幸せの法則
今は西暦20XX年。
バーチャルリアリティ、VRと呼ばれる分野は昔と比べて大きく進化しており、この世に大きな影響を与えていた。
ある国では、子が生まれたらゴーグルを付ける。
ほとんど重量を感じさせないそれは、つまりVRゴーグルである。そして、そこにこの世界が投影されるのだ。建物や、植物のみならず、人間、果ては飲食物まで、全て美化された世界の中で生きるのだ。国民は風呂や、寝る時でさえそれを外さない。
これは、その国の、ある、女の話だ。
その女は二十よりも少し若い。彼女はこの世に満足して暮らしている。
なぜなら、彼女は美しかったからだ。いや、周りがそうでなかったと言う方が正しい。この国の女性は彼女以外、美しくなかった。あくまで、彼女の視点で、だ。
美しい家に住み、美しくなかった整えられた、素晴らしい料理を堪能し、美しい男に囲まれ、人生を満喫していた。
そんな彼女の美しい日々の、ある一日だ。
遥か遠くの国から旅人がやってきた。女の、旅人だ。
その旅人は美しかった。初めて、自分以外の美しい女を見た彼女は、旅人に興味を持った。
「私は、遠く、F国から来ましたの。いろんな国を見て回ってるの」F国は裕福な国だと聞いていた。彼女は旅人の案内を請け負った。
「初めまして、私が素晴らしきこの国を案内しましょう」
まず、彼女は、国一番と言われる山に案内した。その山は花々に溢れ、水は澄み、虫や小動物が多く住まう、公園にある。
彼女は子ウサギを撫でながら「綺麗でしょう」と言った。しかし、旅人は「これが国一番の公園なのね。あなた、ネズミを撫でるなんて汚らしいわ」
彼女は、旅人の国は裕福だから満足しないのだと思った。美貌を持っているくせに、生意気だわとムキになって、今度は国自慢の時計台へと連れていった。
その時計盤には、宝石が埋められ、陽の光を受けて輝いていた。彼女はそれをうっとりと眺めて、「素晴らしいわ」と言った。しかし、またも旅人は「ふうん。シンプルで、いいわね」と言った。
これでも、足りないのかとまた、ムキになる。
しかし、もうこれ以上に素晴らしいものは無い。
仕方なく、帰路につく。その途中には、国王の城がある。小さく、質素で、古びていて、なんということも無い城だ。
国王は謙虚で、質素な生活を続けていたため、国民は多く支持し、人望を集めていた。
横目に「あれが国王の城よ。みすぼらしいでしょ。でも王様はいい人なの」と彼女は言った。
すると、旅人はその城を見て「素敵なお城」と目を輝かせた。
彼女は、変わった子だわ、と思う。
家に帰り、お茶にする。高級茶葉を使った、琥珀色に澄んだ紅茶を入れ、美味しいクッキーを持ってきた。
彼女はそれを堪能するが、旅人は顔をしかめて、口にしなかった。好みでないのだろうと、気にしなかった。
「そう言えば、家を案内しようか」彼女は、素晴らしい我が家を案内するのを忘れていたと気付き、言う。
「いえ、遠慮しておくわ」
お城よりも、ずっと素晴らしい家なのに、変わった子ね。とまた思う。
「でも、ねえ、この国は素晴らしいでしょう」
「そうかしら」旅人の口から思わぬ言葉を聞き、彼女は呆れた。この子は、自分の国が一番と思っているのだわ。なんて、視野の狭い子なのでしょう。と。
「どうして。美味しいお茶も、綺麗な山も、大きなお城もあるわ。強いて言うなら、美しい女が少ないこと位しか、悪いところなんてないじゃない」
そうこう言ううちに、喧嘩になった。あーだこーだ言う中で、彼女は「あなたの視野が狭すぎるのよ」と言った。
すると、旅人は「あなたの目は節穴かしら。ネズミをウサギと言ったり、ただの時計を素晴らしいとか言ったり。その眼鏡外してちゃんと見なさいよ」と吐き捨て、そして彼女のゴーグルに手をかけた。
彼女のゴーグルが外れると共に、彼女の世界は消えた。目の前には濁った茶と、湿気たクッキーがあった。大きなテーブルはボロボロの木の机になったし、椅子も今にも壊れそうだった。なにより、家の内装もガラリと地味に、むしろ、汚らしくなった。
変わらなかったのは、旅人が美しいことくらいだった。
「どれだけ曇った眼鏡なのよ」と旅人は、奪ったゴーグルを自分に付けた。と同時にため息を漏らした。
「これは、VRゴーグルね。つまり、あなたは、虚構の世界に生きていたのだわ。鏡を見て見なさい。あなたも、ちっとも美しくないわ」
鏡を見ると、確かにそこにはみすぼらしい女がいた。
彼女は驚きで声が出なかった。
「こんな汚い家に住んで、汚い食べ物を食べて、満足してるなんて、あなたこそ視野の狭い人ね」
彼女は何もいえなかった。
「今でも他の国では人が沢山死んでるわ。それを知っても、何も出来ないでしょう。そんなことなら知らなくてよかったと思うでしょう。それと一緒よ。私もこんなこと知りたくなかった。この世には、知らない方が幸せなこともあるのよ」
ひねり出すように、そう言って、ゴーグルを奪い、つけた。
刹那、彼女に美しい世界が戻る。
これが虚構だと思うと虚しい気もしたが、しようがなかった。こうやって生きている方が、幸せなのだから。
旅人は「でも、あの宮殿だけは素晴らしかったわ」と言い残し、去った。
国民からみると、みすぼらしい。らしい、城は旅人から見るとたいへん豪勢だった。大きく、純白の城に、ダイヤモンドが散りばめられ、陽光を受け光り輝いていた。
その中の一室で、王と、臣下が話をしている。
テーブルの上には素晴らしい食事が。しかし、これも国民が見るとみすぼらしいらしい。
「このVRゴーグルを作った人には感謝してもしきれない。簡単な建物も豪邸に見えるようだし、質素な食事も、豪勢な料理に見える。安いお金で国民は満足してくれる」
国王と臣下はゴーグルをしていない。つまり、ありのままを見ているということだ。
「ええ。余った税金で巨大な城を作っても、豪勢な食事をとっても、質素で謙虚な王だと思ってくれますしね」
国王は国民がゴーグルで本当の物を見えないことを利用して、悪事を働いていた。簡素なものをVRで豪勢に見せ、余った税金で豪勢な城を作り、豪勢な食事をとる。逆にこれらは質素に見えるようにしている。そうすることで、悪事をしているだけなのに、国民はより王を信頼するのだ。なんと楽なことだろう。
また、自分を美しくみせ、他人を不細工にすることで優越感を与え、常に自分が上と思わせることで反乱を封じるようにもしている。王と臣下はその滑稽な国民を見て楽しめるし、お金は使い放題。なんたって、使えば使うほど国民は質素で謙虚な王と崇めるのだ。
「いや、まあ、しかし罪悪感は残るがな」王は言う。
「彼らには、この世界が全てなのです。だから王が罪悪感を抱く必要はありません」臣下は応える。
王は頷いて、言う。
「なるほど、知らないほうが幸せなこともあるものだ」