楽園に終止符を
「ユ、ユークリッド様……何故……」
黒い刃に突き刺されたラリッサが、驚愕に目を剥きながら後方に首を回す。
彼女の背後には、荊に縛られていたにも関わらず平然とした様子の暁美悠人が立っていた。
悠人は素早くラリッサから愛剣を引き抜くと、真祖としての暴虐性と残虐性が滲んだ不遜な声音で答える。
「何故余が貴様の拘束を脱することができたか――その理由は至極単純、貴様の落ち度というものだ」
剣にこびり付いた血糊を振り払い、悠人はさらに語る。
「貴様は先ほど憤怒のあまり、全ての荊をクルースニクに総動員させたであろう? その際、余の拘束に用いられていた荊までもが彼女に向けられた。故に余の拘束が緩み、かろうじて脱することができたという訳だ」
「ですがユークリッド様、この完全に閉じた空間内では貴方はアタクシには逆らうことが能わないはずですわ! それなのに、どうして……!」
「考えてみよ、果たして現状この空間内が完全に閉じたと呼べるのか否かを」
悠人は周囲をぐるりと睥睨。ラリッサも釣られて目線を動かす。
そして、ハッと気付いた。
「壁が……!?」
同時、ラリッサは思い出す。
クルースニクが、迎撃の最中に壁に亀裂を走らせていたことを。
完全に閉鎖された空間でも、僅かながら隙間が生じたのならば、それはもう「閉ざされた」とは言えない。
「さては……」
「ああ。私が貴様の相手をしつつ周囲の壁を狙い続けたことが功を為したようだ」
冷や汗を垂らすラリッサに答えを述べたのはローラ。毒の影響で若干蒼褪めた顔をしつつも、こちらの策に気付かなかった彼女に対しニヤリと笑ってやった。
「私も必死であったため数分前まで気付かなかったが、すでにこの空間には欠陥が生じていたということらしいな」
「……っ!」
クルースニクが壁を狙い続けていたことは分かっていたのに、所詮どうにかなると考え見て見ぬふりをしていた――絶対的な自信に溺れたが故に大きな失態を犯した愚かな吸血鬼は愕然とする。
その隙に悠人はラリッサの背後を離れローラの元へ。黒い剣で素早く斬撃を繰り出し、身体をきつく縛り上げている荊を全て切断した。
「すまんな、ユート」
「謝罪はいらぬ。今は己の傷を癒すことに専念せよ。貴様にはまだすべきことが残っておるのだからな」
悠人はこちらを視界に入れず、敵のことを鋭く射貫きながら答える。
「ラリッサの対処は全て余が引き受けよう。貴様は傷を癒した後、再び空間破壊に取り掛かれ。これは遠隔攻撃を得手とする貴様でなくてはできぬ役割だ」
「だが貴君、単独でラリッサ・バルザミーネの対処はできるのかね? しかも荊によって毒を注入されていたというのに――」
「貴様、クルースニクでありながら余を誰と心得る?」
戸惑いつつ尋ねたローラに対し、彼は不遜げに言った。
「余は四使徒を従える真祖。確かに一度は特性を失念していたが故に屈辱を味わったが、現状彼女の異能が万全で無い以上、余が勝利を収めるのは当然のことよ」
鼻を鳴らしつつ、悠人は再びラリッサの元へと跳躍する。
ちらりとローラを見遣り、「安心しろ」とでも言っているかのような笑みを湛えながら。
「それに、毒ならすでに癒えた。吸血鬼の回復力を舐めるでないぞ?」
「……」
すでにこちらを眼中に入れずラリッサと交戦を始めた悠人の背を見送りつつ、ローラは思わず沈黙。
だが、自身のすべきことは忘れていない。
この閉ざされた空間を破り、ラリッサの異能を弱体化させ、その上で彼女にとどめを刺す――それが今、クルースニクたる己に与えられた使命。
「……ユートが戦線復帰した今、私ものうのうとしている訳にはいかんな」
しかし仕事に取り掛かるためには、まず自身の身体を癒さなくては。
流石に毒に犯された身体ではまともに動くことはできない。悠人が隙を作っているうちに迅速に事を遂行しなければならない以上、毒の苦痛に悶えている暇など無いのだ。
『Eja mater, fons amoris, me sentire vim doloris, fac, ut tequm lugeaum(御子よ、愛の泉よ、我に悲しみの力を感じさせ、御身と共に嘆かせよ)――』
まずは第一段階として、回復の神術を唱える。みるみるうちに毒が抜け、傷が塞がり、身体が軽くなっていった。
そうして数秒後、完全に身体が回復し動けるようになったことを自ら実感した後、ローラは待っていたと言わんばかりに銃剣を天へと突き出した。
今度こそ、ラリッサ・バルザミーネを完全な形で討滅するために。
彼女が無敵でいられ得る空間に風穴を開け、その上で彼女の心臓に風穴を開けるために。
数日ぶりにラリッサとまともに対峙した悠人は、すぐさま彼女に向け斬撃を繰り出す。
一方、ラリッサは今にも泣き出しそうに顔を歪めながら、必死で荊の鞭を振るっていた。
「どうして……どうしてクルースニクに協力するのです!? 彼女は貴方の身を滅ぼすために生まれた存在だというのに!」
「余がそうしたいが故に行っているだけのことよ。ついでに言うのならば、こうしてわざわざ貴様を斬り掛からんとしていることもな」
ラリッサの欠陥が見えた以上、絶対命令権で彼女を欲しいままにすることもできなくは無かった。
しかし今、悠人はラリッサに「死ね」と命じることはせず、あえて接近戦を挑むことにこだわっている。
単純に、こうでもしなければ自分の煮えたぎる怒りを鎮めることが不可能であったから。
「先ほども告げたことではあるが、余が意識を喪失している間によくぞこの身体を弄んでくれたではないか。余の許可も無く、好き勝手にな?」
「それは、その……」
「図星か。まあ良い。貴様のような変態かつ無礼な娘を四使徒として控えさせておった余にも恥ずべき点というものがある。ならばここは潔く清算しなくては余の真祖としての名が廃るというものだ」
ラリッサにされるがままになっていた屈辱の発散も込め、悠人は魔帝ノ黒杭を振るう。
彼女は防御として袖から荊を伸ばし、またこちらの周囲からも荊を伸ばしてきたが、悠人はそれらを剪定のように一刀両断した。
「清算……!? まさか、それは、」
「ああ。主たる余への不敬罪だ。貴様の生命無しでは雪げまい!」
「――!!」
ラリッサの目が大きく見開く。同時、荊の打擲と伸長が一段と大きく弱まった。
自分がこうして彼女と対峙している隙に、ローラは着々と聖堂の破壊を行っている。徐々に閉ざされた世界が崩壊しているのだから、ラリッサの無敵性も次第に弱体化していた。
が、破壊と比例するかのように減衰していたはずのラリッサの力がここで一気に暴落したのは、おそらく聖堂の破壊だけが理由では無いだろう。
「かは、さては貴様、ここで精神力を弱めたか」
「……」
ラリッサは答えない。苦悶を美貌に宿し、悠人に黙々と妨害の荊を放つのみだ。
彼女が精神力を弱め、それに伴い異能の威力をも弱めたのは、おそらく自分が真祖にもう必要とされていないことを悟ったからなのかもしれない。
だが、いくらラリッサが真祖に愛想を尽かされたことを嘆こうが、悠人は全く心を痛めない。
それだけ、彼女は赦されざる行為をした。ただ愛しい者を手に入れるためだけに無関係な者を陥れ、利用し、害したのだから。
そして、悠人にとっての最愛の人物の心を傷付け、その上で殺そうとしたのだから。
「貴様の力が弱まっておるのならば大いに結構。その分、こちらが殺りやすくなるのだからな」
陰湿で悪辣な笑みを湛えた悠人の背後では、閉鎖空間を壊そうと奮闘するローラが立てる銃声と、閉鎖された空間が壊される轟音が交互に二重奏を奏でている。
そして凄絶な独唱のように、ローラの破壊の意思を乗せた詠唱が共に響いていた。
『Cum Sancto Spiritu(聖霊と共に)――』
詠唱、銃声、轟音。詠唱、銃声、轟音。詠唱、銃声、轟音――。
ラリッサを牽制するべく剣戟を繰り出し続ける悠人の傍らで、クルースニクによる反復作業が延々と繰り返される。
何度も何度もローラが閉鎖空間を壊していく度に、ラリッサの荊を操る力は悠人でも充分捻り潰せるくらいにまで弱まっていく。
そうして、いつまで繰り返されたことだろうか。
ついに、悠人とローラが待ち望んだ契機は訪れた。
『Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris(聖霊と共に、父なる神の栄光のうちに)!』
ローラによる何度目かの詠唱、銃声、轟音。
だがこの時ばかりは、今まで以上に轟音が大きく唸っていた。
「ユート!」
同時にローラが、こちらの名を呼ぶ。
彼女の背後からは、晩秋の冷たい夜風が舞い込んでくる。これまで四使徒の女によって密閉されていた聖堂には、絶対にもたらされることが無かったものだ。
つまり――
「終わったか?」
「ああ、一、二箇所だけではあるが、どうにか穴を開けることはできた。つまりこれで私たちは彼奴に決定打を与えることができる」
「それで構わぬ。御苦労……いや、ここは俺の言葉で言い直す。本当に苦労掛けさせてごめん。そして、ありがとな」
労いの笑みを浮かべながら返答した悠人は、口調を真祖としての古風なものから男子高校生としての砕けたものに変え、こちらに寄ってきたローラの肩を軽く叩きながら言った。
「じゃあ、ラリッサへのとどめはローラに一任するよ。彼女に対しての恨みつらみはお前の方が大きいだろうし」
「無論。任されよう」
悠人と入れ替わるように、ローラがラリッサの前へと躍り出る。
彼女の胸に向けて、まっすぐに銃剣を構えながら。
「終わりだ、ラリッサ・バルザミーネ」
「あ……アタクシは、まだ……!」
最後の抵抗なのか、まだ空間内に残存している荊を全て結集させ放ってきたが、それら全ては行動を見切っていた悠人が一閃で断ち切り。
『――Amen(然り、そう在らんことを)』
短いながらも強い意思が込められた詠唱と共に、荊の伸長が途切れた瞬間を狙った一撃が放たれる。
その一撃は、今まで以上に圧倒的な規模と威力を有していた。銃殺というよりも破砕を目的とした攻撃にも見受けられた。
太陽よりも眩い光を伴ったローラの一閃は、目論見通りラリッサの胸を貫き、さらに背後に聳えていた祭壇、十字架、ステンドグラス、薔薇窓、そして壁をも破砕する。
壁の一面が猛烈な勢いで破壊されたことに伴い、全面に亀裂の走っていた残りの壁と天井も破砕され、そして――
「――ユーク、リッド、様……」
鮮血を舞い散らせながら、こちらに縋るように震える手を伸ばしたラリッサは、絶望で顔を歪めながら、瓦礫の怒涛に呑まれて消えた。
聖堂のみならず、教会全体が瓦礫となって崩れ落ちていく。
崩落に巻き込まれる危険性があったため、悠人とローラは咄嗟に屋外へと退避。そして、四使徒の一人を巻き込んだまま逝く教会を黙って眺め続けていた。
「……悪いな、ラリッサ。お前のことは有能な配下として信じてはいたが、お前に対し恋愛感情なんてものは微塵も抱いてなかったさ」
そんな中、聖堂が完全に崩落する間際に呟かれた、悠人の小さな唾棄。
しかしそれに対してのラリッサの返答は、二度と返ってくることは無い。




