人たちに違和感はあった。

 竜殺し。己を英雄の領域に押し上げてくれる最高位の称号。

 立身のために詐称する者は数知れず、

 武の極みを追い求める者たちにとってはこの世界で望める最強の相手だ。

 愚かな無法者が、自分たちが敬う竜を殺そうとするとは考えないのだろうか。


 善なる竜を愚かな人間が傷つけ、

 激怒した竜に滅ぼされた国のおとぎ話を母から聞いた事がある。

 山奥にひっそりとある村とはいえ、小さいが店や宿があった事から

 旅人は来るのだろうし、流離人も知っているはずだ。

 それなのに宿の主人は竜と闘士の事を聞いてもいない事まで喋りだし、

 店では竜の好物で土産にいいと蜂蜜の瓶を買わされた。

 シルスを騙そうとしている様子はない。

 では、なぜ流離人に竜の居場所を教えてくれるのか。


 斜面で転びそうになり、今考えても仕方ない事だと思い直す。

 今はただ、山を登り黒竜の闘士に会う事だけを考えればいい。

 その闘士なら、極みとは何なのかを教えてくれるかもしれないと、

 淡い期待を抱きながら進んだ。




 山を道なりに登っていくと、岩壁に突き当たった。

 この場所から左に向かい、岩壁を回り込むように進むと闘士がいるらしい。

 登山の疲れもあって、面倒な回り道にため息が出てしまう。

 道のようなものが作られている所から見ると、

 闘士の居場所には人の行き来がそこそこあるようだ。


 しばらく岩壁に沿って進むと、なぜか錆びた鉾槍が立てかけられていた。

 誰かの墓だろうかと考えて通り過ぎようとしたが、

 その鉾槍の異様さに目を奪われた。

 一切の装飾を排したあまりにも武骨な鉾槍。

 シルスが持っている量産品の槍ですら、もう少し見栄えは気にしている。

 そして、何があったのか刃は砕けて欠け、柄はひしゃげて曲がっていた。

 鉾槍をここまでの状態にできる何者かが山にいる。その事実に肝が冷えた。


 緩んでいた気を引き締めなおし、

 何が出ても驚かぬように緊張感をもって進む。


 随分と歩いた先、岩肌が途切れている地点が見える。

 ようやく目的地に着いたらしい。

 闘士の姿を想像しながら歩みを進め、

 そこにいるものの姿に想像は吹き飛び、足が止まった。

 それを見た瞬間、村人が竜の住処をあっさり教えてくれたのかを理解した。


 黒い鱗の竜だという事は聞いていた。

 だが、それが自身の十倍をゆうに超える巨竜だとは想像だにしていなかった。

 角は大木のように枝分かれしており、竜が生きてきた時間を示しているよう。

 間違いなく、知性を持つ老竜。

 この世界において並ぶものなき最大にして最強の存在。


 それ以上に驚愕したのは、その黒竜と真っ向から対峙する一人の男。

 つるはしに斧の刃をくっつけたような長柄斧を担ぎ、

 今にも黒竜に襲い掛からんとしている。

 このまま戦えば、男は確実に死ぬだろう。


 目の前で人が竜に喰われるのを放っておけるほど達観してはいない。

 だが、村人の話によれば黒竜は善なる守り神のような存在。

 それを害そうとする男は、必然的に善なる竜を殺す外道、という事になる。

 もしこれほどの竜が傷つけられて怒り狂えば、

 こんな山など一夜にして麓村ごと焼き尽くされてしまう。

 男に加勢するべきか、竜に加勢するべきか、

 いっそ見て見ぬふりをしてやり過ごすべきか。


 思考の堂々巡りを繰り返していると、

 黒竜がシルスをじっと見つめているのに気が付いた。

 岩壁から体を乗り出してしまっていて、視線が通っている。

 見つからない方がどうかしている位置だ。

 男も竜の視線に気付き、体を傾けて振り向く。

 どちらにも発見されてこうなればやけくそ、

 最早どうにでもなれと声を出す。


「ちょっと待ってくれ! 一体何を……」

「手出し無用ッ!」


 男が発した力強い宣言に、シルスは言葉を失った。

 これ以上の言葉など要らないとばかりに向き直る男と黒竜。


 先に動いたのは黒竜。右足を上げ、男を踏みつぶさんと迫る。

 男は長柄斧を構えたままほとんど動かず、竜の足は彼ごと地面を踏みしめた。

 巻き上がる砂埃と足を取られそうな大地の揺れ。


「どぅりゃあッ!」


 それを吹き飛ばすような男の大声。

 指と指の隙間で踏みつけを回避し、竜の足に全体重を乗せた斧の一撃。

 生物に叩きつけたとは思えないような重い金属音が響く。

 長柄斧が大きく弾かれるが、その勢いのまま男は足から離れた。


 その隙を逃さぬとばかりに竜が首を下げ、口を開いて男を食らおうとする。

 巨体とは思えない速度、そして山崩れと見紛うほどの凄まじい質量。

 男が跳ね飛ぶように全力で走り、

 恐ろしい音を立てて噛み合わされる牙から辛うじて逃れた。


 至近距離まで近づいてきた竜の顎に、

 長柄斧のつるはし部分を振り回して突き刺そうとしたが、

 鱗に弾かれ竜は気にも留めていない。


 竜が頭をもたげる。わずかに開いた口を見逃さず、

 男は腰に巻いていた鎖を投げ、竜の牙に巻きつけた。

 引き合いにすらならない、力も重量も桁違いすぎる。男の足が地面を離れる。

 その瞬間、勢いよく引かれた鎖が男の腰から外れ、

 男は空中で回転させられたのち地面に転がった。

 斧を握ってこそいるが、あれではしばらく身動きすら取れない。


 竜が再度首を下げる。今度こそ逃れる術はない、

 男は一口で食われてしまうだろう。

 助けに行くべきか迷ったが、結局動けなかった。

 手出し無用の宣言があったからか。

 あるいはそれを言い訳に、竜に挑む事を恐れたからか。

 せめて目を背ける事無く、男の死にざまだけは見届けようと思った。


 シルスが悲壮な決意を固めた時、竜は鼻先を軽く男に押し当てて笑った。


「惜しかったなあ、上手くいけば片目は持っていけたろうに」

「途中で鎖が外れてしまうとは! やれやれ、また失敗だな!」


 倒れたまま豪快に笑う男と、彼と親しげに会話する竜。

 理解の追い付かない状況に固まっていると、竜が穏やかに話しかけてくる。


「君は見慣れぬ人間だな、村人ではないのか?」

「え、ええ。俺は流離人のシルスといいます。黒竜の闘士に会いに来ました」


 シルスの返事を聞くと竜は軽く頷き、未だ倒れている男を前足で示す。


「君の客人のようだね、黒竜の闘士よ」

「その呼び名は止めてくれと言っておるのだがなぁ」


 なぜ黒竜と、黒竜の闘士と呼ばれる男が戦っていたのか。

 人と竜が親しく話すこの状況は何なのか。

 疑問だらけで頭の中が埋め尽くされてしまいそうだ。

 もはや呆然とするしかないシルスを、やはり倒れたままで手招きする男。


「おおい、ワシに用ならすまんが起こしてくれ、腰が痛くて起き上がれん」

「だったらついでに、私の歯に挟まっている鎖を取ってくれないかな?」


 どこかのんきな闘士と竜の頼みごと。

 風邪をひいた日に見た珍妙な夢を思い出し、引きつった笑みが出てしまった。



 闘士を起こし、竜の牙に挟まった鎖を外す。

 巨竜の口に手を入れるという行為に恐怖を感じたが、

 竜の案外つぶらな目と視線が合い、何となく大丈夫なような気がした。

 鎖は細く頑丈で、あれだけ荒々しい使い方をされたのに切れる様子も無かった。


 竜はがちがちと牙を鳴らし、嬉しそうに首を地面につけて力を抜いている。

 まともな精神の持ち主なら至近距離でこんなものを見れば卒倒するだろうが、

 どこか穏やかな雰囲気を纏った竜だからか恐怖は感じなかった。


「さて、ワシに何用かな?」


 闘士は肩を回しながら、気さくに聞いてくる。

 "闘士"と呼ぶに相応しい、筋骨隆々の初老の男。

 長柄斧を軽々と振り回し、竜と凄まじい戦いをしたばかりの男。

 彼ならば、極みとは何かを教えてくれるのだろうか。


「俺は流離人のシルスといいます。黒竜の闘士殿にお聞きしたい事があり……」

「ワシの名はザグナルという。

 黒竜の闘士とかいうのは止めてくれんか、尻がむず痒くなる。

 それにワシも流離人でな、そんなかしこまった言葉遣いでなくてもいいぞ?」


 闘士……ザグナルはそう言って片目を閉じる。

 暑苦しい彼の容貌には、正直なところ似合っていない。

 貴方はそれでいいのかもしれないが、と困りながらシルスは竜を見上げる。

 竜を相手に無礼を働きたくはない。

 流離人の武芸者とはいえ、命を惜しむ気持ちは持っているのだから。


「私もその方が有難いな。

 異種の言葉だ、小難しい言い回しをされると分からなくなるからね」


 流暢に人の言葉を話す竜。巨大な口から出ているとは思えないほど優しい声。


「……分かった、それじゃあ普通に話させてもらうよ」


 言葉遣いを崩したシルスに、ザグナルは豪快そうな笑みを見せた。


「俺は、極みとは何なのかを知りたくて来ました。

 あれほどの戦いをした、

 武芸を極めるため鍛錬を続けているという貴方なら、教えてくれるのではと」

「いや、ワシは極めるために武技を磨いている訳ではないぞ?」


 困り顔で即答され、シルスは間抜けな声を漏らした。


「すまんなあ、ワシは自身の目的のためにここで武技を磨いているんだ。

 極みがどうこう言われても、さっぱり分からん。

 ワシが聞いてみたいぐらいだよ!」


 体から力が抜ける。ここまであっさり言われるとは想像だにしていなかった。

 わざわざ山を登ってまで来たというのに。

 一気に徒労感が押し寄せてきて、へなへなと地面に膝をついた。


「酷いじゃないか、ザグナル。すっかり落ち込んでしまったようだぞ?」

「仕方あるまい、極みを真摯に求める者に適当な事など言えぬからな。

 ワシの目的は"竜殺し"ただ一つ、それ以外の事を考える余裕などないよ」


 竜とザグナルの会話を聞いた瞬間、跳ね飛ぶように立ち上がっていた。

 闘士は今、目的が何と言ったのか。よりにもよって巨竜の前で。


「そんなに驚かんでもよかろう。

 人の身でも竜は殺せると示すため、ワシは竜殺しの技を作っているんだ」

「そ、それに驚いているのではなくて……!」


 黒竜の口の前で、平然と話すザグナル。

 竜の間近で竜殺しが目的だと語るなど、自殺志願者でもまずやらない。

 恐る恐る竜を見る。怒りに燃えているかと思ったその目は、

 呆れたようにザグナルを見ていた。


「この七年間、私に傷一つ負わせられていないんだけどね」

「お主の鱗が硬すぎるんだ!

 これまでどれだけの武器を潰したと思っている、まったく」


 竜の顔を撫でるザグナル。竜は動く事も無く、穏やかにそれを見ている。

 ザグナルが長柄斧を担ぐ。よく見れば山道の途中で見た鉾槍と同じように、

 一切の装飾が排された物だった。


「さて、シルス。今から下山するには疲れたのではないか?

 近くにワシが建てた小屋がある、今晩は泊っていくといい」


 疲れたのは貴方の言動にだ、と言いたくなったが堪える。

 せっかくなので好意に甘える事にした。

 竜が寝床にしている岸壁をくり抜いたような洞窟の近くに、その小屋はあった。



 ***



 小屋の中はまるで鍛冶屋の仕事場で、

 そこに最低限生活に必要な空間が備え付けられているだけの質素なものだった。

 竜の寝床に近い方の壁は取り払われており、そこに竜が顔を突っ込んでくる。

 幼い頃、家の近くにあった広場に住み着いて

 可愛がっていた亀を思い出して軽く撫でてみる。


「自慢だった黒い鱗も、すっかりくすんでしまってね」


 色が薄くなった鱗を撫でられ、竜は少し恥ずかしそうに視線を落とした。

 そこへ、武器の手入れを終えたザグナルが勢いよく座る。


「さて、お主の期待には応えられんかったが……

 何かを迷っているなら、ワシらに話してみないか?

 年の功で何か助言できるかもしれん」


 自分の情けなさを晒す事に少し悩んだが、

 極みとは何かを知る一助になるなら羞恥など些細な事と思い、話し始める。

 槍を極める旅の途中、殺人者に曇らされた極みへの道。

 しかし殺し続けた先にそれは無いと知った事。旅路の全てを話す。


「つまり極みとは、誰よりも強くなるという事でいいのかな?

 ならば私は竜を極めたと言えるのか。

 私が槍をつまんだら、私は槍を極めた事になるのかな」


 誰よりも強くなれば、それが極み。武芸者は大抵そう思う事だろう。

 得意げに目を細める竜の言う事は、その定義に沿えばその通りなのだが、

 種族として最強である竜は"極めた"と言えるのだろうか?


「いや待て、もう炎も吐けぬ私より強い竜がどこかにいるかもしれないな。

 そいつより強い竜もいるかも。

 ううむ、どうやったら"誰よりも強い"と証明できるのだろう?」


 悩みながら独り言を呟く竜。その言葉を聞き、はっとした。

 奇跡が起こり槍一本で竜に打ち勝ったとしても、

 それは"竜殺し"であって"極み"ではない。極みに近づいただけだ。

 更なる強者がいるかもしれない。

 どこが限界の強さなのかなど分かるはずがない。

 それでは永遠に辿り着かない。


「随分と難しい事を考えるなあ。

 ワシなんぞ竜が殺せる武技が完成したらそれで満足よ!」


 豪快に笑うザグナルを呆れたように見つめる竜。

 気になった。

 竜とこれだけ親しく語らいながら、竜殺しの武技を磨き上げる男の事が。


「貴方は、どうして竜を殺す技をあみ出そうとしているんだ?」

「聞いてくれるか! 長くなるからな、酒でも飲みながら話そう!」


 嬉しそうに酒を用意するザグナルを横目に、

 竜が恨めしそうな視線を向けてくる。

 相当の長話になりそうだと覚悟はしたが、

 それ以上に彼が何を話すのかが楽しみだった。




 話はザグナルの生まれた時から始まり、何度も横道に逸れながら続いた。


 彼はここから遠く南方にある村の出身の鍛冶屋だったが、

 十年前に村を出て流離人となり、三年を経てここに住み着いたという。

 村を出た理由はただ一つ。

 村を襲撃してくる竜の群れを殺せる武技を創始する事。


 最初の襲撃はザグナルの友人の結婚式。

 飛来する竜の群れに成すすべなく村は荒らされ、友人は妻と共に食われた。

 町から来た学者などの意見と調査により、

 近くの山に竜の群れが住み着き、繁殖期に村を餌場にしているとの事だった。

 学者たちは村を捨てる事を提案したが、できるはずが無かった。

 苦労して築き上げた慎ましくも愛おしい故郷、離れては生きていけないのだ。


 怒りに燃える村人たちは家々に大型弩砲を備え付け、

 ザグナルも襲撃者を皆殺しにせんと兵器の精度を高めた。


 四年後、再度の襲撃。

 大型弩砲は大半の竜を地に叩き落したが、

 竜はそれでもなお人が相手にできる存在ではなかった。

 黒竜ほどではないが、人間の三倍近い巨体。

 人の身で振るう武器を弾き返す鱗。吐き出される炎。

 腕自慢の武芸者も、逃げ惑う村人も、

 ザグナルの妻と幼い娘も、竜に殺された。


 襲撃が終わり、前回よりも酷い惨状を見て気付いた。

 兵器だけでは足りない。人が人を相手にする武技や武具では役に立たない。

 竜を殺すためだけの技術、竜殺しの武技こそが必要だ。


 それを求めて流離人となり、旅を続けている時に

 偶然立ち寄った麓の村で黒竜の話を聞き、協力を願った。

 竜を殺すならば、竜にその方法を教えてもらうのがもっとも早い。

 竜への憎しみなど心を叩き壊して捨てた。

 死した友も妻も子も二度と戻らない。

 竜殺しの武技は現在と未来に生きる者のためだけに。




 全てを話し終えたのか、ザグナルは酒をあおる。

 心を叩き壊したという言葉の通りに、

 一切の悲しみも憎しみも見せずに、何気ない日常を語るように話し終えた。


「しかし、よく同族殺しのための武技に協力する気になったな……」

「人間が竜に勝てるのか興味ができてね。

 長くもない余生で何かをしてみたかった」


 シルスがもらした呟きに答える竜。その言葉に驚いて竜の方を見る。


「あと三千回ほど朝と夜が巡った頃に私の命は尽きるだろう。

 無為に生きてきた身だが、君たち人間のように何かを残す事に憧れた」


 十年も残されていない生で何かを残したい。

 それが同族殺しの武技でも構わないと。

 この竜であれば黒い鱗や大木のような角などが残りそうだ、

 などと考えてしまうが、すぐに思い直した。

 死骸は残るものであって、残したくて残すものではない。

 そんな物では価値が無い。

 視線に気付いたのか、竜の機嫌が少し悪くなる。


「あまり角を見ないでくれ、私にも羞恥はあるんだよ。

 一度も手入れする事も無く、こんなにみっともなく枝分かれしてしまって……」


 シルスの感性では立派に見えるのだが、竜にとっては恥ずかしいものらしい。


「その角はな、番の竜が手入れをするものなんだそうだ。

 つまり、そういう相手がいなかったという事だな!」

「私が炎を吐けたのなら君は今頃炭になっていたよ、ザグナル」


 そんな事をされたら同席しているシルスも消し炭になってしまうので、

 竜が炎を吐けなくてよかったと心から安堵した。

 それと共に、竜が何かを残したいと憧れたのは、

 我が子を見る事が無かったからかもしれないとも思った。


「ははは、その怒りはシルスにぶつけてみてくれんか?」


 突然とんでもない事を言い出された事に驚き、

 思わず後ずさってしまうが、ザグナルは気にせず続ける。


「竜と戦ってみてほしいんだ。

 戦いを外から見る事で武技に取り入れられるものがあるかもしれんしな。

 槍の極みが何かは分からんが、それは槍を振り続けた先にしかないだろう?」


 竜殺しの武技を完成させるために提案しているのだろうが、

 何気なく言ったであろうその言葉にはっとなった。


 槍を振らなければ、槍の極みに至る事は決してない。

 当たり前の事で、だからこそ忘れていた。

 それに何より、この世界で最強の存在たる老竜と試合として一戦交えられる。

 こんな幸運に恵まれる武芸者がどれだけいるだろうか。

 立ち上がり、竜を真っ直ぐ見る。竜は幼子を見守るような目で微笑んだ。


「私は、挑むという事に目を輝かせる君たちが好きだよ」




 小屋の近く、開けた場所に移動して槍を構える。

 対峙するは黒き鱗の巨竜。桁外れの威圧感と質量に身震いがする。


「戦うと言っても、私は動かないから安心していいよ。

 殺す気でかかってきなさい。

 人間が死力を尽くしても傷一つ負う事などないだろうけどね」


 挑発的な竜の言葉は、

 傷つける事を心配しなくていいという思いやりなのだろう。


 竜に深く一礼をし、心を奮い立たせ、一気に距離を詰める。

 勢いのままに、竜の足に手をかけてしがみつき、足の上に登る。

 ザグナルの攻撃でわずかな傷さえつかない鱗、

 ただの槍でまともに攻撃しても無意味。

 狙うは足の付け根、関節部。関節まで強固すぎては体を動かせないはずだ。


 守りを気にする必要は無い、全体重を乗せた突きを放つ。

 関節部、しかも鱗の隙間に突き入れたというのに弾かれる。

 竜の足の上という不安定な足場でよろめくが、

 神輿の上での舞を思い出せばどうという事は無い。


 幾度も槍を突き入れる。

 まるで鱗鎧を身に着けた鋼鉄の塊を突いているかのような感覚。

 槍を持つ手が痺れてくる。

 鱗に覆われていない口の中、そして目。

 そこを狙えればもしくはとも思うが、

 はるか頭上にあり登るにしても無理がある。


 亀と遊んだ事を思い出す。

 同じにするにはどうかと思うが、腹の部分は鱗に覆われてはいないはず。

 足から飛び降り、腹に向かって駆ける。

 槍を構えた姿勢のまま、勢いも加えて体当たりのように竜の腹を突く。

 甲高い音を立てて宙を舞う槍頭。負荷に耐えられず、柄が圧し折れた。


「うん、終わったみたいだね」


 竜が頭を下げてくる。その下顎に、槍ですらなくなった棒を突き上げる。

 通るなどあり得ないその一撃が弾かれた瞬間、

 自分が何をしたのかに気付き青ざめた。


「す、すまない……」


 竜が地面すれすれに頭を低くする。シルスの事をじっと見つめ、軽く頷く。


「君はきっと、槍を振り続けて生きていたいんだね。命尽きるその瞬間まで」


 冷静に考えればまったく意味の無い一撃を無意識に放った理由。

 たとえ槍が砕け、力及ばず道半ばで倒れても、

 最期まで槍を極める道を歩んでいたいから。

 手にしている圧し折れた柄、

 吹き飛んで酷い刃こぼれをしながらも地面に突き刺さって立つ槍頭。

 死す時はこれこそが墓標に相応しいとさえ思った。


「うむ、よい戦いだった! 有難く参考にさせてもらうぞ、シルス!」


 大声が思考を現実に呼び戻す。

 槍頭を拾い、すまなそうな顔で駆け寄ってくるザグナル。


「すまんな、ワシが妙な事を言ったばかりに槍を壊してしまって」

「俺が望んだ事だから。それに、迷いを晴らす何かが見えたような気がする」

「そうだ!

 その槍の代わりと言っては何だが、ワシの作った槍を持って行ってくれ!」


 多分話を聞いていないであろうザグナルは、

 槍頭を持ったまま小屋へ走っていってしまった。

 竜と顔を見合わせ、お互いに苦笑する。


「そうだ、一応確認しておかないとね。私の鱗に傷はついたかな?」


 小屋に戻る前によく見てみたが、竜の体にはかすり傷一つ無かった。

 悔しさはあったが、世界最強の存在に挑んだという事実に興奮して、

 そんな感情はすぐどこかにいってしまった。




 竜と共に小屋に戻ってみると、ザグナルは一本の槍を持っていた。

 柄も金属製のそれは、

 山道で見た鉾槍と同じように一切の装飾が排されている。

 話を聞いた今なら理由が分かる。

 竜殺しのためだけに作られた、ただ武器としての性能のみを追い求めた槍。


 槍を受け取り、軽く振ってみる。

 総金属製で重めだが、槍の中でも上位に入るであろう業物。

 槍頭は頑丈さを重視しつつも鋭く、竜の鱗を突くなどの

 無茶な使い方をしない限り斬れ味が鈍る事もそうないだろう。

 生涯を共にできるかもしれない武骨な槍。

 それを考えた時、どうしても聞いてみたい事ができた。


「もし、竜殺しの武技が完成しなかったら、どうする?」


 もし目的を達する前に、命が尽きたら。

 人生の全てを懸けたものが無意味に、失敗に終わる事が恐ろしくはないのか。


「それならそれでいい。全ての者が目的を叶えられるなどあり得ないからな」


 そんなシルスの言葉を聞いたザグナルは、普段通りの豪快な笑顔のまま答えた。

 残酷な真実を、仕方がないとあっさり。


「た、確かにそうだろうが、そのためだけに生きて、なのに……」


 言いたい事が纏まらず、自分でも何を言っているのか分からない。

 この焼けつくような想いは、仕方ないとあっさり諦められるものなのだろうか。


「未練は残るし、村の皆には役立たずの無能と罵られるだろうな。

 だが、武技を作ろうと思った事も、

 ここで竜と共に武技を磨き続けた事も後悔はしない」

「どうして?」

「ワシにできる精一杯をやった結果だからだ。

 道半ばで死のうが、結局使われなかろうが構うものか。

 結局のところ、自分が納得できるかどうかさ」


 諦めとは程遠い力強さで笑うザグナル。


「お主の極みも、きっと似たようなものなのではないかなとワシは思う。

 お主がこれだと思ったものが極みへの道だし、

 これこそがと納得できるものが極みなのかもしれんとな」


 これでは何の助言にもならんなと付け加えるザグナルだが、

 シルスにとっては光明だった。


 極みとは誰にとっても同じものだと、そんな事を誰が決めた。

 殺人者に曇らされた心は、そんな事にさえ思い至らなかった。


 竜に視線を移す。きょとんとした、案外可愛らしい顔をする竜。

 奴がどれだけの命を糧にしようが、この黒竜に人間が勝てるはずがない。

 あの時語られた真理とやらは、奴だけのものだった。


 そして、竜は軽く疑問を口にしただけなのだろうが、

 強さとは極みに至る手段でしかないという事を教えてくれた。

 いつの間にか手段が目的にすり替わっていた。

 強くある事は大切だが、ただ誰よりも強ければ極みというわけではない。

 強くなった先にあるものが極みのはずだ。


 今はまだ、これがと思う道は分からない。

 それでも歩みだけは止めない。

 精一杯に極みを求め、後悔の無いように納得して死にたいから。


「どうやら、私たちは君の悩みを軽くできたみたいだね」


 竜が満足げにそう言うと、ザグナルも嬉しそうな笑顔を見せた。



 ***



 次の日の朝。ひんやりとした山の空気が心地よい。

 旅立ちの準備を整えたシルスを、ザグナルと竜が見送る。


「ありがとう、ザグナル。この槍に恥じない生を送ってみせる」

「おう! お互いに後悔だけはしないようにな!」


 がっちりと握手を交わす。

 竜殺しの闘士が心に宿す熱が伝わってきたような気がした。

 続いて竜の方を見る。

 竜はやはり頭を地面につけており、穏やかな目でシルスを見ていた。


「ありがとう……そういえば、名前を聞いていなかったな。貴方の名は?」

「人間には発音できないと思うよ。一応名乗るけど、呼べなければ竜でいいさ」


 そう言って竜は、複雑な吠え声としか形容しようがない名を名乗った。


「んぐぇ、ぐぉむ……ありがとう、竜よ」


 何とか呼んでみようとしたが、舌がもつれそうだったので諦めた。

 そんなシルスを見たザグナルと竜は、会ってから一番の大声で笑った。


「私の名を呼ぼうとしてみるその姿勢が、きっと君たちの強さなんだろうね」


 そう言った竜がシルスとザグナルを交互に見る。

 彼も呼べるか試してみたのだろう。

 どんな些細な無理難題でも、

 自分にできる精一杯をやってからでないと諦めない。それこそが強さだと。


 竜が頭をもたげ、自身の鱗を一枚千切ってシルスに渡してくる。

 黒い鱗は磨かれた鏡のように美しく、

 小型の盾のような大きさにもかかわらず驚くほど軽い。


「それはお土産。

 人間の身では傷一つ負う事無き私の鱗だ、きっと君の身を守ってくれるよ」


 予想外の土産を貰い礼を言った時、

 ずっと荷物の中に入ったままの土産を思い出した。

 慌てて蜂蜜の瓶を出すと、竜は呆れたような表情でシルスを睨んだ。


「甘い匂いがずっとしていてね。

 いつ渡してくれるのか待っていたのに、すっかり忘れて帰ろうとするなんて」


 鱗を土産と言ったのは、竜なりの催促だったらしい。

 こちらに伸ばされた舌に瓶を置くと、

 竜は瓶ごとぱくりと食べてしまい、口をもごもごさせて味わっていた。

 シルスは少しだけ歩き出し、振り返って手を振る。


「竜殺しの武技、完成させられる事を祈っている!」

「お主が槍を極めるのを祈っているぞ!」


 ザグナルが手を振り、竜は片方の翼を器用に振って、シルスを見送ってくれた。



 岩壁の回り道を戻り、錆びた鉾槍の所に戻ってきた。

 そこに壊れた槍を置く。この地で闘士と竜が出会った者の証として。

 極みへの道は相変わらず闇夜で何も見えないが、

 足元だけは見えるようになった。

 道を外れていない事だけ分かれば今は十分、

 下山で疲れる体とは裏腹に、心は軽やかだった。




 *****




 山の守り神のように崇められた黒竜はある流離人に語った通り、

 それから三千の朝と夜が巡った頃に死んだ。

 黒竜の亡骸は村人たちによって埋葬され、その地には祠が建てられた。

 土に埋まった頭蓋からのびる大木のような一対の角は

 祠の最奥に配置され、村人たちはそれを崇めたという。


 何故かそこにはひしゃげた鉾槍や刃こぼれした槍頭などの

 壊れた武具が安置されており、黒竜がそれを願ったという伝説だけが残る。

 ただ終わりの住処で余生を過ごした彼女は、竜神となって祀られた。



 黒竜の眠る地から遠く南方、知性無き亜竜どもの襲撃を受ける村があった。

 幾度もの襲撃で、村を捨てて皆で野垂れ死ぬか、

 亜竜に喰われて皆殺しになるかの二択を迫られる状況。


 そんな時、ある老人が故郷である村へと帰ってきた。

 老人は竜殺しの武技を伝授し、村の戦士たちと共に亜竜を殲滅せしめた。


 その老人が残した武具と武技は、竜討技という名で代々伝えられ

 悪なる竜を討つ竜殺しを幾人も輩出した。

 決して人に武器を振るわず、討つべき竜への敬意も忘れず、

 高潔な竜討技の闘士たちは英雄として称えられた。

 その武技は一人の男が竜と共に作り上げたものだという事を、知る者はいない。

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