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予想外の再会

 悠人と叶が帰宅を許されるようになったのは、あれから四日後のことだった。


 まず事件から一夜明けた後、彼らは精密検査のため二日間ほど病院に缶詰にされた。一見目立った外傷は無くても、いつどんなタイミングで身体が不調を訴えるか分からないから念のため、といった医師たちの杞憂のせいである。

 実際に斬られた叶はともかく、厳密に言えば襲われてすらいない自身に検査する必要性は果たしてあったのかと、最初は疑問を提示せずにいられなかった。が、吸血鬼に覚醒したことにより何の前触れも無く瞳の色が変わったり味覚を失ってしまった自身のことを、何も知らない者が「異常」と捉えるのは割と当然のことだったのだろうと、無駄に長い検査を終えた今では思う。


 叶の身体に支障が無いと分かり、また悠人の身体の異変も原因不明と結論付けられると即座に退院となったのだが、その矢先に待ち受けていたのは警察による事情聴取だった。

 しかし叶の方は意識が途中で失われていたこともあり、事件のことをあまり覚えていなかった。事件に対しての憔悴も相まって、彼女は事情聴取のほとんどで口を閉ざしていた。

 だからそれには、全てを目に捉えていた悠人が全て応答することになった……が、真実の全ては話していない。襲ってきたのが吸血鬼だとか、吸血鬼と異能力者の少女が戦っていたとか、自分が吸血鬼に覚醒し叶の血を飲んだとか、そんな話は空想として片付けられそうだったから。


 こうして真実が包み隠された事情聴取を終えた後、悠人と叶はようやく家路を辿ることができるようになったのだ。


「あー、疲れたー。検査の時なんか無駄に採血されちゃったし、いろんな場所にたらい回しにされて大変だったよー。悠くんもそうでしょ?」

「……ああ」


 事件への憔悴は何処へやら、すっかりいつも通りの調子に戻った叶。

 しかし彼女とは反対に、悠人の言葉の歯切れは悪い。


 叶の命が助かろうと、吸血鬼の脅威はまだ終息していない。そのことを悠人は、この四日間ずっと気にしていた。



『近いうちにお迎えに上がりますぞ、真祖様。我々にはどうしても貴方様の存在が不可欠なのですから……』



 再来を約束する言葉と共に姿を消したゼヘルは、未だに見つかっていない。


 ……否、見つかってはいるのだが、捕まえることはまだできていなかった。


 悠人と叶が登校できずにいた間、叶が受けたものと同様の殺傷事件が三件も発生している。被害者全員が頸部や腹部を剣の類で斬られているという点から、ゼヘルが起こしたものだということは明確である。

 最初は何故まだ殺戮を繰り返すのか理解できなかったが、四日前の襲撃と自身にも当てはまる吸血鬼の特性を思い起こしたら漠然とは察することができた。


(たぶん奴は、斬った奴の血を飲んでいる。いずれ俺のことを奪取し、そしてローラのことを殺すための力を得るために……)


 吸血鬼の力の源は人間の血である――僅かに蘇った真祖としての記憶が、そう教えてくれた。事件前に悠人の身に降りかかった謎の苦痛と飢渇が叶の血を飲んだ途端に急速に収束したのも、人間から吸血鬼に再覚醒したばかりなせいで足りていなかった力の根源を取り戻したからである。

 おそらくゼヘルは、近いうちに万全の形で悠人を迎えに行くために必要な力――確実に邪魔をしに来るであろうローラをねじ伏せるための圧倒的な力を得るために、夜な夜な吸血を繰り返しているのだろう。

 

 いつまで血を吸い続けるのかは分からない。が、確実にゼヘルは再来する。


「……くん」


 これがまだ自分が一人でいる時ならばいい。最悪口だけの交渉でどうにかできるかもしれないからだ。


「……悠くん。ねえ、悠くんってば」


 だが、もしその時が叶と一緒にいた場合だったら、自分はともかく、叶は……



「もう! 悠くん聞いてるの!?」



 と、ここまで考えていたところで、痺れを切らした幼馴染の声によって打ち止めとなった。

 機嫌を取るために軽く謝ると、非日常の存在(ゼヘル・エデル)に関する思考が脳内から薄れ、その代わり日常の存在(浅浦叶)に関する思考が脳内を占めるようになる。


「わ……悪い」

「全く……まだ事件が解決していないことが気がかりなんだとしても、あたしの話くらいは聴いててもいいのに」


 拗ねたようにそっぽを向く叶。そんな態度を取ってはいるものの、根では怒ってはいないらしい。


「……ま、いっか。話を聴かなかった罰は後でちゃんと与えることにするよ。例えば、今週末にあたしと一緒に遊園地行くこと――みたいな」

「……罰が割に合ってなくね?」

「いいの! 罰っていうのは建前だし。本当はあの時からずっと落ち込んでる悠くんを励ますための企画だもん」

「でも、それも建前なんだろ? 本当は単にお前が遊園地行きたいだけなんじゃねぇのかよ」

「うぐっ!」


 叶の肩が跳ねる。図星らしい。


「本当のところはどうなんだよ、浅浦叶さん?」

「……ユ、悠クント遊園地、行キタイ。アタシ、ソウシタイ」


 何故か片言の日本語で返事をする彼女に、悠人はやれやれと溜め息を吐く。

 普段ならばここで「面倒くさいから却下」と言って申し出を断るのが常であった……のだが、どういう訳か今の悠人に断ろうという心情は存在していなくて。


「……今回だけだからな」

「えっ、本当!? やったぁ!!」


 一転して叶の顔に喜色が浮かぶ。舞い上がる余りぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女は本当に無垢な子供のようだ。

 そんないつも通りの呑気な幼馴染の姿に少し呆れつつも、悠人の表情は思わず綻んだ。



(……そうだ。カナが日常の中でいつも通り笑ってくれさえいればいい)



 内心、そう想う。


 たとえ自分が吸血鬼の真祖なのだとしても、この純真無垢な幼馴染が日常の中にいる限りは、絶対に狂いたくなかった。

 覚醒してしまった以上、自分はもう日常に帰ることはできない。だが、彼女が修羅に巻き込まれなければそれで構わない。犠牲になるのは自分だけで充分だ。


(カナを平穏な日常の中から出すことだけは、何が何でも阻止しなければならない。もう過去のトラウマを掘り起こさないためにも――)





 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、彼女に再び見せないためにも。






*****






「じゃあね悠くん! また学校でね!」

「ああ、またな」


 叶の自宅前で別離し、悠人はそのまま斜向かいにある我が家へと赴く。


(なんか随分久々に見た気がするな、俺の家……)


 修学旅行から帰ってきた際に抱く考えと似たようなものを感じつつインターホンを押す。

 事件に巻き込まれて以降、父親とは会話をしたが母親とは顔すら合わせていない。虹彩が深紅に変色した自分を見て何と思うのだろうか、などと考えあぐねながら鍵が開くのを待つこと数秒。




「……ああ、貴様か」




 ドアの向こうからひょっこり姿を現したのは、母親ではなく、四日前に自身を撃ち殺そうとしたあの白い美少女だった。


「な、っ……んでお前が……!?」


 あまりにも想定外すぎる再開に、たちまち悠人は絶句してしまう。

 しかし当の美少女――ローラ・K・フォーマルハウトは、嫌そうに顔を顰めたものの、あの夜みたいに殺意の塊を突き付けてはこなかった。

 とはいえ、前回みたいに騙した上での奇襲を行うかもしれない。故に悠人は玄関の前で敵意剥き出しで警戒していたのだが、反してローラはまるでこの場所が我が家であるかのような平然とした態度で断言しただけだった。


「ふん、貴様が知らんのも無理はないだろうな。私が四日前から貴様の住まいに()()しているなど」


 真面目な顔で放たれた冗談のような一言に、悠人がさらに唖然としたのは言うまでもない。





「何で海外からの居候をあっさり受け入れてるんだよ母さん!」


 靴を脱ぎ夕食の香りが漂うリビングダイニングに立ち入るや否や、悠人は元凶であろう母親にそう訴えた。

 だが母親は、今晩のメインディッシュを揚げつつ、さりとて問題が無い事柄であるかのように答えただけだ。


「しょうがないじゃない。大ちゃんから『うちで受け入れてくれ』って頼まれたんだもの」

「父さんが? ……そういえば俺が入院中にローラと会った時、いきなり父さんが彼女のことを何処かに連れていったけど」

「その連れていった先がうちだったのよ。どうやらあの子、一週間前から日本で留学を始めたドイツのお偉いさんの一人娘らしくて、それで何かいろいろ縁あって『滞在先が無い』っていうあの子をここで受け入れることになったの――あ、ローラちゃん。これテーブルに持っていってくれないかしら」

「話逸らしやがった!」


 これ以上息子の話に付き合ってなどいられないとばかりに、興味深そうにテレビのバラエティー番組を見ていたローラを呼び仕事を割り振る母親。

 憎き宿敵が今まで暮らしていた家で家族の一員のような扱いをされたのにも関わらず、ローラは何も言わずテレビから目を背け、呆然とする悠人を素通りしてキッチンの方に入っていく。


「任された、ヨリコ殿。ところで、今日の献立は何なのかね?」

「このメンチカツと肉じゃがが盛られたお皿よ。悠人の好物なの。せっかくの息子の快気祝いだから、いつも以上に張り切っちゃった」

「なるほど。日本の家庭料理を目の当たりにするのは初めてだが、如何にも美味しそうに見える。これには息子も舌鼓を打つだろう」

「あらやだ。ローラちゃんったら褒めるのも上手なのね」


(……俺が味覚を失ってるの知ってるくせに何言ってるんだ、アイツは)


 吸血鬼では無い者に対しての世辞に賢い点では、流石は聖女と言いたい。


 自分と母親ではあからさますぎる態度の違いに呆れと苛立ちを感じつつ、悠人は食卓の定位置に着く。目の前には艶立った白米と湯気が立ち上る豆腐の味噌汁がそれぞれよそられた器がすでに置かれていた。

 かつてならば、いつもの質素ながらも温かみのある母親の料理に腹の虫を鳴らしたであろう。だが吸血鬼として覚醒し正常な味覚を喪った今では、美味しそうな料理を目の前にしても何も感じない。色褪せた食品サンプルを目にした時の感覚と似たような、食に関する無関心と拒絶感を覚えている。


 大好物ばかりが並ぶ食卓なのに喜びの感情一つ見せない息子を、当然母親は訝しんでいる。


「悠人、どうしたの? メンチカツも肉じゃがも好きなはずでしょ?」

「……」


 向かい側の席に着いた彼女が、こちらの様子を伺っている。さらに一人分のメンチカツが盛られた皿と肉じゃがが取り分けられた小鉢をずいと差し出してくるが、それでも無反応な悠人に更なる怪訝な表情を浮かべた。


「まさかだけど……噂の殺人事件の犯人に襲われたショックで食事が喉を通らないのかしら……」

「い……いや、そうじゃなくて!」


 慌てて悠人は首を振る。

 今回の一件は悠人にとってできるだけ自分の心の内に留めておきたいことであった。無駄な心配を覚えた母親の片足を惨憺の舞台に踏み入れさせたくない――そんな想いが心中にあるからだ。

 ましてや今回の事件の首謀者の狙いはこの自分。下手をすれば母親も巻き込まれかねないのだ。


(俺の身を案じてくれている母さんには悪いけど……全てを包み隠さず話して余計に事態を悪化させるくらいなら、誤魔化す方がよっぽどいい)


 ――母親には、息子が実は「吸血鬼の王」だったなんて言えるはずもないのだから。


 だから、暁美悠人は嘘を吐いた。


「いや、本当に……母さんが心配するようなことじゃないんだ。ただ居候が一人増えたことと母さんが俺の好物用意して待っててくれたことにびっくりしたから、ちょっと呆然としてただけで……」

「あら、そうなの? ならよかったわ。冷めないうちに食べちゃいなさい。ほら、ローラちゃんもね」


 幸いなことに、母親はそれ以上詮索してこなかった。ローラのことを食卓へと誘い、自身の分として小鉢に取り分けた肉じゃがを箸でつつき始める。

 根掘り葉掘り真実を追及されなかったことに安堵しつつ、悠人はメンチカツを齧った。


(やっぱり味はしないか……)


 つい先日までは味わうことのできたミンチ肉のジューシーな旨みは、血液しか飲めなくなってしまった悠人の舌には伝わらない。いくらじっくり味わうべく咀嚼しようとも、まるで消しゴムを噛んでいるかのような感触しか覚えられなかった。

 だがここで「何の味もしない」と言ってしまえば、何とか回避した詮索がまた始まってしまう。それを危惧した悠人はまたも優しい嘘を吐いた。


「美味いよ、母さん。やっぱり俺……母さんの手料理が好きだ」

「本当? 貴方、普段そのような言わないからちょっと驚いちゃったけど、息子に褒めてもらえて嬉しいわ」


 喜色満面の表情となる母親。ようやく彼女の不安と疑念を取り払うことができた安心感から、悠人も釣られて笑顔になる。

 ようやく戻ってきた穏やかな時間の貴重さを噛み締めつつ、彼は味のしないメンチカツをまた一口齧ったのだった。


 こうして、温かな雰囲気に包まれた日常の光景は刻々と過ぎていく。

 吸血鬼に覚醒した後に覚えた罪の意識を、ゆっくりと溶かし込み浄化していくかのように――。




 食卓を囲った和やかな団欒の中、ふと悠人は隣に着席するローラを見遣る。

 スプーンで器用に肉じゃがを口に運び顔を綻ばせる今の彼女から、吸血鬼を狩る聖女としての威厳と高潔さは感じられない。


 それは、白き聖女から年相応の少女としての一面が垣間見えた、初めての出来事だった。

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